海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

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第三章 瑞凪少女誘拐事件

45.アソボウ

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 去年の秋の記憶ならまだ克明に焼きついている。

 あの絵は悪夢かと疑うほどに難産だった。素材と題材はいち早く決まったのに、制作に入ってから難航つづきだったのだ。どれだけなおしても、顔が上手く描けなくて、制作時間は刻々と削られていき、提出期限まぎわに思いつきのままに頭部をカラスにした。

 動物画ならいくつか挑戦していたから。そう言い訳はできるが、つまるところ抽象表現に逃げたのだ。

「思い出しくたくないな……」
「あの絵、乙戸辺先輩も褒めてたじゃない」
「いや、なんでかずっと笑ってたし……あのひとからもらった感想……『クリーチャー表現か、やるな』『美波って意外と闇が深いだろ?』だったし、ものすごい酷評……」

「でもあのとき、あたしの絵より美波の絵のが好きとか言いやがったもん、むかつく」
「そうだっけ……?」

 あのときの急場しのぎの着想は、ルネ・マグリッドなどの画家が代表とされる超現実主義の画風にかぶいていたせいかもしれない。
 それを教えると、夏織はすぐに納得したが、乙戸辺はどれだけ言を尽くして解説してもずっと笑っていたのを覚えている。あれはショックだった。

 光梨も思い出したようだ。「そっか、あの絵」とつぶやきながら不思議そうな表情をみせている。

「ねえ、あきちゃん。絵の評価ってけっこう、好みで分かれるよね。それに先輩って、気遣い屋さんだから、そういうこと、あんまり言わないひとよね?」
「描いた絵を笑われたのはあれきり」
「うん。だからこそ。本心から褒めたんだとおもう。きっと……心が動いたのはたしか」

 光梨は擁護してくれるが、だとしても承服しがたい。
 絵に関する話題だからか、夏織もいくらか積極的に参加してくれる。

「ま、真剣にやってるのを小馬鹿にしたように笑うのは、最悪だけど」

 とはいえ論点がずれかけている。とにかく、いまは真木が最優先。

「……次、いこうか」

 仕切りなおそう。
 テーブルの上に書類をたてかけ、トトンと音をたてながら整える。夏織があけた菓子袋、空になった急須と湯呑み、それから散らばった資料を脇に片づけて。整理整頓をしておく。

「ようやく真打ち登場? こういう頭脳労働は、美波向きだしね」
「いや。じつは……乙戸辺先輩の報告書はもう一通あって」

 あいたスペースに、追加の資料をおく。
 書類の束だ。こちらは文章よりも画像が多い。表紙をめくると、乙戸辺が撮影した写真がコピー用紙に印刷されている。どれもサムネイルだ。消しゴムほどの大きさの画像が、等間隔に配置されていた。

「動画の分析が載ってた。ジェスター様が真木を監禁して撮影した場所について――いくつか候補地が絞り込めてたんだ。……あのひと、風景写真も撮るから、これまで撮った写真と照らし合わせてくれた。ここまでやってくれるなんて……さすがだよ。ひとつひとつしらみつぶしにあたれば、本丸にたどり着けるかも」

「はあ? それ、はやく言いなさいよ!」
「このままだと駄目。……候補が多すぎるんだ。瑞凪町内にかぎっても十箇所ある」
「なら、手分けして探せば……!」

 夏織の焦りはもっともだ。
 あきらの意図をいちはやく察したのは、またも光梨だった。

「そっか。……あきちゃん、こういうときは冒険しないもんね?」
「そういうこと。いまは無駄骨折れない」
「なに通じ合ってんのよ。話が見えないんだけど?」

 思慮を深め、頭のなかで吟味する。
 正確に誠実に伝えられるだろうか。早口言葉になりすぎないように、速度と抑揚に気をつけながら、説明を試みる。

「自由に動けるのは私たち三人しかいない。光梨も夏織も、門限七時。私たちは真木誘拐の真相を、どこにも露見させたくない。だから、表面上は、いつもどおりをつらぬかないといけない。いくら手分けしても――今日中に十箇所をまわるのは不可能だった」
 予定どおり検討会を開くのが、なにより現実的なプランだった。
 あきらの手癖だ。絵を描くときも気づけば選んでる。無難な題材。平凡なモチーフ。いつもの筆致。そうやって枠組みを狭めるから、できあがるのはつまらない絵になる。そこが自分の欠点だと思う。
 でも――こういう場面なら役に立てる。
「この中から……ひとつに特定できる」
 断言する。するとまるで呼応するように、スマホの画面が光った。
 マナーモードに設定していたから通知音は鳴らない。それでもアイコンでわかった。
〈テラリウム〉の更新通知。――ジェスター様の新規投稿。
 光梨の顔がこわばる。夏織が目を剥いて叫ぶ。
「このタイミングで……!」
 スマホのロックを解除して、通知欄からアプリを起動。
〈テラリウム〉のホームでは、心情の発露があぶくのように噴き上がっては流れていく。リアルタイムで浮かんでは消えて。消えてはまた浮かんで。感情の海を泳ぐ魚の群れを掻きわけて、あきらは目的の投稿へと急ぐ。



 UserID:@jester
 Title:CAN YOU PLAYing?
 制限時間を圧縮します。深夜零時まで



〈ジェスター様〉が新たに投下したのは、またも動画だった。

 それも真木の監禁動画だ。目隠しをされたまま椅子に座らせられ、縛られた少女。足もとに散らばる道化師のカード。ただし、先日アップロードされた動画とは異なり、再生をはじめると、画面の右側から光が差しこんできて、徐々に全体が明るくなっていく。これまで暗闇にまぎれていた床や背景が克明に観察できる。

 薄汚れた木材。ところどころ破れかけ、抜け落ちそうな床材。

「美波! ぐずぐずしてたら鬼畜最低アカ主がまた〈テラリウム〉かせてんじゃない!」
「…………ちがう。これ、ヒントだ」

 こんどこそ一目でわかった。これが――パズルを埋める最後のピースだ。

「学校の裏手の山に廃校になった小学校あるよね」
 画面から顔をあげると、夏織が目をしばたたかせている。

「去年、夏に肝試しでいったとこ?」
「あそこならいろんな怪談話、あるはずね」

 光梨も知っているらしい。
 鯨坂高校の学生たちの間では、新入生歓迎のイベントとして定番の廃墟だ。

「撮影場所として可能性が高かったのは、そこなんだ。先輩が撮影した写真とも特徴がよく合致してる」

 テーブルの資料には廃墟の写真が何枚も付されている。乙戸辺は何度か足を運んでいるらしく、ジェスター様との荷物の受け渡しにも利用していた。これ以上ない、いわくつきの場所だ。少女たちがハッとする。夏織が「決まり」を口にするのに先んじて、あきらは結論を急ぐことにした。

「でも、そうじゃない――トロンプ・ユイル……騙し絵だ」

 前髪を掻き上げる。黒髪を耳にかけて、あきらは目を凝らす。

 これは〈巧い嘘〉だ。
 ただの憶測ではなく、確信できる根拠ならあった。

「よかった。……やっとわかった」
「なにひとりで納得してんのよ。いいかげん、こっちにもわかるように解説して。あんたなら、最短手短かでいけるでしょ」

 夏織の怒声に急かされて、頭上の時計をみつめる。

 報告会は昼過ぎにはじめた。雁首をつきあわせて、資料を読解しているあいだに、ずいぶん時間が経過してしまった。これから部屋の片付けもある。それとできれば夏織から漫研の部誌を借り受けておきたい。そのあと連絡をとらなければいけない相手もいる。

 神妙な面持ちで待つ光梨と、苛立ちを隠そうともしない夏織をまえに、いますぐ伝えられることがあるとすれば――。


「とりあえず。ふたりとも、門限までには帰ろうか」


 
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