豪華客船から脱出せよ!

しまおか

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三郷達の対応~①ー2

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 すると彼は何でもないことの様に、さらりと口にした。
「同行はして貰うが、私もいい年だ。移動だけで疲れてしまう。飛行機での移動も悪くはない。だが仕事絡みだから、折角の海外でも気楽に観光する訳にもいかないだろう。相手から誘われれば、接待で飲みに行くこともある。それでは体を休ませるのも一苦労だ」
 何を言い出すのかと不安に思いつつ、首を傾げながら尋ねた。
「それではどういった計画で、今おっしゃられた四か国を回られるおつもりですか」
 彼はニヤリと笑い、答えた。
「今回はここ最近活発になって来た、ワーケーションを考えている。丁度いいタイミングで、新しいクルーズ船での旅行プランに参加して欲しいと招待を受けていてね」
 説明を聞くと、上海に拠点を持つ取引先の一つが、イギリスの会社と運営会社を共同出資で設立し、クルーズ市場への参入が決まったという。それもこれまでに無い程のぜいを尽くし、万全な感染症対策を取った最新鋭のラグジュアリークラスでの挑戦らしい。
 直ぐにそれが、ハイリスクだと感じた。その為思わず問い詰めるような口調で質問した。
「まさかその運営会社に出資する約束等は、されていませんよね」
 引き継ぎを受けた中に、そのような運用情報は記されていない。もし把握している外に、そうしたハイリスクハイリターンな投資をしていたら危険だ。
 運用アドバイザーとして、まず止めるよう忠告すべきである。それでも顧客がどうしてもというのなら万が一に備えて、いくつかのリスク低減プランを提案しなければならない。
 けれども彼は首を横に振った。
「さすがにそんな危ない橋は渡らないよ。もちろん計画が持ち上がった際、打診はあった。だが今回は見合わせると断った。その後に感染症騒ぎが起こったから、私の判断は間違っていなかったと確信したよ。もちろん君の前任者も、止めた方が良いと言っていたしね」
 そう聞いて色んな点で安心した。まず彼は資産運用に関して慎重であり、市場を把握する情報収集能力を備え、それなりの判断が出来る人物だと判った。
 引き継ぎでもそういう顧客だとの記載はあったが、自分の目で確かめなければ信用はできない。もしその情報が誤っていれば、今後相当な苦労を覚悟しなければならないからだ。
 ただ懸念事項は一つ減ったが、更なる疑問が浮上した為尋ねた。
「出資者でないのに招待されたのですか。それに何故わざわざクルーズ船で移動するのですか。飛行機と比べれば、はるかに時間がかかります。しかも効率的だとは思えませんが」
「そこは色んな付き合いがあって、相手の顔を立てる為だ。実を言うと今回の旅は、本格始動する前のお披露目なんだよ。だから実際の料金より、大幅に安い値段で乗船が出来る」
「ちなみに一泊おいくらするんですか」
 そこで耳にした、驚くべき値段に目を丸くした。これまで最高と言われるクラスでも、一二〇万円程度と聞いていたから尚更だ。新型ウィルス問題により、最新鋭の機器を搭載して万全の衛生管理やサービスの徹底をしている為らしいが、それでも高すぎる。
 韓国で起こったセウォル号の事故で起こった教訓を背景に、船のバランスを取る為に必要なバラスト水やバラストタンクの充実を図る等、船の建造自体にもかなり気を配った設計をしているという。
 加えて船内はもちろん、寄港地における一定のツアーも料金に含まれる。よってそれ以上の支払いは、せいぜいツアー外での飲み食いや、寄港地で買う土産代くらいのようだ。
「それにしても高額ではないですか。航路はアジアですよね」
「ああ。横浜から出て、上海、ニチャン、シンガポール、マニラを回る。私が所有するアジアの資産は他にもあり、そこだけではない。だが招待された船の行き先全てにある。だから船旅を楽しみつつ、寄港地で現地の会社や役人達と会食も兼ねた視察や資産、経済状況の確認、今後の設計プランの見直しをするつもりだ」
「それでワーケーション、とおっしゃったのですね」
「そうだ。働きながら休暇も取る。ワーク&バケーションだよ。感染症拡大化以降、我が国が散々勧めてきたじゃないか。なかなか定着はしていないが、私ぐらいのクラスが率先してやらなければ、誰も後に続かないだろう」
「そうかもしれませんね」
 頷きながらも、真理亜は新たな問題点について質問した。
「城之内様に私も同行して、投資政策書の作成に必要な情報を収集するということですか」
 真理亜も持つFPの資格者が作成するのは、家業や事業の診断書や提案書等になる。だが資産運用だけではなく、事業の拡大や会社全体の資産保全について提案するのがPBの仕事だ。様々な角度から情報を集めて分析し、顧客が求められ納得できるものを提示しなければならない。その時に顧客へ渡すのが、投資政策書と呼ばれるものだ。
「今回は是非、そうして欲しい」
 真理亜達のようなアドバイザーの給与は成果連動型で、顧客による成功報酬を会社が受け取り、その額に比例して支払われる。その為に単発ではなく、城之内のように年間契約し更新してくれる顧客の場合、一定の手数料や顧問料は保証されていた、
 それでも成果が出ない又は少なければ、支払われる額は期待できない。またかかった調査費用等は、余程高額にならない場合を除けば担当者が支払うと決まっている。それを後でまとめて請求するのだ。よって一時的には自腹を切ることになる。
 つまり今回の旅費を自己負担するとなれば、いくらなのかが問題だ。高額なら顧客に負担してもらわなければならない。そこで恐る恐る尋ねた。
「同行費用はおいくらですか。まさか城之内様と同じクラスの部屋ではありませんよね」
 同部屋はあり得ないとのニュアンスを込めたが、彼は心配いらないとばかりに笑った。
「費用は心配しなくていい。ただ私と違い、最下級の部屋になるだろう。招待とはいえ、参加者全員を無料とまではいかないからね」
 その時に値段を教えられ、余りに高額過ぎると固辞したが、彼は首を横に振って言った。
「実際に支払う値段は私の分も併せ、正規の値段ではない。だが余り内幕はばらしたくないから、敢えて言わないでおく。ただこういう機会は滅多にない。時間はかかるが今回だけ特別だ。申し訳ないが付き合って欲しい」
 顧客からの依頼となれば、簡単には断れない。それに同部屋で無い事も判った。だがまだ不安要素がある為即答しかねていると、彼は重ねて想定外の事を口にした。
「ちなみに私の部屋は最上階の一四階で、君は六階の部屋を与えられる予定だ。仕事上で用があれば、携帯や船内の内線電話で連絡は取り合える。どこかのラウンジかレストランで落ち合えばいい。今回はワーケーションだから、当然プライベートな時間は邪魔しないつもりだ。招待も各部屋二名ずつ充てられている。私は馴染みのクラブの女性と行く。君も誰か一人誘えばいい。もちろんその費用もこちらで持つ。日程は再来月の四月五日十三時横浜発で、二十一日十六時着だ。今からその間の予定を、私の為に開けておいて欲しい。他の顧客の仕事もあるだろう。だが船内ではネットも通じている。急ぎで無ければ、旅をしながら他の顧客の仕事もできるはずだ」
 確かに日本を離れれば、直接面談はできなくなる。だが感染症拡大化以降、リモートで打ち合わせを済ませるケースが多くなった。
 それに通常セキュリティの問題で、顧客情報の入ったパソコンは外へ持ち出せない。だが顧客と同行する場合、特例で認められると聞く。申請を行えば、間違いなく通るだろう。
 それに時間もまだあるので、事前準備期間は十分だ。上手く調整すれば、突発的な問題が起こらない限り、他から依頼されている仕事をこなすことは可能かもしれない。
 このような依頼は初めてだが、滅多にないケースであり経験しておくのも良いと思い始めた。また最下級で部屋が狭いとはいえ、城之内によれば真理亜達は部屋が別々らしい。
 最初は一人でとも考えた。だが女性同伴とはいえ、船という閉鎖空間で十数日間も共にするのだ。自惚うぬぼれたくはないが、身の安全を守る為にこちらも同伴者は必要だと思い直す。
 けれど誰にするかと考えた時、一人も心当たりがなかった。普通に会社勤めしている者なら、年度初めの四月初旬から十七日間も時間が取れる人などまずいない。例え専業主婦でも、長期間留守して許される家庭を探すのは至難の業だ。
 そうなると退職し時間を持て余している人かフリーランスのような、家を離れても仕事ができる人でないとまず難しい。
 さらには万が一の場合に備え、ボディガードの役目を果たしてくれれば尚更適任だ。しかし男性となれば、別室とはいえ誤解を生じかねない。そうした条件に当てはまる者はいないかと一応探してはみたものの、居るはずが無いと真理亜はほぼ諦めていた。
 そんな時にひょっこりと現れたのが直輝だ。複雑な事情を抱え疎遠になっていたが、奇妙な縁で同行することになった彼とようやく打ち解けることができた。そうして旅の終わりを迎え、別れを惜しむ気持ちが湧いていたところでこの騒ぎだ。
 けれど感染者が十四階の客なら、自分達が濃厚接触者である確率はかなり低い。そう話しながら、大事な事を忘れていたと気付く。城之内がいる部屋は、まさしく十四階だ。
 四日前、最後の寄港地であるマニラに朝九時に到着。下船して当地にある投資先の様子を確認した後、フィリピン政府の要人とランチを兼ねて面会した。現在の経済状況や今後の見通し、新たな政策は打ち出されるか等の情報収集を行った。
 出航は翌日の朝だった為、その日の夜もマニラのレストランで城之内と共に、関係者と夕食を取りながらリサーチを続け、遅くに船へ戻ってからバーで最終打ち合わせをした。
 しかしそれが今回の旅における仕事の締めくくりで、翌日からは二人とも完全なプライベートの時間に入った。もちろん真理亜は主に部屋でキーボードを打ちながら、訪問した四か国における投資政策書をまとめていた。
 それでも提出期限は日本へ到着してから一週間後に、との猶予を頂いていた。その為比較的余裕があったので、最後の船旅を直輝と二人で満喫していた。だからか城之内の事が、完全に頭から離れていたのだ。
「僕達は主に四階から六階までにあるラウンジや劇場、ブティックやカジノ、レストランに行くことが多かったでしょう。後はフィットネスクラブくらいかな」
「そうね」
 直樹の話に生返事をしても、気にせず話は続いた。
「十四階の人なら大勢が集まるシアターなんかに顔を出さないでしょうし、十一階はこの船で一番見晴らしが良いラウンジもあります。カードルームや図書館、五階より豪勢なプールやプールバーまであって、十二階はジョギングトラックやパットゴルフ場、スウィング練習場、テニスコートも完備してますから、僕達となんて接点はまずないでしょう」
 通常ならそうだ。しかし寄港する度に合流し、船内でも共に近距離で食事や打ち合わせを行ってきた顧客がいなければ、という条件が付く。だから真理亜は言った。
「感染者が城之内さんや八神さんで無ければ、だけどね」
 それを聞いて彼の顔色が変わった。同じく存在を忘れていたらしく途端に慌てだした。
「それはまずいですよ。もしそうだとしたら、間違いなく僕や真理亜さんは濃厚接触者に該当するじゃないですか。あの二人とは何回か食事もしましたし、長話もしました。なにより真理亜さんと僕は、こうやってよく一緒にいます。PCR検査をする優先順位は、接客した乗組員や同じフロアの人達より、先かもしれませんね」
「まずあのお二人が無事なのか、電話で確認した方がよさそうね」
 そう言って備え付けの電話に近づいた所、突然呼び出し音が先に鳴り出した。思わず二人は目を合わせる。嫌な予感がする中、真理亜は恐る恐る受話器を取った。すると相手は流暢な日本語で四階の医務室から来た看護師の岸本だと名乗り、質問を浴びせて来た。
 その声と同時に、ガチャガチャと何かを設置しているらしき音もする。同じタイミングでドアの向こう側から、僅かに聞こえてきた。
「三郷真理亜様様のお部屋で間違いはありませんか」
「はい、そうです」
「先程の船内放送は、お聞きになられましたか」
「はい。丁度この部屋にいたので、隣室の甥と二人で聞きました」
「直樹様はそちらにいらっしゃったのですね。先程お部屋にかけたのですが、出られなかったものですから。今のお話なら放送後、外へは出ていらっしゃいませんね」
「出ていません」
「それでは結構です。ちなみにお体の調子はいかがですか。熱があったり、倦怠感けんたいかんや息苦しさを感じたりはしていませんか」
「ありません。もしかして放送されていた感染者は、城之内様か八神さんなのですか」
 すると危惧していた答えが返って来た。
「城之内様です。そこで行動経路や濃厚接触者の確認をしたところ、三郷様達がいるとお聞きしましたので、取り急ぎ参りました」
 直樹が言っていた通りの事態が起こったらしい。船内放送があってまださほど時間は経っていない。この速さで医務室の看護師が来たことが、それを物語っている。
 真理亜は心配になって尋ねた。
「城之内様のご容態はいかがですか。八神さんも感染しているのですか」
「容態はそれほど酷くありません。ただご高齢なので、早めにヘリで搬送した方が良いと判断されたようです。八神様は現在簡易検査で陰性と出ましたが、より正確を期す為に、PCR検査と肺のCTを取って診断待ちだと聞いています」
 どうやら彼女は医師と一緒に彼の部屋を訪問し、直接二人の様子を診たと言う。だが濃厚接触者が日本人ならば岸本が適任だということで、別の看護師に代わってこちらに来たらしい。まだ重症化していないと聞き、安心した所でもう一つ質問した。
「これから私達はどうしていればよろしいですか」
 すると彼女は言った。
「そのまましばらくお待ち頂けますか。現在お客様の部屋の前に、他の部屋や廊下と隔離する装置を取り付けております。それが終わり次第私達がドアをノックしますので、それを確認してから中へ入れて頂けますか。取り急ぎPCR検査を致します。その後は検査結果が出てこちらの指示があるまで、引き続き外へは出ず部屋で待機して頂きます。もうすぐですので、一旦電話を切りますが宜しいでしょうか。詳しい話は入室後に致します」
「分かりました。ではお待ちしております」
 そう答えて相手の声が途絶えたのを確認してから、受話器を置く。その後横で不安そうにしていた直輝に、今聞いたばかりの話を伝える、彼はやはりそうかと溜息をついた。
「僕達も感染しているでしょうか。最初は不安もあったけど、船内の衛生管理は万全だったし、皆ワクチン接種をしているから大丈夫だと安心していたのに」
「やはり感染症を完全に防ぐというのは、まだ難しいみたいね。でも船内は当然だけど、寄港先でも人と会う時や食事中は、アクリル板を設置したりフェイスシールドやマスクも付けたりして、先方も含めかなり気を付けていたのにショックだわ」
 そうこうしていると、扉が叩かれた。窓を開けて十分換気はしているが、念の為に二人共マスクを嵌め、彼がドアを開ける。すると中には防護服を着た四人が入って来たのだ。
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