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第三章 瑞凪少女誘拐事件
49.ホワイダニット
しおりを挟む決着は今夜のうちにつけることにしていた。
正門へとまわると、そのひとは桜の木の下で待ち受けていた。近づくと嗅ぎ慣れない匂いがする。いやに鼻腔を刺激するのは、煙草だ。ネモは薄い唇にくわえたシガレットを指先にはさんで、青い煙を夜空に吐き散らす。
「やあ、こんばんは。月夜に遇うなんて奇遇だな?」
「LINEに連絡しておいてよく言うよね」
〈テラリウム〉ではなくLINEで呼びだすあたり、どうせ話すなら対面がいいと判断したのだろう。
こちらから報告をしておく。
「真木、見つかったから。学校にいた」
「そうか、よかった。ひとまずおつかれさま」
「あれこれ散々なことを言われた。私のせいだとか」
「いやはや嫉妬はこわいなぁ。刺されないように気をつけてくれたまえ」
「そういうのいいから……」
画面越しでもないのに、どうしても軽口と悪態の応酬になる。
頭を抱えたくなるのをこらえて、軌道修正。
「すくなくとも自作自演じゃなかった。真木に美術室に閉じこもるよう指示した何者かがいる。もし、私たちが真木を見つけだせなかったら、真犯人は彼女をどうするつもりだったんだろう」
「さあね。案外、ドライブにでも連れ出して、甘いお菓子で機嫌とって終わりじゃないか」
「ならいいけど……。これは推測だけど、ジェスター様の正体は真木じゃない」
化学実験室から盗まれたヒ素とカリ。硫酸銅。
劇薬を盗んだのが真木なら、真犯人は彼女に危険なことを任せていた可能性がある。
それから十月に美術室で見つけた遺書。あれを書いた本人は、自死を視野に入れていたはずだ。
「ジェスター様は人身掌握術に長けたカリスマ。学園内で事件が起きたことから、鯨坂高校にかよう〈テラリウム〉ユーザーの学生の線で考えるのが妥当だった」
「全校生徒約千人から容疑者をしぼりこもうとしてたのか。骨が折れるな」
「ううん、そんなことする必要なかった。犯人はずっと大胆不敵だったから」
首筋をかすめる夜風が冷たい。
おろしたままの髪をさらって、校門を抜けていく木枯らしは、学園中の木々を裸にしていくのだろう。花も実もとうに散り落ちて、晩秋の暮れに町の彩りはすべて消えていく。
もうそろそろ雪が降るころだった。
「乙戸辺先輩からデータを買い上げ、真木をそそのかして、鯨坂高校で事件を起こしていたのは…………あなた」
見上げると、挑戦的なまなざしが鋭く眇められる。
「へえ?」
ひるんではいられない。
たとえ、このひとが相手でも。
「真木のお母さんに会ったときに、おかしいなって気づいたんだ。見覚えのない女性だったから。それなら……十月に地震があった日、第一の〈人造乙女事件〉の当日、真木を迎えに学校まで来ていたのは、誰だったんだろうって」
あのとき、ペイズリー柄のスカートを穿いて体育館にあらわれた女性。
彼女こそが真木に犯行を唆した真犯人だったとしたら。
「年上のきょうだいはいないようだし、これまでの家出で、真木が宿泊していたのは友達の家。けれど、学校の友達ではない。あなたがジェスター様として、事件の裏で暗躍していたなら、すべての辻褄があう」
すべての不可能を除外して、最後に残った可能性。
それがどれほど信じがたい真実でもつかみとるしかない。
まなざしをむけると、不可解な麗人は、燃え落ちた煙草の灰が地面に落ちるのをぼんやりと見送っていた。
「……やっぱり乙戸辺くんが寝返ったのは痛かったな」
「先輩とも〈テラリウム〉で話してたんだ?」
「彼はまあ、斜に構えすぎだね。優等生ぶるのが上手すぎて発散下手。君たちのまえでは優秀な先輩でいようとしてるけど、あれはくせ者だぞ」
ネモが語る乙戸辺はまるで別人のようだ。
あきらが知らない彼や彼女を、このひとは知っているのだ。
そうして尋ねてもいないことまで懇切丁寧に教えてくれる。
「真木くんとは去年の文化祭ではじめて出会ったんだ。渡り廊下の片隅でひとりで漫画を売ってたから、気にかけて声をかけたら懐かれた。そのまま友達になって……僕の都合に巻き込んだ」
「都合?」
「目的のほうがより正確かな。だが、ヒトの心は計算通りには動かないものだね。真木くんが花岬夏織にいたずらを仕掛けて、独断専行がすぎる行動をとるようになったから……あの子をたしなめる必要があった」
半月の瞳。唇にはうっそりと微笑が浮かぶ。
「以前から、狂言誘拐を計画していてね。標的はあの子の両親だったんだけど、裏切らせてもらったよ」
「真木の両親が〈テラリウム〉で起きてる事件を観測しないところまで、計算済み」
「そうだ。君にだけ届けばよかった」
「どうして私だったの」
これだけは問い詰める必要があった。
「盤面にカウンターが必要だったから。ひとは同じ傷をもつものしか愛せない。……僕からしたら、君と真木くんは近似値だ。期待への渇望。大人に必要とされることに、存在意義を見いだしてしまっている、虚しい子供同士」
「……わかったような口をきかないで」
「わかるさ。去年の文化祭……君の絵もみたよ。アキラ、あれは逃げだな?」
去年の絵。文化祭の絵画。
あの日もそうだ。子供たちの箱庭に、部外者の入場客が出入りできる一般公開日。
「いいんだ。なにも言わないよ。君を傷つけたくてここにいるわけじゃない。むしろ、僕は感謝したいくらいだ」
優しげな声色をつくって、ネモが諭すように語りかけてくる。
「たまにいるよね。本なら読了するまで投げ出さない、RPGならラスボス倒すまでコンティニュー、大作映画なら三本ぶっとおして結末を見届ける。諦めが悪くて、忍耐強くて、泥仕合でも挑みつづける――与えられた問題を解ききることが、得意な子」
それが、どうしたというのだろう。
「そういう子はさ、大人がつくった枠組みのなかでこそ活きるんだよ。……ありがとう、アキラ。満点をあげるよ。君じゃなきゃダメだった」
巨木に預けていた背中を浮かせて、ネモは形式ぶったお辞儀をしてみせる。
ため息しか出てこない。賞賛にしては皮肉がききすぎている。
「……やりかたがまわりくどいよ。あなたは、ネモは、そうやって……」
「いいだろ、これで万事解決。ハッピーエンドからの拍手喝采カーテンコール。学校だっていつかは卒業するものなんだ。だから、僕らはここでお別れさ」
「最後まで、はぐらかすつもりなんだ。最初から白状すればいいのに」
「僕にも意地はあるからさ。なかなかそうもいかないものだ」
これが最後だというのなら。
このひとはすでに目的を達していて、これ以上ジェスター様が鯨坂高校で事件を起こすことも、ないのだろう。
あきらたちには平穏無事な日常が待っている。
朝起きて登校して、授業を受けて、放課後は美術室で制作に没頭して。
他愛ない毎日がようやく帰ってくる。
そのはずだ。
ただしきっと、そこにネモはいないのだろう。
「……わかったんだ。私、信じるに足る嘘ならいい。……それがどんな砂上の楼閣でも、美しく、凄(せい)絶(ぜつ)で、あのとき私を貫いたのは真実だから」
おもえばいつも不思議だった。
〈テラリウム〉に投下される謎めいた投稿の意図をどうして読み解けてしまうのか。
その閃きを才能だとは思わない。単に、運が良かっただけだ。そしておそらく、十月に事件が起きるずっと前から、素養を見抜かれていて、とうに昔に撃抜かれていた。
冷静でいてと皆はいう。真木や夏織に比べたら、自分はきっと心が渇いてみえるだけだ。執着できるものは数少ない。だからこそ稀有で尊く、いまも脳裏に焼きついている。
母とならんで見た、あのときの絵が。
「単純なホワイダニット。――私はなぜ、あなたの謎に燃えるのか。ついに確信がもてた。ありがとう、ネモ。ここまで話させてくれて」
凍てついた月が冴々とまぶしい。
天球のてっぺんへと昇る満月に幻惑でもされたのか、脳を浮かす血の躍動がうるさい。骨に染みるような底冷えのなかで、背筋をせりあがってくる悪寒に震えながら、狂いそうなほどの咆哮を抱えている。
凍てつく深夜の町かどで、そのひとの名前を呼ぶ。
「そしてようやくはじめまして。お会いできて光栄です――螺科未鳴さん」
そして零時まぎわの校舎を背に、亡霊の芸術家は冷たく笑うのだ。
「こちらこそ、鯨坂のちいさなファンガール。サインでもしようか?」
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