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しまおか

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第一章~⑤

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 しかし結局答えが出ないまま別れ、後は日本を離れる兄の代理として、美奈代と弁護士達に任せていいんだなと念を押された。会社で紹介された弁護士やリサーチ社の窓口を彼女にすると聞いた時、正直嫌な予感はしていた。
 だが今更駄目だとは言えなかったので藤子は頷いた。そうして彼女が弁護士や調査員を通し、雄太の遺産がどれだけあるか正確に調べ始めたのだ。藤子が彼女に不信感を抱いていたのはデビューが決まった際の対応や、その後豹変した言動があったからだけではない。兄と結婚した当初から相性が合わなかったのである。
 高学歴の両親を持ち、保曽井家よりも裕福な家庭に育ったためか、彼女は異常に自尊心が強かった。ブランド品が大好きで高級な物に目が無く、金銭感覚も藤子達とは明らかに違っていた。けれども父親のコネで事務職として入社し、兄と付き合い始めて間もなく妊娠したことから二人は結婚を決めたのだ。
 よって社会人経験が三年弱しかなかった為、バリバリ働く藤子達に対し内心ではコンプレックスを持っていたらしい。その分雄太だけには優越感を持っていたと思われる。
 そうした反動からか、独身で居続け子供を作らない藤子達を揶揄やゆする発言をした。
「家庭を持ってこそ社会人と言えるのよ。それに高齢化も進んで少子化が問題視されているというのに、あなた達は責任を感じないのかしら」
 日本では確かに一九七〇年から高齢化社会となり、一九九四年に高齢化率が十四%を超え、高齢社会を迎えていた。ドイツで四十二年、フランスで一一四年の年数を経たのに対し、この国は僅か二十四年で突入している。
 その背景に少子化があり、このままでは人口が減少する中、高齢者の割合が高まる一方で経済も衰退せざるを得ないと危惧され始めていた頃だ。
 しかしそれはバブル以前から子育てや教育にお金がかかり過ぎる等の理由から、結婚した人でも複数人も産みたくないと思う家庭が増えるという、社会的な環境がもたらしたものではないか。
 それに加え晩婚化が進んで子供が産み難くなったり、経済的な問題で結婚したくても出来ない人が増えたりしたからだろう。経済的に余裕があっても、今以上または親の世代以上に豊かな生活が出来ないと不安に思わせ、結婚を躊躇う要因が社会全体に蔓延まんえんしていた。その上昔とは異なり、時代は生き方が多様化し始めている。それを個々人の責任に押し付けられても迷惑な話だ。
 明らかに異なる価値観を持っている美奈代だったが、そうかと思えば藤子が退職したと聞くや否や、急に見下し始めた。引け目を感じる必要が無くなったからだろう。無職で独身の人なんて、社会にとって生産性のないただの邪魔者だと思っていたに違いない。
 そういう極端な思想を持つ彼女にも、今となっては同情すべき所がある。大手の会社で順調に昇進し高収入を得ている夫を持ち、各地を転々として子供もまだ幼かった頃は良かった。入社十年目で購入したマンションも父の遺産でローン残債を大きく減らし、転勤中は人に貸して不動産収入を得ていたと聞く。
 だが十二年前の二〇一〇年、彼女の兄が事故で亡くなってから歯車が狂い出した。当時七十三歳と七十歳になる彼女の両親は、兄夫婦が面倒を看ていたようだ。それなのに葬儀が終わった後間もなく、手に入れられる遺産を受け取った兄嫁が家を出てしまったのである。美奈代や両親との関係を完全に切り、子供を連れて立ち去ったらしい。
 二人兄妹だった為、両親の扶養義務は全て美奈代が負う羽目になった。そうした理由もあり、藤子達の母が病死した時彼女は心底ホッとしていたに違いない。兄の親の世話をする心配が無くなり、今後は自分の両親のことだけを考えればよかったからだ。
 しかしそれまで相当な不満や苛立ちを抱えていたのだろう。子供達が大きくなるにつれて、二人共親の期待に沿うような成績が出ない状況もストレスになったらしい。彼女は日々ヒステリックになっていったと、兄から聞いた事がある。
 しかも母が病死する前年、ようやく長男の秀人を大学へ入学させたと思ったら、今度は長女の綾が大学受験しないと言い出した。それだけではない。彼女は親に内緒で男と付き合っており、妊娠してしまったのだ。
 当然進学はせず、高校を卒業後に結婚。孫の百花ももかが産まれた。母が病死した翌年である。また藤子が会社を退職した年でもあった為、結婚式には出席できなかった。つまり秀人の時と同様、藤子はめいの祝いの席にさえ座らなかった。恐らくそうした経緯も含め、美奈代は藤子を毛嫌いしていたのだろう。ただそれはこちらも同じだった。
 しかし彼女に降りかかる災難はその後も続いた。綾が出戻ってきたのである。その同じ年に五十二歳となった兄は、順調に出世を重ね部長へ昇進して役員まで狙える位置にいたが、社内で勃発した派閥争いの巻き添えになり風向きが変わった。その為会社での地位が悪化した上、シンガポール支店への出向を命じられたのだ。
 通常なら子供達も成人し手を離れている為、夫婦二人で海外生活を送っていただろう。だが家には綾と孫の百花がいたので、そうはいかなかったらしい。シングルマザーになった綾は、将来を見据えてスーパーの社員となり、働き始めた事情も影響した。これまで二十五年専業主婦を続けてきた美奈代が、百花の世話や家事全般を任されてしまったのだ。
 よって定年まであと数年と迫っているにもかかわらず給与と待遇が下がった兄は、単身赴任を余儀なくされた。その前年秀人は就職していたが、兄のコネにより入った中小企業だった為に収入は余り良くなかったという。それなのにまだ子供はおらず共働きとはいえ、結婚して扶養家族がいるのだ。
 要するに幼い頃からこれまで贅沢な生活に慣れていた彼女は、経済的なものも含め、多岐たきにわたる懸念を抱え始めたのである。特にここ最近は孫の世話に加え、これまで元気だった彼女の両親の介護が必要になり始めたと聞いていた。
 八十五歳と八十二歳という高齢なのだから、体調を崩したとしても不思議ではない。そうした心配事が余りにも重なり過ぎて、精神的な余裕がなくなっていたのだろう。そこに来て、不可思議な問題を抱えたまま雄太が死んだのだ。
 正直面倒な事は、藤子に丸投げしてしまいたかったに違いない。その為弁護士達が間に入るとはいえ、後は彼女に任せてもいいかと兄から言われた時、引っかかりを感じたのだ。その理由は後に分かった。調査依頼が進む中で途中経過だと彼女から連絡を受けた際、美奈代は言ったのだ。
「作家として有名になった独身の藤子さんなら、それ程お金は必要ないでしょう。それに比べてうちはお恥ずかしい事に夫の給料は下がってしまったし、私の両親の介護にかかる費用もあるし綾や百花の面倒も看たりしているから、何かと大変なのよ。秀人だってギリギリの生活で、今後子供が産まれたらもっと苦しくなるに違いないわ」
 暗に雄太の遺産調査等わずらわしい役割を引き受けたのだから、多く配分されて当然だと言いたかったのだろう。ただ実際に厄介なのは確かである。雄太名義の資産がいくらあるかを調べるだけでは済まない。借金があるのか、確認の必要もあった。相続が発生する場合、負の遺産も引き継がなければならないからだ。
 また渡部亮という別人の名義があるせいで、その名で蓄えられたお金はいくらあるのか、他にも別名が存在するのか照会しなければならなかった。その上雄太が落下した際に巻き込んだ、女性との示談交渉もある。さらに本当の渡部亮は現在どこにいるのか、名義は売買されたのか、奪い取ったものかも明らかにしなければならない。
 加えて文書偽造の罪で得た不当な収入はないか、あればそれが雄太名義の口座に蓄えられていたのかどうかも疑ってみなければならないという。もし犯罪で得たお金で被害者等が存在すれば返金の義務が生じる。よって相続財産から差し引かれる可能性も出てくるらしい。
 今の所そうした証拠は見つかっておらず、警察も立件は見送る構えだとは聞いていた。渡部亮名義の口座は給与振り込みと光熱費や家賃の引き落とし等で使用されており、多少の残高はあったようだ。また渡部亮として働いていた未払い分の給与や退職金も少しは出る為、借金のような負債がなければそれなりの額はあるという。
 それでも雄太名義で残されていた資産と比較すれば誤差のようなものだ。税務署や警察に差し押さえられても大して影響はない。何なら手続きが面倒になる為、全額放棄したっていいと弁護士は言っているようだ。
 藤子は内心美奈代の言い草に腹を立てたが、ここで喧嘩をしても得にならないと諦めた。しかし彼女の思い通りにさせるのはしゃくだと考え、条件を付けることにした。
「お手数をおかけしているので、調査等にかかった費用を差し引いた残りの取り分をどうするかはお任せします。ただし雄太が残した遺産だけでなく彼がどういう人生を送り、何故もう一つの名を持つようになったのかも調べて頂きませんか。もし納得できる内容が得られれば、私の分は少なくても結構です」 
 すると彼女は良い言質げんちが取れたとばかりに喜び承諾した。実際に動くのは弁護士達だ。予想される遺産総額からすれば、上乗せになる経費など安いものだと皮算用したのだろう。藤子としても今は自由に動ける状態ではなく、疑問を解消しようとすれば結局専門家に頼るしかない。それなら兄達が依頼した人達を使えば、手間は省けると考えたのだ。
 しかしそうした判断が、後に大きな間違いだったと悔やむ結果になった。彼女と約束を交わした一週間後、マスコミが雄太の死について突然騒ぎだし、事態は悪い方へと急変したからである。
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