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しまおか

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第一章~④

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 事情聴取を受けた二日後に警察から連絡があり、雄太の件は事故として処理される、と教えられた。その理由の一つとして、事故に巻き込まれた被害者の他に、偶然居合わせた住民の目撃証言があったからだという。
 その人は屋上に人がいると気付き、危ないと様子を見ていたらしい。すると何かに気を取られてバランスを崩し、足を滑らせて落ちたと供述したそうだ。またその内容が、被害女性の語った内容とほぼ一致したのである。
 さらに警察の捜査でも、自殺や殺人と決定づけられるものは発見できなかったと告げられた時、愕然がくぜんとした。まずそんな証言があれば、最初から事故だと発表できたではないか。それなのにどうして事故か自殺か事件かで調べているという、思わせぶりな態度を取っていたのかと苛立った。
 また別名義を所持していた件さえ、犯罪に関わっていた証拠がないので書類送検も敢えてしないと告げられた。その点については納得いかなかったが、渋々警察の決定を素直に受け入れようと決めたのだ。
 どうして別人に成りすます必要があったのか、本音ではその理由を知りたかった。しかしこれ以上騒げば、雄太は犯罪者として亡くなったとの事実が間違いなく残る。それならば不運な事故だったと考え、静かに冥福めいふくを祈る方が良いのだろう。同じく警察の説明を聞いた兄にも、電話でそう説得された。
 しかし事故の場合だと、巻き込まれ怪我をした女性に対しての過失傷害罪は成立する。民法でも賠償義務を負う必要が出てくるという。とはいえ弁護士によると親告罪なので、被害者と上手く示談できれば刑罰を受けずに済む、と説明されたらしい。
 ただし道義的には、それなりの対処をしておいた方が良いだろうとアドバイスされたようだ。どうやら美奈代から話を聞いた兄は会社の顧問弁護士を通じ、雄太の資産鑑定も兼ね相談をしていたのである。その時にこうも言われた。
「お前も突然有名になって忙しいだろう。こっちに任せてくれるなら、俺が弁護士を雇ってもいい。ただ一度くらいは被害者へお詫びをしに行く必要があるだろう。その場合はそっちに頼むかもしれない。雄太の遺体が警察から戻って来て、葬儀を挙げるとなれば俺も帰国できる。その時まで話が付いていればいいが、まず無理だろう。そうなると、俺も簡単には日本へ行き来できないからな」
 異論が無かった為、藤子は兄に全てを委ねた。その後雄太の遺体を引き取り、それに合わせて一時帰国した兄とその一家に藤子を含めたごく少数の親族だけで、ひっそりと葬式をあげたのだ。
 納骨は火葬した直後、祖父母や両親も眠る都内の墓に収められた。兄はそれほど長く日本に滞在できない。その為しばらく手元に置いたり、四十九日の法要を待ったり出来なかったからだ。
 藤子が二十歳の時に祖父の慎蔵しんぞうが亡くなった。その際経済的余裕があった父は都内に墓を買い、これまでの墓を移転した。保曽井家の墓は同じ関東だが東京にはなく、少し遠かったからである。
 戦後しばらく経った頃に曾祖父そうそふが亡くなった為、五人兄妹で遺産分割をしなければならなくなり、住んでいた土地や家は売却されたと聞いていた。しかし先祖代々が眠る墓だけは、そのままにしていたようだ。
 けれど時が過ぎ、その周辺地域の過疎化が進んだことにより、他の身内もそれぞれ土地を離れ始めていたらしい。よって墓守をする人がおらず、また同じく東京へ出て来ていた人達もいたので了承が取りやすかったそうだ。
 曾祖父の死を機に、長男だった祖父が最初に東京へ出たという。曾祖母の容体も悪く、東京の大きな病院に入れる必要があったからだと聞いていた。また一人息子である父の教育を考えての行動でもあったようだ。
 おかげで父は学業に励んで有名大学を卒業後、大手銀行に就職して出世した。祖父の期待に十分応えたと言って良いだろう。また保曽井家は裕福になり、その恩恵を藤子達も十二分に受けられたのだ。
 葬儀の一連の流れの中、久し振りに会った兄と雄太について昔話をした。その上で、何故名前を隠し別の家まで設けて生活していたのか、との疑問も話し合った。
「今思えばネットを使って、あいつの住んでいる家がどういう場所だったのかだけでも調べられたのにな」
 兄の呟きに藤子も頷いた。これまで二人は全くと言っていい程、彼に興味を持たなかったと気づかされ、今更ながら後悔した。特に藤子が新人賞を取った際、教えていないにも関わらず連絡をくれたのは、彼が気にかけてくれていた証拠だ。それなのに自分はどうだったかと振り返った時、情けなくなった。
 まだ一緒に暮らしていた子供の頃を思い出す。雄太は兄や藤子と違い、幼い頃から運動能力が高かった。けれど勉強は苦手だったらしく、やんちゃなグループと付き合いもあり、両親に心配ばかりかけていた。
 その上戦前は特別高等警察に所属しかなり厳格だった祖父の影響もあったからだろう。父はとても教育熱心でしつけも厳しかった。その為兄と藤子の成績はずっと良かった。だからかできない彼を見て、馬鹿にしていたのも確かだ。特に兄は優秀だったし年も七つも違っていた為か、よく雄太を叱っていた記憶がある。
 その一方で親の期待を背負った兄は、口だけでなく実際に父と同じ大学に入った。卒業後も大手総合商社に入社し、エリートコースを歩み続けたのだ。藤子も負けまいと必死に頑張ったが、兄よりは劣った。
 比較され、また蔑まれていた雄太の様になりたくない。そう強く思い始めた為、家を出ようと中高一貫だが全寮制の学校を受験し、入学したのだ。また卒業後も大学に進学した際、家から通える距離ではあったが激しく抵抗してそのまま一人暮らしを始めたのも、両親によるプレッシャーから逃れる為だった。
 その頃雄太は暴力事件に巻き込まれ高校を停学になった件を機に、大学進学を諦めて父親のコネで就職し、家から通っていた。当時は兄も就職し一人暮らししていた為、家族とはいっても皆バラバラだった気がする。それは形だけでなく精神的にもそうだった。それぞれの身の回りで様々なことが起こり、忙しかった時期だったからかもしれない。
 実際雄太が就職した翌年、兄は同じ会社の社員だった美奈代と出来ちゃった婚をし、次の年には秀人が産まれていた。藤子が就職難に喘ぎながらも、何とか中堅の保険会社に総合職として入社した年でもある。
 その翌年には雄太の会社が倒産した。大変だとは思ったが、藤子自身も入社して二年目で、自分の仕事をこなす事に精一杯だった。同期の男達に総合職として負けまいと、無理をしてがむしゃらに働いていた頃だ。
 兄も結婚して二年目、子供が生まれて一年目なのに、美奈代は二人目の妊娠が判明した年だったからだろう。雄太の事に関心が及ばず、両親に任せっきりだったという記憶だけはある。なんとか金融関連の子会社に再就職が決まったと聞いた翌年、兄の家では長女の綾《あや》が産まれた。
 さらにその翌年、雄太が別の会社に転職をしたと聞いたが、兄は次の年に美奈代からせがまれたらしく、マンションを購入している。当時の藤子は入社五年目で、最初の配属は東京だったが、初めての転勤により大阪支店への配属が決まった時だ。異動の挨拶を済ませ引っ越し、新しい職場での引き継ぎ等で忙殺されていた。
 ようやく一年が過ぎ、これから土地や仕事にも慣れ始めるだろうと思っていた矢先、父がトラックに追突されて事故死したのだ。相手の前方不注意で、勤務中に社有車を運転していた時だった。よって相手側が加入していた保険金で、賠償金も十分まかなわれた。その上で会社の労災や死亡退職金、他にも個人で加入していた生命保険等が支払われたのである。
 当時六十三歳だった父は、銀行を定年退職してからも関連会社の役員をしていた。その為保曽井家は比較的裕福だったこともあり、遺産は約三億二千万円あった。そこで葬式を済ませ財産分与の話になった際、親子四人が久しぶりに顔を会わせ、話し合う場を設けた事を覚えている。
 だがそこで揉めはしなかったが、後に若干のわだかまりを産んだ。法定相続通りだと、配偶者が二分の一、残りの二分の一を子供達で分けるはずである。けれど父は生前母に、上二人は有名大学を卒業し一流企業に勤めているが、雄太は高卒だからとても心配だと漏らしていたという。その為多めに財産を残したいと、母から申し出があったのだ。
 藤子は当時主任に昇格したばかりで、独身で収入にも余裕があったため了承した。兄は子供が二人いて前年にマンションを購入したばかりだったからか、やや渋っていたようだ。
 それでも課長代理に昇進し、収入も藤子より断然多く稼いでいた事等から母に説得され、最後は折れた。よって半分は母親、残り約一億六千万の内、四千万ずつが兄と藤子に、約八千万が雄太の手に渡ったのだ。
 けれど後に美奈代だけは、相当不満を漏らしていたと聞いている。子供達がまだ幼く、手がかかる頃だったからだろう。これから教育費等の出費が増え、マンションのローンも多く抱えていた為に違いない。少しでも遺産で借金を減らしたいと思っていたようだ。
 藤子はその後母親が病死するまで、平均して五年に一回は転勤を繰り返していた。兄達もまた海外を含め転々としていた事情もあり、より縁遠くなってしまったのである。それまでも途絶えがちだった雄太とは、藤子も兄もほとんど直接連絡を取らなくなった。せいぜい母を通して年一、二回程度は互いの様子を知る位だった。
 だからといって雄太は何故、父の遺産で中古の一軒家を購入していたのに、借家だと偽り隠していたのだろう。多く貰った上に、そのような使い方をしてねたまれるとでも思ったのだろうか。
 しかし当時の東京の地価はバブルがはじけ、二〇〇五年頃まで下降が続いていた。そのような土地等が安くなった時期に買ったのだから、今思えば彼は先見の明があったと言える。
 もし当時FPの資格を持つ藤子が相談を受けていたなら、悪くない考えだと答えていたと思う。実際その後地価は高騰し始めた為、詳細は不明だが今だと億近くなっていてもおかしくない。よって彼の行動は正しかった事を証明していた。
 また七年前に母が亡くなった際の遺産も、法定相続通りなら本来三分の一ずつだが、母親の遺言により兄と藤子は四千万ずつ、残りは雄太に渡った。実家の土地家屋が含まれていた為、恐らく九千万以上はあったと思う。
 彼はその後すぐに売却をしていたはずだ。兄は自分が購入したマンションを持っていたし、藤子は社宅を転々としていた為、残すべきだ等と反対しなかったからだろう。
 ただ藤子は雄太に、住む気はないのかと一度だけ聞いた覚えがある。
 しかし彼はその時言った。
「一人で住むには広すぎるよ。俺は今の借家で十分だ」
 賃貸料を払い続けるよりは、持ち家の方が出費は少なくて済む。だが彼の言い分は理解できたし、両親と一緒に住んでいた家だからといってそれ程思い入れが無かった為、それ以上は何も言わなかった。だが今思えば、あの時既に彼は一戸建ての家を持っていたのだ。その為躊躇せず処分できたのだろうと納得できた。
 あの時も美奈代は文句を言っていた。前年に長男が、決して有名とは言えない私立の大学に進学したことで学費がかさむ上、長女も高校卒業を控え、その後の進学に金がかかる時期だったからだ。それでも遺留分となる約三千万より多く分配されていた為、不服を申し立てても法的に勝ち目はない。よって受け入れざるを得なかったのだ。
 彼は母から受け取った遺産を、ほぼ手付かずのままにしていたのだろう。だから預貯金が一億円以上もあったのだと思われる。
 しかし兄は首を傾げながら言った。
「それにしてもあいつの給料は、俺達に比べれば安かったはずだ。ずっと独身だった点を差し引いても良く貯めたと思うよ。別名義のマンションだって、会社からの補助を除き月八万円払っていたんだぜ。光熱費も併せたら馬鹿にならない金額だぞ。持ち家に住んでいたら、そんな出費なんて必要なかったはずなのにな」
 そこで再び疑問が浮かんだ。本名で土地建物を購入した雄太は何故、そしていつから渡部亮を名乗るようになったのだろう。
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