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違う場所から見える同じ景色

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八月に入ると足の調子はだいぶ良くなった。
今月の半ばにはギプスを外せるようで、その後は家から通ってリハビリをすることになっている。
 
僕たちは病院の屋上へと向かっていた。

花火をするためだ。

今日の午後、花火セットを持った優笑さんが病室に来て「夜やろう」と提案した。
 
就寝時間を超えた病院は人が少なく薄気味悪い。
ほとんどの人は寝ていたし、廊下の電気も落とされている。
人の声は聞こえず、優笑さんの足音だけが遠くへと響いていた。

「楽しみだね」
 
声を押し殺して優笑さんが言う。

花火セットには手持ち花火や線香花火はもちろんのこと、噴出花火なども入っている。
お母さんに頼んで買ってきてもらったらしい。
花火セットを持って楽しげに笑う優笑さんの笑顔が鮮明に記憶に残っていた。
 
エレベーターに乗って最上階を目指す。

屋上に入るのは初めてだ。

広場でもできるが、どうしても空に近い場所でしたかったらしい。
そんな優笑さんの願いを叶えるために、病院が屋上を開放してくれた。
 
ベルが鳴り、エレベーターが止まる。

開いた扉の先は狭く、用具入れや埃を被った机などがあった。
屋上へと繋がる扉の窓から月明かりが差し込んでいる。
 
優笑さんが扉を開き屋上に出て、車椅子に乗った僕が後に続く。
爽やかな夜風が首筋を撫でた。
 
屋上の周りは人が落ちないよう高いフェンスで囲われていた。
小さな花壇があり、近くにベンチが二つ設置されている。
端に追いやられた室外機が音を立てて回っていた。

「綺麗な景色だね」
 
フェンスに手をかけて、優笑さんが呟いた。
 
就寝時間を超えているとはいえ、まだ十時を過ぎたばかりだ。

車のライトや家から漏れた電気の光が重なり合って真っ暗な世界を彩っている。
黒い空に浮かぶ星々が忙しない地上を見下ろしていた。

どんなに精巧なカメラでも表現することのできない静けさと力強さの両方を併せ持った景色だ。
 
屋上に到着してから少しの間、僕たちは花火をせずにフェンスの先に広がった夜の景色を見ていた。

僕は車椅子に座り、優笑さんはフェンスに手をかけてぼーっと眺めている。

時折風が吹いて、甘く柔らかな匂いが鼻先を掠めた。

目の前に広がる景色が輝いて見える。
ここらの夜景はこんな綺麗だっただろうか。

「僕、来月誕生日なんですよ」

「そうなんだ」

「忘れないでくださいよ。誕生日会やるので」

「任せてよ。誕生日覚えるの得意だからさ」
 
そう言われてホッと胸を撫で下ろす。
同時に愉快に誕生日を祝う優笑さんの姿が想像された。

「プレゼントもあげるから期待してて」

「絶対ですよ」

「うん、約束」
 
そんなやりとりを終えたあと、ようやく僕たちは花火の用意を始めた。

借りたバケツに水を汲み、花火セットに付属していた小さな蝋燭に火を灯す。
薄暗い屋上の景色の中でゆらゆらと火が揺れていた。

手持ち花火に火をつけると、激しい音と共に数多の輝きが生じた。

僕に続いて、優笑さんも花火の先を蝋燭の火に当てる。

「夏だね」

「はい」
 
キラキラと闇を照らす光を見つめながら頷く。

花火をしたのはいつぶりだろうか。
小学校に入学してからは一度もやっていない。

「私にとっての最後の夏だ」

「そんなことないですよ。きっと来年も花火できます」

「だといいね。その時はまた誘うよ」

「楽しみにしてます」
 
淡い光を眺める優笑さんの横顔はとても大人びていて、今にも消えてなくなってしまいそうだった。

闇と一体化した彼女の輪郭が死を連想させる。
花火に火をつけるまでは優笑さんと死は対局な場所にあると思っていたのに、
花火を始めてからは距離がグッと狭まってしまったような気がした。
 
優笑さんがいなくなってしまう。

考えたくなかったが、身体を蝕んでいく病気が僕に現実を突きつけた。
最近の優笑さんは物忘れが激しくなっていて、何もない場所で転ぶことも多くなった。
 
手持ち花火がなくなると、優笑さんは花火セットの中から線香花火を二本取り出した。

一本受け取って火をつける。

闇の中で小さな光の球が弾けて煌めいていた。

「ねぇ、賢斗くん」

「なんですか?」

「好きな子いないの?」

「なんですか、急に」
 
問われて、胸の奥がキュッと締まる感じがした。
心拍数が上がっていく。
優笑さんと視線がぶつかり合って、咄嗟に目を逸らした。

「いるなら告白した方がいいよ。じゃないと後悔するから」
 
線香花火の光がゆっくりと弱まっていく。

「優笑さんはいるんですか?」
 
訊くと、優笑さんは視線をそっと地面に向けてこくりと首を縦に振った。

「同い年ですか?」

「ううん。年下の子」
 
否定する優笑さんを見て、僕の呼吸は浅くなった。

心臓の打つ速度はユニフォームを貰ったあの瞬間よりも早い。
顔のあらゆるところに力が入って、うまく笑うことすらも難しくなってしまった。

「幼馴染でね、小学生の頃からずっと野球をしてるの。
いつもベンチなんだけど、それでも必死に努力してて誰よりも野球を楽しんでる」
 
優笑さんの線香花火の光が地面に落ちていった。

僕の方はまだ輝きを放っている。
消えないように、少しでも光っていられるように、一生懸命しがみついているようだった。

「ずっと好きだった。何度も告白しようとした。
でも断られた時のことを考えると怖くなって結局できなかった」

「もう告白しないんですか」

「こんな身体になっちゃったからね」

「病気は関係ないですよ」

「そう言って貰えると嬉しいけど、でもやっぱり好きな人が傷つくのは嫌だからできないよ」
 
優笑さんの口から「好き」と言葉が出るたびに心が痛んだ。
こんな鈍いようで鋭い痛みを感じたのは初めてだった。

「……そうですよね」
 
肯定してみたが、優笑さんが告白するとその幼馴染が傷つく理由はわからない。

病気のことがあったとしても、もし僕が告白されたら嬉しい気持ちになる。

優笑さんの考えが理解できないのは、僕がまだ子供だからなのかもしれない。

「でもいいの。たしかに告白できなかったことは心残りだけど、気持ちを伝えるだけが恋じゃない。
アイツのことを考えて喜んだり悲しんだりして、それだけで十分楽しかったし幸せだったから」
 
柔らかく微笑む優笑さんはとても幸せそうだった。

「だからね。告白だけに限ったことじゃなくて、
自分がやりたいと思ったことがあるならやった方がいいよ。
未来がなくなってからじゃ遅いんだから」
 
目を合わせて首を縦に振った瞬間、淡く光っていた線香花火が静かに落下していった。
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