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しまおか

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第二章~①

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 ある日藤子が泊っているホテルに、雄太がかつて勤めていた会社の同僚と名乗る中年女性が訪ねて来た。どこでどう調べたのかと不審に思ったが、みなみ和香わかと書かれた名刺にフリーライターの文字を見つけて納得した。
 藤子の居場所を知っているのは、兄や美奈代と彼らが雇った弁護士や調査会社とその後雇い直した弁護士の他に、手配してくれた編集部の一部しかいない。そこから推測するに、どうやら彼女は出版社ルートの人脈を駆使し、ここに辿り着いたのだろうと思われた。
 藤子に対しての批判は、テレビや週刊誌で扱われる頻度がやや減少傾向にあった。それでもネットニュースやSNS上での誹謗中傷は、まだ沈静化にまで至っていない。今回の騒動は藤子の件だけに留まらず、これまでにも何度となく問題視されてきた話題が含まれていたからだろう。
 例えば女性作家に対する蔑視、外見や話題性を重視する偏った報道の在り方など、なかなかなくならない差別問題が根底にあった。その為藤子に対する嫉妬や批判はあらゆる方面へ飛び火し議論され、対立をあおるものは後を絶たず長引いているのだと思われる。
 女性作家という呼称一つとってもそうだ。中には女流作家と何故名付けるのか。男流作家とは言わないだろう。ジェンダーについての世界的な流れからすれば、わざわざ性で区別する必要があるのか。さらには超高齢化社会で少子化が進んでいる日本では、独身だと駄目なのか。子供を産まないのは罪なのか、との論争にまで発展していた。
 SNS上では具体的な事例を挙げ、深層心理にある差別を取り上げていた。それはある女性が家電ショップに一人で行き、新しいパソコンの購入検討をしていた時の話だ。
 近くに寄ってきた店員にいくつかの質問をしたところ、何故か夫、または家族がいる前提で会話が進んだという。これは女性が家電に弱いとの先入観からか、一人で使用する為だと想像すらしていないに違いないと騒がれ、プチ炎上した例だ。
 独身の作家なら、執筆で使用するパソコンを新調しようと一人で店を回る場合がある。会社員だとしても新型感染症の拡大によりリモートワークの機会が増えた為、買い替えようとするケースだってあるのだ。もちろん故障だってするだろう。それなのに女性が自分だけで使うと、何故その店員は思わなかったのだろうか。
 そうした経験談をあげると、他にも同じ思いをしたので二度とその店には行かなくなった等、賛同する意見が少なからず書き込まれていった。つまりそういう差別的待遇された女性が、それなりにいるという現状を表している。
 他にも外見を揶揄する発言、態度といったセクハラに関する話題が多く上がった。今では学校であだ名を禁止したり、呼び名は男女ともさんづけさせたりといった風潮も出て来てはいる。
 しかし一九七〇年代から八十年代という藤子の子供時代などは、人の体形や顔の造作、動きなどをからかって名づけるケースが当たり前のようにあった。デブや豚、チビやブスといった直接的なモノもあれば、間接的に連想させて馬鹿にする呼び方も多い。
 男性が女性的、またはその逆の場合の言動があれば、苛めやからかいの対象となった。今では性同一性障害という言葉が、世間でも浸透してきている。かつてはテレビでも少数派として、面白くおかしく扱われていた時代があった。けれど近年トランスジェンダー等多種多様な人達の存在は、広く認識されるようになってきた。
 それでも性的マイノリティへの理解はまだまだ不十分な点が多い。特に学校などでの教職員を含む、大人達の認識不足が問題となっている。男または女のくせに気持ち悪い等の差別的あるいは侮辱的な言葉を投げつけ、自尊感情を深く傷つけたあるいは傷つけている場面を見た経験を、皆一度くらいしているのではないだろうか。
 有名大学の学生でも実際そうした嗜好しこうをばらされ、苛められからかわれて自殺した人がいる。社会人になってもLGBTQであると打ち明けたところ、仕事から外されるまたは辞めさせられたとの声も少なくない。
 そこまで騒ぎが拡大し収拾がつかなくなってしまった状況だからこそ、藤子はホテルに隔離され、外にもろくに出られなくなったのだ。そんな中、マスコミ関係の人間が接触してきたのである。
 無暗むやみに追い返せば、他のマスコミにリークされてしまうかもしれない。そうなれば、また他のホテルへ逃げ出さなければならなくなる恐れもあった。といって彼女の用件に答えるとなれば、他の人には聞かれたくない話も出るだろう。そう考え藤子はやむを得ず、ロビーではなく部屋の中に招く決断をしたのだ。
 四十一歳になる彼女は、十二年前に雄太の勤めていた同じ出版社で勤務していたという。説明によると雄太がシステム部門にいた当時、隣の部署だった彼女はそこで親しくなったようだ。その四年後に退職した雄太は、次にテレビ関係の下請け会社へ転職し、そこでもシステム関係の仕事についたと彼女は言った。この辺りは調査書で既に確認している内容と一致していたので間違いはない。
 その時期と前後してフリーになった彼女は、仕事関係で雄太と顔を会わす機会があったからか、引き続き連絡を取り合っていたと話してくれた。
その彼女が突然頭を下げて喋り始めたのだ。
「雄太さんが事故で死んだとは思えません。私は彼が殺されたのではないかと疑っています。けれど警察は聞く耳を持ってくれません。だから死の真相を明らかにする為にも、是非お姉様である白井先生に協力して頂けないかとお願いに参りました」
 とんでもない奇抜な主張に戸惑いながら、藤子は自分が知らない雄太について直接少しでも教えて貰えると期待し、彼女の言葉に耳を傾けてみようと思った。
 そこで尋ねてみたのだ。
「あなたは何故、雄太が殺されたと思うのですか」
すると彼女は信じ難い推測を口にしたのである。
「彼は仕事絡みで三年前に香港へ出張した際、現地で自由化運動をしている人達と知り合ったようです。私は正義感の強い彼が、現地で活動している人達と頻繁に連絡していたのではないかと思っています。その為に中国の国家安全維持法違反をする危険人物として目を付けられ、殺されてしまったのではないでしょうか」
 彼女が言った国家安全維持法とは、二〇一九年三月から一年以上香港で継続して行われた一連のデモを抑える為、中国が成立させた法律だ。発端は二〇一九年に逃亡犯条例改正案への反対運動で、その後民主化を訴える大規模なデモへと発展した。主催者の発表では最大二〇〇万人ともいわれ、国際世論まで巻き込んだ。
 そうした動きを封じる為に中国政府が動き、二〇二〇年六月三〇日に「香港国家安全維持法」を成立させ、即日施行された。だが問題はその中身だった。そこには四種類の国家安全に危害を及ぼす、犯罪行為と処罰が決められている。四種類とは、国家分裂罪・国家政権転覆罪・テロ活動罪・外国又は境外勢力と結託し国家安全に危害を及ぼす罪を指す。 
 中でも世界が反発したのは、永住者の身分を有さない者が香港特別行政区以外で、本法に規定する犯罪を実施した場合を記した三十八条だった。有罪となった場合、最高で終身刑または十年以上の懲役、積極的に参加した者は三年以上十年以下の懲役、その他参加者は三年以下の懲役、或いは拘留・保護観察処分となっている。
 これは外国人にも適用されることを意味していた。要するに、日本人が日本で国家安全維持法に違反した場合、中国の管轄権に入れば逮捕され、処罰を受ける可能性があるのだ。香港が好きな日本人は多く、コアなファンも少なくない。そういった人達により、香港の為に考え意見を述べ行動すれば、ある日突如として犯罪者にされてしまう恐れがあった。そうした場合、好きだった香港に渡る行為がリスクになるかもしれないのである。
 ただ現実的には、いちいち外国の案件を摘発していたらキリがない。また逮捕者の収容人数の問題だけでなく国際問題にも発展しかねない為、余程のことが無い限りは大丈夫だと言われていた。
 それでもこれは中国法の為、解釈権は中国にある。よっていつどこでその地雷を踏むかどうかは不明だ。その点がこの法律の難しさと言われていた。
 けれどもあくまで罰せられるのは、違反した人物が香港など中国に渡った場合に限られる。日本にいれば手を出さないのが普通だ。しかし彼女は、だからこそ口を封じられたのだと言い張った。中国から世界各国に派遣している公安のスパイが、秘密裏に動いてそうした危険分子を排除していると熱く語りだしたのである。
 曲がりなりにも藤子はプロの小説家だ。純文学と呼ばれるジャンルの物語を執筆しているとはいえ、推理小説やSF等の作品もそれ相応に読破して来た。よってスパイが登場する警察小説や、世界の情報機関同士が戦う物語にも触れている。その為そういう類の話に抵抗感はなく、一般の人よりも理解がある方だと思う。
 それでも現実問題として身近な話となれば、余りに突拍子もないと考えるのは当然だ。よって正直話半分で話を聞いていた。
 ところが彼女は言ったのだ。
「警察から戻された雄太さんの遺品は手元にありますか。もしその中に携帯があれば、ぜひその中身を見てください。そうすれば分かると思います」
 やたらと強く迫られたので、藤子は渋々隣の部屋へと向かった。
 雄太が所持していたほとんどの物は、兄に押し付けられ藤子の家で一時保管している。中でも彼の生活や過去に関わる遺品は、調査員達に渡していた。携帯もその一つだが、彼らを解雇した際全て返却された為、今はホテル住まいしている藤子の手元にあった。ロックは警察の手により解除されたのか、暗証番号なしで中味を確認出来るようになっている。
 そこで言われた通り操作してみると、驚いたことに実際発見したのだ。そこには香港から日本へ逃げて来た人達や現地の人達と、雄太が度々メールのやり取りをしていた形跡が残っていたのである。
 さらに和香が教えてくれたSNSを覗いてみると、彼が使用していたらしいアカウントを見つけた。そこに書き込まれた内容を遡って辿ったところ、確かに民主化運動に加担していた証拠となる文章が多数記載されていたのだ。
 よって彼女の夢物語のような話も、完全に否定できなくなってしまった。信じられないが、そういう可能性もあると考えざるを得なくなったのである。
 ただ一旦冷静になって考えた。この問題に首を突っ込み過ぎれば、本当だった場合は下手をすると自分の身にも危険が及ぶ。それに警察だって雄太の携帯の中身を見ているはずだ。つまりこうした内容を知った上で、事故として処理したに違いない。
 調査会社も把握していただろう。けれど彼女の言うような推測をして、人間関係を洗ったとの報告は受けていない。つまりは単に香港民主化運動を支援する、一定数の日本人の一人としかみなされていないのだ。
 それを今更殺されたかもしれないと警察に再捜査して貰うなど、まず無理だと考えた。それに実際マンションの住民二人が、雄太は何かに気を取られたのか足を滑らせ落ちる瞬間を目撃したと証言している。その為彼女の意向には沿えないと一旦は突っぱねた。
 それでも彼女は諦めなかった。
「それなら私が今までライターの仕事をしてきた繋がりで、親身になってくれる警察の人を紹介します。もしその方が、管轄外で既に解決済みとされている案件でも別途再捜査してくれると約束してくれたなら、協力して頂けますか。親族でもない私が頼んでも、その人は動いてくれません。しかしお姉さんからの依頼なら話は別です」
 そこまで言われると、藤子もさすがに断り辛くなった。そこでまず無理だろうとたかくくっていた為、もしそういう人がいて調べてくれるのなら協力すると告げたのだ。
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