豪華客船から脱出せよ!

しまおか

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船長と三郷達の行動ー①ー1

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「警告を無視し、警察に通報したな。約束を破ったからには、乗客の命は保障できない」
 おそらく犯人の仲間が、横浜港にある支社を監視していたのだろう。本社にかかってきた連絡に対し、社長は必死に弁解したらしい。
「いや待ってくれ! 誤解だ。警察に通報などしていない。彼らはあの船の乗務員について、話を聞きに来ただけなんだ。信じてくれ」
 正直に経緯を伝え、入港しない船を不審に思っている警察に対し、誤魔化した事を告げたという。犯人側は当初相当疑っており、なかなか信じてもらえなかったそうだ。
 しかし先方でも、警察の動きを調べたのだろう。しばらくしてどうにか交渉の継続に応じてくれたらしい。だがそのおかげで、先方は強い調子でせっついてきたのだ。
「不可抗力とはいえ、警察があの船をマークし始めたのは確かだ。早く着岸しないと、ますます疑われる。だから時間稼ぎなど無駄な事は止めろ。要求通り、身代金を支払え」
「そう言われても、四億ドル何て大金を直ぐに支払うのは無理です。急げといいながら、それは余りにも非現実的な要求でしょう」
「八億八千万ドルから相当下げたんだ。あの船に乗っている客達の命は、そんなに安いのか。お前達が払えないのなら、VIP達に直接頼めと言っただろう。唸る程金を持っている奴らだ。それぐらい支払える奴はいるだろう。命が助かるなら、一人で払うと言い出す奴がいてもおかしくない。そっちの話は進んでいるのか」
「も、もちろん秘密裏に話は進めています。しかし皆様は確かに多額の資産をお持ちですが、直ぐに送金できる流動資産となれば、かなり限定されてしまうようです。株式や債券を売るのも時間がかかりますし、通信が途切れている状態ではそれもできませんから。少しでも多く集めようとしていますが、とても四億ドルには届きません」
「いくらなら集まりそうだ」
「そ、それはまだ何とも言えませんが、一千万ドルならなんとか」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! そんなはした金で助けて貰おうと思っているのか」
「い、いえそういう訳ではありません。動かせる額に限度があると申し上げただけです」
「ふざけるな。あいつらなら、直ぐに動かせる隠し財産もいくらか持っているはずだ。下手な駆け引きをせず、動かせるだけの金を出せと言え。さもないと本当にウイルスを拡散させるぞ。隔離装置程度で守れると思うな。こっちはそれを見越して、ばらまく準備をしてきたんだ。脅しじゃない。なんなら試してみるか。ウイルスを拡散したって、直ぐに死ぬわけじゃない。だが感染して苦しみだす奴が増えれば、必死になって金を出す奴も出てくるだろう。あの船の医務室がいくら充実しているからといって、感染者が一気に出たら対処しきれないはずだ」
「待ってください。今お客様達と交渉していますので、それだけは勘弁してください」
「お前の会社は、いくら払えるんだ。客にだけ支払わせるつもりじゃないだろうな」
「今搔き集めていますが、動かせる資産はせいぜい三百万ドル、いえ五百万ドルが今の所、精一杯です」
「客に一千万ドル支払わせるくせに、それしか払えないのか。それじゃあ、客達も納得しないだろう。お前達が率先してもっと払わなければ、客も応じないぞ」
「な、なんとか集めてみます」
「さっさとしろ。時間が無いぞ。二時間後にまた連絡する。それまでにいい答えを出せるようにしておけ。いいな」
 電話はそこで切られたという。その為直ぐに本社からビリングへ連絡があり、犯人側の要求が伝えられたのだ。
「それで今、どれくらい集められそうなんだ」
「社長、そう言われても簡単にはいきません。こちらも安易に動けませんから、全て内線で個別に依頼している状況です。個別に直接訪問しお願いに上がれば、もう少し変わると思いますが。副船長の梅野に説明して、部屋を回って説明させるのは駄目ですか」
「それは先方から許可が出ない。身代金の支払い方法等については、船長の君以外に漏らすなと厳命されている」
「つまり私がこの場所を離れて、梅野と代わる事も駄目だという事ですよね」
「そうだ。私との窓口も、君だけに限定されている。持ち場は離れるな。それで今はいくらだったら、支払えそうなんだ」
「城之内様からは、二千万ドルなら払えるとお返事を頂きました。しかし前回もお伝えしましたように、同額以上のお金を本社でも支払うのが条件だとおっしゃっています」
「どうにか都合をつけているが、今のところ七百万ドルが限界だよ。他の方はどうだ」
「十四階の方々からは一人五百万ドル、合計四千万ドルまではどうにかすると回答を頂きました。十二階と十階のお客様の中には、まだ数人支払いを渋っている方もおられますが、四十人中三十四名から一人平均して三百万ドル、合計一億二百万ドルまで支払うとの回答を頂きました。やはり時間内に動かせる流動資産の限界がネックのようです」
「おお。それでもかなり増えたな。よくやってくれた。これで城之内様を除いても、最大一億四千三百万ドル、こっちが七百万ドル支払えば一億五千万ドルだ。あと六名の交渉と他の方々に更なる上乗せをお願いすれば、一億九千万ドルくらいにはなりそうだな。これでなんとか交渉するしかない」
 予期せぬことに安西という乗組員を確保する為、警察が港にやって来たことで犯人側も慌てたのだろう。本社との交渉は思った以上に早く先方と成立した。後は約三時間後、要求通り身代金を支払うと言ったVIP達を十三階にある、予備のビジネスセンター室に集めればいいだけだ。
 通常お客様達には、五階にある部屋を使用頂いている。だがインマルサットが故障した場合、イリジウム装置を動かし代替として利用できるよう多数の回線がある場所は、そこだけだった。逆の場合が起こった際にも、対応する為に用意された部屋だ。
 滅多に起きない場合を想定した部屋の為、船が完成しビリングが船内設備の詳細説明を受けた際、まず使われる可能性は低いだろうと思っていた。それがこのように役立つとは、想像していなかった。
 それにしても安西という男は、一体日本で何をしたのだ。本社も警察からは、あくまである事件の参考人としか伝えられていないらしい。
 しかしこの船に、犯人側の乗組員として潜入したと思われる男だ。今回の事件と関連する何かを、しでかしたに違いない。だから犯人側も、本社の説明に納得したのだろう。だがこれほど早く警察が彼に辿り着くとは、想定していなかったに違いない。
 昨日より前の段階で、彼がこの船に乗っているか内密で確認があった。恐らくその事を察知した彼らの仲間が、これまでの騒ぎを全て彼にやらせた後、口封じの為に殺したと思われる。 
 そこでふと疑問を持った。当初からウイルスを城之内の食事に混入するのは、シェフである安西の役目だった事は間違いないだろう。だがドローンを操作し、爆破することまで彼の仕業だったのだろうか。
 現在の状況を見れば、複数の犯人が乗船している事は確かだ。それならば、それぞれ役割分担があってもおかしくない。それに十一階のシェフが緊急事態の時にのこのこと持ち場を離れ、十三階にまで上がって来たのは不自然だ。
 彼はドローンを操作した仲間がいる部屋に呼び出され、実行犯かのように偽装工作された後に殺されたのかもしれない。その方が筋は通る。発見したセキュリティ部門の人間も怪しいものだ。犯人の仲間があの部署にいたとすれば、簡単に実行できるだろう。
 いずれにしてもビリングとしては、時間が来ればイリジウム装置のスイッチを入れさせるだけだ。そうして相手の要求通りVIP達の振り込みが終われば、何らかの合図があるのだろう。
 全てが無事済めば、船は爆破されることもなく、ウイルスも拡散されずに済む。後は本社から船を動かすよう指示されれば、横浜港に向かうだけだ。無事着岸さえできれば、後はもう心配することなどない。
 ただその後警察が船内に乗り込んでくる事態は、覚悟しなければならなかった。安西が殺されていたと知れば、間違いなく事情を聴かれるだろう。それでもシージャックについては、身代金を支払った資産家達が口を割らない限り、黙秘しなければならない。
 他は本社から既に伝えられた通りの筋書きを、淡々と伝えるだけで良かった。私は何も知らない。ただ本社の指示を受け、トラブルが起こった為に停船したまでだ。医務室からの報告によれば、同じく二時間後には全てのPCR検査が終わると聞いている。
 つまり犯人側もそれを知って、時間を指定したのだろう。恐らく検査では、陽性反応は誰も出ないに違いない。そこで城之内以外は問題ないと日本側に伝え、着岸の許可を得て出港する手筈なのだろう。
 こんな面倒な事は、さっさと終わって欲しい。早く陸上に降り立って、解放されたかった。取り調べなど、ここで味わっている地獄の時間を考えれば楽なものだ。
 それにこれらが無事終われば、ビリングが船長として担った任務の遂行は、本社から高く評価されるに違いない。そうなれば本格的な運航が始まる際における昇給も、大いに期待が持てる。そう本気で考えていたのだ。
 しかし不測の事態が起こった。城之内の同伴者として乗り込んだ客が不審な動きをしているとの報告を受け、梅野に対処するよう依頼した。
 また真意を確認しようと船長室に呼んだところ、驚くべき事に彼らは短時間の内に、犯人側の目論見をほぼ見抜き、さらにそれを阻止しようと動きだしていると判ったのだ。
 まず初めに、余計な事をするなと怒りが湧いた。だがあの三郷という女性に睨まれた途端、その思いは消し飛んだ。相手の考えを全て見通しているかのような鋭い視線に射抜かれ、ここで妙な嘘をつけば犯人側の仲間と思われかねないとの恐怖を抱いた。
 VIP達に連絡を取り、身代金を支払うよう告げているだけでも協力しているようなものだ。脅されて止む無くやっているとはいえ、心の内では罪悪感にさいなまれていた。そこに来て現れた彼女は、まるで審判を下すギリシャ神話の女神テミスかと見誤った程だ。
 しかも話を続ける内に、彼らの行動力と洞察力に舌を巻いた。恐らく船内の事情は梅野から情報を得たのだろう。だがごく限られた時間で、あれ程犯人側の意図を見抜いた事実に驚愕させられた。
 その上内情を知るはずの城之内も、一部だが彼女に白状している事も分かった。そこで問われる質問に対し、正直に自分が知る限りについて答えることにしたのだ。
 内心は恐怖もあった。犯人側も彼女達の行動に、気付いている可能性がある。そうなると下手に協力して刺激すれば、どうなるか判らない。問題が起これば、後に船長の責任を問われかねなくなる。
 だが一方では彼女達が計画を上手く阻止してくれれば、それに手を貸した自分も評価されるのではないかとの計算も働いた。もし失敗したら、彼女達は始末されるだけだ。船長室でのやり取りは、誰にも知られていない。
 彼女達が口を割れば別だ。しかしそうなる可能性は低いと考えていた。このような事態で命の危険を顧みず、何ら見返りも期待できない行動をする彼女が、被害者を増やそう等とするはずが無いと思ったのだ。
 船長としてはどちらに転んでもリスクが少なく、得る物が大きくなる確率は高い。そう考えた結果が今だ。ビリングは時計を眺めながら、早く時が過ぎないかと願いつつ、顔は徐々にほころんでいった。
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