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しまおか

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第四章~④

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 幸い連れ出された際に持っていた財布やスマホ等は取り上げられなかったので、お金が使えた。その為霊園を出てタクシーを拾った藤子は、いつの間にか電源を切られていた携帯を取り出し、車内から和香に電話を入れた。
 出た彼女は当然慌てていた。
「藤子さん、今どこにいるのですか。大丈夫ですか」
「今タクシーである場所に向かっている途中なの。それよりちょっと話したいことがあるから、あなた達も来て貰えないかな。少し離れた所にある、ホテルのロビーで待ち合わせしましょう」
 住所を告げると彼女は直ぐに了承した。その上で、どうやってあの部屋から消えたのかをしつこく尋ねて来た。
 どうやら外で待っていた二人は、なかなか出て来ず声をかけても返事がなかった為不審に思ったらしい。そこでアパートの管理会社へ連絡し、警察を呼ぶと脅して無理やり彼の部屋に入ったらしい。だが中に誰もいなかったので、周辺を必死に探していたという。
「あの鈴木という男に口を塞がれて薬を打たれていたから、詳しくは分からない。目を覚ました時には保曽井家の墓の前だったの。詳しくはそっちへ行った時に話すから」
 少しだけ嘘をつき電話を切った。鈴木の話が事実ならば、彼女達には今後気を付けなければならない。その上で確認したい点が山ほどあった。
 約束の場所に着くと彼らは既にいた。今までなら自分の部屋があるホテルか、または近くにある目的地へ呼んでいただろう。しかし今は彼らを信用できなくなっている。よってわざと第三者が多くいる場所を選んだのだ。
 人目があるホテルのロビーなら、鈴木のような真似をされる心配もないだろう。彼らが公安のエスなら、何を仕掛けてくるか予測がつかない。それこそ注射を打って口を封じる位はやりかねないと用心したのだ。
 藤子の姿を見つけた彼らは、椅子から立ち上がり駆け寄って来た。
「ご無事で何よりです。田北さんに連絡したのですが、どこに向かったのかも分からないので困りました。検問を配置する訳にもいかないし、といって連れ去られたとの証拠もないので、鈴木の部屋を家宅捜査する令状も取れません。本当に心配していたんですよ」
 今にも涙を流しそうな表情で、和香は手を強く握ってきた。後ろにいた川村も、演技とは思えない程の安堵した表情を浮かべていた。
 しかし疑念を抱えていた為、つい冷めた目で彼らを見てしまう。そこで取り敢えず気を揉ませたことを謝り、座って話そうと飲み物が注文できるエリアのソファに腰を下ろした。
 それぞれコーヒーを頼んで、二人と向かい合わせになる。周囲には数人の客の他に、ホテルの従業員の姿がちらほらと見かけた。ここなら先程のように拉致される可能性はないだろう。また大きな声で話さない限り、内容を聞かれなくて済みそうだ。
 その為ドリンクが届き、従業員が去った後に再び会話を始めた。
「部屋に入るなり隣の部屋に連れていかれた途端、首筋に注射のようなものを打たれたの。ぼんやりとしてたからはっきりは覚えてないけど、肩に担がれた後は多分天井裏に上った気がする」
 そこからは不明だが、気付いたら旅行バッグに入れられて運び出されていたのだと説明した。それを聞いた和香は、ようやく合点がいったらしく頷いた。
「天井裏ですか。だったらアパート自体に、秘密の抜け道があったのかもしれないですね」
「そういえば旅行バッグを引いた黒い服を着た男が、一番端の部屋から出て来た覚えがあるよ。喪服のようだったので、これから遠方にいる身内の葬式にでも出るのかと思ったけど、あれが鈴木だったんだな。まんまとやられた」
 ドア側には川村がいたらしく、悔しそうにそう言った。彼らは藤子から連絡があり、無事と分かるまで気が気でなかったのは確かなようだ。しかしどういう意味でそう感じていたかを知りたかった。
 そこで藤子は質問した。
「どうして鈴木さんはあのような目立つ格好をして、私を保曽井家の墓に連れて行ったのでしょう。あなた達には分かりますか」
 戸惑ったのか二人は顔を見会わせた後、和香が逆に尋ねて来た。
「藤子さんはあの男と何か話したのですか」
「先に聞いたのは私よ。まずはそれに答えて頂戴」
 藤子の尖った口調に、どうやら感付いたのだろう。それでも言いあぐねていた為、こちらから言った。
「彼は涙を流しながらお墓に手を合わせていました。彼は雄太とどういう関係だったのか、お二人はどこまでご存知ですか」
 観念したらしい。和香が口を開いた。
「雄太さんと恋人同士だったようです。彼らは同性愛者でした」
「あなたはそこまで知っていて、あの人を訪ねようと私を強引に誘ったわね。それは何故なの」
「そ、それは恋人だったら、雄太さんの死について何か心当たりがあるのではないかと思ったからです。実の姉である藤子さんになら、正直に知っている事を話すのではないかと考えました。黙っていたのは、同性愛者だと私の口から説明し辛かったからです」
「それだけではないでしょう。あなた、いえあなた達は一体何を調べているの。もしかして、中国の公安と鈴木が繋がっている証拠を掴もうとしていたのではないですか」
 彼女は藤子の言葉に強く反応し身を乗り出した。
「鈴木がそう言ったのですか」
「いいえ。私が予想してそうではないかと思っただけよ。もちろん彼に尋ねたわ。しかし答えては貰えなかった」
「そうですか。他に彼と何を話したのですか」
「だから質問しているのは私よ。和香さんがあの男と雄太との関係を知っていたのなら、鈴木の名を出した川村さんも当然知っていたはずよね。鈴木を知っている和香さんが、わざわざあなたを経由して彼の元に向かわせたのだから。つまりあなた達は私の知らない所で事前に繋がっていた。そこまでして一体二人は何を調べていたの」
 今度は川村に向かって問い詰めたが、彼は顔を伏せてしまった。その様子から、藤子の指摘は間違っていなかったと確信する。再び沈黙する二人に対し続けて尋ねた。
「あの鈴木という男は只者ではありません。私に薬を打ったことやあのアパートから脱出した方法を考えても、一般人では無いのでしょう。そんな人と別名義を持った雄太は恋人だった。これが何を意味するのか教えて下さい。あなた達は知っているはずです」
 ただ答えは返ってこない。どうしても口に出せないようだ。それならばと、さらに突っ込んで言った。
「雄太が渡部亮と名乗っていたのは公安のエスだったから。そうなのね。そしてあなた達もそう。三人共、あの田北という刑事の情報提供者ではないの。正直に答えて」
 そこまで告げると、和香がようやく視線をこちらに向けて喋った。
「あの鈴木が何を言ったのかは知りませんが、信用できる人間ではありませんよ。藤子さんに薬を打って、無理やり連れ出すような人です。鵜呑みにしてはいけません」
「ではあの男は何者なの。少なくとも鈴木健という別名の他に、本当の名があるはずよ。それは知っているの」
竜崎りゅうざき裕司ゆうじです。お気づきの通り、裏の顔を持っています」
「その名が本名なら日本人なのね。でも中国人と繋がりがある。そうあなた達は思っているのではないのかしら。だから私に雄太が香港国家安全維持法に違反している、という話を吹き込んだ。携帯のメールでやり取りした形跡を偽造までした。そうでしょう」
 彼女は再び口を噤んだ。図星らしい。ならば鈴木、いや竜崎の言葉が正しいことになる。それならまだ確認しなければならない点があった。その為小声で呟いた。
「井尻薫さん」
 彼女はピクリと反応した。横にいた川村は顔まで上げた。どうやらこれも嘘ではないらしい。そこで今度は視線が合った彼に言った。
「井尻晶さん」
 覚悟していたのか、彼女の時のようなリアクションは見られなかった。それどころか彼は言ったのだ。
「誰ですか、それは」
 その言葉を無視して、藤子はさらに追及した。
「あなた達は兄妹なのね」
「いいえ、違います。何を突然言い出すのですか。あの男がそう言ったのですか」
 今度の態度は自然だった。さすが公安のエスともなると、嘘をつくのは上手いらしい。
 それはそうだろう。彼を初めて訪ねた際も、和香を見て妹が来たような素振りなど一切していなかった。本当に初めまして、という態度におかしなところはなかった。 そうやって単なる同僚だったと告げながら、本当の雄太の姿を織り交ぜ藤子を騙し、鈴木に目を向けさせていたのだから。
 あくまでとぼける彼らとこれ以上話しても得られる情報はなさそうだ。そう判断した為、時間が経って温くなったコーヒーを飲み干し、財布からお札を出してテーブルに置き席を立った。
 それを見た和香が、慌てた様子で言った。
「藤子さん、どこに行くんですか」
 答えずにいると、川村が予期せぬ質問を浴びせた。
「有名作家になられたあなたは、今幸せですか」
 以前和香にも尋ねられた言葉だ。あの時同様返答できずに一瞬固まってしまったが、カッとなって言い返した。
「あなたにそんなことを言われる筋合いはありません」
 それでも彼は重ねて聞いてきた。
「作家になるのが夢であり、世間から注目を浴びて満足であるのなら私は何も言いません。ただ雄太さんと親しかった友人として言わせてください。もしそうでないのなら、今一度人生を振り返ってみてはどうですか。あなたはその為に会社を辞め、思い切ってこれまでとは違う自分を発見されたはずです。今からでも遅くはありません。再度雄太さんが歩んできた過去を辿った上で、考え直してみてはどうですか」
「自分達については何も話さないあなた達が何を言っても、竜崎さん以上に信用できるはずがないわ。これ以上ここにいても無駄でしょう。さようなら」
 そう捨て台詞を残しホテルを出た。彼らが後を追ってくる様子はない。それでも用心しながら、目的の場所へと深呼吸して落ち着かせつつ歩いて向かった。
 川村の言葉に動揺させられ興奮してしまい、動悸が激しくなった体の調子を気遣ったからだ。そうして雄太名義の家に着き周りを見渡す。誰もついて来ていないと思うが彼らはプロだ。どこにいるかなど分からないし、本気で尾行されれば素人が巻くなんてできないだろう。
 そう開き直った藤子は鍵を開けて中に入った。ここに来たのは、雄太が公安のエスだったかどうかを確認する為だ。渡部名義のマンションはもう解約してしまったので中に入る事は出来ない。しかし彼がエスなら、ここに何らかの証拠が残っているだろう。
 それこそ竜崎が住んでいたアパートのような仕掛けがどこかにあるはずだ。それを発見すれば、雄太がエスだと認めるしかない。
 信じたくはないが、一方で有り得ると思いながら藤子は懸命に家探やさがしした。押し入れの天井裏はもちろん、畳まで剥がした。そうして散々探し回り、ようやくトイレの天井が抜けると分かったのだ。 
 リビングから椅子を運んで昇り、家の中で見つけた懐中電灯で照らしながら這い上がって中を覗くと、周囲が何故か白い壁に囲まれている。
 普通なら配線やはり等が見えてもおかしくない。奇妙な造りに違和感を持ち、じっくり眺めた。すると四方の壁の内の一つに小さな取っ手が付いていると気付く。どうやら扉になっているらしい。
 押して開けると同じように白い壁の通路が見えた。そこをしばらく這って進んだ。すると下へと降りる梯子はしごがあった。竜崎の所とは違う形だが、明らかに抜け道だと思われる。これで雄太は間違いなく公安のエスだったと考えて良いだろう。 
 だから別名義を持って暮らすという、通常では有り得ない行動を取っていたのだ。その理由がようやく納得できた。
 そうなると何故彼がそのような道を歩んだのか、との新たな疑問が浮かんだ。とはいえもしかしてと考え出した頃から、一つだけ心当たりがあるにはあった。
 しかしまず、この通路の先がどうなっているのかに興味が移る。どこに出口があるのか。もしかすると何かが隠されているかもしれない。そう考えると、奇妙ではあるけれど力が湧いてきた。
 正直言えば五十歳の体で、このような狭い所を無理な態勢で居続けるのは辛い。藤子の体は最近また太り出したとはいえ、昔と違って痩せているからまだ良いが、大きな人では通れないだろう。
 雄太のような中肉中背の体形でぎりぎりだと思われる。それを計算して作られているに違いない。追手が逞しい体をした人物であれば、ここで諦めざるを得なくなるはずだ。
 元々体力や運動に自信がない藤子は、特にここ数年の引き籠り生活により筋力が間違いなく衰えている。既に体は悲鳴を上げていた。
 それでもまるで幼い頃遊んだ、秘密基地のような造りに対する好奇心が勝ったのだろう。時間をかけて何とか階段を降りると、再び横穴にぶつかった。
 そこをまたほふく前進で進む。すると突き当りに上る梯子があった。どこまで続くのかうんざりしたが、今更引き返すにしても相当辛い作業になる。それなら先に進んだ方がマシだと思い直し階段を昇った。その天井に当たる部分は扉になっていたので押し開けてみた。 
 その隙間からほんの少し光が差し込んでいたが、目の前には暗い空間が広がっていた。といっても大した大きさではない。這い上がってみると、床が二畳分程度で高さは二メートル程度だ。中には何もなかった。
 けれど壁は鉄製だった為、もしかするとこれは庭にある物置かもしれないと頭に浮かぶ。それなら外に出られるはずだ。扉らしき引き戸を開けようとしたが動かなかった。外から鍵がかかっているのだろうか。しかしそれなら抜け道の意味をなさなくなる。
 さてどうしたものかと懐中電灯の光を当てて探ったところ、変わった小さな突起を見つけた。試しにそこを押すとガチャリと音がした。それから引き戸に手をかけてみたところ、音もなくするりと横に動いたのだ。
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