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第三章 瑞凪少女誘拐事件
47.ジンロウゲーム
しおりを挟むあきらの結論はすでに話してある。危険性は低いはずだ。
万が一、犯人が姿を現すことがあるならば、乙戸辺に期待するしかない。
二手に分かれて、ひとりで階段を登る。昼間よりも足音が大きく響く校舎のなかで、夜陰にまぎれて息を潜めていると、どことなく悪いことをしている心地がした。下校時刻を超えた校舎に忍び込むなんて、不良学生そのものだ。たしか、許可のない居残りは校則で禁じられていたはず。部活動の無断延長も同様。
三階廊下のつきあたりに、美術室は待っていた。扉は半分だけ開いている。
そしてその先に。小さな背中が見える。
懐中電灯の明かりで切り抜くと、相手は暗闇に溶けた。深呼吸をして、扉を向ける。
「ここにいると思った」
美術室のなかは荒廃していた。
作業机は不規則に並び、木製の椅子がいくつも倒されている。積み木でつくったお城を壊したあとみたいだ。奥にはひっそりと寝袋や漫画が用意されていた。金曜日からずっと、ここで寝泊まりしていたのだろう。
「なぁんだ。みつかっちゃったか」
「……探したよ、真木」
名前を呼ぶ。ライトを照射すると、制服のままの真木は、あどけない表情で尋ねてきた。
「どうして、あたしがここにいるってわかったの?」
「誘拐事件なんて狂言。動画で〈テラリウム〉を湧かせるだけで、身代金の要求や脅迫はなし。ならあれは、かくれんぼのヒント。…………見つけて欲しかったんでしょう、ジェスター様」
「んー。もうちょい説明ちょうだい? 聞いときたいな、あきらの推理」
真木が茶化すように手をたたく。
そして作業机に頬杖をついて、あきらを見上げていた。こうもお膳立てされると、かえってやりにくい。
「確信を得られたのは、今日投稿された二本目の動画。あれでようやく……自分の目が信じられた。あの動画の撮影場所はここ――美術室だよね」
二本目の動画は後半にさしかかった段階で、右方から光がさしこんできていた。明度をあげた状態で、動画の全容をよく観察すると、廃墟にみえていた背景がフェイクだとわかった。
腐敗した木材ではない。――古びたイーゼルだ。
ひび割れた床材ではない。――汚れた画板だ。
少女が座る椅子は、工作椅子を加工したもの。
裏山の廃校舎をモデルにして、美術室を即席のスタジオに仕立て上げたのだ。
「はじめは、私も瑞凪周辺の廃屋のどこかなんじゃないかって思ったよ。でも、ジェスター様なら――錯視錯覚までもをあやつって、盲点をついてくるはずだ」
虚をつくように、ヒトがみたいものを魅せる。
だからこそ〈テラリウム〉のカリスマとして君臨していた。
事件発生が発覚する直前まで、真木は鯨坂高校付近に潜んでいたはずだ。
そしてあきらたちが下校したあとに、堂々と学校へ訪れた。理由をつけて職員室で鍵を借りて、美術室の扉を開錠し、準備室に隠れてみまわりをやりすごす。
鍵は教卓の上にでもおいておけば、用務員が施錠時に発見して返却してくれるはずだ。
生徒がうっかり施錠を忘れたとしても、金曜日であれば見過ごされる。顧問をとおして美術部の部員にお咎めがあるとしたら、それは月曜日になってからだ。
「あっはは! すごいね! お見事なりー! ね、どうだった? 楽しんでくれた?」
「……楽しいわけない。ずいぶん遠まわりしたし、みんなに助けられながら調べたよ。漫研のこと。家のこと。……真木はだれかに、告発したかったの?」
「そう、なのかな。よくわかんないんだよね」
「自分のことなのに?」
真木の面差しから笑顔が消える。
寂しげな色がふっと浮かんで、昏い瞳から侮蔑を投げかけてくる。
「…………あきらには、わかんないよね。漫画読んでて家庭崩壊してる子が出てきたとき、ああ……これ、うちだって……あたしだ……って、重い感情もっちゃうイタいやつのこと」
少女の視線が迷う。追いかけると、美術室の後方へとたどりついた。
世界の名だたる名画のポスターが貼りめぐらされた一角。
ミケランジェロの聖母が、ゴッホの向日葵が、葛飾北斎の浮世絵が、いびつな物の怪のように額縁のなかで暴れている。放課後に出会うすがたとはちがう。もっと冷たく不気味で、ことさら毒々しい。
「漫画が好き。アニメが好き。だれかの描いた世界が好き。でもさ……あたしの好きって気持ち、みんなとぜんぜんちがった。なにひとつ、同じじゃなかった。……みんなはさぁ、画面の向こうの悲喜劇として喜ぶの。現実で醜いアヒルの子が白鳥になるはずも、灰かぶり姫が王子様にみそめられるはずもない。けど、ふつうの子って、そもそも自分がドブまみれだなんて、思わないんでしょ?」
いつも饒舌に語りかけてくるその口が、きょうは虚空へと朗読するようだった。
「ふつうの子はさ……毒親の子じゃないから」
「それが、漫研辞めた理由?」
返事はなかった。真木はすべてを拒むように背を向けて、壁際まで歩き去っていく。
そっけない態度には構わず、声をかける。
「ちがったらごめん。そのときは、真正面から否定して」
前置きをして。それから、解を明かす。
「真木はいつも、寄り道しようって誘ってくれたよね。やる気もないくせに美術室にいた。それってさ……ただ、家に帰りたくなかっただけ?」
真木の顔はくしゃりと歪んでいた。
「……ごまかせないなぁ」
気の抜けた言葉に重ねて、彼女はゆっくりと話しはじめた。
「あたしさ……承認欲求こじらせてるだけだよ。愛されたいし、すごいねって褒められたい。いつもそう……だから描いてた。べつにあたし自身を見なくていいから、あたしの絵だけでも見てよって、ほんとはみんなに言いたい」
上履きがリノリウムの床を打つ。
夜空から降り注ぐわずかな星明かりを探すように、真木は窓の外を見ていた。掌がこわばって、スカートにぐしゃりと皺が寄る。
「なのに……! 友達だとおもってたのはあたしだけで、自分のばかさ加減に失望して、でもだれにも話せない! ……そんなときに、あのひとが見つけてくれた」
あのひと――。
それは、だれなのだろう。
「……あたしには、あのひとだけだった。けど、もう、だれもいない。あんたのせいで、あたしだけまたひとりだ」
「……どういうこと?」
「とぼけないでよ。あきらが奪ったんじゃん。あのひとの心、あのひとの興味、あのひとのぜんぶ……名鳥さんがいるのに」
「真木。落ち着いて。なんで光梨の名前が出てくるの」
「……あたしにはいないから、特別なひと。……ひとりも」
まったくついていけていなかった。
あきらが焦れば焦るほど、目前の少女は激昂するようだった。
歯噛みしたかと思いきやすぐさま口を開く。
懐中電灯だけが頼りの暗闇のなかでも、顔の赤さがよくみえた。
「なんでも持ってる子たちがみんな嫌い。だから、いいよね、傷つけても。名鳥さんはあきらが助けてくれるから! あきらは名鳥さんのヒーローだから!」
真木の慟哭が、冷たい校舎に響いていく。
「あの子も、あんたも、孤立すればいいんだ。あたしのときは……だれも助けにきてくれなかった」
怨嗟。憎悪。嫉妬。
どんな言葉をかえせば、その感情の奔流をとめられるのだろう。
剃刀のように斬りつけてくる怒声に一方的に圧倒されて――。場違いにも、真木の汚れた制服に浮かぶ斑点模様が、どこかアンフォルメルな絵画のようだとすらおもう。
「漫画も、楽しいから描いてた。好きだから描いた。友達が褒めてくれるから。いいねがつくから。なのに……描けば描くほど、不幸になった。みんなすごいねって言ってくれてたのに……そのうちお母さんに嫌われて、それから漫研のみんなに嫌われた」
「ちがう、きっと嫌ってたんじゃ……」
「じゃあなんで、去年の文化祭、だれもあたしに会いにきてくれなかったの?」
去年の文化祭……。乙戸辺の報告書によると、真木は漫研の部誌に掲載できなかった漫画を、ひとりで製本して頒布したらしい。そんなこと、去年のあきらは知らなかった。
「あたしが絵を描くことを、絵を描くあたしを、だれも愛してくれないの? あたしの絵って、あたしの漫画って、そんなに魅力ないのかなぁ……! 誰でもいいから振り向いて欲しいの、認めてほしいの、クロガネが、ララくんが、タカフジ先生の作品が、あたしに刺さったみたいに、あたしの好きが、刺さるだれかがいて欲しい……!」
どれほど切実に叫んでいても。
どれほど痛烈に痛んでいても。
知らなければ、なにひとつ見えなかった。
「ねえ、それって、欲張ってる? 凡才のくせにイキってるクソガキってこと? ねえ、なんで……なんで、ひとりぼっちにならなきゃいけなかったの?」
「真木、それは……」
「あたし……漫研にいちゃいけなかった? ねえ、あきら。頭いいんでしょ? なんとかしてよ……助けてよ」
それはできない。
――そう、無責任に諦観するのは簡単だった。
起こってしまった出来事に、過ぎてしまった悲劇に対して、自分はいつも無力だ。つまずくたびに慎重であろうとして臆病になる。せめて悲劇が起きないようにと、リスクを避けて危険因子を排除する。
真木のいう人狼ゲームだ。
わたしはオオカミじゃありません。あいつがオオカミです。責任のなすりつけあいをして、うまくたちまわれたひとが勝者。けど、そんなことばかり続けていたって、最後にひとりになるだけだ。
覚悟を決めて、息を落とす。
まったくうまくいかない。喧嘩も言い争いもしたくないのにトラブルばかり降ってくる。
「ひとりぼっち……か。私には、そうは見えなかった」
「…………どこが?」
尋ねられて思い出すのは、なぜだか遠く感じる教室の風景だ。
いつも眺めている側だった。
どうせ気づかないからなんとなく。
教科書のテキストを追いかける途中に、ひそかにセーラーカラーの後襟をぼんやりと見ていた。
「真木はいつもだれかといる。友達がたくさんいてキラキラしてて、楽しそう。教室でも体育祭でも、真木に声をかける子はたくさんいたよね。人気者だって認められてるみたいでさ。そういう真木が、うらやましかったよ、ずっと」
そんなこと、伝えなくていいと思っていた。
理解してはもらえないから。目には映らず、後世には残らない一瞬は、過ぎては儚く消えていくから。
言葉におきかえるとやっぱり足りない。
それでも胸のつかえが、すこしだけ軽くなったような気がした。
「……表面だけだよ。まわりにあわせて笑ってるの、得意だもん」
「……そういうの、私はうまくできないから。だから……真木がクラスにいると、うるさくてかなわない」
「はあ?! さっきからこっち怒らすことばっか……!」
「口数多いし。明るくて、賑やかで、席が遠くても真木の笑い声はきこえてくるし」
「わ、わるかったなあ……!」
「うん。だから……真木がいる教室がいい」
「……。支離滅裂じゃん……」
去年は真木と友達じゃなかった。春先の美術室ではじめて会話をして、部活仲間としていっしょに過ごしてきた。ほかのクラスメイトは気にならないのに、いつからか真木の声はききとりやすい。
言葉足らずな気持ちはまだうまくいえない。伝えられるとしても、筆と色彩がなければもどかしい。
「冗談が不得手でごめん。……これだと思うなにかをきっと、私はゆずれないから」
だからといって、謎めいた絵画の奥にすべて秘めてしまえるほど、聡明ではないのだ。
「月曜日には学校で会おうよ。美術室でもっと、くだらないこと話そう。私、ずっと――あなたに居ていいって伝えたいだけなんだ」
凛として、真木から視線はそらさない。
それから半歩距離をつめて手を伸ばす。おどけてばかりでするりと逃げる冷たい手首を、こんどこそ捕まえた。
「そういうこと、そういうことを……」
肩がこわばり、膝が震えて、真木が叫ぶ。
「なんでこっちの目をみて言うかなぁ…………!」
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