磯村家の呪いと愛しのグランパ

しまおか

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第三章~⑤

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 楓は入社式を終えたその日、以前から決めていた通りに祖父との再会を果たした。
 だが当然周囲からは、いろんな質問が投げかけられた。
「あの社食で働いている人が、あなたのお祖父さんなの」
「そう。血の繋がった祖母の二番目の旦那さん。私は一歳の時から小学校を卒業するまで十年以上、祖父達に育てられたの」
 中学からは東京の寮がある中高一貫校に入り家を出たが、その後祖母が亡くなり、祖父とも離れたと説明した。すると中には、かなり踏み込んで尋ねてくる人がいた。
「ご両親はどうしているの」
 当然疑問に思う点ではあるが、少し考えれば訳ありと気付くはずだ。しかし学生から社会人になったばかりの彼らでは、そこまで気遣いができないのかもしれない。
 それでも平静を装い、正直に答えた。
「私が二歳の時に、母は亡くなったの。父は転勤族だったから、ずっと離れ離れに暮らしている。その後再婚して疎遠になっているの」
 そこまで話せば、彼らもようやく理解できるらしい。多くの人は
「ごめんなさい。余計な事を聞いちゃったね」
と、謝って来る。その度に重い空気にならないよう、わざと明るくふるまった。
「ううん。いいよ。別に隠すほどじゃないし。だから私にとって祖父は、とっても大切な人なんだ。こういうのってファザコンじゃなく、グランパ・コンプレックスって言うのかもしれない。でもいいの。私の夢は早く自立して、昔祖父と暮していたような生活を、取り戻す事だから」
「だったら、今すぐにでもできるんじゃないの。向こうも働いているんだし、あなただって社会人になったんだから」
「そう簡単にはいかないの。祖父の都合だってあるしね。それに私もまだ新人だし、もう少し落ち着いてからじゃないと難しいのよ」
「そうなんだ。いろいろ事情があるんだね」
「うん。でもここへ来れば祖父の元気な顔が見られるし、私が頑張っている姿も見せられるからそれでいいんだ」
「もしかしてこの会社に就職したのは、それが目的なの」
「半分はそうかな。でもそれだけじゃないよ。この会社だったら遣り甲斐のある仕事が出来ると思ったのは、間違いないし」
「そうなんだ」
 そんな話をしていたからか、会社では祖父を追いかけて会社を決めたとの噂が広まってしまった。さらには「グラ・コン」と陰口を叩かれるようになったのである。しかも酷い人だと「ストーカー」だとか「こじらせ女子」扱いする者も現れた。
「こじらせ女子」とは例えば、自分に自信が無い女だとか、女性らしいものが苦手で嗜好が偏っている人を指すようだ。他にも褒められるのが苦手だったり、感情に基づく理由付けをしたり、または愛されたい願望が強い、自虐キャラを演じてしまいがち、自己肯定感が低い等の人が当て嵌まるという。
 自分では良く分からないので絵美や大貴に確認すると、楓は全く該当しないと二人は否定してくれた。だが祖父を追いかけ会社に入った事実が広まり、そこにあらぬ風評を加えられたのである。
 楓は朝八時に家を出て会社へ着き、そこから準備をして九時から仕事を開始していた。帰りは遅い時だと二十一時近くなる時もあったが、概ね十九時前後には退社できた。祖父が住むアパートに近いとはいえ、向こうは駅から徒歩二十分ほど離れた距離にある。
 楓のマンションは、最寄り駅から徒歩十分弱だ。しかも祖父が会社へ向かうのはもっと早くに出る始発の為、楓と通勤時間に会うことはまず無い。それでも金曜の夜はマンションの最寄り駅に着いてから、必ずと言っていいほどスーパーへ寄っていた。
 それでも翌日が休みだからと会社の同僚や上司から飲みに誘われ、帰りが遅くなってしまう場合もある。そんな時は会えないけれど、代わりに土日や祝日の夜は必ずスーパーへ買い出しに行くようにしていた。
 平日も夕食を済ませた時でさえ、寄るようにしている。 月曜日が祝日で金土日月と四日連続になっても、そうした行動はもはやルーティーンになっていた。金曜日以外の平日の夜は、外食する時もある。しかし基本的にスーパーで買った食材を使い、朝も含めて自炊をするようにしていた。それでも弁当は絶対に作らない。祖父が働く社食で、必ずといって言い程食べるようにしていたからだ。
 楓は直ぐにでも、祖父の生活を改めてあげたいと考えていた。早朝から夜遅く、コツコツ働く姿を近くで見ていたから余計だろう。彼は約六年、そうした生活を続けてきたのだ。楓達が知って借金をまとめてから、既に四年近く経つ。利息をかなり抑えた結果、返済は途中まで順調に進んでいた。
 しかし感染症拡大の影響でスーパーは時短営業に迫られ、十九時から二十二時までのレジ打ちの仕事が出来なくなったのだ。その為緊急事態宣言が出た頃、祖父は金曜日の仕事がなくなり、土日祝日の仕事時間を前倒しにして多く働くしかなかった。その分時給は下がり、これまでと同じようには稼げなくなった。
 さらには平日毎朝していた清掃作業も、リモートワークなどで出社する社員が少なくなった影響からか、隔日に減らされたようだ。その上社食の仕事さえ、出社する社員が少ない為に時間短縮された時期もあった。その為月の収入自体が減少し、返済額も減少せざるを得なかったのである。
 連城先生のアドバイスにより、感染拡大下における休業支援金や給付金といった制度は活用していたらしい。それでも全く十分とは言えず、申請も複雑でかつ支給も遅かったと聞く。一度だけ特別定額給付金が十万円だけ支払われたが、焼け石に水だったに違いない。
 楓や大貴達は経済的な面で恵まれていた為、そうした影響は受けずに済んだ。しかし一部の学生の中にはアルバイトができず、家族の仕送りにも頼れず、止む無く休学する人達もいた。
 中には生理用品を買うお金がなく、そうした時期には家の中でじっとしているしかないという女子学生が多数出たのである。その為楓は豊富な遺産を使い、そうした人達を支援する団体などに匿名で寄付をしたり、活動を手伝ったりもしたのだ。
 あの感染症拡大化における約二年弱の時期ほど、持てる者と持たざる者の格差が激しいと感じたことはない。またいざという時に国は全く頼りにならず、自助や共助の必要性が高まると強く認識した。
 そうしている間でも、祖父はコツコツと懸命に働いていた。不幸中の幸いだったのは、仕事を休まざるを得なくなった日が増えた分、厳しい労働環境から多少解放された点だろう。
 だがその分返済が少なくなり、全額返し終わる期間がさらに長引く計算となった。つまり感染症の騒ぎが少しずつ収まった後でも、それだけ長い間の厳しい労働が続く事を意味する。
 といっても楓が直接名乗り出て、顔を出すという大勝負に出た後でも、祖父の頑なな態度は変わらなかった。あくまで会社の一職員でしかないと、周囲に振る舞っているらしい。その上、もう自分は関係ない人だと漏らしているとも聞いていた。
 そうした状況から考えれば、そう簡単にこれ以上祖父に接近することは難しい。姿を消してから、約十年のブランクがある。それを埋めるには、一筋縄でいかないと痛いほど分かった。
 そこでまずは自立している姿を見せて安心させ、時間をかけ信用を得る事が先決だと、楓達の間では結論が出ている。その点は納得していた。その上で、過去に何があったのか真相を聞き出せられれば、問題は解決するに違いない。
 もちろん同時並行で、泊は磯村家に起こった過去を引き続き調査していた。そこで何があったのか真相を探り当てる方が先か、彼から直接謎を聞き出すのが早いか、だ。
 その結果を受け、幼い頃から約十年過ごしてきた間に抱いた想いを伝えなければ、祖父の閉ざされた心の扉を開くことは無理だろう。楓の気持ちを受け入れ、今後は面倒を見るから今の生活を脱してくれると了解して貰わなければならない。それまでには、もう少し時間がかかると覚悟していた。
 しかし実際は、焦る気持ちが止まらない。それでもここまで来たのだからじっくり時間をかけ、祖父の凍った心を溶かす努力を続けていかなければならなかった。
 だがその前に、全く異なる事態が発生した。というのも楓の社会人としての生活は、決して円滑と言えなかったのである。それは一ヶ月の研修を終えて配属された部署で、複雑な人間関係に巻き込まれた為だ。そのせいで祖父との関係改善を図る行動が、なかなか思うように取れなくなっていた。
 楓の部署には、寺井てらい春奈はるなという四つ年上の女性事務員がいた。その人がどうやら同じ課にいる、二十八歳独身の根岸ねぎし秀人ひでとという係長の先輩に、好意を抱いていたらしい。しかしその彼が新しく入って来た楓を特別扱いし始めた為、嫉妬からか目をつけられたのである。
 その上厄介な事に、四十歳の既婚者で子供も二人いる樋口ひぐち課長が、春奈に好意を持っているとの噂を聞いた。
 会社での恋愛、同僚からのやっかみというのは、なかなか面倒だ。そこに不倫が絡めば、泥沼化は避けられない。どうやら春奈が入社して二年目の頃から、樋口と肉体関係にあったという。
 しかし二人の間は、翌年の感染症の拡大で変わったようだ。濃厚接触を避けるようになり、また自宅でのリモート勤務も影響したらしい。夫婦仲が上手くいっていないと言っていた樋口が、家庭で過ごす時間が長くなった。春奈にとって、それが許せなかったと思われる。
 そうしている間に昨年、同じ課に独身で一つ年上の根岸が現れた。春奈は樋口と別れ、彼に乗り換えようとしていたようだ。そこで楓が新入社員として現れ、根岸に目を付けられた。その為春奈から嫌がらせを受けるようになったのである。
 だが樋口は彼女に、未練を持っていたのだろう。しかも楓は愛しのグランパがいると周囲に公言していた為、事態は複雑化した。奇妙な関係に巻き込まれた問題は、祖父にまで影響が及んだのである。
 まず根岸は、楓に向かって言った。
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