豪華客船から脱出せよ!

しまおか

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三郷の行動-①ー3

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 確かに今回のクルーズ船の旅では、感染対策の一環から三五〇の客室に七五〇名まで収容が可能なところを、三五〇名しか招待していないと言っていた。
 よって四〇〇名の内の多くは、六階から九階までの客室で省いているだろうと勝手に想像していた。実際真理亜達がいる六階は、八十部屋ある内の半分以上が空室だ。恐らく七十五部屋ある七、八階や九階の七十室もそうなっているのだろう。
 だが十部屋しかない十四階や十六部屋と少ない十二階、同じく二十四部屋と少なめの十階までのスイートルームは、ほとんど埋まっているものだと勝手に思っていた。上階へは近づかないようにしていたし、旅の間も誘われず関心も無かったので全く気付かなかった。
 しかし八神によれば、全階の客室の半分を間引いているらしい。ということは想像していたよりも、城之内のような特別招待されたVIPは意外と少ないのかもしれない。
 これは何を意味するのかと考えていたところで、どうやら彼女の部屋に誰かが訪ねてきたらしい。一旦電話は保留にされた。しばらく待っていると、再び彼女は受話器を取って話し出した。
「今、防護服が届いたわよ。あなたに言われた通り、陰圧室に置いて貰ってから外へ出て鍵がかかるのも、ちゃんと確認したわ」
「それでは素早く防護服を部屋に入れて、再び中からロックして下さい。直ぐに移動するのは危険なので、十分程経ってから防護服を着用して外へ出て頂けますか。もう一着は袋か何かに入れ、注意しながら廊下に出て急いでこちらに向かって下さると助かります」
「分かった。他に注意点はある?」
「ルームキーを忘れないことぐらいですね。あと万が一、他の方に会っても目を合さないように。もし話しかけられたら、お客様に呼ばれ急いでいると言って下さい。余計な会話をしないように。上手くいけば、五分以内で来られるでしょう。私の部屋は判りますよね」
「六階の六〇五よね」
「そうです。もし五分経っても到着しなかったら、何か起こったと考え私達がそちらに向かいます。犯人の仲間に捕まると危険ですから。ただし私達は十四階へは行けません。なので少なくとも十四階のエレベーターに乗って、六階のボタンを押すまではお願いします。そうしないと、助けられませんので」
「エレベーターまではそんなに距離が無いから、何とかやってみる」
「お願いします」
「じゃあ、電話を切って十分経ったら部屋を出る。それでいいわね」
「はい。くれぐれも気を付けて」
「切るわよ」
 彼女はそう言って通話を終わらせた。真理亜は咄嗟に時間を見る。首尾よくいけば今から十五分後までに、この部屋に着いたと知らせるベルが鳴るだろう。もししなければ約束通り、急いで彼女の救出に向かわなければならない。
「準備は良いわね。最悪に事態に備え、何か武器を持って外へ出る用意をしておいて」
 後ろを振り返り、直輝に向かって指示する。彼は深く頷いた。ここまでは事前に打ち合わせした流れの通りだ。八神が無事到着すれば、次の段階に移ればいい。
 だがそうならなかった場合、その先どうなるかは全く予想がつかなかった。最悪の場合、犯人グループと戦う覚悟も必要だ。そこで拘束されるか、または殺されることもあり得る。そこまでのリスクを負う必要があるのか、直輝とは何度も話し合った。
 しかし犯人達が運営会社と金銭交渉をしている間は、犯人の仲間達も迂闊うかつな行動に出ないと踏んだのだ。その為動くなら今しかないと最終決断した。それにもう八神は、危ない橋を渡っている。今更後戻りはできない。
 時間が刻々と過ぎて行く。十分が過ぎた。今頃は十四階の廊下を走っているはずだ。後数分の内にドアベルが鳴らなければ、外へ飛び出さなければならない。
 あと二分。時計を睨みながら直輝と目を合わせる。彼の手には、バスルームに置かれていた物干し竿が握られている。洗濯をした場合に部屋干し出来るよう設置されたものだ。
 客室係に依頼すれば、基本的に洗い物は全てサービスでやってくれる。クリーニングなどもそうだ。しかし客の中には、下着等を他人に洗って欲しくない人もいる。そういう場合は、自分で船内に設置されたランドリーの使用が可能だった。
 ちょっとしたものなら洗面所で手洗いして、浴室乾燥機を使えばいい。その際に使うポールが、各部屋に設置されているのだろう。長さは彼の身長よりやや短く、ステンレス製で軽く持ち運びやすい。彼はそれを武器にするつもりのようだ。
 真理亜は催涙スプレーを手にしていた。仕事上、現金等を持ち歩くことは無いけれど、顧客の大事な情報を記載した書類を預かる場合がある。万が一そうしたものを狙い、襲ってくるやからがいないとは限らない。よって防犯用に常時持ち歩く習慣がついていたからだ。
 しかし相手が顔を覆った防護服やゴーグル等を着用していれば、通用しない。よって打撃用にと、ドラム演奏等で使用するスティックを予備として準備していた。これなら軽いし、街中で持ち歩いている際に職務質問されても、銃刀法違反などで捕まる心配がない。
 意外と強度もあり、相手の喉元や鳩尾みぞおちを狙って突けば、結構なダメージを与えられる為に重宝していた。
 予定の時間まで一分を切った。早ければ五分もかからない距離なのに、意外と時間がかかっている。まさか犯人の仲間に捕まったのか。真理亜達の緊張感が高まった。もしそうだとすれば、直ぐにでも助けに行かなければならない。
 意を決した二人はドアの前に立ち、スコープで外に誰もいないことを確認する。時計を再度確認した。時間だ。二人は目を合わせ、用意していた武器を握り直してストッパーを外し、直輝がドアノブに手をかけた。その瞬間ベルが鳴った。
 彼は慌ててスコープを覗き、相手を確認してから振り向いて言った。
「防護服を着ています。八神さんかと」
 真理亜は急いでドアホンを取り、念の為尋ねた。
「どちら様ですか」
「私よ、開けて!」
 防護服のせいかくぐもってはいるが、間違いなく八神の声だ。直輝に目で合図すると、ドアを勢い良く内側に引いた。すると彼女は倒れ込むように中へ入って来た。彼はすぐ他に誰もいないか、廊下に顔を出して左右を見た。
 扉の外に設置された隔離設備の、透明なビニール製の窓から怪しげと思われる人はいなかったのだろう。彼女が開けた設備の扉を閉めた後、部屋のドアを閉じて鍵を掛けた。
 真理亜はその間、彼女を抱き起し抱え込むように部屋の中へと招き入れた。持っていた防護服を受け取った後、彼女が脱ぐ手助けもした。中が暑かったのか、急いで走ったからなのか汗を掻いている。それを持っていたハンカチで拭いながら、彼女を労った。
「お疲れ様でした。ギリギリだったので、心配しましたよ。誰かに話しかけられましたか」
 しかし彼女は乱れた息を整えつつ、首を横に振った。
「違うわよ。何人かとはすれ違ったけど、声はかけられなかった。それより十四階とこの階も至る所に邪魔なものが道を塞いでいたから、通り抜けるのに時間がかかったの。しかもこの部屋のドアの前だけ、また別の囲いが取り付けているじゃない。最後に来て形状が違うから、手間取ったのよ。こうなっているって、最初から教えておいてくれないと」
 失念していた。真理亜達の部屋の外側には、簡易隔離設備が取り付けられたのだった。彼女達の部屋は二重扉で、陰圧式の部屋が元々ついている。その為改めて別の設備を取り付ける必要が無かったのだろう。
 また恐らく彼女が廊下を通る際に塞いでいたのは、船内放送でも言っていた、各ブロックを閉鎖する為の隔離設備装置だ。彼女に聞いた所、廊下全体を壁のように覆う設備は、だいたい片側で四~五部屋程通る毎にあるという。
 そこを行き来するには、いちいちマジックテープで停められた布の扉を開けて一定の空間を通り、その先にある扉を再び開けなければならないそうだ。
 四~五部屋毎となると左右で八~十部屋で、一番部屋数が多いこの六階の廊下でも九から十一ヵ所に設置している計算になる。彼女はここまで五つは通って来たらしい。
 万が一の場合における感染対策も万全を期していると聞いていたが、ここまでとは思わなかった。そこまで飛沫、空気感染予防をしていれば、例えウイルスが船内に蔓延したとしても、感染拡大は最小限に食い止められるだろう。
 しかも彼女によると、十四階はともかく六階も設置が完了しているようだ。一回目の船内放送時からは、既に一時間以上は経っている。一台設置するのにどれだけかかるかは不明だが、恐らく客室のあるエリアはほぼ完了したと見て良いだろう。
 後は基本的に乗組員達だけが出入りする一階から三階や十三階等と、劇場やフィットネスエリアと言った不特定多数の乗員乗客が出入りできる場所を封鎖すれば完了だ。
 犯人との交渉が長引く事もそうだが、乗客に感染者が出た今の状況なら、マニュアル通りに運営されるはずだ。過去の痛ましい過ちを繰り返さないよう、乗客は全員換気設備の整った部屋から出ないよう指示されている。
 食事は全て防護服を着用した客室係達によって、各部屋に提供されると乗船前にも説明を受けた。もちろんPCR検査を経て陰性と判断された乗組員だけが動き、彼達の生活エリアも、万全の感染防止対策を取られるはずだ。
 そこで再び真理亜は考えた。犯人は一体、どんな手を使って爆弾を爆発させ、さらにウイルスを拡散させるつもりなのか。八神の説明通り、相当細かくブロック毎に隔離対策を取っているのなら、一つや二つ破壊した程度では、それ程拡大を恐れる事態にならない。
 それとも廊下を塞ぐ設備を、一気に破壊する方法でもあるのだろうか。そうでもしなければ、脅しにはならない。単に船を沈没させるといえば、それだけで十分なはずだ。わざわざウイルスを同時に拡散すると言ったからには、それなりの手を考えているに違いない。
 それが判れば、逆算して爆弾の設置場所が特定することも可能だ。さらには船に潜む犯人達がどのように逃げだすつもりなのか、その方法のヒントにも繋がる。だがその一方で、真理亜は当初から持っていた疑念が、徐々に現実味を帯びてきたとも感じていた。
 そうした考えにふけっていると、直輝に声をかけられ我に返った。彼は既に八神が持参してくれた防護服を身にまとっている。彼女もまた、一度脱いだ防護服を再度着直していた。
「これから八神さんを十四階までお連れして、また戻ってきます。彼女が防護服を脱ぐ時間等を考えても、往復十分ぐらいで戻って来られると思います。行ってきますね」
「気を付けて。身を護る為とはいえ物干し竿はさすがに目立つから、私の催涙スプレーとドラムスティックの予備を持っていくといいわ」
「はい。お借りします。使わないで済めばいいのですが」
「私もそう願っているわ。できれば今は余り、騒ぎを起こしたくないから」
「判っています。慎重に行ってきます」
「だからって変にオドオドしていると、余計に疑われるわよ。八神さんの話だと、オープンスペースにいた乗客達のPCR検査の結果が出始め、陰性と出た多くの人達が自室へ戻るよう誘導されているようだから。その分、会う人も増えるはず。気を抜かないでね」
「了解です。二人で防護服を着ていますから、その人達に紛れ込めばいいんですね」
「そう。あなたは客室係に成りすまして、陰性と判明したVIPのお客様を部屋に連れて行くだけ。帰りは一人だけど、お客様に呼ばれ部屋に向かっている振りをしなさい」
「やってみます」
 事前に打ち合わせをし、様々なケースのシミュレーションを行ったが、頭で考えるのと実際に行動するのとでは大きく異なる。それでもやらなければならない。彼もその事は、十分理解しているはずだ。
 その為大きく息を吸って吐き、気合を入れ直してから二人で部屋を出て行った。その背中を見送りながら、真理亜は再び時計を見る。十分経っても戻って来なければ、何か非常事態が起こったと考えなければならない。
 だが八神の時と違う点がある。真理亜が助けに向かう予定は無い事だ。それはそうだろう。防護服もない状態で、五十過ぎの非力な女性が駆け付けても役には立たない。逆に足手まといになるだけだ。
 そうなれば直輝、または八神を含めた二人を見捨てることになる。それも覚悟の上の計画だった。直輝が犯人の仲間に捕まれば、隣室の真理亜もただでは済まない。何か企んでいるとみなされ、彼らがここへやってくると覚悟した方が良いだろう。
 携帯は通じないから、連絡も取り合えない。よって万が一の場合は、一人で脱出する必要がある。直輝に渡したものと同じ護身グッズを身に着け、その時が来た場合に備えた。
 逃げる場所は事前に確認し、決めている。それはこの部屋の上にある空室だ。廊下に通じるドアの鍵や、周りを囲む隔離設備の入り口を開けておき、外へ出たと思わせておく。だが本当はベランダから上によじ登り、ガラスを割って中に侵入するつもりだった。
 かなり困難だが、前もって試した際になんとか上がれることは確認済みだ。小柄な真理亜だからこそ出来たのだろう。さすがに先方も、そんな近くに潜んでいるとは気付かないはずだ。それに中老の女性が、そんな手を使い逃走したとは考え難いとの読みからだった。
 窓ガラスは強固だが、ガムテープで空き巣が良く使う方法を使えば、大きな音を立てずにクレセント錠は開けられる。空室に逃げ込めば、そう簡単には見つからないはずだ。
 時間稼ぎにも有効な場所であり、別の階への移動は次の行動を取りやすい。ただこの手は最終手段だ。出来れば使いたくなかった。
 そんなことを考えていると、内線が鳴った。直ぐに受話器を取る。相手は直輝だった。
「無事到着しました。今彼女は防護服を脱いでいます。終わったらそれを持って戻ります」
 時間を見ると、部屋を出てから四分余りしか経っていない。帰りは彼一人だ。この調子なら、もう少し早くここまで来られるだろう。まずは一安心だ。
 八神はこの後、部屋でじっと過ごすだけでいい。真理亜達が具体的にどう動くかは伝えていない為、これ以上関わらずに済む。
 胸を撫で下ろしたけれど、まだ彼が戻ってくるまで油断はできない。その為彼に言った。
「お疲れ様。でも気を付けて。帰りは一人だから、怪しまれやすいわよ」
「大丈夫です。外部にいた乗客達の誘導が、かなり進んでいるようです。今なら人が多くてそれぞれ部屋へ戻る事に必死な分、声を掛けられずに済みそうです」
「そうだといいけど、気を緩めないで。相手は素人じゃないんだから」
「了解です。あっ、今脱ぎ終わったのですぐ向かいます」
「分かった。宜しく」
 時間が惜しいので、手早く話を終わらせ受話器を置く。もう一度時間を見て、彼の到着予定時刻を確認する。五分かかると考え、そこから一分過ぎれば避難する準備に取り掛からなければならない。
 そう自分に言い聞かせながら、ドアの前で彼を待った。二分が過ぎ、三分経った。もうそろそろだろう。早く来て。そう願いながら、ドアスコープを覗き見る。しかしまだ来ない。徐々に緊張が高まる。時間は四分を過ぎた。
 駄目か。扉を開けて廊下へ出たと見せかける為、ドアノブを握る。その時隔離装置の入り口が開く音がして、インターホンが鳴った。スコープには防護服を着た人の姿が見えた。だがそれが直輝かどうかは、良く判らない。
 念の為にドアホンを取った。するとはっきり彼だと判る声がした。
「僕です。無事つきました。開けてください」
「大丈夫だった?」
「その話は中で。今の時間、この階の人は少なくなりましたので、問題ありません」
 そう聞いて安堵した真理亜がドアロックを解除すると、彼は入って来た。急いで鍵を閉め振り返ると、彼は防護服の頭部だけを脱いで言った。
「危なかったです。八神さんの部屋を出てエレベーターに乗ろうとしたら、僕達が使って十四階で停まったままだったはずの箱が、動いていたんですよ」
 まだ呼吸が整わず、ゼイゼイといっている彼に、真理亜はゆっくりと尋ねた
「誰かがどこかへ、移動しようとしていたのね」
「乗客を部屋へ案内しているのかと思っていましたが、違ったようです」
「どうして判ったの?」
「そっちは十三階で停まっていました。嫌な予感がしたので、もう一つのエレベーターのボタンを押して待ちました。すると十三階に止まっていた方が、上に動きだしたんです」
「つまり最上階の十四階を目指していた訳ね」
「はい。十三階は医務室等があるだけで、基本は乗務員しかいない階です。そこから上がって来たのなら、乗客を部屋へ案内しているのではないと思い、僕は急いでエレベーター横にある、大きなオブジェの陰に隠れました」
「そういえばパンフレットで見たわ。最上級エリアだけあって、高そうな装飾品が並んでいたのを覚えている。エレベーターが開いた瞬間の景色は、他の階と全く違うのよね」
「はい。そこで誰が降りてくるのかと思っていたら、防護服を着た人が一人だけ出て来たんです。だから明らかに乗客を誘導しに来たのではないと、はっきり判りました」
「誰だったか、何て判るはずないよね」
「さすがにそこまでは。こちらも見つからないようにしゃがんでいましたし、一人分の足が見えただけです。ただ歩き方からして、男性のような気がしました」
「そう。どこの部屋に向かったかは判る?」
 彼は首を横に振った。
「いいえ。一つ目の隔離装置を通り抜けた所まで見ていましたが、その先までは。丁度待っていたエレベーターが到着したので、早く戻らないと真理亜さんが心配すると思って、急いで降りてきました」
「そう。それで到着がギリギリになったのね」
「はい。あの人が誰で、どの部屋を訪問するか確認しようと一瞬考えましたが、余り遅くなると真理亜さんが上の部屋に逃げてしまうと思ったので」
「本当よ。もう少し遅かったら、そうしようとしていたんだから」
「間に合って良かったです」
 彼は上半身だけ防護服を脱ぎ、椅子に腰かけた。これから少し休んで打ち合わせをした後、予定通り十三階へと向かうつもりだからだろう。
 しかし真理亜は彼が見かけた人物が気になった。十三階から来たのなら、上での用件が済めば再び戻るはずだ。また何の用があったのか、一体誰なのかも知りたい。
 十三階のどの部署の人間かは不明だが、その人物がこれから船内を動き回るのなら、二人の今後の計画に支障をきたす可能性がある。知る方法はないかと考えた時、確か最上階は城之内達の部屋の他、四部屋しか使われていないと八神が言っていた事を思い出す。
 もちろんその内の誰かから、何らかの依頼を受けて呼ばれたとも考えられる。だがそれよりも、医務室の誰かが感染者の城之内と同室だった彼女を訪ねた可能性は高い。
 しかも彼女は我儘を言って、防護服を二着貸し出すよう依頼している。もしかすると部屋で安静にするよう指示されていたのに、防護服を着て出歩かないかと疑われたのかもしれない。体の調子を聞く為だけなら、電話でも済むだろう。
 それにしっかり症状を確認しようと思えば、VIPルームにいる女性一人の元に男一人で向かうのは不自然だ。少なくとも、医師と女性看護師の二人体制で訪ねるのが筋だろう。
 真理亜は自分の考えを直輝にも聞かせ、どう思うか尋ねた。すると彼は言った。
「だったら八神さんに連絡して、誰か来なかったか聞いてみるのはどうでしょう」
「それは簡単で、良いアイデアね」
「来ていないなら、それ以上調べられませんけどね。それに犯人の一味が、彼女を拉致しようとしているかもしれません。その確認の為にも、一度連絡した方が良いでしょう」
「まだあった。私達が無事、部屋に戻った事も知らせないと」
「いけない。すっかり忘れていましたね」
 舌を出して頭を掻く直樹を横目に見ながら、早速内線電話で彼女の部屋を呼び出した。スリーコールした後、彼女が出た。はい、とだけしか言わないのでこちらから名乗る。
「三郷です。直樹は無事戻りました。そちらで何か変わった事はありませんか」
「ああ、良かったわね。こっちは副船長がインターホン越しに、様子を伺いに来たわ。タイミング的に直樹さんとバッタリ会ったんじゃないかと心配していたのよ」
 意外な事を聞き、言葉に詰まったが何とか返答をした。
「エレベーターのところで、上手く隠れたそうよ。多分それが副船長だったのかもしれないですね。向こうは一人でしたか」
「そう。何回か話した事がある。日本人だったから、声もよく覚えていたし間違いないわ」
 真理亜も一度だけ、城之内達といた時挨拶された覚えがある。がっしりとした体格で、確か航海士だけでなくライフセイバーや潜水士の資格も持っていると聞いた記憶があった。
 しかし基本的にVIPへの対応は、主に船長の仕事だ。よってその後は見ていない。そんな彼がどうして今、彼女の部屋を訪ねたのか。そう質問すると答えが返って来た。
「緊急事態だから、船長は本社との連絡があるので手が離せないんだって。だから今後何かあれば、副船長が対応するって事を伝えに来たみたい。後、私は城之内さんの濃厚接触者だったから、体調の事も聞かれたわ。大丈夫だって言っておいたけど。実際そうだし」
「防護服の件は、聞かれませんでしたか」
「聞かれなかった。まだ彼に、報告が上がっていないのかもしれない。それに知っていたとしても、特に確認する必要は無いと思ったんじゃないのかな」
 そうかもしれない。それにVIPに対して、副船長が船長に代わって対応すると言いながら、乗客の様子を確認することは大切な仕事だ。恐らく十四階の他に十二階や十階へも挨拶がてら回る予定なのだろう。
 そう心配することは無い。だが彼はいずれ十三階に戻るだろう。ならばこの部屋を出るのは、もう少し後にした方が良さそうだ。ただ余り遅すぎると、相手の計画がどんどんと先に進んでしまう。
 そうなると阻止が難しくなり、危険も増すかもしれない。悩ましい問題が出てきたと頭を抱えながら、八神との通話を終えた。彼女にはまた何かあれば連絡して貰うように伝えたが、余り期待はできない。
「どうしようか」
 真理亜は直輝に声を掛け、計画の練り直しが必要かを再度話し始めた。
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