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第五章~⑤
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「雄太達の目的や正体が知られたとあなたに報告があった際、その件については何も聞いていなかったのですか」
「はい。全く。留置所の会話は全て録音されますが、私は別室で会話を聞いていました。どうやらあなたは前回彼と会った際、雄太さんが眠る墓に連れていかれ、彼らが愛し合っていたと告げられていたようですね。しかし私は聞いていませんでした」
「井尻兄妹からもですか。彼らは知っていたけれど、あなたに報告しなかったとは考えられませんが」
そこで彼はじっと黙り、呟くように言った。
「これから確認しますが、その可能性は否定できません」
心当たりがあるのかと尋ねたところ、雄太が亡くなった後に別宅や本宅を調べた際、エスである証拠が残らないよう、かなり整理されていると気付いたらしい。
それは日頃から何があってもいいようにそうしているのだろうとも考えたが、それにしても綺麗さっぱりしすぎていると感じたようだ。例として挙げたのは、藤子も発見した逃走経路だった。
通路に残された痕跡を全て消し、あのような状態にするだけで相当な時間がかかったはずだという。竜崎が言うように雄太の死が自殺だとすれば、その為だったのかもしれない。
だが短時間で消したにしては見事すぎる。誰かが手伝ったのかもしれないと彼は口にした。
「だったら井尻兄妹は、雄太が自殺するつもりだと知っていたかもしれない。そういうのですか」
「そうかもしれません。竜崎や協力者に正体を知られた三人は、公安のエスとしての仕事から足を洗わなければならない覚悟をしたはずです。もしかすると雄太さんは、その責任を感じて自ら死を選んだ。その可能性は否定できません」
どうやらこれまでの捜査と、竜崎の証言を元に導き出された結論の一つと考えているようだ。
確かに藤子にばらすとの脅しや、正体を知られ公にされると恐れての自殺と考えた方が筋は通る。藤子が作家となり世に出た事も少なからず影響したのだろう。それが雄太の死の一因にもなった確率が高いと改めて指摘されたようで、胸が痛くなった。
寝返ろうとした雄太の口を塞ぐ為に公安の手で殺されたのなら、偽名を使っていたと世間に公表する危険を冒す必要はない。渡部亮のまま、事故死として処理すれば良かったのだ。雄太はそのままどこかへ失踪したように見せかければ、藤子達にわざわざ接触しなくても済む。世間を騒がせず事件を終わらせることぐらい簡単だったに違いない。
失踪者など、日本では年間で八万人も発生している。未成年ならいざ知らず、いい大人がいなくなっても警察はまず動かない。恐らく田北達は竜崎の居場所をずっと追跡し把握していただろう。だったらその後、別途追いつめる事もできたのではないか。
そう考えるとわざわざ雄太が偽名を使っていたと公表したのは、田北が言った通り藤子を巻き込む為だったとしか考えられない。姉弟としての繋がりが薄かった点や遺産の件を逆手に取り、過去を遡らせて興味をそそらせたのだろう。その作戦にまんまと嵌ったのだ。
しかしまだ納得しきれない点が多々ある。そこで再度竜崎との面会を求めた。これには田北も同意した。あれだけの証言ではまだ彼も語りきれていない話があるのではないか、と考えたようだ。
その証拠に藤子との面会後に取り調べを行った際、彼は前言を撤回し黙秘したままだったという。約束が違うと詰め寄ったところ、あれでは話したことにならないと呟いたらしい。よって特別に二度目の面会が認められた。
けれど一般接見はいつでも何回でも無制限で話せる弁護士接見とは異なり、一日一組しか許されていない。その為翌日に行われることとなったのだ。
一般の面会は朝の八時半から、お昼の十二時より一時間を除いて、夕方五時十五分まで許されている。よって翌朝の九時に警視庁を訪れた藤子は、彼と再び顔を合わせた。
今回も十五分から二十分程度と時間が限られている。その為早速藤子は本題に入った。
「あなたの知っている限りでいいから、雄太との思い出を聞かせて。それと最後に揉めた時の様子を詳しく教えて欲しいの」
彼は滔々と語り出した。
「雄太から告白され恋人同士になった私達は、将来の夢について語り合いました。お互い四十を過ぎ、女性と結婚することもない。だから互いに子供を持つことも出来ません。しかし世の中は少子化で、子供を産めないまたは産まない者に対する風当たりが、年々強くなりました。けれどその数少ない大事な子供達が虐待や苛めまたは貧困で苦しみ、時には殺され自ら命を絶つ者も続出しています。子ども食堂等、様々な形で支援してくださる人達はいますが、経済的な要因や人手の問題もありまだまだ足りません。といって国からの援助など、全く期待できない状態です。そうした今の環境を私達は嘆き、腹立たしく思っていました。そこでお金を貯めて老後の生活の目処が立った時、そうした団体を手伝いながら子供の成長を見守る仕事に就きたい。そう話し合っていました」
実際少額だが、二人共毎月支援団体に寄付をしていたという。さらにはボランティア活動も一緒にこっそりと参加した経験があるらしい。寄付は振込先が残らないよう、現金で行っていたようだ。その為活動の形跡が、調査では発見できなかったと思われる。
その時の様子を語る竜崎の顔は、とても幸せそうな表情をしていた。それがとても印象に残った。そこで藤子は彼らが寄付をしていた団体名とボランティアの具体的な内容を聞いた。その上で、二人が最後に揉めた日の事を改めて尋ねたのである。
すると彼は意外な話から始めた。
「その前に彼を疑い出したきっかけが、同じ職場に転職して来たからだと以前言いましたが、正しくありません。実際は転職して間もない頃、彼がある新人賞を獲得した作家について興味を抱いていると知り、私が不審に思ったからなのです。かなり昔に女性と関係を持った経験はあるけれど、今は全く興味が無いと聞いていたのに奇妙だと思いました。やきもちもあったからでしょう。そこでその女性との関係を協力者に調べて貰うよう依頼した所二人が連絡を取り合っていると知り、その人物が彼の姉のあなただと分かりました」
藤子は息を呑んだ。新人賞を獲ったり、芥山賞候補作に入ったりした頃だろう。またその後芥山賞を受賞し作品が大ヒットした際も、彼はお祝いの連絡をくれていたと思い出す。
体が震え始め動悸が激しくなる中、彼は説明を続けた。
「そこから天涯孤独だと言っていた彼が何故嘘をついていたのかを探り始め、実はエスだったと彼らが調べ上げたのです。その結果を聞いて私は騙されていたと思い、怒りにかられ彼を責めました。そこからは以前話をした通りです。それ以上何かあった訳ではありません。彼は公安のエスでお姉さんとの関係を公にされれば、同性愛者であること等も明らかになり、あなたや仲間に多大な迷惑をかけると考えたのでしょう。だったら雄太ではなく、誰も知らない渡部亮として死のうと決意したと思われます。そうすれば身内もいない人間が単に死んだだけで済む。そう考えたに違いありません。ただ誤算はマンションから飛び降りた際に他人を巻き込んでしまったのと、公安が雄太の身元を公表した点ではないでしょうか」
それまで遠ざかっていた藤子と接触し始めたことが、破滅のきっかけになったと言える。死を選んだ要因以外にも、藤子の作家デビューが彼と雄太の関係を壊す結果になったと知り愕然とした。
また恐らく雄太の意志を察知しながらそれに反する処置を取った公安と、それを手伝った井尻兄妹に対しての怒りが湧いた。
言葉を無くし茫然としている間に、彼は話を続けた。
「今思えば私がお姉さんとの関係を疑い、またあなたの名を使って脅したことをとても反省しています。そこまで彼を負い詰めてしまうとは思ってもいませんでした。大変申し訳ありません」
再び涙を流して頭を下げ、何度も謝った。面会はそれで終わった。
その後藤子は田北と再び会う時間のアポを取り、話をする機会を設けた。ただそれは予定よりずっと後になってしまった。竜崎の要求を満たした代わりに黙秘を辞めさせ、取り調べに応じさせていたからだろう。その為彼は忙しくなったからだ。
約束通り口を開きだした竜崎は、中国に通じる産業スパイだと認めた。これまで勤務した企業から持ち出した情報についても、素直に話し始めたという。その受け渡し方法さえ白状したのである。
けれどさすがにそこは中国の公安だ。竜崎と同じ会社に協力者はいたものの、顔も知らずに接触させない仕組みを構築していた。竜崎が盗んだデータは全て指示された場所に隠し、それを後から協力者が回収していたらしい。
報酬はその後同じ場所に置かれていて、それを現金で受け取っていたという。そうすれば例え捕まっても情報の流出先の相手の名や顔も知らないので、その先に辿り着く危険を排除できるからだ。
しかし日本の公安も優秀さでは負けていない。雄太とは別のエスを同じ会社に潜り込ませており、既に会社内に潜んでいた協力者を特定し、竜崎と共にマークしていたという。
けれどもその人間は全て民間人であり、また身柄を確保できる証拠も押さえられなかった為、既に一部の人間を中国へ逃走させてしまったのである。
もちろん先方は身柄の引き渡しを許すはずがない。またそこから中国当局との関連等、調査しようがなかった。
恐らく調べたとしても、大元までは辿り着かないよう何重にも人を介しているはずだ。そこはスパイに関する体制が日本と大きく異なる点だろう。
それでも一度目をつけられた彼らは、死ぬまで公安の監視リストに掲載されると聞いた。再び日本へ入国すれば徹底的に追跡される手筈を取っているらしい。
一連の事件に一応の決着をつけた公安は、雄太の死が殺人ではなく自殺と結論付けたようだ。それでも世間への公表は改めてしないと決めたらしい。事故で片付けたことが、隠蔽と問われてしまうからだろう。
しかし納得がいかない藤子は田北を責めた。
「公安は本当に雄太の意志を知らなかったのですか。前回の話だと、井尻兄妹は気付いていたかもしれないと言いましたよね。でも実際、あなたはそうした事実を聞かされていたのではありませんか。それを知った上で雄太の身元を明らかにして私を巻き込み、竜崎から情報を引き出すよう仕向けたのではないのですか」
彼は首を振った。
「いいえ。私は本当に知りませんでした。彼らの正体が相手側に知られてしまった、との報告は受けていました。よって彼らの協力者に殺された可能性を、当初は本気で疑っていたのです。そうでなければ、別名義を持っている等と世間に公表するはずがありません。最初から渡部亮という人物が事故死したように、裏で手を回していたでしょう」
いつも通り淡々と説明する表情から、真実を語っているのかどうかは読み取れなかった。しかし例え嘘でもそれを裏付ける証拠が無ければ、彼の言葉を鵜呑みにするしかない。
そこで藤子はこれ以上の追及を諦める代わりに言った。
「ところで井尻兄妹は現在、どうしているのですか。彼女達に会わせて下さい」
だが彼は突き放すように言い放った。
「あの二人は私達と関係が無くなりました。公安のエスを辞めたからです。なので今どこでどうしているか、把握していません。ちなみに彼らはこれまで得た情報を外部に漏らさないよう、秘密保持の誓約書にサインしています。よって例え彼らとどこかで偶然会ったとしても、何か話してくれると期待しない方が良いでしょう」
「どういう意味ですか」
「もし話せば、多額の賠償金を支払わなければならないからです。もちろんあなたにも誓約書にサインを頂きたい。弟さんが私達のエスだった話や今回の件で知り得た情報は、外部に口外しないで下さい」
しかし藤子は反抗した。
「そのサインは強制できるものなのですか。それに私は作家です。あなた方の存在やこれまでやってきた行為を詳細に記さなくても、フィクションとして描く権利はあるはずです。それとも国家秘密を漏洩したとでも言って、私を逮捕しますか」
けれど彼は全く動じなかった。
「強制はできません。ただし事実だと立証できないのに、世間を誤認させる言動をした場合、罪に問われるかもしれません。私達がどれだけの力を持っているか、あなたもその一端を垣間見たはずです。余り我々を侮らないで頂きたい。それに現時点で罪を犯しているのは、あなたの弟さんです。亡くなりはしましたが、他人名義を使用していた事実は消せません」
無表情の中に鋭く光る彼の眼をみて、藤子はぞっとした。それでも尋ね返した。
「雄太をどうするというのですか」
「現在は文書偽造の件を不問にしていますが、決して無実になった訳ではありません。それに自ら飛び降りたとなれば、怪我をさせた人物に対して過失傷害罪どころか殺人未遂の罪に問われるでしょう。示談は済んでいると聞いていますが、それはあくまであれが事故だった場合の賠償義務についてだと聞いています。つまり刑事事件については被害届を出さなくても、これから新たな事実が明らかになれば成立します。そうなれば被疑者死亡で送検され、有罪判決が出ることは間違いない。それでも宜しいのですか。私も雄太さんには長年お世話になりました。ですから死者に鞭打つような真似をしたくありません」
冷酷に突き放す口調は、暗にこれ以上逆らうなら雄太の件を蒸し返して犯罪者にするだけでなく、藤子も犯罪者の姉として世間から再び非難を受けるよう仕向けると脅したのも同然だった。
その為もうこれ以上彼と話しても無駄だと判断し、そのまま黙って部屋を出た。当然誓約書にはサインしなかった。
「はい。全く。留置所の会話は全て録音されますが、私は別室で会話を聞いていました。どうやらあなたは前回彼と会った際、雄太さんが眠る墓に連れていかれ、彼らが愛し合っていたと告げられていたようですね。しかし私は聞いていませんでした」
「井尻兄妹からもですか。彼らは知っていたけれど、あなたに報告しなかったとは考えられませんが」
そこで彼はじっと黙り、呟くように言った。
「これから確認しますが、その可能性は否定できません」
心当たりがあるのかと尋ねたところ、雄太が亡くなった後に別宅や本宅を調べた際、エスである証拠が残らないよう、かなり整理されていると気付いたらしい。
それは日頃から何があってもいいようにそうしているのだろうとも考えたが、それにしても綺麗さっぱりしすぎていると感じたようだ。例として挙げたのは、藤子も発見した逃走経路だった。
通路に残された痕跡を全て消し、あのような状態にするだけで相当な時間がかかったはずだという。竜崎が言うように雄太の死が自殺だとすれば、その為だったのかもしれない。
だが短時間で消したにしては見事すぎる。誰かが手伝ったのかもしれないと彼は口にした。
「だったら井尻兄妹は、雄太が自殺するつもりだと知っていたかもしれない。そういうのですか」
「そうかもしれません。竜崎や協力者に正体を知られた三人は、公安のエスとしての仕事から足を洗わなければならない覚悟をしたはずです。もしかすると雄太さんは、その責任を感じて自ら死を選んだ。その可能性は否定できません」
どうやらこれまでの捜査と、竜崎の証言を元に導き出された結論の一つと考えているようだ。
確かに藤子にばらすとの脅しや、正体を知られ公にされると恐れての自殺と考えた方が筋は通る。藤子が作家となり世に出た事も少なからず影響したのだろう。それが雄太の死の一因にもなった確率が高いと改めて指摘されたようで、胸が痛くなった。
寝返ろうとした雄太の口を塞ぐ為に公安の手で殺されたのなら、偽名を使っていたと世間に公表する危険を冒す必要はない。渡部亮のまま、事故死として処理すれば良かったのだ。雄太はそのままどこかへ失踪したように見せかければ、藤子達にわざわざ接触しなくても済む。世間を騒がせず事件を終わらせることぐらい簡単だったに違いない。
失踪者など、日本では年間で八万人も発生している。未成年ならいざ知らず、いい大人がいなくなっても警察はまず動かない。恐らく田北達は竜崎の居場所をずっと追跡し把握していただろう。だったらその後、別途追いつめる事もできたのではないか。
そう考えるとわざわざ雄太が偽名を使っていたと公表したのは、田北が言った通り藤子を巻き込む為だったとしか考えられない。姉弟としての繋がりが薄かった点や遺産の件を逆手に取り、過去を遡らせて興味をそそらせたのだろう。その作戦にまんまと嵌ったのだ。
しかしまだ納得しきれない点が多々ある。そこで再度竜崎との面会を求めた。これには田北も同意した。あれだけの証言ではまだ彼も語りきれていない話があるのではないか、と考えたようだ。
その証拠に藤子との面会後に取り調べを行った際、彼は前言を撤回し黙秘したままだったという。約束が違うと詰め寄ったところ、あれでは話したことにならないと呟いたらしい。よって特別に二度目の面会が認められた。
けれど一般接見はいつでも何回でも無制限で話せる弁護士接見とは異なり、一日一組しか許されていない。その為翌日に行われることとなったのだ。
一般の面会は朝の八時半から、お昼の十二時より一時間を除いて、夕方五時十五分まで許されている。よって翌朝の九時に警視庁を訪れた藤子は、彼と再び顔を合わせた。
今回も十五分から二十分程度と時間が限られている。その為早速藤子は本題に入った。
「あなたの知っている限りでいいから、雄太との思い出を聞かせて。それと最後に揉めた時の様子を詳しく教えて欲しいの」
彼は滔々と語り出した。
「雄太から告白され恋人同士になった私達は、将来の夢について語り合いました。お互い四十を過ぎ、女性と結婚することもない。だから互いに子供を持つことも出来ません。しかし世の中は少子化で、子供を産めないまたは産まない者に対する風当たりが、年々強くなりました。けれどその数少ない大事な子供達が虐待や苛めまたは貧困で苦しみ、時には殺され自ら命を絶つ者も続出しています。子ども食堂等、様々な形で支援してくださる人達はいますが、経済的な要因や人手の問題もありまだまだ足りません。といって国からの援助など、全く期待できない状態です。そうした今の環境を私達は嘆き、腹立たしく思っていました。そこでお金を貯めて老後の生活の目処が立った時、そうした団体を手伝いながら子供の成長を見守る仕事に就きたい。そう話し合っていました」
実際少額だが、二人共毎月支援団体に寄付をしていたという。さらにはボランティア活動も一緒にこっそりと参加した経験があるらしい。寄付は振込先が残らないよう、現金で行っていたようだ。その為活動の形跡が、調査では発見できなかったと思われる。
その時の様子を語る竜崎の顔は、とても幸せそうな表情をしていた。それがとても印象に残った。そこで藤子は彼らが寄付をしていた団体名とボランティアの具体的な内容を聞いた。その上で、二人が最後に揉めた日の事を改めて尋ねたのである。
すると彼は意外な話から始めた。
「その前に彼を疑い出したきっかけが、同じ職場に転職して来たからだと以前言いましたが、正しくありません。実際は転職して間もない頃、彼がある新人賞を獲得した作家について興味を抱いていると知り、私が不審に思ったからなのです。かなり昔に女性と関係を持った経験はあるけれど、今は全く興味が無いと聞いていたのに奇妙だと思いました。やきもちもあったからでしょう。そこでその女性との関係を協力者に調べて貰うよう依頼した所二人が連絡を取り合っていると知り、その人物が彼の姉のあなただと分かりました」
藤子は息を呑んだ。新人賞を獲ったり、芥山賞候補作に入ったりした頃だろう。またその後芥山賞を受賞し作品が大ヒットした際も、彼はお祝いの連絡をくれていたと思い出す。
体が震え始め動悸が激しくなる中、彼は説明を続けた。
「そこから天涯孤独だと言っていた彼が何故嘘をついていたのかを探り始め、実はエスだったと彼らが調べ上げたのです。その結果を聞いて私は騙されていたと思い、怒りにかられ彼を責めました。そこからは以前話をした通りです。それ以上何かあった訳ではありません。彼は公安のエスでお姉さんとの関係を公にされれば、同性愛者であること等も明らかになり、あなたや仲間に多大な迷惑をかけると考えたのでしょう。だったら雄太ではなく、誰も知らない渡部亮として死のうと決意したと思われます。そうすれば身内もいない人間が単に死んだだけで済む。そう考えたに違いありません。ただ誤算はマンションから飛び降りた際に他人を巻き込んでしまったのと、公安が雄太の身元を公表した点ではないでしょうか」
それまで遠ざかっていた藤子と接触し始めたことが、破滅のきっかけになったと言える。死を選んだ要因以外にも、藤子の作家デビューが彼と雄太の関係を壊す結果になったと知り愕然とした。
また恐らく雄太の意志を察知しながらそれに反する処置を取った公安と、それを手伝った井尻兄妹に対しての怒りが湧いた。
言葉を無くし茫然としている間に、彼は話を続けた。
「今思えば私がお姉さんとの関係を疑い、またあなたの名を使って脅したことをとても反省しています。そこまで彼を負い詰めてしまうとは思ってもいませんでした。大変申し訳ありません」
再び涙を流して頭を下げ、何度も謝った。面会はそれで終わった。
その後藤子は田北と再び会う時間のアポを取り、話をする機会を設けた。ただそれは予定よりずっと後になってしまった。竜崎の要求を満たした代わりに黙秘を辞めさせ、取り調べに応じさせていたからだろう。その為彼は忙しくなったからだ。
約束通り口を開きだした竜崎は、中国に通じる産業スパイだと認めた。これまで勤務した企業から持ち出した情報についても、素直に話し始めたという。その受け渡し方法さえ白状したのである。
けれどさすがにそこは中国の公安だ。竜崎と同じ会社に協力者はいたものの、顔も知らずに接触させない仕組みを構築していた。竜崎が盗んだデータは全て指示された場所に隠し、それを後から協力者が回収していたらしい。
報酬はその後同じ場所に置かれていて、それを現金で受け取っていたという。そうすれば例え捕まっても情報の流出先の相手の名や顔も知らないので、その先に辿り着く危険を排除できるからだ。
しかし日本の公安も優秀さでは負けていない。雄太とは別のエスを同じ会社に潜り込ませており、既に会社内に潜んでいた協力者を特定し、竜崎と共にマークしていたという。
けれどもその人間は全て民間人であり、また身柄を確保できる証拠も押さえられなかった為、既に一部の人間を中国へ逃走させてしまったのである。
もちろん先方は身柄の引き渡しを許すはずがない。またそこから中国当局との関連等、調査しようがなかった。
恐らく調べたとしても、大元までは辿り着かないよう何重にも人を介しているはずだ。そこはスパイに関する体制が日本と大きく異なる点だろう。
それでも一度目をつけられた彼らは、死ぬまで公安の監視リストに掲載されると聞いた。再び日本へ入国すれば徹底的に追跡される手筈を取っているらしい。
一連の事件に一応の決着をつけた公安は、雄太の死が殺人ではなく自殺と結論付けたようだ。それでも世間への公表は改めてしないと決めたらしい。事故で片付けたことが、隠蔽と問われてしまうからだろう。
しかし納得がいかない藤子は田北を責めた。
「公安は本当に雄太の意志を知らなかったのですか。前回の話だと、井尻兄妹は気付いていたかもしれないと言いましたよね。でも実際、あなたはそうした事実を聞かされていたのではありませんか。それを知った上で雄太の身元を明らかにして私を巻き込み、竜崎から情報を引き出すよう仕向けたのではないのですか」
彼は首を振った。
「いいえ。私は本当に知りませんでした。彼らの正体が相手側に知られてしまった、との報告は受けていました。よって彼らの協力者に殺された可能性を、当初は本気で疑っていたのです。そうでなければ、別名義を持っている等と世間に公表するはずがありません。最初から渡部亮という人物が事故死したように、裏で手を回していたでしょう」
いつも通り淡々と説明する表情から、真実を語っているのかどうかは読み取れなかった。しかし例え嘘でもそれを裏付ける証拠が無ければ、彼の言葉を鵜呑みにするしかない。
そこで藤子はこれ以上の追及を諦める代わりに言った。
「ところで井尻兄妹は現在、どうしているのですか。彼女達に会わせて下さい」
だが彼は突き放すように言い放った。
「あの二人は私達と関係が無くなりました。公安のエスを辞めたからです。なので今どこでどうしているか、把握していません。ちなみに彼らはこれまで得た情報を外部に漏らさないよう、秘密保持の誓約書にサインしています。よって例え彼らとどこかで偶然会ったとしても、何か話してくれると期待しない方が良いでしょう」
「どういう意味ですか」
「もし話せば、多額の賠償金を支払わなければならないからです。もちろんあなたにも誓約書にサインを頂きたい。弟さんが私達のエスだった話や今回の件で知り得た情報は、外部に口外しないで下さい」
しかし藤子は反抗した。
「そのサインは強制できるものなのですか。それに私は作家です。あなた方の存在やこれまでやってきた行為を詳細に記さなくても、フィクションとして描く権利はあるはずです。それとも国家秘密を漏洩したとでも言って、私を逮捕しますか」
けれど彼は全く動じなかった。
「強制はできません。ただし事実だと立証できないのに、世間を誤認させる言動をした場合、罪に問われるかもしれません。私達がどれだけの力を持っているか、あなたもその一端を垣間見たはずです。余り我々を侮らないで頂きたい。それに現時点で罪を犯しているのは、あなたの弟さんです。亡くなりはしましたが、他人名義を使用していた事実は消せません」
無表情の中に鋭く光る彼の眼をみて、藤子はぞっとした。それでも尋ね返した。
「雄太をどうするというのですか」
「現在は文書偽造の件を不問にしていますが、決して無実になった訳ではありません。それに自ら飛び降りたとなれば、怪我をさせた人物に対して過失傷害罪どころか殺人未遂の罪に問われるでしょう。示談は済んでいると聞いていますが、それはあくまであれが事故だった場合の賠償義務についてだと聞いています。つまり刑事事件については被害届を出さなくても、これから新たな事実が明らかになれば成立します。そうなれば被疑者死亡で送検され、有罪判決が出ることは間違いない。それでも宜しいのですか。私も雄太さんには長年お世話になりました。ですから死者に鞭打つような真似をしたくありません」
冷酷に突き放す口調は、暗にこれ以上逆らうなら雄太の件を蒸し返して犯罪者にするだけでなく、藤子も犯罪者の姉として世間から再び非難を受けるよう仕向けると脅したのも同然だった。
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