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第三章 瑞凪少女誘拐事件

32.フットワーク

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 夏織は作品から、光梨が交友関係から、真木について探るのであれば、残る選択肢はかぎられる。あきらには得意分野といえるものはない。それでも、自分を活かして戦うなら。

「……足、かな」

 クラスメイトである利点は活用しておきたい。担任教師に住所を教えてもらい、配布プリントを持って真木の自宅にたどり着くまでに苦労はなかった。都合の良いことに進路希望調査票が未提出だったのだ。
 真木の棲む家は瑞凪町の南方、駅舎の裏手を直進した先にあった。鯨坂高校までは徒歩でも通える距離だが、真木はふだんは自転車通学をしていたはずだ。

 二階建ての一軒家を確認してから――。

 インターホンを鳴らす。返事はすぐに返ってきた。

「夜分にすみません。鯨坂高校二年の美波です。真木……百合枝さん、いますか」
「……百合枝になにか用ですか」

 女性の声だ。母親だろうか。まずは出方をうかがうことにする。

「プリントをもってきました。あの……体調、よくなってますか」

 表向きはまだ体調不良で通っているはずだ。
 保護者は誘拐事件については知らないのか。
 もしくは、すでに犯人と接触していて口留めされているのか。
 いくつかの可能性が頭を駆けめぐる。

「はあ……美波さん、でしたっけ」
「はい」
「よければあがっていきませんか」
「いいんですか」
「ええ。お礼、として……あとできればお話させてくださいね」

 妙な誘い口だ。
 しかしここで断る理由もなかった。承諾するとさっそく、戸口に足音がせまってきた。

 玄関の扉を開けて出てきたのは、はじめて見る顔の女性だった。真木の母親を名乗る彼女は、かなり若くみえた。小綺麗な風采をしているのだ。花柄のワンピースがよく似合っているし、化粧も整っている。

 玄関先に飾られた家族写真でも、彼女の美貌は健在だった。制服の真木と彼女の父親らしき男性とならんで慎ましやかにほほえんでいる。見比べても写真と実物にはギャップがない。
 リビングに通されてソファに腰を下ろすと、応接机にそっと茶器がおかれた。トレーにのっているのはお菓子と紅茶缶だ。カントリーマアムを勧められて、食べないという選択肢はなかった。

「うちの百合枝。いまは美波さんのお宅にいるんですか」
「え?」

 いきなり会話を振られたが話が見えない。
 狼狽ろうばいから、むせそうになるのをこらえる。

「美波さん、あの子と仲良しの友達なんでしょう」
「……すみません。事情がわかりません。どういうことか、詳しく教えてもらえますか」

 あきらが尋ねると、真木の母親はさみしげに目を伏せた。
 ティーカップを口に含み、しばらくの沈黙を経てから、やわらかい微笑を向けられる。

「お恥ずかしい話なんですが……あの子、うちに帰ってこないことが多いので。いつもどおり、友達のお宅に、泊まりこみしてるのかなって」

 相槌を打ちながら、あきらは横目でリビングをうかがう。

 整理整頓がいきとどいた空間を彩る家財はよく使いこまれている。
 それでいて、いたみは見受けられない。

 カーテンもカーペットもクッションカバーも、明るい暖色で統一されていて、染みひとつない。清潔感のある部屋だ。ゴミ箱から半分飛びだした折り曲がったポスターが不自然なほどに。

 ……ようやく話がつながった。
 真木は誘拐されて自宅にはいない。〈テラリウム〉には大人は入れない。

 しかも、真木がよそで夜を明かすことは、彼女の家庭ではもはや日常で、二日連続で家を空けた程度で警察に届け出をだすことはない。

 ここでも事件は観測されていないのだ。

「よくあること、なんですか」
「あ、いえ、家出とかじゃないんですよ。何日か経ったら、ちゃんとうちに帰ってきますからね」

 それは家出だろう。そう思うが、口にはださないでおく。

「一度こうなると、あの子はね。電話にも出ない。LINEの既読もつかない。反抗期って、ふつうの子は中学生くらいで終わらせておくものでしょうに……どうして百合枝はいつも……」

 真木の母親は頬杖をついて。
 憂いを帯びた表情のまま小さく呟いた。

「もっということをすなおにきいてくれる子だったら、よかったのに」

 子供は大人が思いえがくほど、幼くはない。
 だから、見咎められないように、美波あきら息を殺して呼吸をする。まだ冷静でいなければいけない。
 通学鞄に収納したクリアファイルごと抜きだして、一葉の書類を手渡す。

「これ、プリント。進路希望調査票。彼女、まだ、出してないみたいです」
「ああ……担任の先生からね。安心してくださいねって伝えてくれる? 百合枝はちゃんと大学に行かせます。あの子、お父さんに似て頭はいいはずなんだから。やればできる子なの。小学校のときもね、満点ばっかりとってたもの。将来は学校の先生か公務員がいいねって、あの子も言ってたの」
「真木って、家ではどんな子なんですか」
「そう……ね。放っておくと、よくわからない絵ばっかり描いてるわ。でも大丈夫。きっといまだけよ」
「…………絵を描くのは、だめなこと、なんですか」
「だって……絵の道で食べていけるのって、一握りの選ばれたひとだけでしょう?」

 だめだ。――話がつうじていない。

 母親がいる家庭は無条件に幸せなんだと思っていた。
 お母さんと話した。ママと出かけた。お母さんと。お母さんと。お母さんと。みんなが口々に教えてくれる母親は、あきらにとってはいつも想像の範疇にしかいない。
 
 美波あきらの母親であるひとは、父親との離婚成立後、私物も残さず瑞凪町から居なくなったから。

 真木の気持ちはわからない。彼女がこの家でどんなことを考えていたのか。なにを思っていたのか。すべて憶測でしかない。だけど。それでも。

「真木の好きなものって、知っていますか」
「ええ。女の子たちが魔法使いに変身するアニメよね? あれ……子供っぽいわよね。私が高校生のころはもっと……」
「ちがいます。そうだけど、そうじゃない。いまの、真木が、一番好きで、一番大事なもののことです」

 あきらなら間違えない。美術室で一緒に過ごしてきたからよく知っている。

 真木が饒舌に語ること。勉強は嫌いなくせに、興味を抱いたらまっすぐで、知識を披露しはじめると止まらないこと。
 掲載雑誌の発売日は、朝から教室で読んだあと、美術室でも読み返していること。通学リュックにこっそり単行本を忍ばせていること。メイク道具もネイルグッズもおしゃれな服も、流行りのアプリだって、あの子は好きだ。
 でもたぶん、それよりもっと、夢中になってるものがある。

「……ごめんなさいね。あの子、変わってるし、ズレてておかしいわよね。きっとあなたにも迷惑かけちゃってるのね?」

 困ったようにはにかむ女性の目線を受け流し、あきらは冷めた紅茶をすする。
 そしてこの家の敷地をまたぐ直前に、目撃したものを思い出す。

 半透明なゴミ袋に詰め込まれていたのは数々の証拠品だ。

 この家で起きていること。この家族がしてきたこと。
 そしておそらく、真木が家出を繰り返している理由の裏付け。

 ひとつは、ひびの入ったCDケース。
 もうひとつは、取手の折れたキャラクターもののマグカップ。
 そして決め手は、表紙の破れたアニメ雑誌と〈叛逆の皇子クロガネ〉の画集。

 見解を改める必要があった。

〈テラリウム〉で起きているのは、ただの誘拐事件じゃない。

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