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第三章 瑞凪少女誘拐事件

34.ハジメマシテ

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 スマホの時計表示が午前六時三十分を五分過ぎるのを、あきらはひとりで眺めていた。

 もう時間だ。ICカードをかざして改札を抜ける。
 またいつもの一人旅がはじまる。

 昨夜のやりとり以降、〈テラリウム〉にネモからの連絡が届くことはなかった。
 反応はなく。既読もなし。「はい」も「いいえ」もなかった。
 乗車予定の列車が到着するまではまだ時間があったので、コートのポケットに忍ばせていた文庫本を広げる。ホームのベンチに腰を下ろすと冷たい。

 天候は全国的に晴れ。
 目的地である伊奈羽市は平野にある大きな街で、気候は瑞凪町が所在する山間部より穏やかだ。通学用のダッフルでは持てあましそうだったため、オフホワイトのトレンチコートに袖をとおした。背伸びをしたい冬の朝にはぴったりだ。

 息を吐くと白くけぶる。
 まだ十一月だというのに、早朝の寒気はすでに冬本番で、マフラーを忘れたことを後悔する。

 待ちあぐねていると――にゅっと黒い影が伸びてきた。
 驚きまじりに見上げる。
 藍色が鮮やかなジャケットにスラックスの制服。しかし学生服ではない。両手に白い手袋をはめて頭には活動帽を被った格好。

 ――車掌だ。

「お嬢さん。冬の傷心旅行ですか」
「そんなところです。信じてたひとに振られて」
「それはまた……一大事だ」
「いえ、自業自得です。私、頑固だから、ずっと甘えてた。相手には義理もメリットもない。友達だから助けてくれるって期待して。一方通行な気持ちのおしつけ」

 文庫本をたたむ。顔をあげる。

 線路のむこうには、一定の静けさをたもった瑞凪町の風景が広がっている。
 ホームには電車の到着時刻を知らせるメロディが流れはじめた。もうそろそろ始発電車がやってくる。冬の朝の冷たい風が吹いている。
 車掌はアナウンスを告げようともしない。代わりに、優しいふくみ笑いが落ちる。

「……僕こそ。不興も幾らかかってきたし、そこまで信頼を寄せてもらえる保証もなかった。日常範囲外のゆるい関係なんて、いつでも切り捨てられるはずだ。だのに、君は、肝心な場面でこの手を呼ぶわけだ。まさか地上で逢瀬をお望みとはね」

 冗長な話し方。格式ぶった言葉えらび。
 なにより、自信をもって仕掛けてくる底意地の悪さ。

「いいさ。お初にお目にかからせてもらおう。――会いたかったぜ、アキラ」

 車掌は白手袋をした掌をひらりと裏がえして、脱帽した。
 銀の徽章がかがやく活動帽を、胸に掲げたら――。

 はらり、ピアノ線を思わせるほど透明な黒髪が散って、肩に降りる。首筋は細く長い。鎖骨から上腕までをつなぐ稜線を描くならきっと、優美な曲線だろう。一連の挙動は流れるようになめらかだった。

 長身痩躯。細身でスレンダー。
 骨張った筋が目について、肌色は不健康そのものながら、体格はアスリートのように直線的。さりげなく組まれた足の関節の駆動域はふしぎと広い。

 そして薄化粧の顔にひかれたリップは、ブラウンだ。

「ネモって、おんなのひと、だったんだ……?」
「おや。新鮮な驚きをありがとう。クールでダンディなイカしたお兄さんじゃなくてごめんよ。あ、衣装はいわゆるコスチュームプレイだから誤解のないように」

 言うが早いか、制服を隠すように黒のチェスターコートを羽織ってみせた。滔々とうとうと喋る声はハスキーだ。背丈も横顔も大人びているのに、どこか少年めいた印象を受ける。

「でもな、君そこそこ迂闊だぜ。もし仮に僕がいい歳したおっさんだったらどうするつもりだったんだい」
「見るからに危ないひとだったら、逃げればいいかって」
「うはははは。ならいまが最後の好機だ」
「自覚あるんだ……」
「ほら、ぼく、社会不適合者だから。高機能かどうかは想像と妄想におまかせする」

 推定危険人物であることを否定しないあたり、やはり本人なのだろう。
 彼女? もしくは彼? どちらでもいいか、と結論づける。

 それにしても……大人であることは紛れもなさそうだが、つかみどころがなさすぎる。

 外見年齢は二十代とも三十代ともとれる。〈テラリウム〉の規則上は、満二十歳以上は登録できないはずだ。在学中に登録してから成人年齢に達したユーザーは、自動的に退会するシステムが組み込まれている。

 あきらがネモの実年齢に疑いをもったのは、語彙と話題と、たまに学校の学習カリキュラムが噛み合わないもどかしさを感じていたからだ。
 おそらく、なんらかの抜け道を講じて、あの海の底に居残っているのだ。

「訊きたいことがいくつもあるって顔だね。興味津々? 猪突猛進? 仁義なき好奇心は嫌いじゃないが、僕にも秘する権利はある」
「〈テラリウム〉で話してるときみたいに、なんでもは答えてくれない?」
「そういうことだ。君が友達を見つける手助けをしに駆けつけた。美学に反する無粋な質問事項に割いてる時間はないし、懇願しても講釈してやらない」

 それでもよろしければ――。
 と、踊り手に誘いをかけるように、指先がすっと伸びて。

「ポイント・オブ・ノーリターン。……さて、どうする? 旅は道連れ、世は情け。選択権なら君にある」
「今さら引かない。これから伊奈羽に行く。……ついてきてもらうから」
「度胸十分。素晴らしいね。さあ、アキラ。しからばつづきは通例どおり――」

 くちもとには魔王的微笑。つり目がちな双眸を半月にして、ネモはこちらを挑発するようにまなざしを向ける。カチリ、と頭の隅で空白が埋まる音がした。

 ――このひと。こういう顔でわらってたんだ。

「この事件の謎をいっしょに解き明かそうか」


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