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しまおか

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第四章~③

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 そこから彼は二人の関係について話をし始めた。
「雄太と初めて会ったのは五年前です。当時私が勤めていた警備会社のシステム部門に、中途で入社して来ました。前職はテレビ関連の下請け会社で、そこから転職したのだと聞きました」
 鈴木の方が三つ年下だが職場では先輩だった為、仕事で分からない点があると教えていたという。そういえば川村が、二人は前の職場が同じだったと言っていた。しかも鈴木が転職した後、雄太が後を追うように入って来たとも聞いている。
 それにその職場で雄太は香港に出張していた。その頃から深い関係になっていたとなれば十分理解できるし腑に落ちた。
「雄太とは席が離れていたので、本来なら隣や近くにいる同僚に聞けばいい所を、隙を見て私に質問して来ました。最初はどうしてなのか不思議に思っていましたが、しばらくして彼が私と同じ性的な嗜好を持っていると気付きました」
「それは同性愛者だということですか」
「そうです。雄太はそれを嗅ぎつけ、私に近づいて来たのだと思っていました。それを本人に直接尋ねたこともあります。あいつは素直に認めました。でも最初から互いに恋愛感情を持っていた訳ではありません。単に同じマイノリティの人間が近くにいると気付き、安心して話しやすかっただけ。私はそう信じていました」
 しかしそれから二年程経った頃には、二人だけで飲みに行く機会が増えたという。通常の居酒屋などから、同類が集まる場所へと通い出したらしい。
「そうやってかなり親しくなり互いに意識し始めた時、雄太から告白されました。私は喜んで了解し、付き合うようになったのです」
 やがて部屋を行き来するようになり、泊まる場合は主に雄太の部屋が多かったそうだ。彼のアパートは古く壁が薄かったのに比べて、渡部名義のマンションの方が都合よかったのだろう。
「休みの日には二人で出かける事もありました。私は余り人が集まる所が苦手でインドア派でしたから、主に仕事でもあり趣味でもあるパソコン機器関係の店へ出かけるくらいでしたけどね。雄太も同じだったので十分楽しんでいました。ただ今考えれば合わせていただけなのかもしれません。私に近づいた目的も別の所にあったのですから」
 それまでは笑顔を交えながら話していたが、急に寂しげな顔に変わった。そこで思い切って自分の推論をぶつけてみた。
「雄太が公安のエスと知ったからですね。それはいつですか」
 彼は一瞬驚いた表情を見せたが、軽く頷いてから答えてくれた。
「私が警備会社からIT会社へ転職が決まった後、彼は追いかけるように同じ会社へやって来た時です。それまではプライベートでの付き合いだと割り切っていましたし、彼を本気で愛していました。しかし職場まで一緒じゃなければいけない理由はありません。その点を同じ会社にいる私の協力者が疑い出し、彼の周辺を探りだしたのです。その結果を聞いて私は愕然としました。本当に雄太を信用していたから余計です」
 どうやら藤子の考えは当たっていたらしい。小説だけでなくノンフィクションの作品でも、エスの存在は実際確認されている。
 だがそうなると疑問が生じた為に尋ねた。
「あなたは雄太と香港の民主化運動の話をしたことがありますか」
しかし彼は全く予想外の事も口にした。
「私は雄太と仲良くしていましたが、香港国家安全維持法に違反する話を互いにした事実はありません。恐らくそれは彼の一味、それこそ私の部屋へ一緒に付いて来たあの女や川村が仕掛けた話に違いありません」
意味が解らず質問すると、彼は言った。
「あいつらも公安のエスで雄太の仲間なのです。しかも二人は兄妹で、本名は女の方が井尻いじりかおる、川村は井尻あきらと言います。雄太も渡部亮という別名を持ち生活していたのだと知りました」
 藤子の想定を超えた話に信じられない思いを抱きながらも、それを黙って聞いていた。
 雄太や和香達が田北のエスである可能性は考えていたが、あの二人が兄妹だとまでは思いもしなかった。そう考えると、やはりあの二人にはずっと騙されていた事になる。鈴木の説明だと、大手IT企業へ入社したのは既に仲間が潜伏してたので応援に呼ばれたからだという。
 ちなみに川村はその会社に在席していなかったようだ。彼とは警備会社にいた際、顔を知っていた程度の関係だという。そこから推測するに、彼の言う通り川村や和香は公安のエスで、田北の指示により雄太の同僚と偽り藤子と接触させ、鈴木に近づかせるよう仕組んだものと思われた。
 また女性の同性愛者だった和香と仲が良かったけれど、肉体関係や恋愛感情は無いとかつて聞いた説明にも納得した。二人は異性ながら、マイノリティという共通点から親しくなったのだろう。
 いや違う。彼の説明が本当ならば、田北と繋がりがあったからこそ友人の振りをしていただけなのかもしれない。雄太と親しかったという証拠はどこにもなかった。彼女がそう言っただけなのだ。
 川村に関しても同じで、田北を通じて仲が良い同僚がいたと嘘を告げられただけである。よって彼も情報提供者として、雄太の友人だった振りをしていた可能性があった。そうなると、これまでの調査会社による情報さえ意図的に操作されていた可能性が浮上する。
 もちろん鈴木の言葉が全て真実とは限らない。それでも墓の前で見た涙に嘘は無かったと思う。
 新たな疑問が浮かんだ為、尋ねた。
「あなたがしていた裏の仕事も、彼らと同じなのですか」
 彼は躊躇していたが、小声で言った。
「同じではありませんが、似たようなものだと思って下さい」
 そこでピンときた。やはり彼は日本の公安ではなく、中国または別の機関のエスなのだろう。ただその点を今の時点で深く追及するのは危険だと思い、質問を変えた。
「それであなたはどうしたのですか」
「言い訳が出来ない程、彼の身辺を洗った後に問い詰めました。その時彼の本名が渡部亮ではなく保曽井雄太だと知ったのです。最初は白を切ろうとしていましたが、誤魔化せないと思ったのでしょう。途中からある程度は白状してくれました。でも雄太は言ったのです。初めは確かに依頼されて私に近づいたけれど、途中から本気になってしまったのだと。その気持ちに嘘はない。そう告げられた時、私は心が揺らぎました。エスだと知って裏切られたと憎んだこともあります。でも本音では信じたくなかった。二人の気持ちだけは嘘がない。そう私も思っていたからです」
「何故そう考えたのですか」
「知り合って五年、本格的に付き合い出して三年余りの時間、一緒にいたからです。本名も違い、エスであると隠していた事実に気付かなかったのは間違いありません。でもそれはお互い様であり、二人で過ごした歳月はそれを超越していたと今でも信じています。これはいくら説明しても、私と雄太にしか理解できないでしょう」
「どういう意味ですか」
 なお問い詰める藤子の目を見て彼は言った。
「私が雄太を追求した時、本来なら口にしてはいけないだろう内容まで話してくれました。全てだとは言いませんが、公安のエスとして完全に失格です。普通なら正体がばれた時点で、私から離れていくでしょう。もちろん彼が別の家を所有している事や、その住所も私達は把握していました。しかし仲間の元へ駈け込めば後はどうだってなります。また整形などをして、別人になりすます事もできたでしょう。そうすれば二度と私に会わなくて済む。けれど彼はその道を自ら塞ぎ、私と一緒にいたいと言ってくれたのです」
「あなたと一緒にいるって、どういうことですか」
 急に口調が鈍った。
「それは、その、つまり雄太は公安のエスを辞めるつもりだった。そうすれば、今まで通り私と一緒に居られるだろうと考えたのです」
「それであなたは何と答えたのですか」
 藤子から視線を逸らし、言っていいものかどうか悩んでいる様子を見せた。その後しばらく躊躇してから彼は口を開いた。
「最終的には断わりました。それは現実的に無理だと、雄太も分かっていたと思います。それでもそれくらいの覚悟を持っていると、私に伝えたかったのでしょう」
 今の説明が本当ならば、雄太は公安を裏切り彼の一味に入ると言ったのかもしれない。相手が中国のエスならば、寝返ったのではないかと疑われても仕方がなかった。
 そこで嫌な考えが頭に浮かぶ。雄太は公安のエスとして相手に情報を渡した。それを知った協力者に殺された可能性がでてくる。
 だが雄太の口を封じただけでは済まず、なんとかして鈴木を確保しようと考えた。その為に藤子は利用されたのかもしれない。雄太の姉の立場を使って彼の懐に入り、逮捕出来る情報かまたは何をどこまで喋ったかを、聞き出そうとしていたとも考えられた。
 しかしその前に確認しなければならない。
「雄太は事故で死んだと発表がありました。それを聞いてあなたはどう思いましたか」
「あり得ないと思いました」
 彼は即答したが、そのまま俯いてしまった。その為重ねて尋ねた。
「死んだ時、あなたにはアリバイがあったと聞いています。だったらあなたの仲間に殺されたのではないですか」
「それは違う」
 顔を伏せたまま、彼は首を横に振ってそう言った。表情が見えない為、嘘かどうかの見分けがつかない。恐らく死の真相を聞くことは無理だろう。
そこで話を聞いて疑問を持った別の点について尋ねた。
「二人は別れたのですか」
 その質問に彼は再び口を濁し答えなかった。それならばと、思い切ってこれまで避けていた質問を口にした。
「あなたは雄太が公安のエスだと言った後、同じではないが似たようなものだと言いましたね。どういう意味ですか。もしかして鈴木さんは中国側のエスなのですか」
 今度もまた黙したままだった。しかし彼の態度からすると、肯定しているのも同然だった。その為質問を変えた。
「雄太はともかく、何故や和香達のことまで知っているのですか。彼らが兄妹で井尻という名だと、誰から聞いたのですか。雄太からですか」
 すると彼は首を振り激しい口調で言った。
「雄太は仲間を売る奴じゃない。あの二人については、俺の協力者が調べて知っただけだ」
「では何故二人を調べたのですか。どこまであなたは知っているのですか。どうして雄太は死んだのですか。殺されたのですか」
 そう問い質したが今度は答えないまま、彼は藤子が入っていた旅行バッグを持ち、それ以上は何も言わず墓から立ち去ってしまったのである。
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