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真犯人を追う
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寺畑の周辺を洗い直す方針に立ち戻ったとはいえ、烏森が指摘していたように、CS本部や捜査二課を刺激するのは良くない。
本当ならば、前回取材できなかった渡辺に話を聞いておきたかった。しかし白通社員の彼に再度接触しようとすれば、現在まだ調査中である二課の捜査員達に気付かれるだろう。
一度は重要参考人として目を付けられた人物だ。今度は何をするつもりなのかと、彼らを警戒させかねない。
そこで警察の動きに注意を払いつつ、寺畑を含む白通の社員以外で、今回の情報漏洩により得した人物がいないかを調べ始めた。
「まず疑うとすれば野党の政治家だ。しかしそこまで大胆な犯罪をするかといえば、首を捻らざるを得ない。須依はどう思う」
烏森の問いに答えた。
「まだ見ぬ犯人が寺畑と繋がりを持っていたのなら、やはり反社等を含む犯罪者集団を疑うべきでしょう。もちろん彼女が海外の犯罪集団のスパイである可能性は排除できません。ただそうで無いと仮定すれば、何か弱みを握られ協力したと考えるのが自然です」
「なるほど。通常なら彼女の人間関係や家庭環境を含め、これまで歩んできた足取りを追いたいところだ。しかし今は止めておいた方がいい。それにその点は警察や他のマスコミも調べているだろう」
「そうですね。その結果がある程度出て情報が手に入るようになれば、取材対象を絞れます。それまでは別の筋を追いましょう」
「それが反社または関連の犯罪集団か。そこまで言うのなら心当たりがあるんだろうな」
須依は頷いた。
「今回の事件の中心にいて舞台となったのは白通です。狙われた政治家達も、あの企業との関わりを疑われ苦境に立たされています。寺畑はそこの社員で、中条という経理部長を追い落としましたよね」
「ああ。寺畑の供述を受けて彼は社内調査の対象となり、部長から課長に降格させられるだろうと噂されている。それで彼女の気が晴れたかどうか不明だが、ある程度の復讐はできたといえるだろう」
「はい。もちろん別に黒幕がいて、ほとぼりが冷めるのを待ち彼女に成功報酬を払う約束があるのかもしれません」
「あり得るな。確か須依は、寺畑の逮捕が最初の一手だと言った。あの件で犯人に身代金の一部が支払われていたら、報酬が発生していても不思議ではない。中条への復讐に加えまとまった金が手に入る約束だったとしたら、逮捕される覚悟で犯人役になった可能性も出てくる」
「政治家との癒着だけでなく、社員情報も手に入れられるほど深い関係がなければ今回の計画は立てられません。だったら白通と繋がりがあると噂されていた反社を、まず当たるのはどうでしょう」
「いいだろう。白通はライバル社に差をつけられ業績が悪化し始めたから、仕事を得ようと政府筋に近づいた。広告代理店のような地方等で開くイベントが絡む仕事を受けていると、古くからの習慣が残っているせいで反社との付き合いから逃れられないと聞く」
反社などの締め付けが本格的に厳しくなったのは、一九九二年に施行された暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、いわゆる暴対法がきっかけと言われている。
その後各自治体で次々と暴力団排除条例が規定された。よってバブル期以降に入社した多くの社員は、反社との接点がほぼ無いと考えていい。
ただそれ以前に入社した者や関係が深かった会社等は、悪しき慣習を引きずったまま、抜け出せない場合もあるという。白通もその中の一社だ。
「そこです。しかし近年は警察の引き締めが厳しくなり、手を切る企業が多くなりました。白通もそうだったはずです。だから反社はそうなる前にまたはその恨みを晴らそうと、大胆な犯罪を仕掛けたのかもしれません。もちろんここまでは憶測に過ぎないですけど」
「いや、以前噂になった時に二人で少し調べたことがあったな。その際に名前が挙がった反社のフロント企業の中で、確かIT関連の会社があったはずだ」
息を弾ませ名を出した彼に、須依は同意した。
「はい。私も同じことを考えていました。あの時は珍しいと思いましたが、そういう時代なのだと納得しただけでした。でも今回の件に絡んでいる可能性を考えれば、そこが怪しいと頭に浮かびました」
「よし。当たってみよう。警察の捜査が既にそこまで及んでいたら、須依の推測は間違っていなかった証明になる。もしまだなら、俺達が動いても目を付けられる心配はない」
乗り気になった烏森の声を聞き、須依は安堵した。いくら頭を働かせても、希少な理解者である彼の協力が無ければ取材はできない。二人は今や、切っても切れないパートナーだ。よって互いが進むべき方向が定まれば、これ程心強い事は無かった。
まず須依達が取り組んだのは、神葉愚連隊の組織と構成員達の把握に加え、現在の活動状況についての調査だった。神葉愚連隊の前身は、かつて神奈川と千葉に拠点を置いていた的屋である。
的屋とはお祭り市場などが催される際、お寺や神社の境内または参道、門前町に出店する屋台や露店の街商を指す。今は少なくなったものの、かつては大道芸で客寄せして商品を売る、あるいは芸そのものを生業とする大道商人なども含まれていた。
よって芸能関係と繋がりが深く、イベント等の開催には欠かせない存在だ。多くの人が集まりお金も絡むとなれば、トラブルは起きやすい。そうした問題を解決する役目も、彼らは果たしていた。
そうした経緯から、利権や縄張り争いを力でねじ伏せようとする団体も出て来た。そうして暴力団へと派生した反社会的勢力の一つが彼らだ。そこが白通と繋がっていると噂されていた。
過去に神葉の幹部と白通の役員が、夜の街で一緒に飲み歩いていた写真が流出した。その際白通は会社として会見を開き、偶然声をかけられただけで面識や交流はないと疑惑を否定している。
しかしその役員はしばらくして会社を辞め、姿を消した。よって真相は闇の中となったのである。そうした経緯を知っていた為、須依達は彼らに目を付けたのだ。
それだけではない。表面上は堅気として働いている形式を取り、神葉愚連隊と裏で繋がっているフロント企業の中に、株式会社センナというIT企業があったからでもある。
そこの社長である藤原という人物は、神葉愚連隊の実質的な幹部の一員らしい。経歴も変わっていた。東京大学工学部を卒業し、その後アメリカに渡ってMIT(マサチューセッツ工科大学)に入り卒業したという。専門は寺畑と同じ情報セキュリティという点から、高いハッキング能力を持っていると考えていい。
彼は日本に戻った後、何故か暴力団に身を寄せIT技術を買われ、フロント企業を立ち上げたようだ。表向きは中小企業を中心とする情報セキュリティ対策ソフトの提供、及び社内システムの効率化を図るソフトを販売している会社だった。
今や暴力団員がネット動画を配信し、そこから収益を得ている時代だ。かつてのシノギは世の移り変わりに合わせ、どんどん変化している良い例だろう。その為ネットは反社にとっても欠かせない存在といえる。
彼らが不正アクセスをし、今回の事件を画策したと考えれば理に適う。その為須依達はこれまで東朝新聞で扱った神葉愚連隊及びセンナに関する資料や、取材に関わったと思われる記者達から情報を集めた。
さらに餅は餅屋ということで、暴力団を主に扱う警視庁の組織犯罪対策課の刑事にも話を聞いた。東朝でも政治部とは違って社会部の記者が主だった為、須依達が動いている案件と情報漏洩事件とを関連付ける記者はいなかったからである。
お役所というのは縦割り組織の体制が顕著な組織だ。警視庁でも同一事件を追う合同捜査をしていない限り、部署が異なれば横の繋がりはほとんどないと言われている。
そうしたおかげもあってか神葉関連について尋ねた際、幸いにも警戒されずに済んだ。つまり警察による捜査では、まだ反社が係わっているとまで至っていない証拠でもあった。
しかし須依達がこれまで係わってきた事件で、組対課と絡む機会は少なかった為、現場の刑事に余り知られていないだけかもしれない。既に上の方では連携し、動いている可能性もあったので油断は出来なかった。よって慎重に取材を進めていたのだ。
決して気を緩めていた訳ではない。情報漏洩という知能犯事件の性質を持っているとはいえ、反社が絡んでいるとなれば身に危険が及ぶ覚悟はしていた。
だからこそ周辺情報を念入りに調べた上で、センナの動きを探ろうとしていたのだ。
けれど相手は大物政治家や官僚達に揺さぶりをかけるという、国家を敵に回す大胆な事件を引き起こした犯人である。よって相当な警戒網を敷いていると予測すべきだった。
センナの本社がある神奈川に向かい車を走らせ、近くの駐車場に車を停めて降りた途端だった。
不穏な気配を感じたと同時に、駆け寄ってくる数人の足音が聞こえた。須依は危険を察し、咄嗟に扉を開けて車内へと逃げ込んだ。烏森もそうしようと考えたに違いない。だが間に合わなかったのだろう。
「ギャッ」
という彼の叫び声がして、そのまま地面に倒れたようだ。けれども車のキーを持っていた彼は、二人が置かれた状況を把握したと思われる。須依まで襲われないよう、外からリモートで扉を閉めたのだ。
「コラッ、出てこいや!」
荒々しい怒鳴り声と、鉄パイプや木刀のようなもので窓や車体をガンガン叩く音が響いた。しかし烏森が閉めてくれたおかげで、引きずり降ろされずに済んだのだ。
外からは、烏森の唸り声もかすかに聞こえた。取り囲まれ滅多打ちにあっていると想像が出来た為、急いでスマホを取り出し一一〇番にかけた。
と同時に運転席へ移動し、車のクラクションを激しく鳴らした。こうすれば、周辺にいる誰かが異常に気付くだろうと考えたからだ。
けたたましい音に驚いたのか、取り囲んで車を叩いていた複数人の動きが一瞬止まる。しかし原因は別にあった。
「何をしている!」
須依達を襲撃してきた奴らと同じ、またはそれ以上の足音がうっすらと耳に届いた。周囲にどれだけの人がいたか分からない。けれど単なる通行人や近所の一般人なら、通常は係わり合いたくないと思うはずだ。せいぜい遠目で見守りながら、警察に通報するのが限度だろう。
彼らの咆哮を聞く限り、二人を襲った相手は間違いなく暴力団関係者に違いない。そんな輩を相手に、立ち向かおうとするほど勇敢な人がいるなどとは須依も期待していなかった。だから驚いたのだ。
バタバタと走り回る足音により、襲撃犯達が逃げまどいそれを駆け付けた人達が追いかけていると分かった。そんなことが出来るのは限られた人しかいない。そう考えたところでようやく理解した。
「待て! 傷害と器物損壊の現行犯で逮捕する!」
そうした叫び声で、やはり彼らが警察だと認識できた。しかも通報したばかりのタイミングで、これだけの人数が到着するとは思えない。よって須依達は駆け付けた刑事達に尾行されていたと気付く。
どれだけの時間が経っただろう。外の喧騒がようやく収まった。十分程度、いやそれ以上だったかもしれない。ただ須依にはとても長く感じられた。
想像を絶する恐怖から途中で安心感が加わったけれど、不安は拭い切れなかったからだ。最も危惧していたのは烏森の容体だった。
そんな時、ガチャリとドアの開く音がした。反射的に身構えた須依だったが、聞き覚えのある声で話しかけられた。
「大丈夫でしたか。お怪我はありませんでしたか」
そこで緊張が解かれ、何とか答えた。
「私は大丈夫です。有難うございました」
声の主は、以前事情聴取を受けた二課の大山だった。烏森から車のキーを預かり、ドアを開けてくれたらしい。つまりもう危険は及ばないと判断されたのだろう。
「それは良かった。しかし参事官がおっしゃった通りだ。あなた達を追って正解でしたよ。それにしても無茶が過ぎる」
その言葉で、どうやら佐々が須依達に見張りをつけるよう指示したのだと知った。
やはり付き合いが長いだけあり、誤魔化せなかったらしい。情報漏洩の件で別の角度から調べていた行動も、彼には全てお見通しだったと思われる。
しかしそのおかげで須依は助かったのだ。けれど確認しなければならない点があった。
「烏森さんは大丈夫ですか」
そう尋ねられると予想していたらしい彼は、すぐに教えてくれた。
「今のところ命に別状は無さそうです。ただ相当な暴行を受けており、骨折の疑いが複数個所ありましたね。あとは頭部への打撃がどの程度あったか気になります。もう警察車両に乗せ最寄りの病院へ急行させましたから、すぐに診察して貰えるでしょう」
「有難うございます。私も病院へ連れて行って頂けますか」
「分かりました。私達の車に乗ってください。ただここに至るまでの事情を、詳しく説明して貰いますよ」
やむを得ず頷くと、彼は誰かに指示をした。部下らしき人が駆け寄ってきて、須依の手を取り先導してくれようとした。その感触と気配で誰だか分かった。
「八城さんですよね」
彼は歩きながら、小声で呟いた。
「そうです。無事でよかったですね」
須依は頭を下げ謝った。
「有難うございます。それと私達のせいで、相当ご迷惑をおかけしたのではないですか。申し訳ありませんでした」
再び囁くように言った。その言葉から、複雑な感情が入り混じっていると感じた。
「確かに寺畑が逮捕されてからは、色々大変でしたよ。でも直接私の名を出された訳ではありませんし、ある意味結果オーライでしたからね。それ程厳しい処罰を受けずに済みました。叱られましたし、未だに目を付けられてはいますけど」
「だから私達を尾行する役目にも、選ばれたのですか」
「そうです。もちろん監視役がつくという条件付きですが。あなた達が何を起こすか分からないから、最後まで責任を持って行動を見張れと言われていました」
そこまで話し、須依は車に乗せられた。ただし八城の役目はそこまでで、後部座席の両脇に座ったのは左に大山、右に女性と思われる刑事だった。行動確認する上で、同性の人員が必要だと判断されたらしい。相当しっかりとした計画が組まれていたようだ。
車が動き出したところで、須依は疑問に思っていた点を尋ねた。
「私達を尾行していたのは、二課の方達だけじゃないですよね」
「当然です。日頃から主に知能犯を相手にしている私達だけでは、暴力団を相手になんかできませんからね。あなた達が組対課から神葉愚連隊を探っていると聞き、万が一の場合を考えて彼らに応援を頼みました。これも参事官の指示です。おかげで助かりましたよ。あれだけの大捕り物など、私達の手には負えなかったでしょう」
やはり情報は筒抜けだったらしい。さすが佐々だ。先を読み行動に移す指揮官としての能力は、かなり優れていると言っていいだろう。後でしっかりお礼を言っておかなければならない。
しかしまだ確認したいことがあった為、大山に質問した。
「私達を襲ったのは神葉の連中だったのですか。何人いましたか」
「確認は必要ですが、取り押さえてくれた組対課の話によれば、彼らの息がかかった連中なのは間違いないと言っていました。身柄を確保できたのは五名ですが、逃げられた者も含め十名弱でしたね」
「そんなにいたのですか。こちらもかなりの人数がいましたよね。組対課からの応援は、何人いたのですか」
「十名です。二課が六名でしたので、そんなに必要ないと思っていましたが、これも参事官の指示でした。結果的には正しかったようですね。あれだけ乱暴な連中だったら、もしこちらの人数が少なかった場合、返り討ちにあっていたかもしれません」
「まさか。警察相手にそこまでしますか」
「彼らならやりかねない。そう参事官はおっしゃっていました」
そこまで断言したのなら、彼も神葉愚連隊についてかなりの情報を仕入れていたはずだ。本来そうした輩を表立って相手にするケースの無いCS本部の参事官が、そう判断した意味を考えれば自ずと答えが見えて来る。須依はそこを突いてみた。
「二課やCS本部は、今回の情報漏洩事件の裏に彼らがいると気付いていたのですね」
少しの沈黙があった後、彼は大きな溜息をつきながら言った。
「こんなことは言いたくありませんが、最初から知っていた訳ではありません。ただあなたと同じく参事官は、寺畑単独説を疑っていました。そこで彼女のパソコン等の精査と共に、人間関係を含めた身上調査を行ったところ、神葉のフロント企業であるセンナの社員と接触していた疑いが浮上したのです。そこから反社が裏で動いているのではと考え追っていたら、あなた達の行動と重なりました」
「それで私達を監視していたのね」
「そうです。特に事件を追う須依さんの嗅覚を、参事官は一目置いていらっしゃいました。寺畑の件で先を越された二課としても、それは認めざるを得ません。実際、お二人の取材が進むにつれ、センナで動きが見られました」
「だから確信したというの」
「参事官はそう判断されたようです。また決定的といえないまでも、センナの関与を示唆する形跡が新たに見つかったからでしょう」
須依は驚いた
「本当ですか。それは何ですか」
しかし彼は口が滑ったとでも思ったのか、慌てて言い直した。
「あ、いえ、少し言い過ぎました。まだ憶測の域は出ていません」
「それは嘘でしょう。何故隠すんですか」
「あ、当たり前でしょう。捜査情報を安易に話せる訳がありません」
「そこまで話しておいて、それは無いですよ」
須依の問いかけに、彼は逆襲を始めた。
「何を言っているんですか。第一、あなた方は今回の事件を甘く見ています。寺畑に近づいたところまではいいですが、これ以上首を突っ込まないで下さい。現に烏森さんは重傷を負ったじゃないですか。もし私達が駆け付けていなかったら、二人共命が危なかった」
その点を突かれると反論できない。九死に一生を得たのは事実だ。それでも粘った。
「事件を調べ真相究明して世に伝えるのが、記者である私達の仕事です。助けて頂いた件には感謝しますが、取材を禁止するまでの権限は、警察といえども無いでしょう」
「危険だからもう止めた方が良い。これは忠告です。あなた達を襲った輩もそう言いたかったのでしょう」
「だったら尚更です。それに私達を襲った行為で、彼らが事件に関与していることは明白になりました。ここで引く訳にはいきません」
「烏森さんがあんな状況になってでもですか」
言葉に詰まった。容態にもよるが、彼の協力なしで今後の取材は進められない。この段階で他に依頼しても、危険が及ぶと知って引き受けるほどの命知らずな人はいないだろう。
それでも諦めきれなかった。またこれほどの大事件だからこそ、マスコミが手を緩めてはいけない。スクープが欲しいという馬鹿な理由ではもちろん無かった。
「ジャーナリストが暴力に屈しては終わりです。それだけではありません。今回の事件の真のターゲットは、私利私欲に走った大物の政治家達であり官僚達でしょう。このままでは自らの保身に走り、真相を闇に葬りかねない。それだけは絶対許せません。あなた方はそうならないと断言できますか」
今度は彼が口籠る番だった。それはそうだろう。警察が捜査し真実に迫ったとしても、ある段階で政治的判断だと上から圧力がかかる恐れがあった。
そうなれば、お役所勤めで上意下達を絶対とする彼らが拒否するなど、まず不可能だろう。そうした裏の権力者達の動向を監視し、暗躍を阻止するよう行動するのが記者等のマスコミの役目なのだ。
今回の件はまさしくそうなる危険性が高い。例え犯人達が逮捕されたとしても、漏洩した情報が真実で官民の癒着や不正な金銭授受があったのなら、法に照らして罰せられなければならないのだ。
国家公務員であり、国民の税金で働いている官僚達なら尚更だ。またいやしくも国民に選ばれた議員なら、国民に真実を公表し代表として相応しいのか信を問う必要がある。
日本の報道の自由度ランキングは、先進国の中で最も低いと言われて久しい。だからこそ濁った世界を照らし、何が起こっていて真実はどこにあるのかを伝える努力は欠かせなかった。
大山から反応が返ってくる前に、車が病院へ到着した。その為話を中断し須依は車から降ろされ、再び八城の誘導により烏森が運ばれた外科病棟まで移動した。
万が一に備えてだろう。一旦診察室へと連れて行かれ、須依自身に負傷が無いかを診られた。もちろん間一髪のところで車内に逃げ込んだ為、特に怪我はしていない。
異常なしとの医師による診断が出て、外の廊下に出された。その後は椅子に座って待つよう指示された為、彼の容態を確認した。
聞くところによれば体中に打撲の跡があって腕や足の骨にはひびが入り、手首や肋骨は骨折をしているという。幸い咄嗟に頭部は守ったらしく、目立った傷は無いらしい。
大山が言った通り命に別状は無さそうで、重症とはいえ入院までは必要ないだろうと聞き、須依は胸を撫で下ろす。ただ念の為にと今はMRI検査をして、脳内に損傷がないか確認中だと告げられた。
全ての検査が終わるまでまだ時間がかかるという。だから別室で改めて事情を聞きたいと言い渡された須依は場所を移動した。そこは空いていた個室のようだった。
そこで促され、椅子に腰かける。目の前にはやはり大山が座り、その背後に先程と同じく、女性刑事らしき人の気配が感じられた。
一息ついたところで話は再開された。といっても車中での続きではない。神葉愚連隊やセンナに目を付けるまでの経緯や、どこまで取材をしてどのような情報を手に入れたのかを確認されたのだ。
須依は、昔の伝手を使って漏洩したリストに挙げられた中の一人の政治家と面会したこと。そこでの話から今回の事件に、白通と関係を噂されていた反社が関わっている可能性に気付いた点。そこから過去の取材によるものや組対課から得た情報を元に、フロント企業のセンナなら実行できたのでは、と目を付けるまでを説明した。
もちろん赤星との関係や鷲見という具体的な名前は伏せた。それは告げる必要がないと判断したからだ。大山も本筋から外れていると思ったのか、深くは追及してこなかった。
一通り話し終わり、彼からの質問が途絶えた所で尋ねた。
「私達を襲って逮捕された人達は、何か供述しているのですか」
「組対課で取り調べしていますが、ほぼ完全黙秘しているようです。何故襲ったのか尋ねても、気にいらなかっただけとしか言わないと聞きました」
そんな態度なら、神葉やセンナとの関係も認めないだろう。ただそこは組対課も素人ではない。かなり厳しい追い込みをかけ、これまでの構成員達の動向などから繋がりを見つけるに違いない。
それでも情報漏洩事件との関わりまで辿り着くのは難しいはずだ。それなら従来通り、CS本部や二課によって僅かに掴んだらしい痕跡から、更なる証拠を集めるしかないのだろう。
「烏森さんの検査が終わり、容態が落ち着けば傷害と車を傷つけられた器物損壊に関しての被害届を正式に出して頂きます。その後はしばらく二人共、安静にして下さい。須依さんも怪我はなかったとはいえ、怖い目に遭ったのです。少しは休んだ方がいいでしょう」
大山が車内での会話の続きに触れた為、須依は告げた。
「烏森さんの容態次第ですが、ある一定期間は取材を控えなければならなくなると思います。ですが諦めませんよ。もし止めろと言うのなら、私達が動き出すまでに犯人を逮捕し、真相を暴いて下さい。そうすれば動きようがありませんからね。どんな圧力がかかろうと、隠蔽しないと約束して頂ければ結構です。そうでなければ私達は取材を再開します」
言い終わった瞬間、途中で感じた別の気配を発する人物から怒号が飛んだ。
「いい加減にしろ! 自分が置かれている立場をまだ理解していないのか!」
突然出された余りの大声に、須依は震えあがった。
「参事官、いらっしゃっていたのですか」
大山の言葉に、怒鳴ったのは佐々だと分かった。何となく察知していたものの、学生時代も含めここまで激しく憤る彼と接した記憶は無い。もちろん自身が怒られた覚えもなかった為、驚きすぎて体が硬直した。
彼はさらに続けた。
「彼らがいなければ今頃どうなっていたか、想像できないのか。命は何とか助かったが、烏森さんは重傷を負っているんだぞ。頭を殴られ打ち所が悪ければ、死んでもおかしくなかった。寺畑の件で警察を出し抜いたと勘違いし、調子に乗っているんだったら大間違いだ。分かっているのか」
何も言い返せなかった。寺畑の件では上手く利用されたと忸怩たる思いをした為、勘違いなどしていない。しかし前回の失敗を取り戻そうとしたことや、警察の捜査を甘く見ていた点は確かだ。
それほど進んでおらず、また政治家達の圧力に屈してしまう恐れがあるとして侮り疑っていた。その分記者である自分達が動かなければならない。そう考えていたが、驕りだと指摘されれば否定できなかった。
実際、佐々達は須依達の動きを察知しマークしていたのだ。それがなければ彼の言う通り、今頃この世にいなかったかもしれない。そう思うと今更ながらに震えが生じた。
まだ死にたくない。やり残したことは沢山ある。それに須依の判断の甘さにより烏森を失う事態になれば、いくら後悔してもしきれないだろう。
項垂れている姿を見て察したらしい。急に声が和らいだ。
「反省してくれたならいい。それに俺達が上の圧力に屈し、まともな捜査が出来ないと危惧したことも理解できる。だが心配するな。漏洩事件が公になった時点で、そうならないよう長官に直談判していくつか手は打たせてもらった。もちろん絶対大丈夫とは断言できない。何が起こるか分からないからな。それでも真相を究明する姿勢は須依と同じだ。それだけは信じてくれ」
彼が長官と呼ぶのは、恐らく警察庁長官だろう。いわゆる全国の警察組織のトップだ。警視長の彼より上は、警視監、警視総監であり、その序列の最上位にあたる。そこまで根回しが出来ているのなら信用するしかない。
但しその人事権は、内閣府の外局にある国家公安委員会が持つ。委員会は大臣の国家公安委員長と、五人の委員の計六名による合議制だ。委員は任命前五年間に警察や検察の職歴の無い者で、法曹界、言論界、産学官界等の代表者から、内閣総理大臣が衆参両議院の同意を得て任命される。その為、政府や与党が関与する余地は大きい。
といっても現在の委員会のメンバーは、高等裁判所の裁判官と大学教授が二名、マスコミ関係者と内閣法制局長官で構成されていた。よって今回の事件を隠蔽しようと画策しても、そう簡単にいかない可能性は残されている。
政府、与党を揺るがす大事件になりかねないけれど、リストに挙がっていない大臣や議員、官僚達にとっては、ライバルを蹴落とす絶好の機会でもあるからだ。
もっとも影響力を持つ警察庁長官を味方につけ、捜査対象外にいる議員達の力を借りられれば、疑惑の究明が出来るかもしれない。少なくとも目の前の佐々は、そう働きかけていると口にした。
それならばそこに賭けてみるしかないだろう。
「分かった。ごめんなさい。言う通りにする」
顔を上げて彼が立っている方向に目を向け、改めて頭を下げた。
「事情聴取は終わったのか」
大山に尋ねたらしい。
「はい。一通り伺いました。後程調書と報告書を上げます」
彼の答えを聞いた佐々は、須依に向かって言った。
「だったら烏森の病室へ顔をだしていいぞ。少し前に検査が終わり、診断も出たらしい。今はベッドに横たわり、少し休んでいるようだ」
「面会できるの」
「ああ。だが彼にもこの後事情聴取をしなければいけないから、あまり長くは話せないぞ」
「分かった」
須依が立ち上がると、脇で控えていた女性刑事が介添えをしてくれ、彼がいる病室へと案内してくれた。しばらく歩き部屋に着いて扉を開けると、声をかけられた。
「おお、須依。大丈夫だったか」
烏森だ。言葉の調子からは元気そうだと分かる。見えない為、どれだけ体に損傷を受け、どんな姿になっているのかは不明だ。それでも無事だと実感出来たからだろう。思わず目から涙がこぼれた。
「おい、おい。どうして泣くんだよ。死んだとでも思ったのか。大丈夫だって。骨は二、三か所折れて数か所にひびが入っているらしいけど、頭に異常はない。入院も必要ない程度だ。痛み止めを貰っただけだし、コルセットや固定器具を付けていれば日常生活は送れる。足を失った時の事故に比べれば大した怪我じゃない。時間が経てば骨なんて引っ付く。かえって丈夫になるくらいだ」
「私が見えないからって、空元気を出しているんじゃないですよね」
「本当だって。手首を骨折したのは厄介だが、幸い利き手じゃない左だ。肋骨なんか放っておくしかないし、他にひびが入ったところも治るまで待つしかない。といっても取材はしばらく控えた方が良さそうだな。須依も話を聞いただろう」
「さっき佐々君が来て、説明を受けました」
「そうなのか。診断が一旦終わった後、俺は別の刑事から告げられた。しばらくしたら本格的な事情聴取が始まるらしい。だから帰るまでもう少し時間がかかる。そっちは終わったのか」
「はい。ついさっき。烏森さんの聴取が終わるまで、外で待っています。本当にすみませんでした」
そう言って頭を下げると彼は怒りだした。
「何を言う。俺だってある程度の危険は承知の上だった。今回は相手が予想以上の早さで行動に移しただけだ。須依の責任じゃない」
「いえ。佐々君にも指摘されましたが、警察の捜査を甘く見て事件の重大さを過小評価していた点は否めません。私のせいです」
「それは違うだろう。二人で話し合い、慎重を期して行動し納得した上での結果だ。俺も考えが至らなかった。少なくともお前だけが悪いということはない」
そこで別の刑事らしき人が話を遮った。
「すみませんが、そろそろ事情聴取をさせて頂けますか。見たところ、烏森さんの体調は問題なさそうですから」
彼はそれに同意した。
「そういう事だ。続きは後にしよう。悪いが外で待ってもらえるか」
「分かりました。失礼します」
再び女性刑事の誘導により、少し離れた廊下の椅子に座るよう促され、須依は腰を下ろした。佐々はどこかで大山達から報告を受けているのか、近くにはいないようだ。他の刑事も用が済んだ須依には関心がないらしい。
ぽつりと一人取り残された為、心を落ち着かせ考えを整理してみようと試みる。
烏森の言う通り、神葉の動きは予想以上だった。覚悟していなかった訳ではない。事実、万が一に備え自分の身に何かあった場合、それまで得た情報を他の人に渡るよう、二人共準備はしていた。
ある一定期間時間を過ぎて操作をしなければ、烏森は須依と編集長宛に、須依は烏森と佐々へとクラウドに残した情報ファイルが自動送信されるよう、セットしていたのである。
幸い今回は彼からそうしたメッセージを受け取らずに済んだが、もしそんな事態に陥ってしまったと想像したら、震えが止まらなくなった。今までは気を張っていたけれど、今更ながら襲われた時の状況を思い出し、ぞっとした。
かつてサッカーで鍛えた足腰は、今でも自発的に筋トレし維持しているつもりだ。それでも健常者で命知らずの若者達に大勢で攻撃されれば、盲目の須依などひとたまりもない。同じく日頃から鍛えている烏森でさえ、なす術がなかったのだ。
入院せずに済んだとはいえ、重傷を負った烏森と今の須依の二人だけで身を守るにも限界がある。またこれ以上、佐々や大山といった警察の手は煩わせられない。よって取材の続行はしばらく諦めざるを得ないだろう。
真相は突き止めたい。けれど今のままだと無理だ。やはり佐々達を信じ、任せるしかないのか。盲目の記者にできることなどもう無いのか。
だが負けたくなかった。障害者だからといって、できないことを理由に諦めていた時期はもう過ぎたはずだ。
様々な葛藤を抱え、悶々と自問自答を繰り返し、これまでの経緯を頭の中でまとめながら新たな突破口がないかと探ってみる。しかしこれといった解決策はなかなか見いだせなかった。
小一時間は経っただろうか。見知った気配を感じた所で声をかけられた。
「待たせたな。もう帰っていいそうだ。でも俺の車は被害物件として、こっちの神奈川県警の所轄でまだ保管が必要らしい。警視庁が絡んだ案件とはいえ、事件が起こったのはエリア外だ。合同捜査にもなるようだから、しばらくは返して貰えそうにない」
烏森に続き、佐々が言った。
「だからといって、襲われたばかりのお前達を電車やバスのような公共交通機関を使って返す訳にもいかない。また別の誰かに狙われて、第三者が巻き込まれでもしたら問題だ。俺は車で来ているから、今日だけ特別に自宅まで乗せてってやる」
「有難うございます。佐々参事官の車なら私も須依も安心です。護衛はつきますか」
「普段はいないがこれも今回だけだ。県警の所轄署を借り、組対課の連中が二人を襲撃した奴らを取り調べている。しかし全員残る必要はないから、俺と一緒に警視庁へ戻るらしい」
「その人達が必然的に、護衛の役目をするってことですね。有難い。さすがにもう一度襲われたら、この程度の怪我では済みませんから」
「安心して下さい。私の車は防弾ガラスで守られています。ちょっとやそっとではびくともしません」
「本当ですか。それは楽しみです。警視長の車に同乗する機会なんて、滅多にないですからね」
軽口を叩く烏森に、佐々も気軽に答えていた。二人はそれほど親しくないが、肩を落とした須依を気遣いわざと明るく振舞っているようだ。その気持ちが痛いほど伝わり、また目頭が熱くなる。
「おい、なんだよ。楽しみじゃないのか。乗り心地も良さそうだぞ」
「いうほど大したものじゃない。だが二人共疲れただろう。車内で取り調べはしないから、ゆっくり休め。普通の車より静かだから、寝るには最適かもしれない」
彼らの思いに応え、須依は笑って言った。
「そうね。せっかくだから、寝心地を確認させて貰おうかな」
立ち上がった須依の手を取り誘導してくれたのは、意外にも佐々だった。滅多にそんな真似などしない彼だったが、烏森が怪我をしている為に代わってくれたのだろう。
それに他の刑事達は、どうやら距離を置いているようだ。やはり警視長の彼がいることに違和感を持っているのだろう。普通は彼ほどの階級のものが、現場に出てくる状況などまずないからだ。
しかし今回の件は佐々の指示に基づいていた為、完全に守れず怪我をさせてしまったと彼自身、責任を感じていたのかもしれない。
また須依の性格を読み、これ以上首を突っ込まないよう釘をさせるのは自分しかいないと判断したのだろう。だから管轄を離れた神奈川まで車を飛ばして駆け付けたと思われる。
その好意を無駄にしないよう、須依は素直に従い彼の車へと乗り込んだ。烏森は前の助手席に腰を下ろした為、後部座席に二人が座った。運転席には佐々の部下らしき刑事がいるようだ。
一台が先導しながら動き、その後ろを静かに発進すると、さらに後を別の車がついて来ているらしい。そうした烏森の説明を聞きながら、運転席にいる彼はずっと車内に待機していたのかと尋ねた。
「ここで本部や現場と連絡を取ってくれていたんだ。この車には、移動しながらでも指示が出せるよう、そうしたデジタル無線が装備されているからな」
なるほど。これで警視庁から神奈川に向かう途中、様々な報告を受けていたのだろう。須依が大山に食って掛かっていたことも、おそらく伝わっていたに違いない。だからすぐに彼は現れ一喝したと思われる。
納得しながらも、疑問が湧いて来た為さらに尋ねた。先程帰りは寝て行こうかと言っていたけれど、とてもそんな気分にはなれなかったからだ。
「私や烏森さんが事情聴取された内容は、もう報告を受けているの」
「ああ。烏森さんの聴取には、俺も同席させて貰った」
「そうだったんだ。それで神葉とセンナが、不正アクセスに関わっていた証拠はどれくらい掴んでいるの」
「おいおい。いい加減にしろ。捜査情報をマスコミに漏らす訳にはいかないし、取材はしばらく控えると約束しただろう」
「そうは言ったけど、気になるじゃない。あなた達を信用すると決めたわよ。でも今の時点で、どの程度彼らを追い詰められる証拠が揃っているのか、勝算はどれ位なのかは知っておきたいでしょう」
「これからだよ。しかし二人をいきなり襲っただろう。怪しいと目を付け、調べ始めた段階にも拘らず、だ。聴取で重要な点を隠しているなら別だが、それほど核心に触れていないのに危険を承知で須依達を排除しようとしたのは、何か理由があると睨んでいる」
「どういうこと。私達は何も隠していない。ですよね、烏森さん」
「ああ。須依がどう説明したかは詳しく確認していないけど、佐々さん達に俺が話した内容はそう変わらないと思う」
「だとしたら、神葉やセンナが裏にいると知られただけで、まずいと思ったってことなの。それはさすがにないでしょう」
須依の問いに佐々が応じた。
「ああ。白通との関係は既に噂されていた彼らだ。余程の証拠を握られない限り、多少疑われたくらいでいきなり行動に移す必要はない。当然俺達も、彼らがアクセスした証拠を探している。それでも簡単に尻尾を掴ませない自信が、相手にはあるはずだ」
「だったら私達を排除しようとした理由は何なの」
「それをこれから調べるんだ。しかしお前はもう首を突っ込むんじゃない。しばらく休め。いいな」
分かっている。頭では理解しているのだ。それでも何か役に立てないかと考えた。このまま傍観者のままでいたくない。その想いが強く、先程も彼が言った点を疑問に思っていたのだ。
けれど佐々達がマークしていなければ、単に目の前を飛ぶマスコミという煩い蠅を叩き潰しただけで終わっていたかもしれない。その程度の行動だと考えていたが、彼はそう思っていないようだ。
つまり須依達自身が気付かないところで、犯人側の虎の尾を踏んでいた可能性を示唆していた。
一体何だ。頭の中に引っかかりを覚える。しかしその正体が分からない。そこまで考えたところで佐々により邪魔された。
「もうあれこれ考えるんじゃない。探ろうとするな。とにかく手を引け。しばらくはお前達に監視をつけ、再び襲われないようこちらでも注意をする。だが今回のように万全とは言えない。またいつまでも護衛するのは無理だ。分かっているよな」
須依は頷いた。そうして次の日からは当初の予定通り、東朝の仕事に戻った。リストに名が挙がった政治家や官僚達の周辺を探り、癒着や不正の証拠集めを再び始めたのである。
烏森は怪我をした原因や症状の重さを考慮し、編集長の判断で一ヶ月の傷病休暇を取るよう厳命を受けた。その為パートナーを失った須依は、フリーで同じ仕事を依頼されていた女性記者の協力を得て、取材を行わざるを得なくなったのだ。
彼女とは以前も別の仕事で組んだ経験がある。けれど烏森のようにはなかなかうまくいかない。相手は健常者の為、やはりどこかに遠慮が感じられた。
そうした気遣いは互いの意思疎通の妨げとなる。よって円滑な連携を難しくさせた。そこで改めて、烏森がどれだけ頼りになる相棒だったかと思い知らされた。
けれど元々手を付けている取材自体が膠着状態だったものだ。烏森と組んでいた時でさえそうだったのだから進むはずがない。無為な時間だけが刻々と過ぎていった。
そうしてまん延防止措置が全国で解除され、新年度に入った。それからしばらく経ち、そろそろ烏森の休暇が明けると思われた頃、一気に事態は動いた。
佐々達の努力が実ったらしい。センナが白通のシステムに不正アクセスした形跡を発見し、令状を取り家宅捜索を行ったのだ。
事務所から押収したパソコン等の分析をした結果、神葉愚連隊との繋がりも明らかとなった。よって共謀し白通が持つ機密情報を得て漏洩した、不正アクセス禁止法の疑いで彼らは逮捕されたのである。そのニュースを聞き、ようやく一つの砦を崩したと思った。
但し寺畑による不正アクセスと、彼らによるものがどう関係していたのか、警察は明らかにしていなかった。やはりそこにまだまだ裏がありそうだ。
けれどもここからもっと大きな課題が残っている。彼らが不正アクセスで得た情報を利用し、政治家や官僚達に身代金を要求していたと立件しなければならない。
さらに白通との間で不正な金銭授受があったと証明できる人物達を、収賄罪などにより逮捕する必要があった。そこに至るまでは、まだまだ長く険しい道のりが続くはずだ。
しかしこれからようやく記者としての腕を発揮できる。センナや神葉らが逮捕されたのなら、もう今更身の危険を案じる必要はない。烏森が戻ってくれば真実の究明に突き進めるだろう。
この時はそう楽観視していた。けれど事態はそう簡単にはいかず、想像もしていない方向へと進んでしまったのだ。
本当ならば、前回取材できなかった渡辺に話を聞いておきたかった。しかし白通社員の彼に再度接触しようとすれば、現在まだ調査中である二課の捜査員達に気付かれるだろう。
一度は重要参考人として目を付けられた人物だ。今度は何をするつもりなのかと、彼らを警戒させかねない。
そこで警察の動きに注意を払いつつ、寺畑を含む白通の社員以外で、今回の情報漏洩により得した人物がいないかを調べ始めた。
「まず疑うとすれば野党の政治家だ。しかしそこまで大胆な犯罪をするかといえば、首を捻らざるを得ない。須依はどう思う」
烏森の問いに答えた。
「まだ見ぬ犯人が寺畑と繋がりを持っていたのなら、やはり反社等を含む犯罪者集団を疑うべきでしょう。もちろん彼女が海外の犯罪集団のスパイである可能性は排除できません。ただそうで無いと仮定すれば、何か弱みを握られ協力したと考えるのが自然です」
「なるほど。通常なら彼女の人間関係や家庭環境を含め、これまで歩んできた足取りを追いたいところだ。しかし今は止めておいた方がいい。それにその点は警察や他のマスコミも調べているだろう」
「そうですね。その結果がある程度出て情報が手に入るようになれば、取材対象を絞れます。それまでは別の筋を追いましょう」
「それが反社または関連の犯罪集団か。そこまで言うのなら心当たりがあるんだろうな」
須依は頷いた。
「今回の事件の中心にいて舞台となったのは白通です。狙われた政治家達も、あの企業との関わりを疑われ苦境に立たされています。寺畑はそこの社員で、中条という経理部長を追い落としましたよね」
「ああ。寺畑の供述を受けて彼は社内調査の対象となり、部長から課長に降格させられるだろうと噂されている。それで彼女の気が晴れたかどうか不明だが、ある程度の復讐はできたといえるだろう」
「はい。もちろん別に黒幕がいて、ほとぼりが冷めるのを待ち彼女に成功報酬を払う約束があるのかもしれません」
「あり得るな。確か須依は、寺畑の逮捕が最初の一手だと言った。あの件で犯人に身代金の一部が支払われていたら、報酬が発生していても不思議ではない。中条への復讐に加えまとまった金が手に入る約束だったとしたら、逮捕される覚悟で犯人役になった可能性も出てくる」
「政治家との癒着だけでなく、社員情報も手に入れられるほど深い関係がなければ今回の計画は立てられません。だったら白通と繋がりがあると噂されていた反社を、まず当たるのはどうでしょう」
「いいだろう。白通はライバル社に差をつけられ業績が悪化し始めたから、仕事を得ようと政府筋に近づいた。広告代理店のような地方等で開くイベントが絡む仕事を受けていると、古くからの習慣が残っているせいで反社との付き合いから逃れられないと聞く」
反社などの締め付けが本格的に厳しくなったのは、一九九二年に施行された暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、いわゆる暴対法がきっかけと言われている。
その後各自治体で次々と暴力団排除条例が規定された。よってバブル期以降に入社した多くの社員は、反社との接点がほぼ無いと考えていい。
ただそれ以前に入社した者や関係が深かった会社等は、悪しき慣習を引きずったまま、抜け出せない場合もあるという。白通もその中の一社だ。
「そこです。しかし近年は警察の引き締めが厳しくなり、手を切る企業が多くなりました。白通もそうだったはずです。だから反社はそうなる前にまたはその恨みを晴らそうと、大胆な犯罪を仕掛けたのかもしれません。もちろんここまでは憶測に過ぎないですけど」
「いや、以前噂になった時に二人で少し調べたことがあったな。その際に名前が挙がった反社のフロント企業の中で、確かIT関連の会社があったはずだ」
息を弾ませ名を出した彼に、須依は同意した。
「はい。私も同じことを考えていました。あの時は珍しいと思いましたが、そういう時代なのだと納得しただけでした。でも今回の件に絡んでいる可能性を考えれば、そこが怪しいと頭に浮かびました」
「よし。当たってみよう。警察の捜査が既にそこまで及んでいたら、須依の推測は間違っていなかった証明になる。もしまだなら、俺達が動いても目を付けられる心配はない」
乗り気になった烏森の声を聞き、須依は安堵した。いくら頭を働かせても、希少な理解者である彼の協力が無ければ取材はできない。二人は今や、切っても切れないパートナーだ。よって互いが進むべき方向が定まれば、これ程心強い事は無かった。
まず須依達が取り組んだのは、神葉愚連隊の組織と構成員達の把握に加え、現在の活動状況についての調査だった。神葉愚連隊の前身は、かつて神奈川と千葉に拠点を置いていた的屋である。
的屋とはお祭り市場などが催される際、お寺や神社の境内または参道、門前町に出店する屋台や露店の街商を指す。今は少なくなったものの、かつては大道芸で客寄せして商品を売る、あるいは芸そのものを生業とする大道商人なども含まれていた。
よって芸能関係と繋がりが深く、イベント等の開催には欠かせない存在だ。多くの人が集まりお金も絡むとなれば、トラブルは起きやすい。そうした問題を解決する役目も、彼らは果たしていた。
そうした経緯から、利権や縄張り争いを力でねじ伏せようとする団体も出て来た。そうして暴力団へと派生した反社会的勢力の一つが彼らだ。そこが白通と繋がっていると噂されていた。
過去に神葉の幹部と白通の役員が、夜の街で一緒に飲み歩いていた写真が流出した。その際白通は会社として会見を開き、偶然声をかけられただけで面識や交流はないと疑惑を否定している。
しかしその役員はしばらくして会社を辞め、姿を消した。よって真相は闇の中となったのである。そうした経緯を知っていた為、須依達は彼らに目を付けたのだ。
それだけではない。表面上は堅気として働いている形式を取り、神葉愚連隊と裏で繋がっているフロント企業の中に、株式会社センナというIT企業があったからでもある。
そこの社長である藤原という人物は、神葉愚連隊の実質的な幹部の一員らしい。経歴も変わっていた。東京大学工学部を卒業し、その後アメリカに渡ってMIT(マサチューセッツ工科大学)に入り卒業したという。専門は寺畑と同じ情報セキュリティという点から、高いハッキング能力を持っていると考えていい。
彼は日本に戻った後、何故か暴力団に身を寄せIT技術を買われ、フロント企業を立ち上げたようだ。表向きは中小企業を中心とする情報セキュリティ対策ソフトの提供、及び社内システムの効率化を図るソフトを販売している会社だった。
今や暴力団員がネット動画を配信し、そこから収益を得ている時代だ。かつてのシノギは世の移り変わりに合わせ、どんどん変化している良い例だろう。その為ネットは反社にとっても欠かせない存在といえる。
彼らが不正アクセスをし、今回の事件を画策したと考えれば理に適う。その為須依達はこれまで東朝新聞で扱った神葉愚連隊及びセンナに関する資料や、取材に関わったと思われる記者達から情報を集めた。
さらに餅は餅屋ということで、暴力団を主に扱う警視庁の組織犯罪対策課の刑事にも話を聞いた。東朝でも政治部とは違って社会部の記者が主だった為、須依達が動いている案件と情報漏洩事件とを関連付ける記者はいなかったからである。
お役所というのは縦割り組織の体制が顕著な組織だ。警視庁でも同一事件を追う合同捜査をしていない限り、部署が異なれば横の繋がりはほとんどないと言われている。
そうしたおかげもあってか神葉関連について尋ねた際、幸いにも警戒されずに済んだ。つまり警察による捜査では、まだ反社が係わっているとまで至っていない証拠でもあった。
しかし須依達がこれまで係わってきた事件で、組対課と絡む機会は少なかった為、現場の刑事に余り知られていないだけかもしれない。既に上の方では連携し、動いている可能性もあったので油断は出来なかった。よって慎重に取材を進めていたのだ。
決して気を緩めていた訳ではない。情報漏洩という知能犯事件の性質を持っているとはいえ、反社が絡んでいるとなれば身に危険が及ぶ覚悟はしていた。
だからこそ周辺情報を念入りに調べた上で、センナの動きを探ろうとしていたのだ。
けれど相手は大物政治家や官僚達に揺さぶりをかけるという、国家を敵に回す大胆な事件を引き起こした犯人である。よって相当な警戒網を敷いていると予測すべきだった。
センナの本社がある神奈川に向かい車を走らせ、近くの駐車場に車を停めて降りた途端だった。
不穏な気配を感じたと同時に、駆け寄ってくる数人の足音が聞こえた。須依は危険を察し、咄嗟に扉を開けて車内へと逃げ込んだ。烏森もそうしようと考えたに違いない。だが間に合わなかったのだろう。
「ギャッ」
という彼の叫び声がして、そのまま地面に倒れたようだ。けれども車のキーを持っていた彼は、二人が置かれた状況を把握したと思われる。須依まで襲われないよう、外からリモートで扉を閉めたのだ。
「コラッ、出てこいや!」
荒々しい怒鳴り声と、鉄パイプや木刀のようなもので窓や車体をガンガン叩く音が響いた。しかし烏森が閉めてくれたおかげで、引きずり降ろされずに済んだのだ。
外からは、烏森の唸り声もかすかに聞こえた。取り囲まれ滅多打ちにあっていると想像が出来た為、急いでスマホを取り出し一一〇番にかけた。
と同時に運転席へ移動し、車のクラクションを激しく鳴らした。こうすれば、周辺にいる誰かが異常に気付くだろうと考えたからだ。
けたたましい音に驚いたのか、取り囲んで車を叩いていた複数人の動きが一瞬止まる。しかし原因は別にあった。
「何をしている!」
須依達を襲撃してきた奴らと同じ、またはそれ以上の足音がうっすらと耳に届いた。周囲にどれだけの人がいたか分からない。けれど単なる通行人や近所の一般人なら、通常は係わり合いたくないと思うはずだ。せいぜい遠目で見守りながら、警察に通報するのが限度だろう。
彼らの咆哮を聞く限り、二人を襲った相手は間違いなく暴力団関係者に違いない。そんな輩を相手に、立ち向かおうとするほど勇敢な人がいるなどとは須依も期待していなかった。だから驚いたのだ。
バタバタと走り回る足音により、襲撃犯達が逃げまどいそれを駆け付けた人達が追いかけていると分かった。そんなことが出来るのは限られた人しかいない。そう考えたところでようやく理解した。
「待て! 傷害と器物損壊の現行犯で逮捕する!」
そうした叫び声で、やはり彼らが警察だと認識できた。しかも通報したばかりのタイミングで、これだけの人数が到着するとは思えない。よって須依達は駆け付けた刑事達に尾行されていたと気付く。
どれだけの時間が経っただろう。外の喧騒がようやく収まった。十分程度、いやそれ以上だったかもしれない。ただ須依にはとても長く感じられた。
想像を絶する恐怖から途中で安心感が加わったけれど、不安は拭い切れなかったからだ。最も危惧していたのは烏森の容体だった。
そんな時、ガチャリとドアの開く音がした。反射的に身構えた須依だったが、聞き覚えのある声で話しかけられた。
「大丈夫でしたか。お怪我はありませんでしたか」
そこで緊張が解かれ、何とか答えた。
「私は大丈夫です。有難うございました」
声の主は、以前事情聴取を受けた二課の大山だった。烏森から車のキーを預かり、ドアを開けてくれたらしい。つまりもう危険は及ばないと判断されたのだろう。
「それは良かった。しかし参事官がおっしゃった通りだ。あなた達を追って正解でしたよ。それにしても無茶が過ぎる」
その言葉で、どうやら佐々が須依達に見張りをつけるよう指示したのだと知った。
やはり付き合いが長いだけあり、誤魔化せなかったらしい。情報漏洩の件で別の角度から調べていた行動も、彼には全てお見通しだったと思われる。
しかしそのおかげで須依は助かったのだ。けれど確認しなければならない点があった。
「烏森さんは大丈夫ですか」
そう尋ねられると予想していたらしい彼は、すぐに教えてくれた。
「今のところ命に別状は無さそうです。ただ相当な暴行を受けており、骨折の疑いが複数個所ありましたね。あとは頭部への打撃がどの程度あったか気になります。もう警察車両に乗せ最寄りの病院へ急行させましたから、すぐに診察して貰えるでしょう」
「有難うございます。私も病院へ連れて行って頂けますか」
「分かりました。私達の車に乗ってください。ただここに至るまでの事情を、詳しく説明して貰いますよ」
やむを得ず頷くと、彼は誰かに指示をした。部下らしき人が駆け寄ってきて、須依の手を取り先導してくれようとした。その感触と気配で誰だか分かった。
「八城さんですよね」
彼は歩きながら、小声で呟いた。
「そうです。無事でよかったですね」
須依は頭を下げ謝った。
「有難うございます。それと私達のせいで、相当ご迷惑をおかけしたのではないですか。申し訳ありませんでした」
再び囁くように言った。その言葉から、複雑な感情が入り混じっていると感じた。
「確かに寺畑が逮捕されてからは、色々大変でしたよ。でも直接私の名を出された訳ではありませんし、ある意味結果オーライでしたからね。それ程厳しい処罰を受けずに済みました。叱られましたし、未だに目を付けられてはいますけど」
「だから私達を尾行する役目にも、選ばれたのですか」
「そうです。もちろん監視役がつくという条件付きですが。あなた達が何を起こすか分からないから、最後まで責任を持って行動を見張れと言われていました」
そこまで話し、須依は車に乗せられた。ただし八城の役目はそこまでで、後部座席の両脇に座ったのは左に大山、右に女性と思われる刑事だった。行動確認する上で、同性の人員が必要だと判断されたらしい。相当しっかりとした計画が組まれていたようだ。
車が動き出したところで、須依は疑問に思っていた点を尋ねた。
「私達を尾行していたのは、二課の方達だけじゃないですよね」
「当然です。日頃から主に知能犯を相手にしている私達だけでは、暴力団を相手になんかできませんからね。あなた達が組対課から神葉愚連隊を探っていると聞き、万が一の場合を考えて彼らに応援を頼みました。これも参事官の指示です。おかげで助かりましたよ。あれだけの大捕り物など、私達の手には負えなかったでしょう」
やはり情報は筒抜けだったらしい。さすが佐々だ。先を読み行動に移す指揮官としての能力は、かなり優れていると言っていいだろう。後でしっかりお礼を言っておかなければならない。
しかしまだ確認したいことがあった為、大山に質問した。
「私達を襲ったのは神葉の連中だったのですか。何人いましたか」
「確認は必要ですが、取り押さえてくれた組対課の話によれば、彼らの息がかかった連中なのは間違いないと言っていました。身柄を確保できたのは五名ですが、逃げられた者も含め十名弱でしたね」
「そんなにいたのですか。こちらもかなりの人数がいましたよね。組対課からの応援は、何人いたのですか」
「十名です。二課が六名でしたので、そんなに必要ないと思っていましたが、これも参事官の指示でした。結果的には正しかったようですね。あれだけ乱暴な連中だったら、もしこちらの人数が少なかった場合、返り討ちにあっていたかもしれません」
「まさか。警察相手にそこまでしますか」
「彼らならやりかねない。そう参事官はおっしゃっていました」
そこまで断言したのなら、彼も神葉愚連隊についてかなりの情報を仕入れていたはずだ。本来そうした輩を表立って相手にするケースの無いCS本部の参事官が、そう判断した意味を考えれば自ずと答えが見えて来る。須依はそこを突いてみた。
「二課やCS本部は、今回の情報漏洩事件の裏に彼らがいると気付いていたのですね」
少しの沈黙があった後、彼は大きな溜息をつきながら言った。
「こんなことは言いたくありませんが、最初から知っていた訳ではありません。ただあなたと同じく参事官は、寺畑単独説を疑っていました。そこで彼女のパソコン等の精査と共に、人間関係を含めた身上調査を行ったところ、神葉のフロント企業であるセンナの社員と接触していた疑いが浮上したのです。そこから反社が裏で動いているのではと考え追っていたら、あなた達の行動と重なりました」
「それで私達を監視していたのね」
「そうです。特に事件を追う須依さんの嗅覚を、参事官は一目置いていらっしゃいました。寺畑の件で先を越された二課としても、それは認めざるを得ません。実際、お二人の取材が進むにつれ、センナで動きが見られました」
「だから確信したというの」
「参事官はそう判断されたようです。また決定的といえないまでも、センナの関与を示唆する形跡が新たに見つかったからでしょう」
須依は驚いた
「本当ですか。それは何ですか」
しかし彼は口が滑ったとでも思ったのか、慌てて言い直した。
「あ、いえ、少し言い過ぎました。まだ憶測の域は出ていません」
「それは嘘でしょう。何故隠すんですか」
「あ、当たり前でしょう。捜査情報を安易に話せる訳がありません」
「そこまで話しておいて、それは無いですよ」
須依の問いかけに、彼は逆襲を始めた。
「何を言っているんですか。第一、あなた方は今回の事件を甘く見ています。寺畑に近づいたところまではいいですが、これ以上首を突っ込まないで下さい。現に烏森さんは重傷を負ったじゃないですか。もし私達が駆け付けていなかったら、二人共命が危なかった」
その点を突かれると反論できない。九死に一生を得たのは事実だ。それでも粘った。
「事件を調べ真相究明して世に伝えるのが、記者である私達の仕事です。助けて頂いた件には感謝しますが、取材を禁止するまでの権限は、警察といえども無いでしょう」
「危険だからもう止めた方が良い。これは忠告です。あなた達を襲った輩もそう言いたかったのでしょう」
「だったら尚更です。それに私達を襲った行為で、彼らが事件に関与していることは明白になりました。ここで引く訳にはいきません」
「烏森さんがあんな状況になってでもですか」
言葉に詰まった。容態にもよるが、彼の協力なしで今後の取材は進められない。この段階で他に依頼しても、危険が及ぶと知って引き受けるほどの命知らずな人はいないだろう。
それでも諦めきれなかった。またこれほどの大事件だからこそ、マスコミが手を緩めてはいけない。スクープが欲しいという馬鹿な理由ではもちろん無かった。
「ジャーナリストが暴力に屈しては終わりです。それだけではありません。今回の事件の真のターゲットは、私利私欲に走った大物の政治家達であり官僚達でしょう。このままでは自らの保身に走り、真相を闇に葬りかねない。それだけは絶対許せません。あなた方はそうならないと断言できますか」
今度は彼が口籠る番だった。それはそうだろう。警察が捜査し真実に迫ったとしても、ある段階で政治的判断だと上から圧力がかかる恐れがあった。
そうなれば、お役所勤めで上意下達を絶対とする彼らが拒否するなど、まず不可能だろう。そうした裏の権力者達の動向を監視し、暗躍を阻止するよう行動するのが記者等のマスコミの役目なのだ。
今回の件はまさしくそうなる危険性が高い。例え犯人達が逮捕されたとしても、漏洩した情報が真実で官民の癒着や不正な金銭授受があったのなら、法に照らして罰せられなければならないのだ。
国家公務員であり、国民の税金で働いている官僚達なら尚更だ。またいやしくも国民に選ばれた議員なら、国民に真実を公表し代表として相応しいのか信を問う必要がある。
日本の報道の自由度ランキングは、先進国の中で最も低いと言われて久しい。だからこそ濁った世界を照らし、何が起こっていて真実はどこにあるのかを伝える努力は欠かせなかった。
大山から反応が返ってくる前に、車が病院へ到着した。その為話を中断し須依は車から降ろされ、再び八城の誘導により烏森が運ばれた外科病棟まで移動した。
万が一に備えてだろう。一旦診察室へと連れて行かれ、須依自身に負傷が無いかを診られた。もちろん間一髪のところで車内に逃げ込んだ為、特に怪我はしていない。
異常なしとの医師による診断が出て、外の廊下に出された。その後は椅子に座って待つよう指示された為、彼の容態を確認した。
聞くところによれば体中に打撲の跡があって腕や足の骨にはひびが入り、手首や肋骨は骨折をしているという。幸い咄嗟に頭部は守ったらしく、目立った傷は無いらしい。
大山が言った通り命に別状は無さそうで、重症とはいえ入院までは必要ないだろうと聞き、須依は胸を撫で下ろす。ただ念の為にと今はMRI検査をして、脳内に損傷がないか確認中だと告げられた。
全ての検査が終わるまでまだ時間がかかるという。だから別室で改めて事情を聞きたいと言い渡された須依は場所を移動した。そこは空いていた個室のようだった。
そこで促され、椅子に腰かける。目の前にはやはり大山が座り、その背後に先程と同じく、女性刑事らしき人の気配が感じられた。
一息ついたところで話は再開された。といっても車中での続きではない。神葉愚連隊やセンナに目を付けるまでの経緯や、どこまで取材をしてどのような情報を手に入れたのかを確認されたのだ。
須依は、昔の伝手を使って漏洩したリストに挙げられた中の一人の政治家と面会したこと。そこでの話から今回の事件に、白通と関係を噂されていた反社が関わっている可能性に気付いた点。そこから過去の取材によるものや組対課から得た情報を元に、フロント企業のセンナなら実行できたのでは、と目を付けるまでを説明した。
もちろん赤星との関係や鷲見という具体的な名前は伏せた。それは告げる必要がないと判断したからだ。大山も本筋から外れていると思ったのか、深くは追及してこなかった。
一通り話し終わり、彼からの質問が途絶えた所で尋ねた。
「私達を襲って逮捕された人達は、何か供述しているのですか」
「組対課で取り調べしていますが、ほぼ完全黙秘しているようです。何故襲ったのか尋ねても、気にいらなかっただけとしか言わないと聞きました」
そんな態度なら、神葉やセンナとの関係も認めないだろう。ただそこは組対課も素人ではない。かなり厳しい追い込みをかけ、これまでの構成員達の動向などから繋がりを見つけるに違いない。
それでも情報漏洩事件との関わりまで辿り着くのは難しいはずだ。それなら従来通り、CS本部や二課によって僅かに掴んだらしい痕跡から、更なる証拠を集めるしかないのだろう。
「烏森さんの検査が終わり、容態が落ち着けば傷害と車を傷つけられた器物損壊に関しての被害届を正式に出して頂きます。その後はしばらく二人共、安静にして下さい。須依さんも怪我はなかったとはいえ、怖い目に遭ったのです。少しは休んだ方がいいでしょう」
大山が車内での会話の続きに触れた為、須依は告げた。
「烏森さんの容態次第ですが、ある一定期間は取材を控えなければならなくなると思います。ですが諦めませんよ。もし止めろと言うのなら、私達が動き出すまでに犯人を逮捕し、真相を暴いて下さい。そうすれば動きようがありませんからね。どんな圧力がかかろうと、隠蔽しないと約束して頂ければ結構です。そうでなければ私達は取材を再開します」
言い終わった瞬間、途中で感じた別の気配を発する人物から怒号が飛んだ。
「いい加減にしろ! 自分が置かれている立場をまだ理解していないのか!」
突然出された余りの大声に、須依は震えあがった。
「参事官、いらっしゃっていたのですか」
大山の言葉に、怒鳴ったのは佐々だと分かった。何となく察知していたものの、学生時代も含めここまで激しく憤る彼と接した記憶は無い。もちろん自身が怒られた覚えもなかった為、驚きすぎて体が硬直した。
彼はさらに続けた。
「彼らがいなければ今頃どうなっていたか、想像できないのか。命は何とか助かったが、烏森さんは重傷を負っているんだぞ。頭を殴られ打ち所が悪ければ、死んでもおかしくなかった。寺畑の件で警察を出し抜いたと勘違いし、調子に乗っているんだったら大間違いだ。分かっているのか」
何も言い返せなかった。寺畑の件では上手く利用されたと忸怩たる思いをした為、勘違いなどしていない。しかし前回の失敗を取り戻そうとしたことや、警察の捜査を甘く見ていた点は確かだ。
それほど進んでおらず、また政治家達の圧力に屈してしまう恐れがあるとして侮り疑っていた。その分記者である自分達が動かなければならない。そう考えていたが、驕りだと指摘されれば否定できなかった。
実際、佐々達は須依達の動きを察知しマークしていたのだ。それがなければ彼の言う通り、今頃この世にいなかったかもしれない。そう思うと今更ながらに震えが生じた。
まだ死にたくない。やり残したことは沢山ある。それに須依の判断の甘さにより烏森を失う事態になれば、いくら後悔してもしきれないだろう。
項垂れている姿を見て察したらしい。急に声が和らいだ。
「反省してくれたならいい。それに俺達が上の圧力に屈し、まともな捜査が出来ないと危惧したことも理解できる。だが心配するな。漏洩事件が公になった時点で、そうならないよう長官に直談判していくつか手は打たせてもらった。もちろん絶対大丈夫とは断言できない。何が起こるか分からないからな。それでも真相を究明する姿勢は須依と同じだ。それだけは信じてくれ」
彼が長官と呼ぶのは、恐らく警察庁長官だろう。いわゆる全国の警察組織のトップだ。警視長の彼より上は、警視監、警視総監であり、その序列の最上位にあたる。そこまで根回しが出来ているのなら信用するしかない。
但しその人事権は、内閣府の外局にある国家公安委員会が持つ。委員会は大臣の国家公安委員長と、五人の委員の計六名による合議制だ。委員は任命前五年間に警察や検察の職歴の無い者で、法曹界、言論界、産学官界等の代表者から、内閣総理大臣が衆参両議院の同意を得て任命される。その為、政府や与党が関与する余地は大きい。
といっても現在の委員会のメンバーは、高等裁判所の裁判官と大学教授が二名、マスコミ関係者と内閣法制局長官で構成されていた。よって今回の事件を隠蔽しようと画策しても、そう簡単にいかない可能性は残されている。
政府、与党を揺るがす大事件になりかねないけれど、リストに挙がっていない大臣や議員、官僚達にとっては、ライバルを蹴落とす絶好の機会でもあるからだ。
もっとも影響力を持つ警察庁長官を味方につけ、捜査対象外にいる議員達の力を借りられれば、疑惑の究明が出来るかもしれない。少なくとも目の前の佐々は、そう働きかけていると口にした。
それならばそこに賭けてみるしかないだろう。
「分かった。ごめんなさい。言う通りにする」
顔を上げて彼が立っている方向に目を向け、改めて頭を下げた。
「事情聴取は終わったのか」
大山に尋ねたらしい。
「はい。一通り伺いました。後程調書と報告書を上げます」
彼の答えを聞いた佐々は、須依に向かって言った。
「だったら烏森の病室へ顔をだしていいぞ。少し前に検査が終わり、診断も出たらしい。今はベッドに横たわり、少し休んでいるようだ」
「面会できるの」
「ああ。だが彼にもこの後事情聴取をしなければいけないから、あまり長くは話せないぞ」
「分かった」
須依が立ち上がると、脇で控えていた女性刑事が介添えをしてくれ、彼がいる病室へと案内してくれた。しばらく歩き部屋に着いて扉を開けると、声をかけられた。
「おお、須依。大丈夫だったか」
烏森だ。言葉の調子からは元気そうだと分かる。見えない為、どれだけ体に損傷を受け、どんな姿になっているのかは不明だ。それでも無事だと実感出来たからだろう。思わず目から涙がこぼれた。
「おい、おい。どうして泣くんだよ。死んだとでも思ったのか。大丈夫だって。骨は二、三か所折れて数か所にひびが入っているらしいけど、頭に異常はない。入院も必要ない程度だ。痛み止めを貰っただけだし、コルセットや固定器具を付けていれば日常生活は送れる。足を失った時の事故に比べれば大した怪我じゃない。時間が経てば骨なんて引っ付く。かえって丈夫になるくらいだ」
「私が見えないからって、空元気を出しているんじゃないですよね」
「本当だって。手首を骨折したのは厄介だが、幸い利き手じゃない左だ。肋骨なんか放っておくしかないし、他にひびが入ったところも治るまで待つしかない。といっても取材はしばらく控えた方が良さそうだな。須依も話を聞いただろう」
「さっき佐々君が来て、説明を受けました」
「そうなのか。診断が一旦終わった後、俺は別の刑事から告げられた。しばらくしたら本格的な事情聴取が始まるらしい。だから帰るまでもう少し時間がかかる。そっちは終わったのか」
「はい。ついさっき。烏森さんの聴取が終わるまで、外で待っています。本当にすみませんでした」
そう言って頭を下げると彼は怒りだした。
「何を言う。俺だってある程度の危険は承知の上だった。今回は相手が予想以上の早さで行動に移しただけだ。須依の責任じゃない」
「いえ。佐々君にも指摘されましたが、警察の捜査を甘く見て事件の重大さを過小評価していた点は否めません。私のせいです」
「それは違うだろう。二人で話し合い、慎重を期して行動し納得した上での結果だ。俺も考えが至らなかった。少なくともお前だけが悪いということはない」
そこで別の刑事らしき人が話を遮った。
「すみませんが、そろそろ事情聴取をさせて頂けますか。見たところ、烏森さんの体調は問題なさそうですから」
彼はそれに同意した。
「そういう事だ。続きは後にしよう。悪いが外で待ってもらえるか」
「分かりました。失礼します」
再び女性刑事の誘導により、少し離れた廊下の椅子に座るよう促され、須依は腰を下ろした。佐々はどこかで大山達から報告を受けているのか、近くにはいないようだ。他の刑事も用が済んだ須依には関心がないらしい。
ぽつりと一人取り残された為、心を落ち着かせ考えを整理してみようと試みる。
烏森の言う通り、神葉の動きは予想以上だった。覚悟していなかった訳ではない。事実、万が一に備え自分の身に何かあった場合、それまで得た情報を他の人に渡るよう、二人共準備はしていた。
ある一定期間時間を過ぎて操作をしなければ、烏森は須依と編集長宛に、須依は烏森と佐々へとクラウドに残した情報ファイルが自動送信されるよう、セットしていたのである。
幸い今回は彼からそうしたメッセージを受け取らずに済んだが、もしそんな事態に陥ってしまったと想像したら、震えが止まらなくなった。今までは気を張っていたけれど、今更ながら襲われた時の状況を思い出し、ぞっとした。
かつてサッカーで鍛えた足腰は、今でも自発的に筋トレし維持しているつもりだ。それでも健常者で命知らずの若者達に大勢で攻撃されれば、盲目の須依などひとたまりもない。同じく日頃から鍛えている烏森でさえ、なす術がなかったのだ。
入院せずに済んだとはいえ、重傷を負った烏森と今の須依の二人だけで身を守るにも限界がある。またこれ以上、佐々や大山といった警察の手は煩わせられない。よって取材の続行はしばらく諦めざるを得ないだろう。
真相は突き止めたい。けれど今のままだと無理だ。やはり佐々達を信じ、任せるしかないのか。盲目の記者にできることなどもう無いのか。
だが負けたくなかった。障害者だからといって、できないことを理由に諦めていた時期はもう過ぎたはずだ。
様々な葛藤を抱え、悶々と自問自答を繰り返し、これまでの経緯を頭の中でまとめながら新たな突破口がないかと探ってみる。しかしこれといった解決策はなかなか見いだせなかった。
小一時間は経っただろうか。見知った気配を感じた所で声をかけられた。
「待たせたな。もう帰っていいそうだ。でも俺の車は被害物件として、こっちの神奈川県警の所轄でまだ保管が必要らしい。警視庁が絡んだ案件とはいえ、事件が起こったのはエリア外だ。合同捜査にもなるようだから、しばらくは返して貰えそうにない」
烏森に続き、佐々が言った。
「だからといって、襲われたばかりのお前達を電車やバスのような公共交通機関を使って返す訳にもいかない。また別の誰かに狙われて、第三者が巻き込まれでもしたら問題だ。俺は車で来ているから、今日だけ特別に自宅まで乗せてってやる」
「有難うございます。佐々参事官の車なら私も須依も安心です。護衛はつきますか」
「普段はいないがこれも今回だけだ。県警の所轄署を借り、組対課の連中が二人を襲撃した奴らを取り調べている。しかし全員残る必要はないから、俺と一緒に警視庁へ戻るらしい」
「その人達が必然的に、護衛の役目をするってことですね。有難い。さすがにもう一度襲われたら、この程度の怪我では済みませんから」
「安心して下さい。私の車は防弾ガラスで守られています。ちょっとやそっとではびくともしません」
「本当ですか。それは楽しみです。警視長の車に同乗する機会なんて、滅多にないですからね」
軽口を叩く烏森に、佐々も気軽に答えていた。二人はそれほど親しくないが、肩を落とした須依を気遣いわざと明るく振舞っているようだ。その気持ちが痛いほど伝わり、また目頭が熱くなる。
「おい、なんだよ。楽しみじゃないのか。乗り心地も良さそうだぞ」
「いうほど大したものじゃない。だが二人共疲れただろう。車内で取り調べはしないから、ゆっくり休め。普通の車より静かだから、寝るには最適かもしれない」
彼らの思いに応え、須依は笑って言った。
「そうね。せっかくだから、寝心地を確認させて貰おうかな」
立ち上がった須依の手を取り誘導してくれたのは、意外にも佐々だった。滅多にそんな真似などしない彼だったが、烏森が怪我をしている為に代わってくれたのだろう。
それに他の刑事達は、どうやら距離を置いているようだ。やはり警視長の彼がいることに違和感を持っているのだろう。普通は彼ほどの階級のものが、現場に出てくる状況などまずないからだ。
しかし今回の件は佐々の指示に基づいていた為、完全に守れず怪我をさせてしまったと彼自身、責任を感じていたのかもしれない。
また須依の性格を読み、これ以上首を突っ込まないよう釘をさせるのは自分しかいないと判断したのだろう。だから管轄を離れた神奈川まで車を飛ばして駆け付けたと思われる。
その好意を無駄にしないよう、須依は素直に従い彼の車へと乗り込んだ。烏森は前の助手席に腰を下ろした為、後部座席に二人が座った。運転席には佐々の部下らしき刑事がいるようだ。
一台が先導しながら動き、その後ろを静かに発進すると、さらに後を別の車がついて来ているらしい。そうした烏森の説明を聞きながら、運転席にいる彼はずっと車内に待機していたのかと尋ねた。
「ここで本部や現場と連絡を取ってくれていたんだ。この車には、移動しながらでも指示が出せるよう、そうしたデジタル無線が装備されているからな」
なるほど。これで警視庁から神奈川に向かう途中、様々な報告を受けていたのだろう。須依が大山に食って掛かっていたことも、おそらく伝わっていたに違いない。だからすぐに彼は現れ一喝したと思われる。
納得しながらも、疑問が湧いて来た為さらに尋ねた。先程帰りは寝て行こうかと言っていたけれど、とてもそんな気分にはなれなかったからだ。
「私や烏森さんが事情聴取された内容は、もう報告を受けているの」
「ああ。烏森さんの聴取には、俺も同席させて貰った」
「そうだったんだ。それで神葉とセンナが、不正アクセスに関わっていた証拠はどれくらい掴んでいるの」
「おいおい。いい加減にしろ。捜査情報をマスコミに漏らす訳にはいかないし、取材はしばらく控えると約束しただろう」
「そうは言ったけど、気になるじゃない。あなた達を信用すると決めたわよ。でも今の時点で、どの程度彼らを追い詰められる証拠が揃っているのか、勝算はどれ位なのかは知っておきたいでしょう」
「これからだよ。しかし二人をいきなり襲っただろう。怪しいと目を付け、調べ始めた段階にも拘らず、だ。聴取で重要な点を隠しているなら別だが、それほど核心に触れていないのに危険を承知で須依達を排除しようとしたのは、何か理由があると睨んでいる」
「どういうこと。私達は何も隠していない。ですよね、烏森さん」
「ああ。須依がどう説明したかは詳しく確認していないけど、佐々さん達に俺が話した内容はそう変わらないと思う」
「だとしたら、神葉やセンナが裏にいると知られただけで、まずいと思ったってことなの。それはさすがにないでしょう」
須依の問いに佐々が応じた。
「ああ。白通との関係は既に噂されていた彼らだ。余程の証拠を握られない限り、多少疑われたくらいでいきなり行動に移す必要はない。当然俺達も、彼らがアクセスした証拠を探している。それでも簡単に尻尾を掴ませない自信が、相手にはあるはずだ」
「だったら私達を排除しようとした理由は何なの」
「それをこれから調べるんだ。しかしお前はもう首を突っ込むんじゃない。しばらく休め。いいな」
分かっている。頭では理解しているのだ。それでも何か役に立てないかと考えた。このまま傍観者のままでいたくない。その想いが強く、先程も彼が言った点を疑問に思っていたのだ。
けれど佐々達がマークしていなければ、単に目の前を飛ぶマスコミという煩い蠅を叩き潰しただけで終わっていたかもしれない。その程度の行動だと考えていたが、彼はそう思っていないようだ。
つまり須依達自身が気付かないところで、犯人側の虎の尾を踏んでいた可能性を示唆していた。
一体何だ。頭の中に引っかかりを覚える。しかしその正体が分からない。そこまで考えたところで佐々により邪魔された。
「もうあれこれ考えるんじゃない。探ろうとするな。とにかく手を引け。しばらくはお前達に監視をつけ、再び襲われないようこちらでも注意をする。だが今回のように万全とは言えない。またいつまでも護衛するのは無理だ。分かっているよな」
須依は頷いた。そうして次の日からは当初の予定通り、東朝の仕事に戻った。リストに名が挙がった政治家や官僚達の周辺を探り、癒着や不正の証拠集めを再び始めたのである。
烏森は怪我をした原因や症状の重さを考慮し、編集長の判断で一ヶ月の傷病休暇を取るよう厳命を受けた。その為パートナーを失った須依は、フリーで同じ仕事を依頼されていた女性記者の協力を得て、取材を行わざるを得なくなったのだ。
彼女とは以前も別の仕事で組んだ経験がある。けれど烏森のようにはなかなかうまくいかない。相手は健常者の為、やはりどこかに遠慮が感じられた。
そうした気遣いは互いの意思疎通の妨げとなる。よって円滑な連携を難しくさせた。そこで改めて、烏森がどれだけ頼りになる相棒だったかと思い知らされた。
けれど元々手を付けている取材自体が膠着状態だったものだ。烏森と組んでいた時でさえそうだったのだから進むはずがない。無為な時間だけが刻々と過ぎていった。
そうしてまん延防止措置が全国で解除され、新年度に入った。それからしばらく経ち、そろそろ烏森の休暇が明けると思われた頃、一気に事態は動いた。
佐々達の努力が実ったらしい。センナが白通のシステムに不正アクセスした形跡を発見し、令状を取り家宅捜索を行ったのだ。
事務所から押収したパソコン等の分析をした結果、神葉愚連隊との繋がりも明らかとなった。よって共謀し白通が持つ機密情報を得て漏洩した、不正アクセス禁止法の疑いで彼らは逮捕されたのである。そのニュースを聞き、ようやく一つの砦を崩したと思った。
但し寺畑による不正アクセスと、彼らによるものがどう関係していたのか、警察は明らかにしていなかった。やはりそこにまだまだ裏がありそうだ。
けれどもここからもっと大きな課題が残っている。彼らが不正アクセスで得た情報を利用し、政治家や官僚達に身代金を要求していたと立件しなければならない。
さらに白通との間で不正な金銭授受があったと証明できる人物達を、収賄罪などにより逮捕する必要があった。そこに至るまでは、まだまだ長く険しい道のりが続くはずだ。
しかしこれからようやく記者としての腕を発揮できる。センナや神葉らが逮捕されたのなら、もう今更身の危険を案じる必要はない。烏森が戻ってくれば真実の究明に突き進めるだろう。
この時はそう楽観視していた。けれど事態はそう簡単にはいかず、想像もしていない方向へと進んでしまったのだ。
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