海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

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第三章 瑞凪少女誘拐事件

42.オフィーリア

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 ふう、と一息。
 となりでは光梨が苦笑いを浮かべていた。

「乙戸辺先輩って謙虚だね……?」
「かっこつけてるだけでしょ。先輩っぽいけど」

 夏織の感想はもっともだ。

 プリントの束をクリップでまとめ直して、あきらは光梨を見やる。こくり、と頷いて、彼女は鞄からリングノートを取り出した。

「つぎは、わたしから話すね。真木さんの交友関係から、ここ最近の動きについて探ってみたのだけど……」
 ノートの文面を目で追いながら、光梨が告げる。

「まず、二年A組。あきちゃんのクラスでもあるね。真木さんがよくいっしょに過ごしてるのって、吹部の市ヶ谷さんのいる四人グループだよね?」
「うん、あってる」

 真木は教室ではめったに話しかけてこない。
 彼女のいるグループは、クラスの中心人物ばかりで、いつもにぎやかそうなのだ。

 休み時間はひとりで読書をしたり、昼休みには光梨と昼食をとるあきらとは、む世界がちがう。そう、おもってた。

「市ヶ谷さんとは会えたから、それとなく質問してきたよ。真木さんのお休みについては、四人とも事情は知らないって。家に泊めてそうな様子もない。LINEの返信がないって呆れてたけど、気にしてなかったかな。よくあることみたい」
「〈テラリウム〉は?」
「見てるかんじはなかったかな。それに知ってたとしても……」

 そこで、光梨が言いよどむ。

「わたしの、気のせいかもしれないんだけど。仲良しだけど、サバサバしてるっていうか……三人とも、真木さんとは四月からの仲だからそこまで、って。漫研の子のほうが、あの子のこと詳しいもんって」
「漫研の線にいきつくか……」
「そうなのよね。それからクラスの漫研部員の子に聞き込みしてきたの。教えてくれたおはなしは、乙戸辺先輩が調べてくれたことと一致するね」
「えっと……先輩有能だったってこと?」

 夏織は疑問視しているようだが、まさか嘘の報告書ではないだろう。
 裏づけがあるならなおのこと、信用に値する。

「ただね、おかしな点があったの。〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って花岬さんのことよね?」
「あたしはべつに自称してない。勝手に浸透した」
「ええと……とにかく花岬さんの異名なのはたしかよね。でもね、漫研部員さんたちのなかで〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って、花岬さんじゃないみたい。これは、話を聞いてるうちに変かな? って思ったことで。気になったから、質問してみたの」

「漫研のひとたちは、なんて言ってた?」
「〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉は、ユウキカナルだけだって」
「だれそいつ?」

「疑問におもうよね。だからね、図書室の貸し出し用PCでこっそり――生徒名簿データベースを調べてみたんだけど、そんな名前のひとはいなかった」

 しばらく、考えこむ。全校生徒約千人に含まれないのであれば……。

「卒業生?」
「そう。それで本棚の卒業アルバムにあたったら、見つけた」

 テーブル上に、一枚のプリントが現れる。
 卒業アルバムの生徒一覧からのカラーコピーだ。

「……十年分さかのぼったよ。ちょっとだけ大変だった、かな」

 三年A組のクラス名簿。
 等間隔に並べられた顔写真では、ぎこちない表情ばかりが目立つ。
 そのなかでは光梨が指さす女生徒は、異彩を放っていた。
 カメラに向けて、たおやかにほほえんでいたのだ。

祐城叶鳴ゆうきかなるさん。十年前にも〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉と呼ばれていたひとがいた。ものすごく絵が上手かったから……漫研部員さんのなかで、伝説のように語り継がれてきた、美術部の女生徒」

 きれいなひとだ。
 長く艶めく焦茶の髪は、肩口でひとつに束ねられている。儚げな印象をまといつつも目鼻立ちは端正で、美人と称しても差しつかえがない。

 線が細く。可憐で華奢で。忘れられなくなるような少女だった。

「ん? 美術部? ってことは、あたしらのOGじゃない」
「夏織と同じ渾名……」

 光梨がいうには、十年前の漫研部長が、敵視していた相手でもあるらしい。

「花岬さんの渾名が浸透した背景には、ひょっとすると、このひとの再来として話題になっていたのかも。あと、これは、あきちゃんには、話さなきゃって、おもってたことで」

 光梨が、はなしを切って、あきらを見つめる。
 迷いが読みとれる瞳だった。あきらが動じないのを受けて、彼女はすこしだけ悲しそうにまぶたを伏せた。そこでもう、ためらいは捨てたようだ。

「漫研部員さんがいうにはね。…………初代〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉って……うちの卒業生で……あの、螺科未鳴にしなみめいさんなんだって」

 螺科未鳴にしなみめい――。その名前を聞いた瞬間に、心臓が跳ねる。
 ただ、まだ、どんな驚きの発露も言葉にならなかった。

 すると、夏織が意外そうな顔をしてぎろりと睨んできた。

「あんたにしては反応薄いわね」
「……いまはいい」
「あの螺科未鳴にしなみめいよ? ユウキカナルが本名ってことでしょ?」
「いまはいいから」
「それが、よくないの。これ、去年の二月に出た新聞記事」


 光梨がプリントをめくる。二枚目に印刷されていたのは、新聞記事のコピーだった。隣町にある図書館まで行かないと閲覧できないはずだ。光梨は昨日、そこまで調べてきた。それだけの労力を傾けてもいいと、判断したのだろう。
 あきらは促されるまま記事を読もうと、前傾する。



 G県T市の百子川ももねがわで同県瑞凪町の祐城叶鳴ゆうきかなるさん(27)の水死体がみつかった。2月2日午前7時頃、百子川ももねがわ河川敷を散歩中の男性から「蓮の葉氷の上に人がうちあげられている」との通報があった。現場には救助隊が急行したが、女性はすでに事切れていた。警察によると、遺体には目立った外傷は確認されていないという。瑞凪署は上流の雨槻橋あまつきばし付近からの飛び込み自殺であると断定し、調査を進めていくとのこと。







「……祐城叶鳴ゆうきかなるさん、亡くなってるらしくて」

 控えめに、声が落ちる。
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