46 / 67
第三章 瑞凪少女誘拐事件
42.オフィーリア
しおりを挟む
ふう、と一息。
となりでは光梨が苦笑いを浮かべていた。
「乙戸辺先輩って謙虚だね……?」
「かっこつけてるだけでしょ。先輩っぽいけど」
夏織の感想はもっともだ。
プリントの束をクリップでまとめ直して、あきらは光梨を見やる。こくり、と頷いて、彼女は鞄からリングノートを取り出した。
「つぎは、わたしから話すね。真木さんの交友関係から、ここ最近の動きについて探ってみたのだけど……」
ノートの文面を目で追いながら、光梨が告げる。
「まず、二年A組。あきちゃんのクラスでもあるね。真木さんがよくいっしょに過ごしてるのって、吹部の市ヶ谷さんのいる四人グループだよね?」
「うん、あってる」
真木は教室ではめったに話しかけてこない。
彼女のいるグループは、クラスの中心人物ばかりで、いつもにぎやかそうなのだ。
休み時間はひとりで読書をしたり、昼休みには光梨と昼食をとるあきらとは、棲む世界がちがう。そう、おもってた。
「市ヶ谷さんとは会えたから、それとなく質問してきたよ。真木さんのお休みについては、四人とも事情は知らないって。家に泊めてそうな様子もない。LINEの返信がないって呆れてたけど、気にしてなかったかな。よくあることみたい」
「〈テラリウム〉は?」
「見てるかんじはなかったかな。それに知ってたとしても……」
そこで、光梨が言いよどむ。
「わたしの、気のせいかもしれないんだけど。仲良しだけど、サバサバしてるっていうか……三人とも、真木さんとは四月からの仲だからそこまで、って。漫研の子のほうが、あの子のこと詳しいもんって」
「漫研の線にいきつくか……」
「そうなのよね。それからクラスの漫研部員の子に聞き込みしてきたの。教えてくれたおはなしは、乙戸辺先輩が調べてくれたことと一致するね」
「えっと……先輩有能だったってこと?」
夏織は疑問視しているようだが、まさか嘘の報告書ではないだろう。
裏づけがあるならなおのこと、信用に値する。
「ただね、おかしな点があったの。〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って花岬さんのことよね?」
「あたしはべつに自称してない。勝手に浸透した」
「ええと……とにかく花岬さんの異名なのはたしかよね。でもね、漫研部員さんたちのなかで〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って、花岬さんじゃないみたい。これは、話を聞いてるうちに変かな? って思ったことで。気になったから、質問してみたの」
「漫研のひとたちは、なんて言ってた?」
「〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉は、ユウキカナルだけだって」
「だれそいつ?」
「疑問におもうよね。だからね、図書室の貸し出し用PCでこっそり――生徒名簿データベースを調べてみたんだけど、そんな名前のひとはいなかった」
しばらく、考えこむ。全校生徒約千人に含まれないのであれば……。
「卒業生?」
「そう。それで本棚の卒業アルバムにあたったら、見つけた」
テーブル上に、一枚のプリントが現れる。
卒業アルバムの生徒一覧からのカラーコピーだ。
「……十年分さかのぼったよ。ちょっとだけ大変だった、かな」
三年A組のクラス名簿。
等間隔に並べられた顔写真では、ぎこちない表情ばかりが目立つ。
そのなかでは光梨が指さす女生徒は、異彩を放っていた。
カメラに向けて、たおやかにほほえんでいたのだ。
「祐城叶鳴さん。十年前にも〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉と呼ばれていたひとがいた。ものすごく絵が上手かったから……漫研部員さんのなかで、伝説のように語り継がれてきた、美術部の女生徒」
きれいなひとだ。
長く艶めく焦茶の髪は、肩口でひとつに束ねられている。儚げな印象をまといつつも目鼻立ちは端正で、美人と称しても差しつかえがない。
線が細く。可憐で華奢で。忘れられなくなるような少女だった。
「ん? 美術部? ってことは、あたしらのOGじゃない」
「夏織と同じ渾名……」
光梨がいうには、十年前の漫研部長が、敵視していた相手でもあるらしい。
「花岬さんの渾名が浸透した背景には、ひょっとすると、このひとの再来として話題になっていたのかも。あと、これは、あきちゃんには、話さなきゃって、おもってたことで」
光梨が、はなしを切って、あきらを見つめる。
迷いが読みとれる瞳だった。あきらが動じないのを受けて、彼女はすこしだけ悲しそうにまぶたを伏せた。そこでもう、ためらいは捨てたようだ。
「漫研部員さんがいうにはね。…………初代〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って……うちの卒業生で……あの、螺科未鳴さんなんだって」
螺科未鳴――。その名前を聞いた瞬間に、心臓が跳ねる。
ただ、まだ、どんな驚きの発露も言葉にならなかった。
すると、夏織が意外そうな顔をしてぎろりと睨んできた。
「あんたにしては反応薄いわね」
「……いまはいい」
「あの螺科未鳴よ? ユウキカナルが本名ってことでしょ?」
「いまはいいから」
「それが、よくないの。これ、去年の二月に出た新聞記事」
光梨がプリントをめくる。二枚目に印刷されていたのは、新聞記事のコピーだった。隣町にある図書館まで行かないと閲覧できないはずだ。光梨は昨日、そこまで調べてきた。それだけの労力を傾けてもいいと、判断したのだろう。
あきらは促されるまま記事を読もうと、前傾する。
G県T市の百子川で同県瑞凪町の祐城叶鳴さん(27)の水死体がみつかった。2月2日午前7時頃、百子川河川敷を散歩中の男性から「蓮の葉氷の上に人がうちあげられている」との通報があった。現場には救助隊が急行したが、女性はすでに事切れていた。警察によると、遺体には目立った外傷は確認されていないという。瑞凪署は上流の雨槻橋付近からの飛び込み自殺であると断定し、調査を進めていくとのこと。
「……祐城叶鳴さん、亡くなってるらしくて」
控えめに、声が落ちる。
となりでは光梨が苦笑いを浮かべていた。
「乙戸辺先輩って謙虚だね……?」
「かっこつけてるだけでしょ。先輩っぽいけど」
夏織の感想はもっともだ。
プリントの束をクリップでまとめ直して、あきらは光梨を見やる。こくり、と頷いて、彼女は鞄からリングノートを取り出した。
「つぎは、わたしから話すね。真木さんの交友関係から、ここ最近の動きについて探ってみたのだけど……」
ノートの文面を目で追いながら、光梨が告げる。
「まず、二年A組。あきちゃんのクラスでもあるね。真木さんがよくいっしょに過ごしてるのって、吹部の市ヶ谷さんのいる四人グループだよね?」
「うん、あってる」
真木は教室ではめったに話しかけてこない。
彼女のいるグループは、クラスの中心人物ばかりで、いつもにぎやかそうなのだ。
休み時間はひとりで読書をしたり、昼休みには光梨と昼食をとるあきらとは、棲む世界がちがう。そう、おもってた。
「市ヶ谷さんとは会えたから、それとなく質問してきたよ。真木さんのお休みについては、四人とも事情は知らないって。家に泊めてそうな様子もない。LINEの返信がないって呆れてたけど、気にしてなかったかな。よくあることみたい」
「〈テラリウム〉は?」
「見てるかんじはなかったかな。それに知ってたとしても……」
そこで、光梨が言いよどむ。
「わたしの、気のせいかもしれないんだけど。仲良しだけど、サバサバしてるっていうか……三人とも、真木さんとは四月からの仲だからそこまで、って。漫研の子のほうが、あの子のこと詳しいもんって」
「漫研の線にいきつくか……」
「そうなのよね。それからクラスの漫研部員の子に聞き込みしてきたの。教えてくれたおはなしは、乙戸辺先輩が調べてくれたことと一致するね」
「えっと……先輩有能だったってこと?」
夏織は疑問視しているようだが、まさか嘘の報告書ではないだろう。
裏づけがあるならなおのこと、信用に値する。
「ただね、おかしな点があったの。〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って花岬さんのことよね?」
「あたしはべつに自称してない。勝手に浸透した」
「ええと……とにかく花岬さんの異名なのはたしかよね。でもね、漫研部員さんたちのなかで〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って、花岬さんじゃないみたい。これは、話を聞いてるうちに変かな? って思ったことで。気になったから、質問してみたの」
「漫研のひとたちは、なんて言ってた?」
「〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉は、ユウキカナルだけだって」
「だれそいつ?」
「疑問におもうよね。だからね、図書室の貸し出し用PCでこっそり――生徒名簿データベースを調べてみたんだけど、そんな名前のひとはいなかった」
しばらく、考えこむ。全校生徒約千人に含まれないのであれば……。
「卒業生?」
「そう。それで本棚の卒業アルバムにあたったら、見つけた」
テーブル上に、一枚のプリントが現れる。
卒業アルバムの生徒一覧からのカラーコピーだ。
「……十年分さかのぼったよ。ちょっとだけ大変だった、かな」
三年A組のクラス名簿。
等間隔に並べられた顔写真では、ぎこちない表情ばかりが目立つ。
そのなかでは光梨が指さす女生徒は、異彩を放っていた。
カメラに向けて、たおやかにほほえんでいたのだ。
「祐城叶鳴さん。十年前にも〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉と呼ばれていたひとがいた。ものすごく絵が上手かったから……漫研部員さんのなかで、伝説のように語り継がれてきた、美術部の女生徒」
きれいなひとだ。
長く艶めく焦茶の髪は、肩口でひとつに束ねられている。儚げな印象をまといつつも目鼻立ちは端正で、美人と称しても差しつかえがない。
線が細く。可憐で華奢で。忘れられなくなるような少女だった。
「ん? 美術部? ってことは、あたしらのOGじゃない」
「夏織と同じ渾名……」
光梨がいうには、十年前の漫研部長が、敵視していた相手でもあるらしい。
「花岬さんの渾名が浸透した背景には、ひょっとすると、このひとの再来として話題になっていたのかも。あと、これは、あきちゃんには、話さなきゃって、おもってたことで」
光梨が、はなしを切って、あきらを見つめる。
迷いが読みとれる瞳だった。あきらが動じないのを受けて、彼女はすこしだけ悲しそうにまぶたを伏せた。そこでもう、ためらいは捨てたようだ。
「漫研部員さんがいうにはね。…………初代〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って……うちの卒業生で……あの、螺科未鳴さんなんだって」
螺科未鳴――。その名前を聞いた瞬間に、心臓が跳ねる。
ただ、まだ、どんな驚きの発露も言葉にならなかった。
すると、夏織が意外そうな顔をしてぎろりと睨んできた。
「あんたにしては反応薄いわね」
「……いまはいい」
「あの螺科未鳴よ? ユウキカナルが本名ってことでしょ?」
「いまはいいから」
「それが、よくないの。これ、去年の二月に出た新聞記事」
光梨がプリントをめくる。二枚目に印刷されていたのは、新聞記事のコピーだった。隣町にある図書館まで行かないと閲覧できないはずだ。光梨は昨日、そこまで調べてきた。それだけの労力を傾けてもいいと、判断したのだろう。
あきらは促されるまま記事を読もうと、前傾する。
G県T市の百子川で同県瑞凪町の祐城叶鳴さん(27)の水死体がみつかった。2月2日午前7時頃、百子川河川敷を散歩中の男性から「蓮の葉氷の上に人がうちあげられている」との通報があった。現場には救助隊が急行したが、女性はすでに事切れていた。警察によると、遺体には目立った外傷は確認されていないという。瑞凪署は上流の雨槻橋付近からの飛び込み自殺であると断定し、調査を進めていくとのこと。
「……祐城叶鳴さん、亡くなってるらしくて」
控えめに、声が落ちる。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~
七瀬京
ミステリー
秋。若月骨董店に、骨董鑑定の仕事が舞い込んできた。持ち込まれた品を見て、骨董屋の息子である春宵(しゅんゆう)は驚愕する。
依頼人はその依頼の品を『鬼の剥製』だという。
依頼人は高浜祥子。そして持ち主は、高浜祥子の遠縁に当たるという橿原京香(かしはらみやこ)という女だった。
橿原家は、水産業を営みそれなりの財産もあるという家だった。しかし、水産業で繁盛していると言うだけではなく、橿原京香が嫁いできてから、ろくな事がおきた事が無いという事でも、有名な家だった。
そして、春宵は、『鬼の剥製』を一目見たときから、ある事実に気が付いていた。この『鬼の剥製』が、本物の人間を使っているという事実だった………。
秋を舞台にした『鬼の剥製』と一人の女の物語。
ミノタウロスの森とアリアドネの嘘
鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。
新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。
現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。
過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。
――アリアドネは嘘をつく。
(過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

姉妹 浜辺の少女
戸笠耕一
ミステリー
警視庁きっての刑事だった新井傑はとある事件をきっかけに退職した。助手の小林と共に、探偵家業を始める。伊豆に休暇中に麦わら帽子を被った少女に出会う。彼女を襲うボーガンの矢。目に見えない犯人から彼女を守れるのか、、新井傑の空白の十年が今解き放たれる。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
コドク 〜ミドウとクロ〜
藤井ことなり
ミステリー
刑事課黒田班に配属されて数ヶ月経ったある日、マキこと牧里子巡査は[ミドウ案件]という言葉を知る。
それはTMS探偵事務所のミドウこと、西御堂あずらが関係する事件のことだった。
ミドウはマキの上司であるクロこと黒田誠悟とは元同僚で上司と部下の関係。
警察を辞め探偵になったミドウは事件を掘り起こして、あとは警察に任せるという厄介な人物となっていた。
事件で関わってしまったマキは、その後お目付け役としてミドウと行動を共にする[ミドウ番]となってしまい、黒田班として刑事でありながらミドウのパートナーとして事件に関わっていく。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる