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第五章
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突然自分の名前が呼ばれた彼は全く予想していなかった話に動揺していた。恵子も絶句している。詐欺が嘘だということは予想していたようだが、英吾の名前がなぜここででるのか。その思いを代弁するかのように智子が聞いた。
「なぜ英吾さんなの? 英吾さんと菅沼ひとみは面識があったの?」
「いや、ごめん、菅沼ひとみの話は聞いていたけど彼女がどんな顔をしているか、俺知らないんだけど。涼介さん、写真ある?」
まだ戸惑いを隠しきれない彼は尋ねた。
「覚えてないかい?」
涼介はノートパソコンに映し出された画像を彼に見せた。そこにはスマホで隠し撮りされたひとみの写真がダウンロードされている。開いた画面に映っている、人の顔の部分だけが加工されてアップになった映像をしばらく凝視していた英吾は、
「そういえば、どこかで会ったような」
と記憶をたどりながら考えていたがはっきり思い出せないでいる。そこで種を明かした。
「英吾、去年のクリスマス前に合コンしただろ。人数合わせに、って保険会社の担当者に連れられて嫌々参加した、とか言ってなかったか? その合コンのメンバーに彼女がいたんだよ」
それでも彼は、そんな人いたかなという反応をしている。
「そういえばそんなことありましたね。でも確かあの合コンって銀行に勤めている女の子ばっかりだったと思いますけど。そうそう、生保の外交員なんかいませんでしたよ」
なんとか思い出したといって話すと、涼介は当然だという顔をしながら説明した。
「そう。ひとみは自分のお客でもある銀行員の友人の誘いでその合コンに参加していたようだ。そこでは同じ銀行に勤めていることにして参加していたらしい。英吾は菅沼ひとみのことを覚えてないようだね。しかし彼女はしっかり覚えている。それが今回の騒ぎの発端なんだ」
涼介の調べでは、クリスマス前に開かれた合コンでひとみと英吾は会っていて、ひとみがその時英吾に一目惚れしたという。それに対して彼は嫌々参加していたこともあり、その時いた女性に全く興味を持たなかった。だからひとみのことなど覚えていなかったのだろう。
「そうだ、全く興味なくてあんまり話もせず盛り上がってなかったから、後で俺を連れてった保険担当者にノリが悪いと怒られたんですよ。嫌だって言っているのを無理やり連れて行ったくせに」
その時の様子を思い出したらしく、怒りだした。
「でも彼女は覚えていた。それでこのビルに来てこっそりお前に会いに来ていたらしい。話の中でお前の事務所がここにあることを知ったのだろう」
「会いに来ていた?」
「そう、こっそり会いに来た。すると一階のこの店で恵子と英吾が楽しそうに話をしているところを偶然見てしまった、というわけさ」
涼介はそこでまた一口コーヒーを飲んで恵子を見た。
「見てしまったわけさ、って言われても。英吾とここで話を? 去年の年末頃、楽しそうに」とそこまで言って恵子は思い出したらしい。
「あっ!クリスマスイブの日! お昼に英吾とここでランチしたんだ!」
「イブの日って。別にたまたま昼飯を食べようと事務所を出たら恵子達とばったり会ったからここのランチでも、って食べていただけだろう? しかもあの時って二人きりじゃなくて恵子もふみえちゃんと一緒で、俺も正史《まさし》と一緒だったから確か四人で食べたよな」
英吾も思い出したように、だがまだ腑に落ちない顔でそう言った。ふみえは恵子のクリニックに時々顔を出す臨床心理士で、恵子の患者に対するメンタルサポートをしてくれている子だ。正史は英吾の事務所で働く営業社員の一人だ。
「でも窓際の席で英吾と恵子は向い合わせに座っていた。たまたま菅沼ひとみが見ている時に四人で面白い話でもしていて盛り上がり、笑っていたんだろう。それを見た菅沼ひとみは勝手に恵子が英吾の彼女と思いライバル視した。だから恵子がここのメンタルクリニックの医者だと知って、ちょうど自分が通っていたメンタルクリニックに紹介状を書いてもらい、恵子に近づいた。どんな女なのか見るためにな」
涼介はさらに続けた。
「クリニックに通うのは英吾に近づく目的もあった。営業で出ていることも多いから気付かなかったようだが、お前はは菅沼ひとみにストーカー行為をされていたんだよ」
英吾は絶句していた。全く気付いていなかったようだ。背筋がぞっとしたらしい。
「まあ、英吾に何かするというところまでは勇気がなかったようだがな。遠くから見ている、そんな程度だったから気付かなかったのも無理はない。でも恵子に対しては奇妙な感情を持っていたようだね」
「奇妙な感情って?」恵子が聞く。
「英吾と仲がいいところを見せられて嫉妬した感情、それとクリニックで診察してくれる恵子を頼りにしてしまう、という感情。その二つが入り混じっていたようだな。だから恵子に対して一千万円の詐欺にあった、なんて嘘をつくことになったんだろう」
涼介の説明が理解できない。なぜそれが詐欺にあったという嘘につながるのか。恵子の疑問に答えるように涼介は続けた。
「彼女は一千万円ほどのお金の問題を抱えていたことは、本当だったんだ。だから精神的にも辛い思いをしていたからつい、恵子に話をしてしまい慌てて詐欺にあったといってごまかしたんだろう。実際は詐欺にあったんじゃなく、自分の不正により一千万円ほどの穴をあけていた、ということなんだけどね」
「一千万円の不正?」今度は英吾が質問した。
「そう、不正。英吾ならわかるんじゃないか? 彼女は生命保険の外交員。副支部長という肩書もあって自分の成績も上げて、部下の成績も上げなけりゃいけない、ときたら」
涼介の謎かけに生命保険の取り扱いもやっている英吾はそこで納得した。
「保険契約の架空契約、または不正契約か。そうか、それがこの間の謙太郎が持ち込んだリストだったんだな。彼女は成績を上げるために精神的に苦しめられていた。時期から考えても俺と出会う前からすでに彼女はメンタルの受診を受けている。しかも一千万円とくれば結構前から不正をしていたのだろう。それが苦になってうつ病になり、経済的にも精神的にも苦しんでいたってわけか」
「そういうことだ。うちの助手はそこまで調べてくれた」
「じゃあ、犯罪者は彼女自身だったってわけね」恵子もやっと納得したようだ。
「ごめんなさい。調査して無駄骨だったわね。私が許せないと思った詐欺師は存在しなかったわけだ」恵子は涼介に謝った。
「いや、無駄骨じゃないさ。犯罪者はいたわけだし」
その言葉に恵子は首を振った。
「そんな慰めはいいの。ひとみの犯罪は私達が憎むものと違ったわ」
自分が怪しいと感じて涼介に調査してもらった恵子は、結果が予想外だったことにショックを隠しきれていなかった。しかもメンタルの診断をしていたのに、彼女の嘘に気付かなかった自分が許せなかったのだろう。いやなんとなく嫌な予感はしていたが、まさかそんな裏があったとまではさすがに考えもしなかったようだ。そのことが情けなくなった彼女は拗ねたように涼介の言葉を素直に受けることができなかったらしい。
「慰めじゃないさ。恵子が不正していた架空契約や不正契約の多くはボランティア保険のようだ。ボランティアに詳しい、というのは嘘じゃなかったんだ。彼女は保険の知識とボランティアの知識を使った、いわゆる詐欺だ。これは恵子の言う俺達が憎むものに含まれると思うけど。善意でそういう契約を結ぼうとした客を騙したわけだから」
涼介の言葉に譲二も涼介の意見に同意した。
「なるほど。それなら無駄ではなかったですね」
その言葉に恵子も渋々納得したように頷いていると、
「でもどうします? 彼女のこと」
英吾が質問した。それは恵子も気になっていたようだ。
「まあ、菅沼ひとみのことは少し置いておこう。もう一つ、涼介さんに頼んだ河原圭のことを教えてくれますか?」
譲二は話題を変え、今まで分かっている調査結果の報告をお願いした。
「フランスで死体となって発見された河原圭の件だが、彼はおそらく崖から突き落とされて殺された、と考えていいでしょう」
「薬物による事故死ではない、ということですね?」
譲二の問いに涼介が答える。
「薬物反応はあったが微量で、精神的な混乱を招くほどの摂取量ではなかった。そして現場に残された痕跡から判断しても、足を滑らせた訳でもない。さらに河原圭が死亡したとされる日の前後に、ある暴力団の構成員三人がフランスのニース空港経由で入出国しており、それらしき集団が河原圭の住んでいた場所の近辺で目撃されている」
「暴力団? そいつらと河原圭とどうつながるんです?」
譲二の代わりに英吾が聞いた。
「譲二を頼ってきた神田雄一が見つけたという、調味料のようなものが入った小瓶があっただろ。あの中身を調べたらヘロインの成分が発見された。微量だけどね。そこに暴力団が関係していたようだ。あの小瓶に入っていたのは料理に使う調味料とヘロインをうまく配合し、実際の料理に使用していたと考えられる」
「料理の調味料に麻薬ですって?」
聞いていた恵子と智子が驚いていた。
「二人、いや他に誰か河原圭の店で食事したことがある人を知っているかい?」
譲二がぐるりと他の四人の顔を見渡した。すると智子が答えた。
「私はあるわ」
すると恵子も言った。
「私も友達からあの店で食事して美味しかった、という話を聞いたことがあるわ。私は食べたことはないけど。だってあそこはフランス料理店でしょ? 譲二さんの店以外でフランス料理を食べる気がしないもの」と、譲二の顔を見ながら微笑んだ。
「それは最近の話か?」
涼介が聞くと、智子は最近のことだという。恵子の知人が食べたのは二号店ができた後、一年ほど前の話だそうだ。
「頻繁に食べていたのでなければ大丈夫だ。麻薬の入った調味料が使われ始めたのは店が潰れる一年ほど前からのようだし、一回や二回食べたからと言ってそう問題はない量だから。ただ短期間で大量に食べ続けると問題だけど」
そんな涼介の説明に英語が質問した。
「なんだってそんな調味料を河原圭は使っていたんです?」
「嵌められたんだと思うね。麻薬の常習性を利用した調味料を何らかの形で使わせ、同時に食材の仕入れに調味料以外の、いわゆる商品になる麻薬を紛れ込ませて密輸入していた。そのため河原圭にそのことがばれても取引から抜け出せないような仕組みを作った、と考えられる」
「それで料理を作って味見などをしている河原圭の体にヘロインの反応が出たというわけか。そりゃ一年もその調味料を使って味見していたら少量とはいえ薬物反応が出るぐらいの量は摂取していたことになるだろうね」
それでも英吾は納得しながらさらに尋ねた。
「それじゃあ食品の産地偽造ってのは?」
「その仕組みを知ってなんとか止めさせようと考えた、河原圭の自作自演だ。抜け出せないような状況をなんとかするため、別の理由を作って店を廃業せざるをえないようにしたのさ。店が営業できなくなったら麻薬取引もできなくなり、麻薬の入った調味料も使用しなくて済むという苦肉の策だったんだよ」
河原圭は店が潰れた後一人でフランスに逃げ隠れ住んでいたが、麻薬取引を行っていた秘密を知っている。だからその取引を裏で操っていた暴力団に口封じの為、消されたらしい。
食品の産地偽造なんてものをわざとやって汚名を被る覚悟だった河原圭が警察にばらすなんて気はなかっただろうに、暴力団はそうは考えなかったのだろう。口封じだけでなく麻薬の仕入れルートを潰したことへの報復だったのかもしれない。
「ひどい! 許せない! どこの暴力団なの? 叩き潰してやりたいわ!」
智子は興奮してテーブルを叩いて涼介を睨んだ。激しい怒りと震え、その眼には涙が溢れていた。彼女は暴力団というものに対して相当の敵対心を持っている。過去に苦い思い出があり、弁護士としてだけでなく個人的に強い憎しみを持っていたからだ。今までにも何度か暴力団と争ったことがあり、危ない目にも遭ったがその度に元警察官だった涼介に助けられている。
「まあ、落ち着け。もちろんそうしてやるつもりさ。ただ今は智子の出番じゃない」
涼介の怒りを込めた、しかし冷静で低い声に彼女は大人しく引き下がった。
「それに今回、暴力団以外にもう一枚かんでいる奴らがいる。本当の黒幕ってやつだな。そいつらをどうするか、だ」
そう言ってから、涼介はさらに調べた調査報告をもとにそれぞれの役割について話し始めた。
早く店に慣れるため、いつもなら店の定休日であっても店の鍵を借りて仕込みや材料のチェック、ソース作りなどをしていた雄一だが、この日は久々に休日を満喫していた。とはいっても考えていることは料理のことばかりだ。
街に出かけても本屋に立ち寄っては料理本や他の店が掲載されている情報雑誌を手に取り、何か得るものはないかとページをめくる。街を歩いても、以前から目をつけていた店に入り、アラカルトで一品だけ頼んで一口ずつゆっくり味わって食べては気づいた事をメモしていた。これを何軒か繰り返していた雄一が、自分のマンションに帰ってきたのは夜も十二時近くになってからである。
街灯で明るく照らされた大通りを脇に入ると、急に真っ暗で静かな住宅地が広がるこの辺りは、譲二さんに紹介された不動産で見つけた。以前に住んでいた二LDKのマンションから引っ越し、身の回りのものの多くを処分してこの一DKという小さなマンションに移ったのだ。
独身の為、贅沢しなければ部屋の広さに困ることはない。心機一転この場所からやり直そうと考えた雄一は、もっといい部屋をと紹介してくれた譲二さんの気遣いを断り、ここを選んだ。以前のマンションよりずっと安く狭いけれども、夜は静かな住宅地にあるこの場所を気にいっていた。
昼間は近くに公園があるため、そこで小さな子供達がキャーキャーと騒いでいる。その傍にお母さん達がペチャクチャと井戸端会議をしていて少し騒がしいが、マンションには基本的に夜、寝にいっているだけの雄一にとっては全く苦にならない。
マンションまで少しだけ近道の暗い夜道を、わずかな街灯の明かりが照らしている公園を横切って歩いていた雄一は、突然黒い影に囲まれた。かと思うと後ろから口を封じられ、言葉を発する時間も与えられないまま、公園のトイレに連れ込まれてしまった。
個室が三つ、小便用便器が五つある、比較的広い男子トイレに引きずり込まれた雄一は、知らぬ間に後ろ手に縛られ、足首も縛られた。そして目隠しされたまま口にタオルのようなものを詰め込まれ、コンクリートの床に転がされたのである。公衆トイレの床はひんやりと冷たく、湿っていた。アンモニアの匂いがツンと鼻を刺激した。
「お前、河原圭の店で小さな瓶を見なかったか? 見たなら頷け」
耳元で、明らかにヤクザ者と思われるような男の声がした。雄一は咄嗟に首を横に振った。するといきなり横腹を蹴り上げられ、激痛が走る。タオルを詰め込まれた口の中でゲホッと呻き、冷たい床の上をのたうちまわった。
「何言ってんだ、嘘つくんじゃねえ、てめえ。瓶は部屋の中にあるのか?」
再びドスのきいた男の声がした。雄一は今度も首を横に振った。事実、瓶は雄一の部屋には無い。そこでもう一度、横腹を蹴り上げられた。
「面倒くせえ。こいつの部屋の鍵を探せ」
先程とは違う男の声がすると雄一は体をまさぐられ、財布や部屋のカギを取り上げられた。痛みに耐えながら力の限り結ばれた手足を動かすと、わずかに緩みができた。もう一度力を入れれば手首が抜けそうになる。
「おい! 縛り直せ!」
気付いた男達が再び手首を縛りあげようとしたが、何とか逃れようと暴れた。そして今度は顔面を蹴り上げられた雄一は、そこで意識を失った。
朝の十時頃、レストランで仕込みをしているシェフ達を見て指示を出している譲二のところに電話がかかってきた。譲二が店の受話器を取ると
「社長!」という大きな声が耳に入ってきた。相当慌てている声だ。
声の主はもう一つのフランス料理店の店長だった。彼は譲二を社長と呼んでいる。
「どうした? 何かあったのか?」
店長の声にただならない気配を感じ尋ねると答えが返ってきた。
「雄一が行方不明なんです! いつも店に一番で出てくるようなやつが今日の朝はなかなか来なかったものですから、店から雄一の携帯や住んでいるマンションに何度も電話をしたんですが全然つながらないし連絡が取れなくて。それで若い奴に雄一のマンションまで迎えに行かせたら、部屋には居なかったらしいんです。鍵は閉まっていたんですが嫌な予感がしてマンションの大家に連絡して鍵を開けてもらうようお願いしたら雄一はいなくて、その代わり部屋の中が滅茶苦茶に荒らされていたっていうんですよ! まるで強盗に遭ったような状況だというので、大家さんが警察に連絡をして今大騒ぎになっているんです!」
一気にそこまで説明をして譲二にその後どうすればいいかという指示を仰いできた。
「わかった。警察に連絡してあるのなら、雄一のことは警察に任せろ。警察から雄一のことでいろいろ聞いてくるだろうからそれにはちゃんと知っていることはすべて答えて協力してくれ。後は店の方をしっかりやってくれればいい。雄一がいなくても店は大丈夫か?あと、雄一のことで何か様子が変だったとか知っていることがあったら教えてくれ」
そう譲二が言うと、彼は素直に応じた。
「わかりました。店の方は大丈夫です。雄一のことは警察にも聞かれましたが、他の従業員も変わったことは気付かなかったようで。それに昨日は店も定休日で雄一がどういう行動をしたかを知っている従業員はいませんでした。社長は何か聞いていますか?」
「いや、俺は何も聞いていない。おそらく警察からそんな質問もこっちに連絡が入るだろうなあ。分かった。大変だが対応をしてくれ。頼む」
「了解しました。また何か情報が入りましたら連絡します」
店長は電話を切った。その日の午後、雄一が見つかった、という連絡が警察から入った。近くの公園のトイレで死体となって発見された、というのだ。
「警察は何だって?」
その日の夜遅く、涼介と譲二は涼介の事務所で二人きりで話をしていた。彼も警察に呼ばれていろいろ事情聴取され、やっと帰ってきたところだった。
「今の所、警察は雄一の事件を強盗殺人として調べているらしいです。雄一は何度か暴行を受けた後、刃物で心臓を一突き、それが致命傷になったようですね。財布や部屋のカギなどが盗まれていて、襲った奴はそのカギで部屋に入ってそこでもいろいろ盗んでいったらしいです。住所なんかは免許証なんかでわかりますから」
「馬鹿じゃないか? そんなわけないだろう。何度か暴行して心臓を一突きして殺すなんてプロの手口じゃないか」
それを聞いた涼介は自分の古巣に対して悪態をついた。
「しょうがないですよ。その裏の背景を警察は知らないんですから。あの一件以外は、雄一には何も人から恨まれるようなことはないですし、殺される理由なんてありません。そう、あの一件以外では」
彼は悔やむようにつぶやいた。
「すまん。油断したのは俺も一緒だ。河原圭が殺された時点で雄一も危ないと考えなければいけなかったんだ。雄一がもしかして何か河原圭から知らされているとあいつらが考える可能性だってあったんだから。それを詳しく確かめる前にあいつらは殺したんだろう。念のために部屋まで荒らして。いや、もしかして小瓶やメモなどを探していたんだろうか? もしかして譲二に相談したこともばれている可能性も考えなきゃいかんな。譲二と雄一のいた店に後藤《ごとう》の手下をつけるように言っておくよ」
涼介も悔やみながら彼に告げた。後藤とは涼介の探偵事務所の助手である。年は二十八歳。中国拳法や格闘技を得意とした体育会系の助手であるがただの助手ではない。涼介とは違った裏の組織を持ち、謎が多い。
彼の手下といえば、譲二達を狙ってくるかもしれない暴力団と同じ系統の奴らだ。後藤はある広域暴力団の幹部である男の隠し子だ。表では涼介の探偵事務所の助手として働いているが、裏では父親の影の直属部隊である屈強なヤクザのボスである。
「雄一を殺した奴らと敵対する、しかも少し格が上の組をぶつけるように言っておく」
涼介はそう告げた。元警察官僚が暴力団をバックに持つ助手、しかもかなり力を持った人間を雇っていることを意味する。
「こっちは堅気なんだからあんまり周りで騒いでもらっては困りますけどね」
譲二が苦笑すると
「大丈夫だ。なるべく早く片をつけるようにするさ」
いつものひょうひょうとした涼介とは違った、鋭い目つきをしていた。絶対許さない、そう涼介は呟いた。
「なぜ英吾さんなの? 英吾さんと菅沼ひとみは面識があったの?」
「いや、ごめん、菅沼ひとみの話は聞いていたけど彼女がどんな顔をしているか、俺知らないんだけど。涼介さん、写真ある?」
まだ戸惑いを隠しきれない彼は尋ねた。
「覚えてないかい?」
涼介はノートパソコンに映し出された画像を彼に見せた。そこにはスマホで隠し撮りされたひとみの写真がダウンロードされている。開いた画面に映っている、人の顔の部分だけが加工されてアップになった映像をしばらく凝視していた英吾は、
「そういえば、どこかで会ったような」
と記憶をたどりながら考えていたがはっきり思い出せないでいる。そこで種を明かした。
「英吾、去年のクリスマス前に合コンしただろ。人数合わせに、って保険会社の担当者に連れられて嫌々参加した、とか言ってなかったか? その合コンのメンバーに彼女がいたんだよ」
それでも彼は、そんな人いたかなという反応をしている。
「そういえばそんなことありましたね。でも確かあの合コンって銀行に勤めている女の子ばっかりだったと思いますけど。そうそう、生保の外交員なんかいませんでしたよ」
なんとか思い出したといって話すと、涼介は当然だという顔をしながら説明した。
「そう。ひとみは自分のお客でもある銀行員の友人の誘いでその合コンに参加していたようだ。そこでは同じ銀行に勤めていることにして参加していたらしい。英吾は菅沼ひとみのことを覚えてないようだね。しかし彼女はしっかり覚えている。それが今回の騒ぎの発端なんだ」
涼介の調べでは、クリスマス前に開かれた合コンでひとみと英吾は会っていて、ひとみがその時英吾に一目惚れしたという。それに対して彼は嫌々参加していたこともあり、その時いた女性に全く興味を持たなかった。だからひとみのことなど覚えていなかったのだろう。
「そうだ、全く興味なくてあんまり話もせず盛り上がってなかったから、後で俺を連れてった保険担当者にノリが悪いと怒られたんですよ。嫌だって言っているのを無理やり連れて行ったくせに」
その時の様子を思い出したらしく、怒りだした。
「でも彼女は覚えていた。それでこのビルに来てこっそりお前に会いに来ていたらしい。話の中でお前の事務所がここにあることを知ったのだろう」
「会いに来ていた?」
「そう、こっそり会いに来た。すると一階のこの店で恵子と英吾が楽しそうに話をしているところを偶然見てしまった、というわけさ」
涼介はそこでまた一口コーヒーを飲んで恵子を見た。
「見てしまったわけさ、って言われても。英吾とここで話を? 去年の年末頃、楽しそうに」とそこまで言って恵子は思い出したらしい。
「あっ!クリスマスイブの日! お昼に英吾とここでランチしたんだ!」
「イブの日って。別にたまたま昼飯を食べようと事務所を出たら恵子達とばったり会ったからここのランチでも、って食べていただけだろう? しかもあの時って二人きりじゃなくて恵子もふみえちゃんと一緒で、俺も正史《まさし》と一緒だったから確か四人で食べたよな」
英吾も思い出したように、だがまだ腑に落ちない顔でそう言った。ふみえは恵子のクリニックに時々顔を出す臨床心理士で、恵子の患者に対するメンタルサポートをしてくれている子だ。正史は英吾の事務所で働く営業社員の一人だ。
「でも窓際の席で英吾と恵子は向い合わせに座っていた。たまたま菅沼ひとみが見ている時に四人で面白い話でもしていて盛り上がり、笑っていたんだろう。それを見た菅沼ひとみは勝手に恵子が英吾の彼女と思いライバル視した。だから恵子がここのメンタルクリニックの医者だと知って、ちょうど自分が通っていたメンタルクリニックに紹介状を書いてもらい、恵子に近づいた。どんな女なのか見るためにな」
涼介はさらに続けた。
「クリニックに通うのは英吾に近づく目的もあった。営業で出ていることも多いから気付かなかったようだが、お前はは菅沼ひとみにストーカー行為をされていたんだよ」
英吾は絶句していた。全く気付いていなかったようだ。背筋がぞっとしたらしい。
「まあ、英吾に何かするというところまでは勇気がなかったようだがな。遠くから見ている、そんな程度だったから気付かなかったのも無理はない。でも恵子に対しては奇妙な感情を持っていたようだね」
「奇妙な感情って?」恵子が聞く。
「英吾と仲がいいところを見せられて嫉妬した感情、それとクリニックで診察してくれる恵子を頼りにしてしまう、という感情。その二つが入り混じっていたようだな。だから恵子に対して一千万円の詐欺にあった、なんて嘘をつくことになったんだろう」
涼介の説明が理解できない。なぜそれが詐欺にあったという嘘につながるのか。恵子の疑問に答えるように涼介は続けた。
「彼女は一千万円ほどのお金の問題を抱えていたことは、本当だったんだ。だから精神的にも辛い思いをしていたからつい、恵子に話をしてしまい慌てて詐欺にあったといってごまかしたんだろう。実際は詐欺にあったんじゃなく、自分の不正により一千万円ほどの穴をあけていた、ということなんだけどね」
「一千万円の不正?」今度は英吾が質問した。
「そう、不正。英吾ならわかるんじゃないか? 彼女は生命保険の外交員。副支部長という肩書もあって自分の成績も上げて、部下の成績も上げなけりゃいけない、ときたら」
涼介の謎かけに生命保険の取り扱いもやっている英吾はそこで納得した。
「保険契約の架空契約、または不正契約か。そうか、それがこの間の謙太郎が持ち込んだリストだったんだな。彼女は成績を上げるために精神的に苦しめられていた。時期から考えても俺と出会う前からすでに彼女はメンタルの受診を受けている。しかも一千万円とくれば結構前から不正をしていたのだろう。それが苦になってうつ病になり、経済的にも精神的にも苦しんでいたってわけか」
「そういうことだ。うちの助手はそこまで調べてくれた」
「じゃあ、犯罪者は彼女自身だったってわけね」恵子もやっと納得したようだ。
「ごめんなさい。調査して無駄骨だったわね。私が許せないと思った詐欺師は存在しなかったわけだ」恵子は涼介に謝った。
「いや、無駄骨じゃないさ。犯罪者はいたわけだし」
その言葉に恵子は首を振った。
「そんな慰めはいいの。ひとみの犯罪は私達が憎むものと違ったわ」
自分が怪しいと感じて涼介に調査してもらった恵子は、結果が予想外だったことにショックを隠しきれていなかった。しかもメンタルの診断をしていたのに、彼女の嘘に気付かなかった自分が許せなかったのだろう。いやなんとなく嫌な予感はしていたが、まさかそんな裏があったとまではさすがに考えもしなかったようだ。そのことが情けなくなった彼女は拗ねたように涼介の言葉を素直に受けることができなかったらしい。
「慰めじゃないさ。恵子が不正していた架空契約や不正契約の多くはボランティア保険のようだ。ボランティアに詳しい、というのは嘘じゃなかったんだ。彼女は保険の知識とボランティアの知識を使った、いわゆる詐欺だ。これは恵子の言う俺達が憎むものに含まれると思うけど。善意でそういう契約を結ぼうとした客を騙したわけだから」
涼介の言葉に譲二も涼介の意見に同意した。
「なるほど。それなら無駄ではなかったですね」
その言葉に恵子も渋々納得したように頷いていると、
「でもどうします? 彼女のこと」
英吾が質問した。それは恵子も気になっていたようだ。
「まあ、菅沼ひとみのことは少し置いておこう。もう一つ、涼介さんに頼んだ河原圭のことを教えてくれますか?」
譲二は話題を変え、今まで分かっている調査結果の報告をお願いした。
「フランスで死体となって発見された河原圭の件だが、彼はおそらく崖から突き落とされて殺された、と考えていいでしょう」
「薬物による事故死ではない、ということですね?」
譲二の問いに涼介が答える。
「薬物反応はあったが微量で、精神的な混乱を招くほどの摂取量ではなかった。そして現場に残された痕跡から判断しても、足を滑らせた訳でもない。さらに河原圭が死亡したとされる日の前後に、ある暴力団の構成員三人がフランスのニース空港経由で入出国しており、それらしき集団が河原圭の住んでいた場所の近辺で目撃されている」
「暴力団? そいつらと河原圭とどうつながるんです?」
譲二の代わりに英吾が聞いた。
「譲二を頼ってきた神田雄一が見つけたという、調味料のようなものが入った小瓶があっただろ。あの中身を調べたらヘロインの成分が発見された。微量だけどね。そこに暴力団が関係していたようだ。あの小瓶に入っていたのは料理に使う調味料とヘロインをうまく配合し、実際の料理に使用していたと考えられる」
「料理の調味料に麻薬ですって?」
聞いていた恵子と智子が驚いていた。
「二人、いや他に誰か河原圭の店で食事したことがある人を知っているかい?」
譲二がぐるりと他の四人の顔を見渡した。すると智子が答えた。
「私はあるわ」
すると恵子も言った。
「私も友達からあの店で食事して美味しかった、という話を聞いたことがあるわ。私は食べたことはないけど。だってあそこはフランス料理店でしょ? 譲二さんの店以外でフランス料理を食べる気がしないもの」と、譲二の顔を見ながら微笑んだ。
「それは最近の話か?」
涼介が聞くと、智子は最近のことだという。恵子の知人が食べたのは二号店ができた後、一年ほど前の話だそうだ。
「頻繁に食べていたのでなければ大丈夫だ。麻薬の入った調味料が使われ始めたのは店が潰れる一年ほど前からのようだし、一回や二回食べたからと言ってそう問題はない量だから。ただ短期間で大量に食べ続けると問題だけど」
そんな涼介の説明に英語が質問した。
「なんだってそんな調味料を河原圭は使っていたんです?」
「嵌められたんだと思うね。麻薬の常習性を利用した調味料を何らかの形で使わせ、同時に食材の仕入れに調味料以外の、いわゆる商品になる麻薬を紛れ込ませて密輸入していた。そのため河原圭にそのことがばれても取引から抜け出せないような仕組みを作った、と考えられる」
「それで料理を作って味見などをしている河原圭の体にヘロインの反応が出たというわけか。そりゃ一年もその調味料を使って味見していたら少量とはいえ薬物反応が出るぐらいの量は摂取していたことになるだろうね」
それでも英吾は納得しながらさらに尋ねた。
「それじゃあ食品の産地偽造ってのは?」
「その仕組みを知ってなんとか止めさせようと考えた、河原圭の自作自演だ。抜け出せないような状況をなんとかするため、別の理由を作って店を廃業せざるをえないようにしたのさ。店が営業できなくなったら麻薬取引もできなくなり、麻薬の入った調味料も使用しなくて済むという苦肉の策だったんだよ」
河原圭は店が潰れた後一人でフランスに逃げ隠れ住んでいたが、麻薬取引を行っていた秘密を知っている。だからその取引を裏で操っていた暴力団に口封じの為、消されたらしい。
食品の産地偽造なんてものをわざとやって汚名を被る覚悟だった河原圭が警察にばらすなんて気はなかっただろうに、暴力団はそうは考えなかったのだろう。口封じだけでなく麻薬の仕入れルートを潰したことへの報復だったのかもしれない。
「ひどい! 許せない! どこの暴力団なの? 叩き潰してやりたいわ!」
智子は興奮してテーブルを叩いて涼介を睨んだ。激しい怒りと震え、その眼には涙が溢れていた。彼女は暴力団というものに対して相当の敵対心を持っている。過去に苦い思い出があり、弁護士としてだけでなく個人的に強い憎しみを持っていたからだ。今までにも何度か暴力団と争ったことがあり、危ない目にも遭ったがその度に元警察官だった涼介に助けられている。
「まあ、落ち着け。もちろんそうしてやるつもりさ。ただ今は智子の出番じゃない」
涼介の怒りを込めた、しかし冷静で低い声に彼女は大人しく引き下がった。
「それに今回、暴力団以外にもう一枚かんでいる奴らがいる。本当の黒幕ってやつだな。そいつらをどうするか、だ」
そう言ってから、涼介はさらに調べた調査報告をもとにそれぞれの役割について話し始めた。
早く店に慣れるため、いつもなら店の定休日であっても店の鍵を借りて仕込みや材料のチェック、ソース作りなどをしていた雄一だが、この日は久々に休日を満喫していた。とはいっても考えていることは料理のことばかりだ。
街に出かけても本屋に立ち寄っては料理本や他の店が掲載されている情報雑誌を手に取り、何か得るものはないかとページをめくる。街を歩いても、以前から目をつけていた店に入り、アラカルトで一品だけ頼んで一口ずつゆっくり味わって食べては気づいた事をメモしていた。これを何軒か繰り返していた雄一が、自分のマンションに帰ってきたのは夜も十二時近くになってからである。
街灯で明るく照らされた大通りを脇に入ると、急に真っ暗で静かな住宅地が広がるこの辺りは、譲二さんに紹介された不動産で見つけた。以前に住んでいた二LDKのマンションから引っ越し、身の回りのものの多くを処分してこの一DKという小さなマンションに移ったのだ。
独身の為、贅沢しなければ部屋の広さに困ることはない。心機一転この場所からやり直そうと考えた雄一は、もっといい部屋をと紹介してくれた譲二さんの気遣いを断り、ここを選んだ。以前のマンションよりずっと安く狭いけれども、夜は静かな住宅地にあるこの場所を気にいっていた。
昼間は近くに公園があるため、そこで小さな子供達がキャーキャーと騒いでいる。その傍にお母さん達がペチャクチャと井戸端会議をしていて少し騒がしいが、マンションには基本的に夜、寝にいっているだけの雄一にとっては全く苦にならない。
マンションまで少しだけ近道の暗い夜道を、わずかな街灯の明かりが照らしている公園を横切って歩いていた雄一は、突然黒い影に囲まれた。かと思うと後ろから口を封じられ、言葉を発する時間も与えられないまま、公園のトイレに連れ込まれてしまった。
個室が三つ、小便用便器が五つある、比較的広い男子トイレに引きずり込まれた雄一は、知らぬ間に後ろ手に縛られ、足首も縛られた。そして目隠しされたまま口にタオルのようなものを詰め込まれ、コンクリートの床に転がされたのである。公衆トイレの床はひんやりと冷たく、湿っていた。アンモニアの匂いがツンと鼻を刺激した。
「お前、河原圭の店で小さな瓶を見なかったか? 見たなら頷け」
耳元で、明らかにヤクザ者と思われるような男の声がした。雄一は咄嗟に首を横に振った。するといきなり横腹を蹴り上げられ、激痛が走る。タオルを詰め込まれた口の中でゲホッと呻き、冷たい床の上をのたうちまわった。
「何言ってんだ、嘘つくんじゃねえ、てめえ。瓶は部屋の中にあるのか?」
再びドスのきいた男の声がした。雄一は今度も首を横に振った。事実、瓶は雄一の部屋には無い。そこでもう一度、横腹を蹴り上げられた。
「面倒くせえ。こいつの部屋の鍵を探せ」
先程とは違う男の声がすると雄一は体をまさぐられ、財布や部屋のカギを取り上げられた。痛みに耐えながら力の限り結ばれた手足を動かすと、わずかに緩みができた。もう一度力を入れれば手首が抜けそうになる。
「おい! 縛り直せ!」
気付いた男達が再び手首を縛りあげようとしたが、何とか逃れようと暴れた。そして今度は顔面を蹴り上げられた雄一は、そこで意識を失った。
朝の十時頃、レストランで仕込みをしているシェフ達を見て指示を出している譲二のところに電話がかかってきた。譲二が店の受話器を取ると
「社長!」という大きな声が耳に入ってきた。相当慌てている声だ。
声の主はもう一つのフランス料理店の店長だった。彼は譲二を社長と呼んでいる。
「どうした? 何かあったのか?」
店長の声にただならない気配を感じ尋ねると答えが返ってきた。
「雄一が行方不明なんです! いつも店に一番で出てくるようなやつが今日の朝はなかなか来なかったものですから、店から雄一の携帯や住んでいるマンションに何度も電話をしたんですが全然つながらないし連絡が取れなくて。それで若い奴に雄一のマンションまで迎えに行かせたら、部屋には居なかったらしいんです。鍵は閉まっていたんですが嫌な予感がしてマンションの大家に連絡して鍵を開けてもらうようお願いしたら雄一はいなくて、その代わり部屋の中が滅茶苦茶に荒らされていたっていうんですよ! まるで強盗に遭ったような状況だというので、大家さんが警察に連絡をして今大騒ぎになっているんです!」
一気にそこまで説明をして譲二にその後どうすればいいかという指示を仰いできた。
「わかった。警察に連絡してあるのなら、雄一のことは警察に任せろ。警察から雄一のことでいろいろ聞いてくるだろうからそれにはちゃんと知っていることはすべて答えて協力してくれ。後は店の方をしっかりやってくれればいい。雄一がいなくても店は大丈夫か?あと、雄一のことで何か様子が変だったとか知っていることがあったら教えてくれ」
そう譲二が言うと、彼は素直に応じた。
「わかりました。店の方は大丈夫です。雄一のことは警察にも聞かれましたが、他の従業員も変わったことは気付かなかったようで。それに昨日は店も定休日で雄一がどういう行動をしたかを知っている従業員はいませんでした。社長は何か聞いていますか?」
「いや、俺は何も聞いていない。おそらく警察からそんな質問もこっちに連絡が入るだろうなあ。分かった。大変だが対応をしてくれ。頼む」
「了解しました。また何か情報が入りましたら連絡します」
店長は電話を切った。その日の午後、雄一が見つかった、という連絡が警察から入った。近くの公園のトイレで死体となって発見された、というのだ。
「警察は何だって?」
その日の夜遅く、涼介と譲二は涼介の事務所で二人きりで話をしていた。彼も警察に呼ばれていろいろ事情聴取され、やっと帰ってきたところだった。
「今の所、警察は雄一の事件を強盗殺人として調べているらしいです。雄一は何度か暴行を受けた後、刃物で心臓を一突き、それが致命傷になったようですね。財布や部屋のカギなどが盗まれていて、襲った奴はそのカギで部屋に入ってそこでもいろいろ盗んでいったらしいです。住所なんかは免許証なんかでわかりますから」
「馬鹿じゃないか? そんなわけないだろう。何度か暴行して心臓を一突きして殺すなんてプロの手口じゃないか」
それを聞いた涼介は自分の古巣に対して悪態をついた。
「しょうがないですよ。その裏の背景を警察は知らないんですから。あの一件以外は、雄一には何も人から恨まれるようなことはないですし、殺される理由なんてありません。そう、あの一件以外では」
彼は悔やむようにつぶやいた。
「すまん。油断したのは俺も一緒だ。河原圭が殺された時点で雄一も危ないと考えなければいけなかったんだ。雄一がもしかして何か河原圭から知らされているとあいつらが考える可能性だってあったんだから。それを詳しく確かめる前にあいつらは殺したんだろう。念のために部屋まで荒らして。いや、もしかして小瓶やメモなどを探していたんだろうか? もしかして譲二に相談したこともばれている可能性も考えなきゃいかんな。譲二と雄一のいた店に後藤《ごとう》の手下をつけるように言っておくよ」
涼介も悔やみながら彼に告げた。後藤とは涼介の探偵事務所の助手である。年は二十八歳。中国拳法や格闘技を得意とした体育会系の助手であるがただの助手ではない。涼介とは違った裏の組織を持ち、謎が多い。
彼の手下といえば、譲二達を狙ってくるかもしれない暴力団と同じ系統の奴らだ。後藤はある広域暴力団の幹部である男の隠し子だ。表では涼介の探偵事務所の助手として働いているが、裏では父親の影の直属部隊である屈強なヤクザのボスである。
「雄一を殺した奴らと敵対する、しかも少し格が上の組をぶつけるように言っておく」
涼介はそう告げた。元警察官僚が暴力団をバックに持つ助手、しかもかなり力を持った人間を雇っていることを意味する。
「こっちは堅気なんだからあんまり周りで騒いでもらっては困りますけどね」
譲二が苦笑すると
「大丈夫だ。なるべく早く片をつけるようにするさ」
いつものひょうひょうとした涼介とは違った、鋭い目つきをしていた。絶対許さない、そう涼介は呟いた。
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