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しまおか

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第五章~③

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 答えが出ないまま時間だけが過ぎてく中、藤子はホテルの部屋でテレビをつけたまま小説を読んでいた。物語をアウトプットする気にならない場合、インプットに時間を費やせばやがて頭の肥やしとなるからだ。
 そんな時、竜崎逮捕のニュースが流れた。
 鈴木健と名乗っていた人物の本名は竜崎祐司であると分かり、公文書偽造等の罪で逮捕されたという。その為以前勤めていたIT関連の子会社を調べた所、不正アクセスの疑いが浮上したそうだ。現在産業スパイの容疑でも取り調べをしているとの報道から、別件で逮捕して身柄を拘束したのかもしれない。
 彼が住んでいたアパートの捜索から、背後に大きな組織が隠れていると公安は確信したはずだ。しかしそうした証拠が見つからなかった為、国外逃亡されないようまずは確保したのだろう。その上でじっくり取り調べをしながら、情報の流出に関わっている点を一つ一つ洗い出し、立証しようと企んでいるのだと想像できた。
 ニュースではその前に勤めていた警備会社でも、情報を不正に入手した疑いがあると伝えていた。そこには七年以上勤めていたという。またその前にいた別会社を含め捜査が進んでいると伝えていた。
 産業スパイを罰するのは、個人か企業による場合等で差があった。しかし基本的には営業秘密不正取得・利用行為又は不正競争防止法を適用する。罰則は個人だと懲役十年以下または二千万円以下の罰金を科す等のケースがあった。
 法人では海外使用だと最高十億円までだ。けれど時効が営業秘密の保有者、いわゆる企業側が不正使用の事実及び不正使用する者を知った時から三年以内である。
 よってこれから彼が勤めていた企業を捜査し、不正使用されていたと証明できれば、遡って罰することも出来るという。ただし国際的なスパイ行為となれば、それを防止する法律は日本にまだない。
 その為背後に中国公安がいたとしても、せいぜい竜崎個人がある企業に情報を渡したという形で罰して終わりになるだろう。それでも末端の人間の逮捕により、そうした行動を抑止する効果がある。やらないよりはマシだ。けれどそれがこの国の限界だった。
 もちろん雄太については全く触れられていなかった。竜崎を逮捕してどういった情報を入手していたかを暴けば、事故として処理された雄太の件など明らかにする必要はないからだろう。
 今回の知らせを聞き、このまま真相は隠されてしまうと藤子は落胆した。
 そうしている間に彼の死から三カ月が過ぎ、遺産放棄の期限がとうとう切れた。よって遺産は必然的に受け取らなければならなくなった。後は兄と協議するか否かの選択である。
 この時雄太の死に関して、マスコミの騒ぎは完全に収まっていた。ニュースでは、以前発見された白骨死体の身元が明らかになった話題で持ちきりだった。DNA鑑定などの分析で奇跡的に判明したらしく、被害者の人間関係を洗い出し犯人の特定を急いでいるという。
 そうした新たなネタの出現で、藤子に対する世間の関心もどんどんと薄らいだ。よってそろそろ作家として本格的に動き出して欲しいと、担当編集者からも依頼が来ていたのだ。
 その為藤子はホテルを引き払い、自宅へ戻ることにした。しかしいざ作品を書こうと思っても筆が進まない。遺産をどう処理するかで頭の中が一杯だったからだろう。
 また自分は本当にこのまま作家として生きて行けるのか。そもそもそれを望んでいるのか、と再び苦悩し始めたのである。井尻兄妹からかけられた言葉が、頭の片隅に残っていたからかもしれない。
 そこでまず一旦筆を置き、出来ることから始めようと考えた。最初に手をつけたのは、雄太がマンションから落下した際に怪我をした綿貫との示談だ。
 弁護士の報告によれば、既に治療は思ったより早く進み、その費用も全て病院に支払い終わっている。退院後のリハビリも順調だったらしく、今は以前同様朝の散歩が出来るまでに回復したそうだ。
 その為最終的に慰謝料を含め算出した賠償額から若干上乗せした金額を提示し、無事示談は終了した。その為にかかったお金は警察や税務署とも相談し、渡部亮名義で蓄えられていた預貯金で賄った。それらを全て使い切った上で、足りない分を藤子が支払ったのである。示談書の提示や捺印を頂くまでの手続きは、全て弁護士を通じて行った。ただ藤子は最後の段階で顔を出す役割を担ったのである。
 今回の場合、そこまで必要ないと弁護士からは諭された。しかしそれでも無理を言って彼女の家に足を運んだ。少なくとも、最初と最後ぐらいは挨拶しなければならないと考えていたからでもあり、少し聞きたい話もあったからだ。
 彼女は雄太も住んでいた、あのマンションの一室に戻っていた。藤子が挨拶に伺うと、以前と同様に矢代という男性も一緒かと思っていたが、予想に反し彼女は一人だった。示談が済み、無事お金も振り込まれたと確認できたからかもしれない。
 そう思いながら、藤子は用意していた菓子折りを渡し話しかけた。
「ご無沙汰しています。お体の具合はいかがですか」
「お陰様で後遺症もなく、以前と変わらず外を出歩けるようになりました。弁護士さんにも伺いましたが、慰謝料を上乗せして頂いたようですね。有難うございました」
 幸いにも彼女は前回会った時と同じくとても好意的に接してくれ、責める言葉は一言も発しなかった。それどころか怪我をして怖い目に遭ったはずの彼女は、こちらの目を見て悲し気に優しい言葉をかけてくれたのである。
「あのような形で弟さんを亡くされ、さぞかし大変でしたね。でも大丈夫。あの方は必ずこれからも、あなたの近くで見守っていてくれるはずです。それを信じ、あなたはあなたの進むべき道を歩んでくださいね」
 彼女の表情がとても慈悲に溢れていたからか、藤子は胸を打たれた。今まさしくその点に悩んでいると、まるで見通しているかのような言い回しだったからだ。
 改めて謝罪した上で、藤子は何となく気になった点を尋ねた。
「以前同席されていた矢代さんは、今どうされていますか。あの方もお元気でしょうか」
 すると彼女は首を振った。
「ごめんなさい。私も今は良く知らないのです。入院していた当初は何度かお見舞いに来て頂いたけれど、最近はお会いしていません。多分、このマンションからも引っ越されたんじゃないかしら」
 どこに変わったのかも当然分からないという。意外だった。せっかくこのマンションを訪れた為、彼の分まで菓子折りを用意していたからだ。そこで聞いた。
「そうですか。あの方にもご挨拶をと思っていたのですが、お勤め先はご存知ですか」
 それも知らないと言うので、恐らく彼が今回の件で横やりを入れてくる心配はなさそうだと判断した。そこで話題を変え、彼女のその後の様子を伺った。報告を受けていた通り、順調に回復していたようなので藤子は安心した。今後彼女と揉める恐れは無いと確認できた為、そのまま部屋を後にしたのである。
 こうして懸念材料の一つを消し去り、他にも細々こまごまとしたものから着手し、やるべき事を一つずつ確実に処理していった。しかしまだ手を付けられていない、重要な仕事が残っている。その一つが竜崎から雄太の話を聞き出す事だった。
 彼は現在、警視庁の留置所で勾留されている。留置中は基本的に家族でさえ簡単に会えない。しかも一般面会できるのは逮捕から三日後以降の平日だけと限定されていた。
 接見禁止が付かなければ、一般面会は認められる場合もあるらしいが、彼には禁止処置がとられていた。それでも何とか会えないかと、彼についてる弁護士を探し出して連絡を取り、直接事務所に訪問して訴えたのだ。
 すると弁護士は、是非協力したいと申し出てくれたのである。どうやら彼の説明によると、逮捕された竜崎は警察の取り調べに対し完全黙秘しているという。それでも情報を引き出そうと、田北達が様々な駆け引きをしているそうだ。その為弁護士は言った。
「事件関係者以外の家族等にも会えるよう、接見禁止の一部を解除する申請は出せます。彼には面会を申し出ている家族はいません。今回の事件における竜崎さんの罪を軽くする為、あなたとの面会を交換条件に出してはどうかと彼を説得しましょう」
 弁護側としては公安を相手に抵抗するよりも、素直に話した方が良いと考えていたようだ。しかし竜崎は応じなかったという。
 ただ心残りは何もないのかと問いかけた際、一度だけ雄太の姉に話していないことがある。それくらいだと小さく呟いたそうだ。その気持ちがまだ残っているのなら、上手く交渉できるかもしれないと彼は言った。
 藤子にとっては大きなチャンスだ。言い残した内容とは何なのかを是が非でも聞きたい。それこそが最も望むことだった。
「宜しくお願いします」
 そう頭を下げて事務所を後にした。
 それからしばらくすると連絡が入った。しかも弁護士からではなく、田北からだった為に藤子は驚いた。
「ご無沙汰しています。今宜しいですか」
 今更何を言い出すのかと訝しんでいると、彼は話を続けた。
「厚かましいと思われるかもしれませんが、実は今回お願いがあってお電話しました。もうお気づきだと思いますが、我々は竜崎と接触させる為に保曽井さんを利用しました。その件についてお詫び申し上げます。大変申し訳有りませんでした」
 殊勝にも謝罪する彼の口調に戸惑いつつ、どう返せばよいか分からず何も言えないでいた。すると彼は本筋の話題を一方的に説明し出したのだ。
 やはり弁護士が説明していた通り、黙秘を続ける竜崎から情報を引き出そうと彼らは苦労しているらしい。そこで今回は特別に弁護士や警察官の同席の元、藤子と面会できるよう手続きを取ると言われたのである。
 田北としては捜査を少しでも進展させたい為、どうしても会って欲しいようだ。竜崎もその取引に応じたという。
 これまで騙されていた相手であり、公安には良い感情を持っていない。だがこちらが望んだ展開だった為、断る理由などあるはずもなかった。それに竜崎が何を話すつもりなのか、期待に胸が膨らんだのである。
 その一方で、どんな内容を聞かされるのかと怖くもなった。彼は国際的スパイなのだ。よって正直内心では困惑していた。
 そうした反応を見せたからか、田北は言った。
「今回の面会により、雄太さんの死の真相に辿り着けるかもしれません。また全ては言えませんが、もし私達に協力頂けるのであれば、我々と雄太さんとの関係をお伝えします」
 そう藤子に交換条件を突き付けてきた。ある意味、彼に付け込む隙を与えて貰ったと言える。これが最後の機会かもしれない。そこで彼に質問を浴びせた。
「分かりました。竜崎さんと話をさせてください。ただその前にお答え頂きたい事があります。雄太は公安であるあなたのエス、いわゆる情報提供者だった。さらに和香さんや川村さんも同じ一味で、彼らの本名は井尻薫と井尻晶という兄妹であると認めますね」
 調査報告書を出した江口の事務所を家宅捜索したのが公安である彼なら、藤子がどこまで把握しているかは承知済みのはずだ。それを惚けるつもりなら、面会しないと突っぱねる覚悟をした。
 しかし彼はすんなりと白状した。
「はい。雄太さんや井尻兄妹は私のエスで同志でした。元は公安の先輩だった、羽村はむらという刑事のエスだったのです。しかし彼が第一線から退いたので、私が彼らを引き継ぎました。もう十四年前の事です」
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