豪華客船から脱出せよ!

しまおか

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吉良達と船内の動きー①ー1

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 暗闇の中、吉良は松ヶ根と共に車中で沖を見つめていた。さすがに肉眼で船は見えないが、本部と連絡を取る中継車では赤外線の望遠鏡を使い、様子を伺っているはずだ。
 時計は九時を回った。長い沈黙が続いたので、松ヶ根に話しかけた。
「全員の検査が終わるのは、明日の朝方でしょう。動きがあるなら、その後でしょうか」
「そうかもしれない。だがこの暗闇だからこそ、何かが起きるかもしれん。長丁場になるから、先に寝てていいぞ。二時間ほどしたら交代しよう」
「松ヶ根さんが先に寝てください」
 そう話していた時、彼のスマホが鳴った。メールの着信音らしい。
「こんな時間にメールなんて、誰だ?」
 独身で付き合っている女性もいない彼に、プライベートなメールが届く事はまずない。離れて暮らす両親はまだ健在だと聞いているが、何か起こったのかと吉良も緊張した。
 しかしメールの送り主を見て、彼は叫んだ。
「三郷さんからだ。あの船に乗っていて、連絡が出来ないはずなのに何故だ」
 思わず吉良も画面を覗き込み、一緒に中身を見て驚いた。そこにはトラブル発生と書かれ、大量のファイルが添付されていたからだ。
「やはり船内で何か起こっているようだ。吉良、パソコンを持っていただろう。このメールを転送するから、ファイルを開いて中身を確かめろ。俺は連絡を取ってみる」
 スマホで見るより、パソコンで見た方が早いと判断したのだろう。吉良は慌てて普段から携帯しているノートパソコンを開き、彼からのメールを受け取った。念の為ファイルを全て保存しながら、一つずつ確認をしていく。
 するとそこには驚くべき事柄が書かれていた。松ヶ根にその事を告げようとした時、彼は悔しそうに呟いた。
「駄目だ。電話は通じない。メールで返信しよう」
 文章を打つ間に、吉良はファイルの中身を次々と開きながら、中身について説明した。一つには、城之内がウイルスに感染したと判明してからの経緯が時系列で書かれている。そこには明らかにシージャックされ、身代金を要求されたとの記載もあった。
 メールを送信した後、その事を耳にした彼は言った。
「そういう事か。至急本部に連絡し、ファイルを転送しろ。簡単に俺達と三郷さんとの関係についての説明も添えておけ」
「了解です」
 指示された通り、捜査本部に電話連絡を入れ口頭で説明し、ファイルの送付先を確認する。その間に再び三郷から返信が来たようだ。そこには既にファイルに記載されていた通り、安西が殺されたと書かれていた。
 さらに追加メールが次々と届く。いずれもファイル内で依頼していた事ばかりだ。四通目が届いた後、彼女が危惧していたように通信は再び遮断された。
 それを確認した松ヶ根が別途本部へ連絡し、制圧部隊の早急な派遣とサイバー対策課への指示を強く要求した。
 ファイルに記載しながら再度メールでも触れたのは、それだけ緊急性がありかつ重要事項だと判断したからだろう。交信時間もごく限られると知った上だから尚更だ。
 本部とのやり取りを一通り終えた彼は、再び吉良と共にファイルの中身を詳細に読み、検証していった。それらに目を通しながら言った。
「あと計画実行まで二時間もないというのは、厳しいな」
「そうですね。本部の指示は間に合うでしょうか」
「一緒にいる副船長とやらの協力を得たのだろう。本来手に入れられない乗員乗客名簿だけでなく、身代金を振り込む予定の乗客達の情報も詳細に書かれている。上手くいけば、サイバー対策課の方は間に合うかもしれない。だが制圧部隊の方は難しいな」
「そうですよね。いくら暗闇の中とは言え、これから配備させて移動する時間もあります。少なくとも計画が実行される十一時には、間に合わないでしょう」
「厄介だな。ある程度怪しいと思われる人物を三郷の方で絞ってくれているが、全員ではないだろう。しかも広い船内に潜んでいるのだから、見つけ出すだけでも難しい」
「それも相手に気付かれず、忍び込めというのですから。彼女も無茶を言いますね」
「急いで部隊を編成して船の近くにヘリで移動させたとしても、軽く一時間以上はかかるだろう。しかも船から離れた場所で降ろし、そこから移動する必要がある。エンジン付きのゴムボートを使ったとしても、暗闇とはいえ慎重に接近しなければならない」
 吉良は頷いた。
「さらに先方の船で味方と見ていいのは、彼女の情報だと副船長だけです。しかし連絡手段がありません。そんな中で、どうやって気付かれず船に潜入しろというんでしょう」
 しばらく二人は沈黙した。実際行動するのは自分達ではない為、どうすることもできない。特殊部隊の腕に期待するしかないのが現状だ。その為か彼は話題を変えた。
「しかし全員のPCR検査が十一時頃までに終了するとは、予想以上の速さだ。この事は、内部の人間しか知り得ない。それにこういう交渉は、本来もっと時間をかけるものだ。それが事件を起こして十時間以内に金を振り込ませるなど、まずあり得ない」
「確かに。長引かせて精神的に疲れさせれば、もっと多くの身代金を得られるはずです。急がせれば、資産家達が動かせるお金も限られるでしょう。時間をかければそれこそ有価証券等を売買して、お金に換金できたに違いありません」
「当然彼女は俺達がここにいて、船を見張っているなんて知らなかっただろう。だからここには書かれていなかった。しかし警察の動きを、犯人側が気付いた可能性はある。だから取引を急いだのかもしれない」
「なるほど。だからPCR検査が終わる頃に振り込みをさせ、無事それが済めば何食わぬ顔をして、港に戻る計画に変更したのかもしれませんね」
 三郷がここまで詳細な内容を把握している事等、犯人側も知らなかっただろう。もし気付いていたら、警察に通報させるような真似はさせなかったはずだ。彼女のファイルによると、本番前にテスト送信をすると予想して準備したとある。
 恐らく予想通りにできるかどうか、彼女も確信を持てなかったに違いない。それが想定外にも、助けを求めた松ヶ根が近くにいたことに意表を突かれたはずだ。
 それにしても、犯人達が一人殺していると知った上で、これだけの情報を収集した事に驚かされる。犯人達に悟られれば身に危険が及び命を狙われる状況で、よく行動しようと考えたものだ。
 顧客の財産を守るとの単なる正義感だけで、これだけの事はできないだろう。一体何が彼女をそこまでさせたのか。吉良は疑問を持った。それは松ヶ根も同じだったらしく、ぼそりと呟いた。
「あの三郷が危険を顧みず助けを求めたのは、何か裏があるのかもしれない」
「私もそう思います。名簿によると、同行しているのは甥のようですね。彼が関係しているのでしょうか」
「いや以前の事件があった時、彼女の家族関係について調べた事があっただろう。両親とその面倒を看ている兄夫婦達とは、疎遠になっていたはずだ」
「そうすると、疎遠だった兄夫婦の息子と彼女が一緒にいるというのも、不思議ですね。それに彼女には隠したい、例の障害があります。彼は知っているのでしょうか」
「判らん。しかも城之内の仕事に同行しながらの、ワーケーションに付き合わせているんだ。何か訳ありなのだろう。だからこそ彼を巻き込むかもしれない危険な行動を、取るかといえば疑問だ」
「なるほど。そうするとやはり仕事関係でしょうか」
「だがそうさせた動機は、単に城之内の資産を守るだけとも考え難い」
「だから裏がある、ということですか」
「そうだ」
 頷いた彼はそこで思いだしたかのようにスマホを取り出し、再び本部へと連絡を取った。そこである依頼を告げたのだ。横で聞いていた吉良は、ようやく彼の言う裏の正体がぼんやりと理解できた。
 もしその予想が当たっていたならば、この事件は一体どのような結末を迎えるのだろう。電話を切った事を確認してから、その件について尋ねた。すると彼は思いがけないことを言い出した。
「お前も言っていただろう。もしシージャックだとしても、成功した後船に潜んでいる犯人達は、どうやって逃げるつもりなのか、とな。その答えが見えて来たぞ」
 その後続く彼の説明を聞いた吉良は、鳥肌が立った。余りにも大胆で恐ろしい計画が、これから行われようとしているのかもれない。
「それなら何としても、阻止しなければいけませんね」
「ああ。だから身代金の振り込み時間に例え間に合わなかったとしても、特殊部隊をあの船に送り込むことは無駄にならないだろう。だが一歩間違えば、船内で壮絶な戦いが始まるかもしれない。乗客達の命にも危険が及ぶ可能性もある」
「歯がゆいですね。僕達は見ている以外に、何か他に出来る事は無いでしょうか」
 しかし彼は首を横に振った。
「恐らく彼女だって、後は部屋の中にでも籠って身を守るしか手は無いはずだ。幸いなのは、ウイルスの感染拡大を防ぐ為に、他の客は各々の部屋に避難している事だろう。争いが起こっても、巻き込まれる確率は低い。そうなると後は、犯人達とそうでない乗組員と特殊部隊の攻防になる。唯一味方と判明している梅野を、上手く使えればいいが」
「その情報は既に松ヶ根さんから、本部経由で伝えていますよね。他に何かないですか」
「今のところは思いつかない。考えられる大半は、彼女のファイルに記載されていた。そこに足りない補足すべき点は、全て本部に報告済みだ。悔しいがお前の言う通り、俺達は事の成り行きを見守るしかない。唯一出来るのは、船内の状況が変わり外部との通信が可能になってからだろう」
「三郷さんから、新たな情報についての連絡があるかもしれませんからね」
「忍び込んだ特殊犯が無関係な人達を巻きこまないよう、即座に本部へ報告する必要がある。彼女達は俺達を、大切な窓口だと思っているはずだからな」
「船の状況を見守りつつ、彼女からの報告を見逃さないよう、待機する事だけですか」
「大事な仕事だ。今夜は徹夜になるぞ。覚悟しておけ」
「了解です」
 二人は車の中で、本部と中継車間における無線でのやり取りや各方面への指示をじっと聞いていた。だが特殊部隊とのやり取りの詳細は、伝わってこない。恐らく犯人側に聞かれないよう慎重を期して、特別な回線で連絡を取っているのだろう。
 しかし予想していたように、船への潜入には時間がかかりそうだとの空気だけは、伝わって来た。しかも何らかの妨害措置を行う事で、振り込みを阻止または時間稼ぎが可能になったとしても、問題が残る。そうなった場合に犯人側がどう動くかだ。
 余り長い間、通信可能な状態を維持する事は危険が伴う。十三階にいる誰かが、偶然外部通信が可能になった事を知り、通報してしまえば計画が台無しになる。よって手続きに時間を要すると判れば、一旦計画を取り止めるかもしれない。
 単なるシステムトラブルで思うようにいかないと考え、時を改め再試行しようと思ってくれれば、こちらの思う壺だ。しかし別件といえ、犯人側は警察が動いていると察知しているに違いない。そこで計画が漏れたと悟り、強硬手段に出ることもあり得た。
 もう隠れる必要は無いと判断し、表に出て堂々と人質を取るかもしれない。その上で通信を解除し、改めて身代金を振り込むように脅されれば、警察も下手に動けなくなる。
 三郷からの情報では、身代金は仮想通貨に変換した後、犯人が指定する匿名口座へ振り込ませる予定らしい。かつて世間を騒がしたNEM通貨事件のように、転々と口座を移動されてしまえば、多くの金の行方は不明のままになるだろう。
 しかもその後、犯人達は船からの逃走を図るだろうが、その際は資産家達が人質に取られる確率が極めて高い。あの船には民間の軍事会社から雇われた、セキュリティ部門に配属されている強者達がいる。
 そこに犯人達の仲間が潜んでいれば、なんらかの武器を所持している可能性は高い。だがここは日本だ。まず逃げおおせるとは思えない。
 その分追い詰められた彼らが、開き直って穏やかでない手段に出るという大きな不安要素が残る。さらに松ヶ根の予想が当たっていれば、事件は最悪の事態を迎えて幕を閉じることも考えられた。
 そうしている間に、予定の時間になった。ここからはもう見守るしかない。何とか穏便に過ぎ、無事特殊部隊が船内に乗り込むことを祈るだけだった。


 三郷達と別れた後、梅野は船長のいる操舵室へと向かった。すると一等航海士のヨハンが声をかけて来た。
「先程こちらに来られたお客様は、お部屋に戻られたのですか」
「ああ。一通り説教をしておいた。もう問題ないと判断して、帰って貰ったよ」
 答えながら彼に近づき、周囲を見渡す。そこにはセキュリティ部門のニールの姿があった。彼もこちらを見ている。先程船長室について来ていた二人だ。ヨハンはどうか判らないが、あのニールは犯人の仲間だと睨んでいた。
 そこでわざと声を大きくし、彼の目を見ながら言った。
「もし六階にある自分達の部屋へ真っすぐ戻らなかったとしたら、防犯カメラを監視しているセキュリティ部門から再び、不審人物がいると報告があるだろう」
 だが彼は無表情のまま、じっとこちらを見続けたままだ。気持ち悪くなり、ヨハンに視線を戻す。彼はもう聞くことがないらしく、じっとレーダーを眺めている。どうやらそれが、今の彼の役目らしい。
 ここにいる操舵室の航海士達には、それぞれ役割分担がある。それを基本的には八時間交代で行っていた。今日のこの時間は、ヨハンがレーダーの監視を行っているようだ。
 その為冗談交じりに聞いてみた。
「君が見ている間にこの暗闇の中、衝突してきそうな船は何隻あった?」
 彼は笑って答えた。
「さすがにそんな馬鹿な船はいませんよ。近くを通ったのは何隻かありましたが、十分距離を取っています。今の時間帯で暗い海の中、この船は灯りを点けていますから、相当目立つと思いますよ。灯台のような役目になっているんじゃないですかね」
 すると別の航海士が、話題に入って来た。
「エンジントラブルでもあって停泊しているのかと、何回か無線で問い合わせがありました。こんな時間にどうしたのかと、心配したのでしょう。有難いですが、今は迷惑なものです。一々問題ない事と、港の指示だと言い訳しなければならないですからね」
「確かに厄介だな。そこでシージャックされていると伝えられればいいが、どこで犯人の仲間が聞いているか判らんからな」
 梅野の言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が一変してピリッとした。恐らく誰もが疑心暗鬼になっているのだろう。それでも構わず話を続けた。
「後は外部との通信装置が、先方の要求通り遮断しているかどうかだな。インサルマットはもちろん、予備のイリジウムも切ったままだろう。ネットでシージャックされたと拡散されては、犯人を刺激してしまう。その点は大丈夫か。ちゃんと見張っているかな」
 どうやらその役目は、ニールが担っているらしい。彼が答えてくれた。
「私がずっと、監視しています。問題ありません」
「本当にずっとか。先程船長室へ付いてきたように、目を離した時間帯はないんだな」
 彼は黙って頷く。これで彼はほぼ犯人の仲間だと確定していい。先程間違いなく通信できるか、試験的に動かしたはずだ。それを口にしなかった事は、その証拠になる。つまり彼のチーム全員が、犯人の仲間とみて間違いないだろう。
 彼の上司でもあり。全体のチームリーダーだったハリスの提案で、二つのチームを混在していた状況が解消されたと真理亜さんに告げた時、彼女は即座に怪しいと言った。その推理は間違っていなかったようだ。
 彼が付けているイヤホンを通し、恐らく同じセキュリティ部門の仲間からの指示で、一時的に動かしたのだろう。だが彼の表情を見る限り、彼女がその僅かな隙を狙い外部と連絡を取った事は、バレていないようだ。
 しかし今度は梅野が見張り予定の時間になった際、彼がスイッチを入れられないようにする必要がある。それは比較的簡単だ、動かせば、表向きは犯人の指示に背くことになるからだ。そこを指摘すれば、やすやすとは作動できなくなるだろう。
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