影の遺族

しまおか

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第十一章

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 河原の所有する私有地の一つに、小さな山がある。その山の奥深くにある小屋の床下に作られた隠し扉を開け地下に続く長い階段を降りていくと、莫大な金をかけた核シェルターがあった。シェルターは地震にも強い耐震構造であり、緊急の際には最大四人の人間が一ヶ月は暮らせる水や食料まである。その食糧などが備蓄してあるシェルターの倉庫の奥に、さらに隠し扉があり、別の空間が広がっている。
 そこには美術品や金塊、レアメタルがぎっしりと詰まっていた。中には色んな手帳や書類、フロッピィーディスクやCD,USBのメモリーまであり、それらには源蔵が外務省時代に命を賭けてかけて得た、あらゆる秘密が記されている。
 この情報によって、多くの人間を破滅に導くことができ、また莫大な富を得ることも可能だ。このシェルターはもはや源蔵にしか開けることができない。生体認証と特殊なパスワードが必要だからだ。源蔵が死ねばこれらの情報は闇に葬られることになる。ここにある財産も全てそうだ。ここには妻の花江でさえ入ることはできない。長男を失い、次男が捕まった今、この財産を継げるものはもういない。
 自分の身に何かあれば、この山を掘り起こして特殊な爆弾でシェルターの壁を破壊しない限り、永遠に誰の目にも触れられることはないだろう。それもやむを得ない。ここにある情報や財産は源蔵にとっても諸刃の剣だ。下手な使い方をすると自分の身も危うい。それこそ金塊やレアメタル以外は墓場まで持っていくしかないものばかりだ。
「もう、あの場所を訪れることはないかもしれない」
 屋敷の窓から見えるはずもないその山を思い浮かべながら源蔵はそう呟いた。
 高いコンクリートの壁に囲まれた広大な敷地の中にそびえ立つ洋式の建物は、まるで宮殿のようであった。その宮殿のような建物の玄関を入ると、そこには大理石が敷き詰められた広い玄関ホールがあり、その建物の三階まで吹き抜けとなっているその空間には、大きなシャンデリアがぶら下がっていた。玄関の右手には螺旋階段が三階まで続いている。
 一階の玄関ホールを左手に入ったところに五十畳はある広いリビングが広がり、そこには大きなソファとテーブルがあり、保釈された源蔵は、葉巻を吸いながら窓から離れると、ゆったりとソファに腰を落ち着けた。
「あなた、一緒にワインでも飲まれますか。これは今日のお祝いの為に買ったばかりのものなの」
 そう言って源蔵の妻である花江はなえは、デキャンタにすでに入れられたボルドー産の赤ワインとワイングラスを二つ手に持ってテーブルに置き、源蔵の隣に座った。
「拘置所ではこんな生活はできないからな」
「そうですよね。しかし全く浩司もバカなことを口走ったものよね」
「ああ、あいつもヤクザのバカ者たちも余計なことを言いやがった」
「でも圭は最後まで私達の期待を裏切った子だったわよね」
「それに比べれば浩司は昔から素直だったな」
「そうね。今回もあの子が圭のことも文句ひとつ言わずにやってくれたわ」
「ああ、そうだ。お前も息子である圭の口を封じることには何も言わなかったな」
「当然よ。あの子は河原家にとって危険な存在だったわ」
 そう言って、二人はグラスにワインを注ぎ、
「河原家の無事を祝って」
 グラスを軽く持ち上げ、乾杯をした。花江はワインのつまみとしてフレッシュチーズも用意していた。
「これを食べるとワインがすすむのよ」
 そう言いながら、二杯、三杯とワインを飲んだ源蔵と花江はいつしか、ソファに座ったまま眠り込んでしまった。
 
 
本間ほんまさ~ん。こんにちは~!」
 夜の八時。保険の販売員である門井正史かどいまさしは、平屋一戸建ての玄関を照らす明かりの下でインターホンを押して呼びかけた。は~い、と声がして七十歳近いお婆さんが家の扉を開けて出てきた。
「あら、門井さん。今日はどうしたの?」
「こんな時間にスミマセン。本間さん、先日はお孫さんの為の傷害保険をご契約いただいき、ありがとうございました。その保険証券ができましたので今日はお持ちしたんですよ」
「保険証券? 普通、それって郵送されてくるんじゃないの?」
「そうです。基本的にはご契約いただいたご契約者の所に保険会社から直接郵送されるのですが、本間さんの証券だけは私が直接お渡ししたいと思いましてお持ちしました。家政婦さんのお仕事が終わられてからと思い伺ったのですが、ご迷惑でしたか?」
「いえいえ、とんでもない。わざわざありがとうございます。でも直接渡したいっていうのはどうして?」
 本間が尋ねると、正史はあらためて深く頭を下げお礼を言った。
「本間さんにはここ三年押しかけて、車の保険なども無理言って他の保険会社から切り替えていただいたりして、さらに新規のご契約までいただいたんです。私にとっては大事なお客様ですから、ご契約をいただいて、では保険の満期が来る来年までさようなら、という訳にはいきません。自動車保険もこの傷害保険も一年契約ですから、保険の責任期間が続く限り、その間も引き続きこうやって寄らせていただきたいのです」
 正史がそう言うと、本間は喜び、
「じゃあ、せっかく来たんだからちょっと上がってお茶でも飲んでいきなさいよ」
 と家の中に正史を招き入れた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えましてお邪魔します。それと、大事な保険証券を確かに受領しました、という本間さんの受領印も頂きたいので」
 そう言いながら正史は玄関をあがり、居間に通された。
「ちょっとそこに座ってて。今お茶を入れるから。あと印鑑も必要だったわね」
 本間は奥の台所に引っ込み、正史に声をかけた。
「ありがとうございます」
 正史はそう言って居間にある座布団の一つに腰を落とし、カバンから封筒を出して、本間に渡す保険証券と、保険証券の受領書を取り出した。
 封筒には「ACO(AGAWA CONSULTING OFFICE 阿川保険事務所)」という正史の勤務する保険代理店のロゴが入っていた。正史は部屋を見渡した。この部屋にはここ三年の間に何度も通されている。
「お待たせしました」と本間はお茶を持って居間に入ってきた。
「どうぞ」お茶を勧められた正史は、
「遠慮なくいただきます」と言って代わりに保険証券と受領書を手渡した。
「ここに、名前を記入していただいて印を押していただけますか?」
 正史の説明に頷きながら、本間は正史から手渡されたボールペンで名前を記入しはじめた。正史はお茶を飲みながら、奥にある台所を覗いた。台所にある冷蔵庫の横に無造作にかけられている鍵を確認してから本間に話しかけた。
「一人暮らしの本間さんの家にこんな時間、お邪魔してすみません」
「門井さんならいつだっていいのよ。信頼しているから」
「今日もお仕事だったんですよね」
「そう、今日は特にお手伝いに行っている家の旦那さんが帰ってきたから、少し遅くなったの」
「そうなんですか。体に気を付けてくださいね。あ、そうだ。前もお渡ししたことがあったコラーゲンのドリンク、飲まれますか? 美容にもいいしビタミンなども入っているから疲れが取れますよ」
 受領書に名前を書き終えて印を押した本間は、書類を正史に渡しながら
「あら、いいの! あれって結構なお値段がするだけあって、飲んだ次の日はお肌の張りがいいのよ! 寝る前に飲むのが一番効くのよね!」
 そう言ってはしゃいだ。いくつになっても女性と言うのは美容に良いものに弱いようだ。
「そう。ホントにお布団に入る直前に飲むのがいいんです。じゃあ、これ」
 正史はカバンからコラーゲンの入った小さな美容栄養ドリンクの瓶を取り出し、本間に手渡した。二口ほどで飲み干せるサイズのドリンクだ。
 ただし、これは今まで何度か渡したことのあるものとは中身が少し違う。今回は睡眠薬入りだ。寝る前に飲めば朝が来るまでぐっすりと眠り、目を覚ますことはないだろう。その間にこの家にだれかが侵入したとしても。
「では、お邪魔しました。引き続き宜しくお願いいたします。お茶、ごちそうさまでした」
 正史はそう言って立ち上がり、本間の家を後にした。玄関まで見送られ、外に出た正史は離れた場所に止めてあった車に乗り込んだ。そして携帯電話で涼介に連絡をいれた後イヤホンを耳に当て、本間の家に仕掛けてある盗聴器から聞こえてくる音を聞いた。
 正史の本当の仕事はこれからだ。本間が無事に睡眠薬入りのドリンクを飲んで深い眠りに就くのを確認し、以前から作ってあった家の合鍵を使って忍び込み、あの鍵を涼介さんに渡すのが大事な使命だ。そのためにこの家へ三年間通い、人間関係を作ってきたのだ。今日のこの日の為に。
 今頃、あいつらは睡眠薬の入ったワインを飲んで深い眠りについているかもしれない。別の仲間が事前に特別なワインを保釈祝いの為に飲むよう、本間に買わせてあるはずだ。
 暗闇の中、車のシートを倒して横になった正史は車の天井を見上げながらその時が来るのをじっと待っていた。
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