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あの時の一言
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三度目ともなると、店に入っても緊張はしなかった。エレベーターを降りた先で帰りを待っているメイドさんに人数を伝えると、壁際の席に案内された。
メニューを開いて星見さんに差し出した。僕の注文はすでに決まっている。ハルカさんと来た時に注文したハンバーグセットだ。この店を提案した瞬間から決まっていた。
ページを行ったり来たりして悩んだ結果、星見さんが選んだのはデミグラスオムライスだった。パスタと悩んでいたが、通りかかったメイドさんが運んでいたオムライスを見て決心がついたらしかった。
「お願いします」
通りかかったメイドさんを呼び止めて料理を注文した。メイドさんはドレスを指先で摘んで上品に頭を下げると、笑顔を見せてキッチンへと向かっていった。
星見さんは、物珍しそうに店内を見回している。そわそわしてはいたが、居心地が悪い様子ではない。メイドさんのドレスを見て、小さな声で「可愛いな」と呟いた。
「……メイドカフェとか来るんだね」
「仲が良かった人と来たことがあるんです」
「もしかして、あの時一緒にいた人?」
首を縦に振って肯定する。星見さんの言うあの人が、ハルカさんを差していることはすぐにわかった。
サイン会場を出た先で、二人は顔を合わせていた。まともな会話を交わしてはいないものの、端正な顔とスタイルがしっかりと印象に残っているのだろう。
「だいぶ年上に見えたけど、中学時代の先輩とかなの?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
ハルカさんとの特殊な関係を何と呼ベばいいのかわからなかった。
友だちと答えることは容易だったが、それ以上に適切な答えがあるような気がした。
「恩人……ですかね」
そう表すのが適切だと思った。寝ても覚めても悪夢ばかりを見ていた日々の中で、唯一悩みを打ち明けられた相手だからだ。
「……恩人、ね」
星見さんがグラスを持って手首を回すと、中の水が渦を描いた。何か言いたそうにこちらを見ているが、なかなか口を開こうとはしない。恩人と呼んだ理由が気になっているのか、他に何かあるのかはわからなかった。
同じ場所で、同じような光景に遭ったことがあった。立場が逆だったからこそ、星見さんの抱えているもどかしさがわかる。あの時も、僕はハルカさんに背中を押してもらった。
かけるべき言葉はわかっていた。飾り気の一切ない、小学生でも言える簡単な言葉だ。
「星見さん」
深呼吸をする代わりに名前を呼んだ。
大きな瞳が僕を捉える。一定のリズムで動いていたはずの心臓が、震え上がって不規則になった。何かを期待するように、続く言葉を待っている。求められている言葉は、星見さんが言い淀んだ時から知っていた。
もらった恩を返すために、僕はそれを寄り添う形で伝えなければならない。小さな使命感を覚えながら、閉ざした口の力を抜いていった。
「どうしたんですか?」
緊張を押し殺して、過去にハルカさんが見せてくれた笑顔を思い浮かべて笑った。慣れないことをしているので、不恰好な笑顔になっているかもしれない。変な場所にシワが寄って、普段よりもみすぼらしい顔をしているだろう。
あの優しさを表現するだけでよかった。鼻も高くなければ、白い肌でもなかったが、星見さんが口を開く要員の一つにさえなればいい。ハルカさんから教えてもらったのは、感情に寄り添う優しさだ。
「……あのさ」
星見さんがテーブルの端を見つめたまま口を開く。
「斎藤くんと初めて話した時、私がなんて質問したのか覚えてる?」
「えっと……」
星見さんの言う『初めて話した時』とは、いつを指しているのだろう。
今日の午後、教室の扉を開くことを躊躇っている時か?
それとも、教室で声をかけられた時か?
抽象的すぎて、投げかけられた質問の回答を出すことができない。
正しい答えにたどり着くためのヒントが出てくるのを待つほかなかった。
「日曜日に、階段で話しかけたでしょ?」
「……あぁ」
CDコーナーを抜けてこちらへと向かってくる女性が浮かぶ。サイン会場を出た先で交わした会話は、まさしく星見さんとの初めての会話だ。
「『私のこと覚えてない?』」
麦わら帽子を被った星見さんは、階段を数段登った先でそう言った。見覚えのない女性にされた質問だからか、はっきりと記憶していた。
「そう、それ」
「それがどうしたんですか?」
どんなに表情を観察しても、言おうとしていることはわからなかった。先ほどのような違和感こそないものの、緊張感がテーブルを包み込むように漂っている。
「……ごめんね、斎藤くん」
手に持ったコップを置いて、肩に触れていた髪の毛を前に揺らした。
発する言葉がちぐはぐで、意図していることは理解できなかった。出会って初めてされた質問の意味も、何故謝罪されたのかもわからなかった。
「ずっとずっと辛い思いをしてたよね」
そう呟くと、唇にグッと力を込めて拳を握った。
わなわなと身体を震わせる星見さんは、今にも泣き出しそうだった。
「同じ境遇にいたから痛みを知ってたはずなのに、怖いから見て見ぬ振りしてた。私は被害者だから、しょうがないって言い聞かせてたの」
俯いた状態で絞り出すように言った後、しばらくして「本当に、ごめんね」と身体を前に揺らして呟いた。
出来上がった沈黙の中で、何か重大なことを告げる準備をしているようだった。肩で呼吸をして、垂れ下がった髪の毛を左手の指先で弄っている。爪が擦れ合う音が微かに聞こえた。
「……あのね」
消えてしまいそうな小さな声が、髪の毛を被った僕の耳に届いた。
伏せていた顔を上げ、丸い瞳で僕を見る。目尻に溜まった涙が、天井に吊るされたシャンデリアの灯りで光っていた。
「実は私、去年も斎藤くんと同じクラスだったの」
告げられた瞬間は、その言葉の意味を理解できなかった。
メニューを開いて星見さんに差し出した。僕の注文はすでに決まっている。ハルカさんと来た時に注文したハンバーグセットだ。この店を提案した瞬間から決まっていた。
ページを行ったり来たりして悩んだ結果、星見さんが選んだのはデミグラスオムライスだった。パスタと悩んでいたが、通りかかったメイドさんが運んでいたオムライスを見て決心がついたらしかった。
「お願いします」
通りかかったメイドさんを呼び止めて料理を注文した。メイドさんはドレスを指先で摘んで上品に頭を下げると、笑顔を見せてキッチンへと向かっていった。
星見さんは、物珍しそうに店内を見回している。そわそわしてはいたが、居心地が悪い様子ではない。メイドさんのドレスを見て、小さな声で「可愛いな」と呟いた。
「……メイドカフェとか来るんだね」
「仲が良かった人と来たことがあるんです」
「もしかして、あの時一緒にいた人?」
首を縦に振って肯定する。星見さんの言うあの人が、ハルカさんを差していることはすぐにわかった。
サイン会場を出た先で、二人は顔を合わせていた。まともな会話を交わしてはいないものの、端正な顔とスタイルがしっかりと印象に残っているのだろう。
「だいぶ年上に見えたけど、中学時代の先輩とかなの?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
ハルカさんとの特殊な関係を何と呼ベばいいのかわからなかった。
友だちと答えることは容易だったが、それ以上に適切な答えがあるような気がした。
「恩人……ですかね」
そう表すのが適切だと思った。寝ても覚めても悪夢ばかりを見ていた日々の中で、唯一悩みを打ち明けられた相手だからだ。
「……恩人、ね」
星見さんがグラスを持って手首を回すと、中の水が渦を描いた。何か言いたそうにこちらを見ているが、なかなか口を開こうとはしない。恩人と呼んだ理由が気になっているのか、他に何かあるのかはわからなかった。
同じ場所で、同じような光景に遭ったことがあった。立場が逆だったからこそ、星見さんの抱えているもどかしさがわかる。あの時も、僕はハルカさんに背中を押してもらった。
かけるべき言葉はわかっていた。飾り気の一切ない、小学生でも言える簡単な言葉だ。
「星見さん」
深呼吸をする代わりに名前を呼んだ。
大きな瞳が僕を捉える。一定のリズムで動いていたはずの心臓が、震え上がって不規則になった。何かを期待するように、続く言葉を待っている。求められている言葉は、星見さんが言い淀んだ時から知っていた。
もらった恩を返すために、僕はそれを寄り添う形で伝えなければならない。小さな使命感を覚えながら、閉ざした口の力を抜いていった。
「どうしたんですか?」
緊張を押し殺して、過去にハルカさんが見せてくれた笑顔を思い浮かべて笑った。慣れないことをしているので、不恰好な笑顔になっているかもしれない。変な場所にシワが寄って、普段よりもみすぼらしい顔をしているだろう。
あの優しさを表現するだけでよかった。鼻も高くなければ、白い肌でもなかったが、星見さんが口を開く要員の一つにさえなればいい。ハルカさんから教えてもらったのは、感情に寄り添う優しさだ。
「……あのさ」
星見さんがテーブルの端を見つめたまま口を開く。
「斎藤くんと初めて話した時、私がなんて質問したのか覚えてる?」
「えっと……」
星見さんの言う『初めて話した時』とは、いつを指しているのだろう。
今日の午後、教室の扉を開くことを躊躇っている時か?
それとも、教室で声をかけられた時か?
抽象的すぎて、投げかけられた質問の回答を出すことができない。
正しい答えにたどり着くためのヒントが出てくるのを待つほかなかった。
「日曜日に、階段で話しかけたでしょ?」
「……あぁ」
CDコーナーを抜けてこちらへと向かってくる女性が浮かぶ。サイン会場を出た先で交わした会話は、まさしく星見さんとの初めての会話だ。
「『私のこと覚えてない?』」
麦わら帽子を被った星見さんは、階段を数段登った先でそう言った。見覚えのない女性にされた質問だからか、はっきりと記憶していた。
「そう、それ」
「それがどうしたんですか?」
どんなに表情を観察しても、言おうとしていることはわからなかった。先ほどのような違和感こそないものの、緊張感がテーブルを包み込むように漂っている。
「……ごめんね、斎藤くん」
手に持ったコップを置いて、肩に触れていた髪の毛を前に揺らした。
発する言葉がちぐはぐで、意図していることは理解できなかった。出会って初めてされた質問の意味も、何故謝罪されたのかもわからなかった。
「ずっとずっと辛い思いをしてたよね」
そう呟くと、唇にグッと力を込めて拳を握った。
わなわなと身体を震わせる星見さんは、今にも泣き出しそうだった。
「同じ境遇にいたから痛みを知ってたはずなのに、怖いから見て見ぬ振りしてた。私は被害者だから、しょうがないって言い聞かせてたの」
俯いた状態で絞り出すように言った後、しばらくして「本当に、ごめんね」と身体を前に揺らして呟いた。
出来上がった沈黙の中で、何か重大なことを告げる準備をしているようだった。肩で呼吸をして、垂れ下がった髪の毛を左手の指先で弄っている。爪が擦れ合う音が微かに聞こえた。
「……あのね」
消えてしまいそうな小さな声が、髪の毛を被った僕の耳に届いた。
伏せていた顔を上げ、丸い瞳で僕を見る。目尻に溜まった涙が、天井に吊るされたシャンデリアの灯りで光っていた。
「実は私、去年も斎藤くんと同じクラスだったの」
告げられた瞬間は、その言葉の意味を理解できなかった。
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