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第三章 瑞凪少女誘拐事件

36.コースター

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〈リトルパルフェダイニング〉の最寄りである太州駅ふとすえきは、伊奈羽駅から地下鉄に乗り十五分ほどの場所にある。

 地下鉄が走る街ならほかにいくつか知っているが、あきらからするとそれだけで都会の条件を満たしている。
 歩き尽くせないほど広くて、見知らぬ人が行き交う、明るく忙しない街。
 伊奈羽市内にもバスやJRは走っているが、市民の主たる移動手段は地下鉄や自家用車だそうだ。

 瑞凪町が自然の豊かさあふれる土地ならば、伊奈羽は人工の利便性に特化した都市だ。機械工作に秀でた理系の大学も多い。あたりは自動車産業や航空宇宙産業が盛んな工業地域らしく、行きの電車の中でも窓の外に煙突の伸びた工場をよく見かけた。

 そんな伊奈波市内のなかでも太州近郊は、活気のある商店街として有名だったはずだ。

「見つけた。――ここだ」

 太州駅から地図アプリだよりで歩くこと数分。
〈リトルパルフェダイニング〉は雑居ビルの中のテナントのようだ。

 三階の窓におおきく〈クロガネ〉のキャラクタービジュアルが貼りつけられている。

「ミニチュア秋葉原って感じだな、太州近隣は。あとでレトロゲームショップでも冷やかしにいこう」
「なにしにきたつもりなの……」

 ネモのとぼけた発言に呆れつつ、階段をのぼる。

 三階に待ち受けていたのは小さなカフェスペースだった。
 開放的なオープンキッチンにつながったカウンター席が五席。テーブル席が七席。壁面にはビビットなポスターが貼りめぐらされていたが、内装はおしゃれな雰囲気だった。

 あたりまえなのかもしれないが、女性客が多い。それも服装から小物までさりげなく着飾って、きっと大切な逢瀬を彩ることに気を遣っているタイプの人たちだ。

 こういう客層なら……。
 百貨店の13階に連れ込まれたことに感謝を覚える。
 グレーのシャツと色落ちしてきたジーパンでは浮いていたかも。

 ネモが声をかけると、ホールスタッフが店内へと案内してくれる。注文はタッチパネル式の端末から行うらしい。

「さあさ、好きなものを頼みたまえよ。お、オムライスがあるぜ。ふわとろたまごだよ、これにしよう」

 食事は電車の中で済ませてきた。
 提案を断って、さきにドリンクメニューに目をとおす。……が、難読漢字が並んでいて、読み方がよくわからない。

「変わったメニュー名……」
「しっ、声量を落とせ。僕らが〈クロガネ〉ファンじゃないとバレたら目くじらどころじゃないぞ」

 そういうものなのか。
 通常のカフェメニューに加えて〈クロガネ〉の登場キャラクターにちなんだ特別メニューを提供しているらしい。「第三弾コラボ」と銘打たれた一覧表から〈罪禍ざいか焙烙ほうろくのベリィハーブティーVer.ライセル・ラズキン〉を頼む。掲載写真どおりなら紫色の紅茶だ。

 注文が届くまでの間に、周囲をぐるりと見渡しておく。

 伊奈羽はヒトとモノが集まる都市だ。社交場に不慣れな田舎者が物珍しがって、あちこち観察しているくらいは見過ごしてくれるはず。
 座席はすべて埋まっていた。あきらたちが入店した段階で、店内は満席になったようだ。

「来た甲斐あったかはさておき――ひとまず、真木くんが来店時にどこへ座ったかはわかったね」
「……え?」

 目をみはる。まだ来店したばかりだ。

「アキラにもわかるはずだ。判断材料はじゅうぶんだぜ」
「……五分ちょうだい」
「長考かい。よし、三分だ」

 短い。が、考えてみる余地はあるはず。
 答案用紙に書きこむ解答が浮かばないときと同じで、まずは基本原則にたちかえる。

 ――よく観察すること。
 ネモが気づいていて、あきらが見落としていることがあるはずだ。
 二人がけのテーブルの上には、イラストが描かれたランチョンマット。右方には注文用のタブレット端末、ペーパーナプキン、カトラリーセット一式。

 これらは初期配置だろう。左右のテーブルにも同様の配置で備えつけられている。

 しかし、一点、異なる箇所があった。
 目前のタブレット端末に付されたネームタグには〈7〉と記されているが――。

 左右に並べられたテーブル上をちらりと一瞥すると、右隣の端末には〈6〉、左隣の端末には〈8〉。これは座席番号にちがいない。

 全七席のテーブル席は店内にL字上に並んでおり、それぞれに六から十二までのナンバーが付されているようだ。
 となると、残る数字は〈1〉から〈5〉。――カウンター席は五席しかない。

 あきらの座高では、カウンター上の備品の配置を把握することはできない。すこし背伸びをすると、メニューを注文している女性客はそれぞれ、タブレット端末を一台ずつ手にもっていることが確認できた。
 頭を振って、視界にはらりと落ちてきた前髪を耳にかける。

 思い出せる。
 真木が〈リトルパルフェダイニング〉に来店した痕跡を示すレシートに付されていた番号は、日付順にT11、T01、T04。Tはテーブルを示す記号だとすると、数字は各テーブルの番号。
 つまり、真木が座ったのは――。

「初回は十一番のテーブル席。二回目と三回目はカウンター席に座ってた」
「やるじゃないか。時計をご覧、三分もかからなかったな」

 称賛の言葉はくすぐったい。

「で、この店の客層だ。時間は九十分制だから回転率は早く長時間居座れる店ではない。見たところ相席はなしのようだしどのテーブルもご歓談ははずんでるようだから事前に示し合わせて二人で来店する客が多そうだ。いっぽうでカウンター席の皆々様はもれなくスマホをいじってる。そもそもは憩いの喫茶スペースだしひとりでゆっくり過ごしにくるお客さまでも大歓迎ってことだろうな。さてこういうお店に足をはこぶにあたり君の愉快な友達の真木くんならどう行動しただろう」

 息継ぎなし。抑揚なし。ただし滑舌は抜群。
 二倍速で再生される音声情報を、頭の中でよく咀嚼して整理する。
 つまり、こういうことのはず。

「すくなくとも一回目の来店時は、だれかといっしょに訪れていた?」
「その可能性が高いね。問題は相手がだれかってことだけど」
「真木なら友達、だろうな」
「どういう友達だろう?」

 ――ポン。とスマホが鳴った。
 通知欄にはLINEのアイコン。届いていたのは、光梨からのメッセージだ。



 光梨:あきちゃん。いまって時間ある? 真木さんの交友関係だいたいわかってきたの。
 美波:聞かせて。
 光梨:まず同クラのグループ。知ってるかもだけど、吹部すいぶの市ヶ谷さんと他女子二名。四人はとっても仲良しで、学外へもよくいっしょに出かけてるみたい。

 光梨:つぎに漫研のつながり……が混みいってて。ただ後輩先輩関係はあんまり濃くなさそうよ。上級生でよく話してるのは乙戸辺先輩だけみたい。
 美波:そのなかで〈クロガネ〉のコラボカフェに行った子っていた?
 光梨:うーん……〈クロガネ〉の話はたくさん聞いたけど……
 光梨:その子たちのインスタも見たんだけどね、この一ヶ月間にカフェタグでの投稿はみあたらないかな。伊奈羽に出かけたなら、なにかは写真に残すとおもうのに。
 美波:了解。
 光梨:ごめんね。真木さんのインスタはまだ特定中。けれど報告したいこともあって

 美波:ごめん光梨。いまめのまえに厄介がいて
 光梨:厄介? だれといるの?
 美波:あとで連絡する



 顔を上げる。ネモ相手なら、いまさら説明は不要だろう。

「学校の友達じゃない」
「なら学外。捜査続行だ」

 ネモの口もとに、にんまりと笑みが結ばれる。

 ホールスタッフがやってきた。「お待たせしました」の合図とともに、テーブル上にドリンクが並べられる。ネモは〈永劫夢魘えいごうむえんのハニーレモンソーダ〉を注文していた。給仕を終えるとスタッフはにこりと微笑んで、正方形の白い台紙を差しだしてくる。

「こちらが特典のランダムコースターになります。全十種類に加えて、一日一枚限定のプレミアシークレットを配布中です。なお、恐れ入りますが、店内でのトレード行為はお控えくださいませ」

 無地の面は裏なのだろう。受けとって、おもてにかえす。

「あ、このキャラクター……」

 描かれていたのは、真木が好きな少年だ。
 ほどなくして、隣のテーブルから歓声があがった。

「あああああ出なかった! クッソ! 五連敗はありえん!」
「確率的に限定ララくんは引けないっしょ。やめとけやめとけー」
「諦めがつかんのよぉ。ね、もいっかい引くよね。次こそラスイチ」
「えー? 出てもあげないよー。メルカリでうっちゃる」
「あんなぁ……。推しの転売で小銭を稼ぐの辞めてくれへん?」

 ちょうど、あきらたちと同じタイミングでドリンクが運ばれてきたからだろう。
 女子高生だろうか、少女たちはコースターの絵柄に一喜一憂している。テーブルにはすでに空になったグラスが四本並んでいた。

「ああいうこと、真木もだれかとしてたのかな。こういうところに二人でくる友達って、どんな関係なんだろう」
「好きなものを共有できて、安心して団結できる関係……かな」
「団結?」
「そう、集団行動には利点がある。ひとりの判断能力には限界があり、視野狭窄しやきょうさくにおちいる危険もあるからな。そして単純に、犯罪者は仲間がいる子は狙わない」

 荒っぽい話題の転換だった。
 あきらには見向きもせず、ネモの声色にはふいに密やかな調子が宿るから、聞き逃すことはできなかった。

「ねえ知ってる? 非合法ドラッグ、パパ活ママ活、つつもたせ。あやしくお得なアルバイト。都会の街には危険がいっぱいだ。緋色の欲望ばかりが息を潜めて、奈落の底から飛びだし坊やを探してる。――ほら、たとえば、あのひと」

 その視線は、最奥のカウンター席に座っていたひとりの男性客に注がれていた。

「さっきからテーブルの下で鏡をちらちらさせてる」

 ネモの言うとおり、闇の中にキラリと光るものが見えた。

「だれか、狙ってる……?」
「さっきの会話を拾うなら盗品転売の線もある。ウルトラレアなコースターがあるらしいからね。どうする? 我らが隣人は犯罪者かもしれない」
「あのさ……確証がないなら、失礼だよね」
「君がそれ言うかい? 疑いを向けなきゃ始まらないのに」
「でも確かめる方法もない」
「そうでもないよ。方法なんていくらでもある」
「たとえばどんな?」

 反射で尋ねてしまってから後悔した。
 スマホを構えて画面上にQRコードを表示させたネモは、いかにも嬉しそうにほほえんでいたのだ。



「……そうだな。じゃあ、そろそろLINE交換しよっか?」



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