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第三章 瑞凪少女誘拐事件

48.コシバイ

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 それから落ち着くまでふたりで夜の底にいた。

 居残りをおわりにしようと決めたら、整理整頓に精を出したくなる。
 散らかった備品は片づけて定位置へ。荒廃していた美術室をもとどおりに。月曜日には、あたりまえの日常がかえってくるはずだ。

 あきらは真木が荷物をまとめるのを手伝って、今月掲載されたばかりの〈クロガネ〉最新話の話題に耳を傾けていた。

「そうだこれ。……真木が持ってたほうが、いいとおもう」

〈クロガネ〉の話に触発されて思いだした。
 ポケットに忍ばせていたコースターを差しだす。表面には、鷹藤のサインとともに少年キャラクターが描かれている。

〈ライセル・ラズキン〉の限定コースターだ。
 それを見るなり、真木がとうとう決壊した。両目から透明な雫がはらはらと落ちる。

「な、泣くほど?」
「感情爆発しすぎてむり……」

 嗚咽を漏らして、鼻をすすって、顔を隠すようにしながら彼女は落涙していた。
 こらえても溢れて止まらないようで、大粒の真珠のような水滴が、真木の頬をつたってはこぼれていく。

「だってさ、ララくんの存在があたしに超優しいの、あたりまえなのに、すがっちゃだめじゃん……! 大好きだから、真剣だから、逃避先にしたくないよ」
「そのひと、真木が切実に、祈ってくれたからここにいるんでしょう」

 真木が小さな子供みたいに涙に暮れる理由は不透明だ。
 心は目にみえない。ただ、その熱量を知っている。きっと夢見る先があることも。

 憧れをもつことで傷つくなら、他者の感性に出逢ってうち震える奇跡は、なんのためにあるのだろう。
 情熱を込めてつくった作品が、だれかの胸を焦がすに足る存在であればいい。どんな絵も、そう願われて産まれてきた。

「そう、かなぁ? そう、だといいんだけど。都合良すぎない?」

 そんなことない。
 ぶんぶんと首を振ると、真木の口の端にほほえみが訪れる。

「……あたしさ、ララくんがすきで、ララくんみたいな子も好きなんだ。けれどね、ララくんはどこにも居ないこと、わかってる」
「……それでも?」
「真剣に好き。でもってさ、ララくんを産んでくれた世界にもう感謝っつーの? あかん、これ語彙力溶けてる?!」
「真木、基本溶けてるよね」
「う、うるせー!」

 もうすっかり、声音は高く、表情は明るい。

「タカフジ先生ってすごいんだよ。作画してるとこみちゃったけど、めっちゃかっこいい。アシさんの描いた背景も上手すぎて参考にならないレベル。先生の友達が提供してくれたらしい軍服デザインもコスしたいくらいたまらんし。アニメもね、殿松監督の愛かんじて最高。てか作監の仙葉さん、マジ天才だから。六話アバンのカットがさ……あーでもそこはじつはアニオリで追加された榎木田さんの書いた台詞もすげーよくて……! あと中の人の演技とキャラ解釈っつーの?!」
「く、詳しいな……」

「あとね、ファンのみんなも……やっぱ好き。……嫌いになれるはずなかった。たくさんのひとが、ララくんがいること信じてて、あたしと同じように、ララくんからパワーもらってるひとがいて、もう、ララくん、超神さまじゃん。すごいよ。……考えるだけで泣けてくるもん」

 嬉しそうな涙で潤んだ虹彩には、あきらが映り込んでいた。
 まるで……鏡を覗きこむみたい。

 真木と自分はこんなにも違う。それでいてどこか似ている。
 家庭環境で悩んだり。部活仲間とぶつかったり。ときおり憂鬱に負けそうで、教室にいるのにうわの空。一瞬だけみえた着想が消えてしまうまえに、描きたくて、放課後は美術室にむかう。

「あ? わらったな? ばかにしやがってー」
「ちがう、真木に釣られただけ」

 どうして真木のまわりにひとが集まるのかよくわかった。
 真木は、好きな気持ちで溢れている。
 青空に舞うプリズムのようにキラキラした眩しい感情。そんな気持ちばかり。

 好きなことを好きだって、たくさん伝えられるのは、真木が真木だからできることだ。

「はあ、お腹空いてきたぁ……」
「……だね」
「……好きってすごいよね。愛だけでカロリー消えてく! あたしら世紀の大戦争したあとなのによ?」
「カレーパン食べたい……」
「きいてねーな?」

 自覚したとたん、空腹が魔物のようにおそってくる。

 実習棟校舎の非常口では乙戸辺が待っていた。任務完了を報告すると「おつかれさん」とねぎらわれる。
 真木は驚いた顔をみせてから駆け寄っていった。

「オトベル先輩。……え、ひょっとして真木ちゃんが心配で迎えにきてくれちゃったりですかっ! きゃーっ!」
「さんざん迷惑かけといてほんと調子いいな……」
「うぐ。そこをつかれるとイタイ。ごめんなさい……」

 鬱陶しそうにしながらも、乙戸辺はほっとしているようだった。面倒見がいいのだ。

 裏門までの道を三人で歩いて、自転車を停めた木陰に帰りつく。
 乙戸辺が「送っとくわ」と不承不承に名乗りでるので、真木は喜んで荷台に飛び乗った。道路交通法違反の二人乗りも、今夜くらいはいいだろう。

「ふふふ……これであきらが男子だったら、美術部きってのクーデレ同級生と、余裕ありげな年上男子とのあいだでオイシイやつかも」
「よし、通常運転だな。軽口たたけるようなら置いて帰っていいよな?」
「ああっ。ご無体な! 誤解ですぅ。あたしの本命はララくんだけですもん……!」

 和気藹々とやりとりするふたりを見ていると、忍び笑いがこぼれる。
 なごやかな空気を壊さないように控えめに、あきらは別れを切りだした。

「ごめん。むかえがくるから、ここで」
「え? まさか家族公認夜歩き?」
「それはないけど……」
「じゃあ、だれなん?」

 真木にしては無邪気な問いかけだった。耳に髪をかけながら、追及を受け流す。

「…………わざわざ言わなきゃ駄目なことかな」

 間髪空けず、乙戸辺が真木の肩をポンとたたいていた。

「真木部員。人間関係ってのはな、ある日突然、前触れなく変化するものなんだ。こいつは安全圏だろうと見込んでいたやつが、いきなり向こうがわの住人になることもある」
「……え? えっ? ええーっ! あきらあんたいつの間に?!」
「そういうことだから」
「ラブな話なら、こんど詳しく聞かせることっ!」

 真木がいつになく食ってかってくるので、慎重に頷いておく。
 自転車用のキーチェーンを、乙戸辺はぶじに開錠し終えたようだ。

 去りぎわに彼が振り向く。
 急にアイコンタクトをおくってくるので、なにかと疑えば口もとがパクパクと動く。
 発声はないので、おそらく読唇術を試されている。読み解けるメッセージは六文字。
「か・し・に・し・と・く」――貸し。

 ……返礼としてボードゲームの対戦相手でも務めればいいのだろうか。

 ともかく、苦手な小芝居を長引かせずにすんで助かった。

 察しの良い上級生にあとはまかせて、手をふって送りだす。
 漕ぎ出した自転車が橋を抜けて、川の対岸まで遠ざかるのを確認してから、スマホを起動する。メッセージが届いていたのだ。
 
 
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