海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

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第三章 瑞凪少女誘拐事件

38.プライド

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 あらためて尋ねたところ、鷹藤が〈リトルパルフェダイニング〉に来店していたのには深い理由があるらしい。

〈クロガネ〉コラボメニューに付属するコースターは、通常の全十種類に加えて、一日一枚限定で原作者による描き下ろしイラストが配布されている。日替わりのプレミアシークレットめあてに、カフェに通いつめるファンも多いらしい。
 伊奈羽店限定のサービスであり、鷹藤曰く「ただの地元商店街へのテコ入れ。店長とは知り合いだしな」とのこと。

「今日はその、プレミア絵の納品日だったんだよ。毎週一回は来てんの。ついでに食事してから帰ることにしてんだわ」

 あきらがベンチを勧めても、鷹藤はかたくなに座ろうとしなかった。
 腕を組んだまま直立不動。かろうじて横顔は見せてくれる。

「作者の方が来店されるのって、よくあること……ですか」
「喫茶店という環境はな、いつ訪れても連載で疲れた脳に癒しと創作意欲を与えてくれる。これは仕事のうちだ」
「鏡でこっそりお客さんの様子をうかがうのも……?」
「いや、あれは……あー……うん、よくねぇ、よなぁ……」

 正面から指摘されて沈むくらいなら、実行しないほうが賢明だろうに。

「俺のわがままなんだろうけど、転売が怖いんだよ。プレミア絵の」

 どういう意味だろう。
 あきらが首をひねると、鷹藤はひきつった薄笑いを顔に浮かべた。

「まあほら……親心だな。だってよ、イヤじゃねぇの。丹精込めて描いた作品が大事にしてもらえないのは。〈クロガネ〉に出てくる奴らは、作者の俺にとっては生きてる人間と同等だ。どうせなら、そいつのこと、真剣に好きでいてくれるやつのもとに、たどり着いて欲しい」

 親心――。
 鷹藤のたとえはよく理解できなかったが、想いを込めた作品に情を寄せる気持ちなら。
 自分だって絵を描くから。すこしは歩み寄れる。

 原作者直筆のイラストならファンにとっては貴重な品のはず。同時に、作者にとっても手慰てなぐさみの遊びではなく、心血を注いだ魂の欠片であるはず。きっと、幸福な巡りあわせを祈らずにはいられないほどに。

 手ずから描いた作品が誰かと結ばれる。
 その瞬間を見届けたかった、ということだろうか。

「鷹藤先生は毎週、あの店に来てるんですよね」
「ん。そうだけど」
「決まった曜日ですか」
「そこは不定期だけど……」

 あらためて、鷹藤をまじまじと観察しておく。
 人相は悪いほうだろう。癖っ毛の髪と無精髭は伸びっぱなし。身綺麗な風貌はしていない。眼鏡の奥の瞳はよく泳ぐし、敬語の使いどころが不自然。でも、作品の幸せを語る彼は、真剣そのものだった。

 漫画家としてプロとして、プライドを持って仕事をしている人の言動だ。その姿はどこか想像のなかの螺科未鳴にしなみめい像とも重なる。そういうひとなら、きっと――。
 胸に抱いた期待に応えてくれるはずだ。

「私、鯨坂高校二年の美波です。真木……あの店に来ていた友達を探してるんです」

 素性すじょうを明かす。単刀直入に切り込むのはきっと、愚策なのだと思う。
 だけど、小細工なんてできない。

 鷹藤は唖然として、

「鯨坂……? 真木? ユリエルと同じ学校か?」

 聞き捨てならないことを言った。

「ゆ、ユリエルとは」
「やべぇ……。モノローグが口に出てた……」
「真木のこと、知ってるんですか!」
「まあ……ペンネーム、田中ユリエルってんだろ、あの子。本名では呼んでないってだけだからな、マジでそれだけだから、距離感迷子じゃねーからな。俺は女子高生って存在こそ夢とか希望の象徴だなんてぜってぇツイートしねぇよ?!」
「じゃあ、どういう関係なんですか」

 ただのファンと作者なら、プライベートでの交流はないはずだ。
 あきらが一歩も引かないのを悟ると、鷹藤は観念したように首筋を掻いた。

「はあ……。絶対口外しない約束できる?」

 首肯する。
 鷹藤はベンチから立ち上がって、街灯の直下に設置された自販機へと歩いていく。飲み物を買うようだ。

「知り合いからの紹介で、一瞬だけ臨時でアシスタントに入ってもらったんだ。スタッフに欠員出て、どうしても補充できなくて、すげー困ってたから……」

 ガタン。取りだし口から、珈琲缶の微糖が一本。
 背後は振り返らず「なに飲む?」と尋ねてくるので、あきら首を横に振る。
 いちど断ると、鷹藤も強制はしなかった。

「正直、猫の手どころじゃなかったわ。……あの子すげぇな。Gペンでペン入れできてツヤベタ上手くてトーン削れる現役高校生がいるとか、都市伝説かと思ったっつの。デジタル作画なら、いくらでもうまいやつ見つかるんだけどさぁ……」
「アナログなんですね」
「おうとも、かたくなにアナログ至上主義。うちの現場はな。ただ、仕事場に来てもらうのは社会的にまずい気がしたから。二回くらい身内が貸してるレンタル会議室で会ってる。あ、ふたりっきりじゃねーぞ。女性アシも同席させた」

 一点、気になることがあった。

「……真木を紹介したのって、だれですか」
「言えん。俺にも守秘義務がある。この件、ゼッテー口外すんなよ、SNSにも書くな即炎上するわ」

 鷹藤の話は、にわかには信じがたい。だがここで嘘をつくメリットもない。
 真木にアルバイトを斡旋したのは、ジェスター様だろう。きっとジェスター様は真木の家出癖を知っていたはずだ。

「真木と、どんなこと話しましたか」
「深い話はしてねーよ。漫画のことばっか。けど、あの子どうにも、あの年頃にしては大人の期限をとるのが異常に上手かった。なにか抱えてるもんがあんのかな、とはな」
「それって……家族のこと、ですか」
「それが、あの子を探してる理由?」

 眉間に険しく皺が寄る。
 鷹藤が缶コーヒーを握る手は、寒さにかじかむように強張っていた。
 張り詰めた空気を挟んで、どんなごまかしも通用しないと、問い詰められているようだった。

「真木……家出してるんです。昨日も帰ってない。どこで、だれといて、なにしてるのか。探せば探すほど……真木の顔が、真木のことが、ぜんぜんわからなくて」
「…………マジかよ」
「……ごめんなさい。できれば、このことは誰にも……」
「わかった。わかってる。おおごとにはしない。君らの問題なんだな?」

 はあ、と何度目かのため息を聞いた。
 すぐさま、どかっ――と、無精髭の男はベンチに腰を落とした。

「代わりに、こっちが心配するの見過ごしてくれな。俺こんなですけど、年齢的には良いおっさんだから。前途ある若人には元気でいてほしいんだって。夢追う青春少女こと田中ユリエルなら、なおさらだわ」
「……夢」

 真木の夢。教室でも美術室でも、そんな話はしたことがない。
 穏やかに表情をくずしてみせて、鷹藤がさとすように語りかけてくる。

「美波さん、だったか。クラスメイトから将来の夢が漫画家って聞いて、どう」
「……いいなって、思います」
「あらっ。意外だな」
「……私、ぜんぜん特別じゃない。秀でたものがない。だから、勉強はしてます。将来のこと、進路のこと、考えたとき、いまやるべきことだから」
「なるほどな……。けっこう現実志向か」
「そう、なんだと思います。いつも……自分の限界見てばっか。……でも、一番好きなのは、絵を描くことです。美しいと、きっと価値あると信じられる一瞬を、研ぎ澄まして、描いて伝えることなんです」
「ん……そっか。それでユリエルとも友達になった?」

 ――友達。真木とは、友達なのだろうか。

 きっと友達なら知っていて当然なのだろう。
 理由も。事情も。秘密も。真木が漫研を辞めたことも。それでもいまも、漫画を描いていることも。どうしてだろう。クラスメイトで部活仲間のあきらよりも、部外者のはずの鷹藤のほうが、彼女のことをよく知っている。

「真木の夢って、鷹藤先生みたいな漫画家になること――?」

 尋ねると、作家先生は肩をぐるんとまわしながら、太陽を背にわらった。

「そこは自分で確かめな。あの子の漫画、技術はまだまだだけど、けっこう見所あるからさ」


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