真実の先に見えた笑顔

しまおか

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第二章~②

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 そんな事を考えていると、今度は総務課が騒がしいと事務職達が騒ぎ出していた。聞き耳を立てる必要もないほど大きな声が聞こえてくる。
 声の主は二課の七恵だ。いつもなら煩いと思いながらも、我慢して無視するよう心掛けていた。だが今回は聞き流せない内容だった。何故なら三箇が、久我埼と揉めているというのだ。
 しかも内容は社有車を管理する総務課に対し、SC課の管轄する社有車の数が人数の割に少ないと、文句を言い出しているという。そうした問題は、普通SC課の課長や次席である総合職が交渉する類のものだ。賠償主事の立場では、関われないはずだった。
 しかもそれだけではないらしい。社員の借り上げ社宅を管理しているのも総務課だが、今住んでいる彼の部屋の騒音や、他の住民のマナー問題、さらには管理会社の対応に関するクレームも言い出しているらしい。
 本来なら何か問題があっても、管理会社へ問い合わせる程度で済むはずだ。それでも解決しない場合、内線電話で何とかしてくれないかと総務課に相談するケースは、ごく稀にあった。
 過去にも英美のいた企営課の総合職が住んでいる社宅で、急に騒音問題が発生した為、転居したいと言い出している社員がいた。
 しかし途中で社宅を変更するのは、余程の合理的理由が無いと会社として認められないのが実態だという。そこでその社員はある時期、頻繁に総務課と連絡を取って問題解決できないか交渉していたことを覚えている。
 だがそんな時でも同じビル内にあるとはいえ、直接総務課に押しかけ交渉するなど今まで聞いたことが無い。七恵達の話だと対応していた久我埼も最初はそれなりに応じていたようだが、余りにも三箇が尊大な態度を取った為、ぞんざいな扱いをしだしたようだ。
 それに対して三箇が怒り、本人の目の前で
「死に神という噂は本当なのか」
などと挑発し、さらに彼を怒らせたらしい。英美の知っている三箇が取った行動とは思えず、直ぐには信用できない話だった。
 その為不審に思い、実際どのような事が起こっているのかと心配して席を立った。しかし総務課へと駆けつけた時には、すでに皆落ち着きを取り戻していた。
 三箇の姿もない。ただ久我埼が課長ともう一人の総合職と何やら話している姿だけ見えた。しばらくぼんやりと立っていたが、折角ここまで来たのだからと、英美は総務課にいる同期の事務職に声をかけた。
「何か騒ぎがあったらしいけど、SC課の三箇さんがどうかした?」
 すると彼女は、うんざりとした顔で話してくれた。
「うん。社有車や社宅の件で、久我埼さんと話をしていたみたい。でもその件で問い合わせをしていると言うより、久我埼さん個人に突っかかっているようだった。詳しくは分からないけど、二人は以前から顔見知りだったらしいよ。でも久我埼さんは、すごく迷惑そうな顔をしていたけど」
「そうなの? どういう顔見知りだったかは聞いていない?」
「話していた時の感じだと、久我埼さんが一宮支社にいた頃に知り合ったみたいだけど」
 意外な話に、英美は聞き直した。
「それって、十年近く前の話だよね」
「そう。でも久我埼さんは私達が入社二年目の時に復職して、半年で大宮SCに異動したはずだから、三箇さんと接点があったとは思えないけど。一年半近く休職していたらしいし」
「八年前か。三箇さんは確か途中入社して今年で九年目だったと思うから、その半年は重なっているよね」
「でも久我埼さんは、一宮支社でしょ。三箇さんのいるSC課とは担当エリアが違うよね。それに一年半休職して復職した後の半年なら、SC課と絡むデリケートな案件に関わっていたとは考えにくいけど。それこそ廻間さんは彼と親しいから、何か聞いていないの?」
 逆に質問を受け、英美は少し動揺しながらも首を横に振った。
「知らない。浦里さんは何か聞いているようだったけど、プライベートな話だからって、教えてくれなかったから」
「へぇ。プライベートな事、って言ったの? ということは、仕事上で知り合った訳じゃないってことだよね」
「そうみたい。だから何となく聞きづらくて」
「分かる。確か三箇さんって以前、警察官だったんでしょ。そこを退職して転職しているから、なんか訳ありっぽいよね。何か問題を起こして辞めたってことはないと思うけど」
「だったらうちの会社も、採用しないでしょ。それに辞めたのは、単なる自己都合だと聞いているけど。職場環境があまり良くなくて、息苦しかったからとか言っているのを一度だけ聞いたことがある。でもそれだけ。根掘り葉掘り聞けるものでもないし」
「そうだろうね。でもなんだろう。私は三箇さんのことはよく知らないけど、あんな人だとは聞いていなかったし周りも驚いていたから、あの二人はちょっと普通の関係じゃなさそうよ」
「そうなんだ。ありがとう。仕事中、邪魔をしてごめんね」
「うん。大丈夫。そっちの方が今は忙しいんじゃない?」
「そうなの。だからこんな油を売っている場合じゃないんだけどね」
 月末最終週に入っている為、急ぎの仕事は山ほどある。総合職達も四月からこの七月の締め切りまでにいくら数字を積み上げられたかが、年度初めの勝負所だ。
 年間のスタートダッシュが上手く切れたかどうかを、上の人達は見ている。今年度の成績を占う、大事な試金石でもあるからだ。その為七月までの成績に入れられる申込書は、全て計上しなければならない。
 成績は保険始期ベースで決まる。つまり保険の責任開始月が七月ならば七月の成績だ。八月始期であれば、七月に計上しても八月の成績となる。
 だからといって、八月始期の申込書を後回しにする訳にも行かない。早期に計上しなければ、後々問題が起こるケースも出てくるからだ。
 それでもやはり七月最終週となれば、成績になる契約を優先処理することになる。特に今だと生命保険の申込書は最優先だった。営業事務職にとって最も時間を費やし重要視される事は、毎日のように代理店から集められた申込書をいかに早く処理できるかだ。
 そのことで証券が発券される手続きへと繋がり、契約内容がパソコン画面で照会できれば数字にも反映する。さらに契約保険料の中から代理店への手数料が支払われる手続きにも連動し、またその中の一部が自分達の給料となるのだ。
 いわゆる飯の種をいかに集め、いかに間違いなくそして早く計上するかが、営業課の仕事だった。
 しかし毎日のように積み上げられる書類を処理し続けていれば、感覚も麻痺してくる。契約申込書一枚が社員や代理店の収入となるだけでなく、顧客に万が一の事が起こった際に補償し、安心を提供する大切なものだと頭では理解していた。
 とはいえやってもやっても終わりのない作業が続けば、おかしくなるのも無理はない。余りにも処理しきれない書類が積み重なった状況をみて、ある事務職が呟いたことがある。
「今火事が起きて、全部燃えてしまえばいいのに」
 実際に起こったら大問題になることは、冷静に考えれば分かることだ。それでも思わずそんな怖しい事を口走ってしまう程、うんざりするものだった。
 こんな事ばかり言っていると、損保会社の仕事はただ辛いだけだと思われるだろう。しかしどんな仕事でもそうだろうが、楽しい事や嬉しい事、喜びを覚えることもあった。
 例えば総合職や代理店が頑張って、大口の新規契約を取ってくればやはり嬉しいものだ。それを計上して数字となった時、事務職としても共有出来る喜びがある。
 また日頃代理店に対し事務的なことや契約のアドバイスをしていると、おかげで事務での仕事がやり易くなったとか、契約が取れたと感謝されることもあった。
 時にはお祝いまたはお礼と称して代理店からお菓子を差し入れされたり、昼食や夜の飲み会に誘われごちそうして貰ったりすることもある。そこで仕事以外の話で盛り上がり、楽しませてもらうことだってあるのだ。
 社内であれば、英美は事務職として中堅の域に入ってきたため、後輩社員に指導する機会が増えている。そうして教えてきた成果が実り、代理店や総合職に褒められるほど成長していく後輩達の姿をみていると、こちらも嬉しい。
 感謝されて頼りにされれば、気分も良くなる。やはり人として認められ、役に立ったと実感できることは大切だ。その根本には担当総合職や同僚の事務職を含め、代理店等との人間関係が上手くいっていることこそ重要だと思う。
 そのような環境であれば毎日続く事務処理も、苦では無くなるとまで言えないけれど、それほど嫌な仕事だと感じなくなるものだ。
 そうした意味だと、英美が今いる一課は数字が良いことも影響しているだろうが、全体的に課内の雰囲気は悪くない。特に仕事の相棒として絡むことの多い浦里との関係が、それなりに上手くいっている分、どちらかといえば楽しい時間を過ごせていると思う。
 それに英美自身も十年目となり、仕事に追いかけられることから徐々に解放され始めた為かもしれない。以前いた企業営業課では、新人から五年間という最も知識も経験も乏しい時期だった。その為、苦しかった記憶しかなかった。
 しかし一課に来て、そうした苦悩からは少し解放されている。徐々に知識や経験を重ねてきたことで、余裕が出て来たからかもしれない。それでもやはり大きく影響したのは、社員や代理店の質が違ったからだと思う。
 転勤により、上司や担当総合職が変わることで方針や評価や接し方も異なり、部下が戸惑うことは多い。実際上に弱く下に強い人物がいたり、女性差別や相手によって態度を豹変させたりする男性社員が、前の部署では必ずいた。学歴が高い分、偏ったプライドを持っていたからだろうか。
 また企業営業という特殊性もあり、扱う契約一つ一つが高額で取引している代理店も大きい。その為、何かあるとすぐに部長や本部長レベルが顔を出していた。
 よって計上一つ、電話対応一つでも、ミスが許されない空気が常に漂っていた気がする。そうした課内外での緊張感もあったせいか、当時はいつも息苦しいと感じていた。
 だが一課の担当はプロ代理店や整備工場、企業でもこぢんまりとした代理店などが中心だ。その分社員と代理店との距離感が近く、相手の人間味が良くも悪くも伝わり易かった。
その為か企業営業課時代より、英美には仕事がやり易いように感じられたのだ。揉めたり怒鳴られたこともあったが、喜んでもらえたり、褒められたりしたことも少なくない。
 そこに情が感じられた為、どちらにしても嫌な気はしなかった。それに加えて浦里など間に入ってとりなしてくれる総合職がいるから、忙しいけれども今は比較的楽しい社会人生活を送れている。
 どんな仕事でも続けられるのは、そこに何かしらの喜びや遣り甲斐を見つけられるか否かだろう。そうでないといつまでもつまらない、辛い、でもやらないといけないと我慢を重ねなければならない。その結果体を壊したり、心を病んでしまったりするのだろう。
 会社では上司も部下も選べない、とよく言われる。同様に損保会社では担当する代理店や組まされる担当総合職も、基本的には選ぶことなどできない。管理職からここを担当してこの総合職と組めと言われれば、従うしかないのだ。そうなると当たり外れは激しい。 
 担当していて明らかに対応が楽な代理店もいれば、面倒な人達もいた。もちろん互いの相性だって関係してくる。加えて担当総合職も人が変わればやり方も大きく異なる場合があるため、問題はさらに複雑だった。
 しかし今は課全体のバランスが、ここ近年で一番安定していると思う。だから雰囲気も良く、忙しくても皆なんとかやれているのだ。
 今日も英美は通常通り、書類の山を減らす為に黙々と申込書やパソコン画面を睨みながら、時折かかってくる問い合わせの電話対応をこなしていく。
 気付くと五時を過ぎていた。集中していたからか、積み上げられた申込書の数は順調に減っている。ただ浦里など外出してまだ戻ってきていない総合職が何名かいた。
 彼らがこれから持ち込む書類の数や案件によって、今日も遅くまで残業するか明日に回す事ができるかが決まる。こういう時、いけない事だと思いながらも、余り沢山の申込書が無いよう祈る自分がいた。
 そこに次々と男性達が戻って来た。彼らは回収してきた書類を、各担当事務職へと渡していく。中には大量に渡され、露骨に顔を顰める事務職もいた。
 この時間になって、ようやく減らした山がどんと増えるのだから、その気持ちは良く分かる。しかし彼らだって、決して嫌がらせをしている訳ではない。
 まさしく各担当代理店が汗水流して獲得してくれた契約書類を、頭を下げながら回収しているのだ。沢山あればあるほど数字が増え自分達の給料となるのだから、そんな態度を取ってはいけないことも理解している。
 それが事務職の仕事なのだ。そう言い聞かせて気分を奮い立たせるしかない。英美の元にも回収された書類がやってきた。帰社した総合職が各事務職の机の上に置かれた所定の箱の中へ入れていく。 
 しかし思ったより数は少なく、ざっと見た中身も急ぎの物は無さそうだ。そこで胸を撫で下ろす。だがまだ油断はできない。浦里が残っている。
 彼は古瀬の件で契約者の所へと出かけて行ったが、他の代理店も回っているはずだ。しかも今日は、複数の営業社員を抱える大型専属代理店のナカムラに訪問する日だった。
 すなわち扱い件数が多い分、回収されてくる書類も決して少なくない。そう思っているところに彼が帰って来た。英美が声をかけると、彼も返事をよこした。 
「お帰りなさい」「ただ今帰りました」
 隣の席に立ち、鞄の中から回収した書類を入れたジッパー付きのクリアファイルをいくつか取り出した。その中の一つに大量の申込書が入ったものを見つけた。ナカムラから回収した分だ。
 予想していたので驚きはしない。ただああやっぱり多かったかと、軽くため息をついた。しかし彼は英美の机上にある箱に、それらの書類を置きながら言った。
「新規の申込書が数件あるけど、更改も含めて始期は来月のものばかりだから。急ぎは生保の申込書だけかな。これは締め切りが明後日だから、できれば明日中に計上して。事前チエックをしてあるから不備は無いと思うけど、念のために確認して貰えると助かる」
 これは嬉しい事だ。損保の新規で今月分が無いのは寂しいが、今の時期ならそれもしょうがない。新規も更改も早めに手続きをするのが普通だからだ。しかし来月分が数件あるだけでも幸先は良い。 
 特に八月は契約件数も少なく、数字が動きにくいから余計だ。しかし生保は違う。更改契約というものはまずなく、獲ってくるのは全て新規だ。その為締め切りぎりぎりまで代理店が粘り、契約者と交渉を重ねた結果成約するものだった。
 英美は書類の束からそれらを見つけ出して言った。
「すごいね! 五件もあるじゃない!」
「そう。助かったよ。仲村社長にお願いはずっとしていたし、営業社員も動き回ってくれていたのは知っていたけど、ここに来ての成約は大きいね。代理店のキャンペーンもクリアできたと思うし、俺の担当分の目標数字もこれで超えたから」
「やったじゃないの。明日朝一で私からも仲村社長に、お礼の電話を入れておくね」
「そうしてくれると有難い。誰が獲ったかは申込書に打たれたナンバーを見れば分かるから、できれば営業社員にも個別で電話してくれないかな。仲村社長が三件で、他は皆一件ずつだから」
「三件! 分かった。さすが社長ですね、としっかりおだてておく」
 二人で顔を見合わせ笑った後、互いに次の仕事へと手をかける。ざっと箱の中の書類を見て急ぎのものがないことを再確認した英美は、明日でいいのだが早速生保の申込書に目を通した。
 彼が事前に確認しているとはいえ、見落としが無いとは限らない。注意しなければならない重要個所と書き忘れやすい場所は、だいたい決まっている。
 だがさすが浦里だった。五件とも不備は見つからない。これなら明日の計上も早く済むだろう。
 そこでふと思い出し、横にいる彼に聞いた。
「そういえば、今日古瀬さんが新規で取って来たお客様の所へ行ってきたんだよね。どうだった?」
「話は聞けたよ。緒方さん側の言い分も聞かないと本当のところは分からないけど、お客様が嫌がっていることは事実だね。だから古瀬さんに全く非はない。でもあの契約の計上は待ってもらえるかな。確か八月末が始期だったよね」
 自動車保険である為、計上自体は古瀬さんが機械で申込書を作成して済ませている。ただ最終的に営業店で申込書の原本を見て問題ないかを確認した上で通さないと、証券の作成はできない。彼はそれを止めて欲しいと言っているのだ。
「いいよ。まだ時間はあるから。でもどうするつもり?」
「これから課長に相談して考える。だからもう少し時間が欲しい」
「分かった。じゃあそのまま計上するか、それとも訂正するか決まったら教えて」
「了解。今月末は緒方さんも忙しいだろうから、来月動くよ」
「それにしても厄介な案件よね。私もあれから契約者名で検索したけど、単価の大きい自動車保険が一件と、火災保険とか積立保険とか緒方さん扱いで複数の契約があったよ」
「それだけじゃない。他の家族名義で契約しているものが、相当数あった。しかも今回の契約は松岡さんの奥様名義の契約だったよね。実は旦那さんが会社の社長さんで、法人名義の契約もかなりある。それらを全て満期が来次第、順次古瀬さんに切り替えたいと言うのが松岡さんの意向なんだ。だから緒方さんも第一支社も焦っているんだろう。相当な減収になるから」
「個人契約だけじゃないんだ」
「そう。全部合わせると、保険料で五百万円くらいにはなるかな」
 想像以上の大きな数字に、英美は驚いた。
「そんなに?」
「古瀬さんからすれば、全部切り替えて貰ったら大きい。年間で百万近くの固定した手数料収入増になるから、生活もぐっと楽になる」
「でも緒方さんの方ではその分減収する訳だから、そう簡単には引き下がれないでしょうね。第一支社としても、五百万の数字が無くなったら痛いだろうし」
「めちゃくちゃ痛いよ。逆の立場だったら担当者だけじゃなく、支社長を連れて頭を下げに行くような案件だからね」
「第一支社ではトラブルが起こった時、謝りには行ったの?」
「会社の方へは行ったみたいだね。社長に頭を下げたらしい。でも一番怒っているのは、役員にも名を連ねている奥様だから」
「奥様の怒りは解けていない。だから古瀬さんに個人契約から移そうとした訳ね」
「その通り。それに社長自身もまだ許していないみたいで、問題はくすぶっているらしい。会社契約や社長の個人契約の始期は、早いもので十月一日。第一支社としてはなんとかそれまでに、関係を修復したいと思っているみたい。だけど話を聞く限り、難しそうだよ」
「緒方さんのミス? それとも第一支社も絡めたミス?」
「緒方さん単独のミスらしい。だから保険会社は変更せず代理店は移す、という話になったようだね。聞いたところによれば数年前、奥様は追突事故の被害に合ったらしい。幸い軽いむち打ち程度だったようだけど、相手の保険会社もツムギ損保だったんだって。その時の人身担当者の対応がすごく丁寧で良かったから、できれば会社は変えたくないとの要望だった。だから第一支社としては一課に数字が移ったとしても、その分数字を補正して貰えばいいと思っているみたい」
「それって都合が良すぎない? 要は古瀬さんが数字を獲得しても、一課の数字にはならないってことだよね」
 補正とは特別な事情があった場合などに行う、社内的な事務処理を言う。本来計上した営業店が数字を持つところを、営業店の間で補完するものだ。
 その手を使って100%補正をすれば第一支社としてはマイナスにならないが、その分一課は手間がかかるだけでプラスにならない。 
 ただ来年度以降は、実績と数字を一課のものとして計上する方法もある。それでも増収とは言えない為、営業担当者としては単純に喜べない。
「そう。でも第一支社としては緒方さんの手前、そんなことは言えないから必死に契約を維持しようとしているけど、無理っぽいね。相当こじれちゃっているから」
「それほど大きな失敗をやらかしたんだ」
「詳しくは言えないけど、そうだね。だから切り替えられてもしょうがないと思うよ。自業自得ってやつだ」
「もし古瀬さん扱いになったら、数字は第一支社に補正を出すの?」
「それはうちの課長が渋っている。俺もだけど。だって下手をすれば、他社に契約が移ってもしょうがなかった案件だからね。損保会社を変えないのは、第一支社がこれまでよくやってくれたから、という訳じゃないみたい。最悪他社に移さないといけないと考えていた所、古瀬さんの顧客が知り合いにいて、その人の紹介だったらと彼が呼ばれたらしい。それがたまたま同じツムギ損保だったから、松岡さんはそれなら是非切り替えたいと思ったらしい。第一支社の唐川さんや田辺支社長は、今回の件が起こってから会社に訪問して松岡社長と会ったようだから、支社としては緒方さん任せでほとんど絡んでいなかったんだって」
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