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憧れの先生

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目的の品を購入した後は、これといった目当てもないまま店内を見て回った。商品を購入することはなかったが、共通の趣味を持つ友だちと買い物をしているだけでも十分だった。
 
四階のグッズ売り場を離れ、三階の書籍フロアにたどり着いた。階段を降りた先には、折りたたみ式のワゴンが置かれており、その上に店がオススメしている作品がいくつか並んでいる。ほとんどが今話題になっている有名なものだったが、月刊誌で連載している名前を聞いたことのない作品もあった。

「漫画も読むんですか?」
 
無数に並ぶ漫画の背表紙に目を通して聞く。特別興味が惹かれる作品はない。

「小学生の時から好きだよ。あの頃は少女漫画ばっかり読んでたけど」
 
星見さんは本を流し見て、ワゴンの前を離れた。
 
右側の本棚には、月刊誌で連載している少年漫画の単行本が並んでいた。アニメ化が決定している作品のみ、表紙が見えるように置かれている。目に入った作品は、フリーターが異世界の勇者に転生するといった内容だった。最近の流行りである、現代を離れて異世界やゲームで戦いを繰り広げるファンタジーものだ。

「こういうの増えたなぁ」
 
星見さんが漫画の表紙に目を向けて、ポツリと呟く。美少女がスカートを揺らして剣を振りかざしているイラストが描かれていた。

「好きじゃないんですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね。どんなジャンルでも面白い作品はあるから。ただ、私が主人公に共感するタイプだから少し手に取りづらいの。ああいう完璧でなんでもできちゃう人ってちょっと苦手」
 
最後の言葉に激しく共感を覚えた。
 
手を開けば、期待通りの魔術を使うことができる。
 
倍以上の兵力を持つ敵陣を、知恵と閃きで返り討ちにできる。
 
そんな完璧なキャラクターを見るたびに、大きな劣等感を覚えていた。

「絵を描くにしても誰かと話すにしても、自分よりも上手くやれる人が羨ましいって思っちゃうんだ。自分にできないことを意図も簡単にこなしちゃう人は、カッコいいけどそれ以上に怖い」
 
星見さんがゆっくりと本棚に目を通しながら、独り言を呟くように言った。

「漫画のキャラクターみたいな完璧な人はいないってわかってるけどね。でも、自分に出できないことができる人を見ると、完璧な人間もいるんだなって感じちゃう。その人にだって苦手なものやできないことはあるはずなのに、優れた部分ばかりを見ちゃう」
 
隣の本棚にも、その隣の本棚にも、できすぎた主人公がすべてを解決していく漫画が並んでいる。どれも完璧でできすぎたキャラクターたちが表紙を飾っていた。

「だから私は、完璧じゃなくても精一杯生きているキャラクターの方が好きなの。弱い人でも少しずつ努力をして進めば道が開けていく。地道にまっすぐ進んでいくキャラクターになら、私にもなれるからね」
 
星見さんは壁際の本棚を離れて、店の真ん中に置かれた背の低い本棚の前で立ち止まった。ほとんどの漫画の背表紙が赤色かピンク色をしている。
 
前にハルカさんと見た少女漫画の棚だ。

「これ、懐かしいなぁ」
 
そう言いながら星見さんは、本棚の一番上で買い手を待っている漫画に手を伸ばした。
 
漫画の表紙には、マイクを手にした女の子が描かれている。

「その漫画知っているんですか?」

「小学生の時、結構流行ってたからね」
 
星見さんが表紙を眺めて小さく微笑む。幼かった頃の思い出に浸っているようだ。

「……面白いんですか?」

「あの先生が描いてる漫画だからね。でもどうして?」

「僕の知り合いにもその漫画が好きな人がいるんです。すごく少女漫画に詳しい人なんですけど、その作品には特別思い入れがあるみたいだったので」
 
数ある少女漫画を前にしてハルカさんはこの漫画を手に取り、そして意味ありげに「助けられた」と呟いた。過去の苦痛を蘇らせたようなあの表情は、鮮明に僕の中に残っている。

「人間味がある作品だと思うよ。主人公が恋をしたり、その悩みを友人に相談したりするから親近感を覚えるんだよね。こういう悩みとか辛さって誰でも経験するんだなって共感できる」

「……そうなんですか」
 
ハルカさんが残した一言と星見さんの感想を頭の中で照らし合わせる。二人の人生は、この作品に大きく影響されているみたいだった。

「もっと面白い作品はあるけど、私に寄り添ってくれたのはこの漫画が初めてだった」
 
星見さんが漫画を裏返す。月刊誌のロゴの下に、一巻のあらすじが書かれていた。
 
アイドルを目指している主人公が学校で恋をする話だ。活動を続けるのか、それとも一人の女子高生として青春を謳歌するのか、といった葛藤に悩まされながら日々を過ごしていくらしい。

「この漫画のキャラクターって、私と似てる部分があるんだよね。理想に近づけずに、不完全な現状の中でもがき苦しんでるの」

「少女漫画って、そういう作品多いですね」
 
ハルカさんから借りた漫画にも、恋の中でもがき苦しんでいるキャラクターがいた。

「私とこのキャラクターの悩みがたまたま似てただけだと思うけどね」

「……たまたま……ですか」
 
星見さんは漫画の表紙をじっと眺めて言った。

「それよりも、この漫画の作者って有名なんですか?」
 
まるで作者の他の作品を知っているような口ぶりだった。この作品以外にも何冊か描いているのだろうか。もしかしたら、少女漫画を好んでいる人たちの中では名の知れた人物なのかもしれない。

「有名も何も、斎藤くんもサイン会に来てたじゃん」

「……え?」

「先週あったでしょ? 羽柴先生のサイン会」

「羽柴先生……?」
 
聞き覚えのある名前が記憶のどの引き出しに入っているのか探る。はっきりと話が掴めていないこともあり、すぐに出てくることはなかった。

「……あっ」
 
浅い場所から深い場所まで無造作に引いていくうちに、その名前と合致する女性の姿が浮かび上がった。
 
その人物が誰なのかわかった瞬間、思わず息を飲んでしまった。まったく別の場所にあったはずの点と点が一本の線で繋がる。サイン会が終わった後、ハルカさんはあの先生のことを「ずっと好きな作品の先生」と言っていた。

「あの先生が昔描いてたのがこの作品なんだ。少女漫画から少年誌に移るからってペンネームを変えたの」
 
なぜサイン会の時ハルカさんが取り乱していたのかがやっとわかった。ただ好きな漫画の作者に会った訳ではなく、人生を変えてくれた恩人と出会っていたからだ。

「私たちが小学生の頃に連載を終えてから、ずっと絵の練習をしてたんだって。少女漫画向きの絵を少年誌っぽくするのは大変だったってインタビューで言ってた」
 
星見さんは漫画をもう一度ひっくり返して、僕に表紙を見せた。
 
言われてみれば、目の描き方や色の使い方が似ているような気がした。絵のテイストは変わっているが、過去の技術や特徴が無くなってはいない。少年誌に移っても、先生が力を入れていた部分はしっかりと残っていた。
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