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第二章 リモナイト密室盗難事件

24.ジッケン

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 翌日。放課後の化学実験室――。

 椅子に座らせられ、花岬夏織は腕組みをしていた。絵具で汚れたエプロンを着用したまま、むっつりと黙り込み、いかにも不服そうな態度を隠そうともしない。あきらに説き伏せられて化学実験室へ訪れたとはいえ、納得はしていないのだろう。

 白衣の女生徒――墨原月子が出迎えたときにも愛想笑いさえしなかった。

「美波……と、だれ?」
 質問を受けて、人差し指を墨原にむけている。

「こちら墨原さん。化学部の部長」
「よーこそ。花岬さん! 一方的に知ってるよん」
「あ、そう……。で、あたしをこんなとこに連れこんだワケは?」
「解けたから」
「は?」
「解けたんだ。密室の謎。夏織にも検証につきあってもらいたい」
「あんたさぁ、今日が何日かわかってる? 十月二十六日よね? この一分一秒が惜しいんだけど」
「うん、だすよ。全国高校生絵画コンクール。密室の謎を解いた上で」

 強く断言すると、夏織は大きく目をみはった。
 一拍おいて、頭のてっぺんを荒っぽい手つきで掻いてから、億劫そうに吐き捨てる。

「ああもう……わかったわよ。すぐ終わらせて。五時三十分には美術室にもどる」
「了解。それだけあればじゅうぶん」

 墨原に視線をおくる。
 目が合うと、墨原はにんまりと笑い、試験管を手に持って声高に喋りはじめた。

「はい。こちらにご注目くださーい! 実験をはじめまーす。本日、化学部のお手伝いをしてくれるのは?」
「えっと、助手の美波です」
「美波ちゃん堅いなぁ? サイエンスに必要なのは、笑いだよ」

 どうにもおかしい。この流れは打ち合わせになかった。あきらの動揺を悟っているのか、墨原は得意げだ。彼女のほうはアドリブなしの即興劇も余裕綽々でこなしてしまう、芸達者な科学者だった。

「なに、この茶番……」
 もっとも客席の夏織は呆れているが。

 墨原は場がしらけるのには慣れているのか、観客の反応はとくに気に留めてもいない。二股に分かれた試験管を、実験机の収納から取りだして掲げている。

「さてさて? 取りだしましたは、こちらの二股に分かれた試験管。はい、美波ちゃん、正式名称は?」
「さ状ガス発生器です」
「正解! よくできました! 使い方は?」
「この二股にわかれた管の先端に、ピペットで二種の試薬を入れて使います」
「うんうん。花丸あげたいね。今回は塩酸と硫化鉄Ⅱを入れてあります。で、こうしてね、ちょっとずつ傾けていくと……?」

 二股試験管の口につけられた細いガラス管を、水の入った試験管の中に入れると、ふつふつと気体が浮かび上がってきた。 

「硫化水素が発生します」
「化学の授業でやったっけ……?」
「おつぎは、こちらの試験管立てに用意しましたよ。こちらは鉄Ⅲ水溶液」

 さらに墨原は黄色い試薬が入った試験管を手にもって、しゃかしゃかと軽く振った。

「ここに、さきほど発生させた硫化水素を加えます」

 事前の指示にしたがって、あきらが二股試験管から硫化水素を加える。
 硫化水素の気泡が注がれても、黄色い液体の入った試験管の中身は、透明のままだ。

「はい! なにも変わりませんね! ですが、ここにもうひとつ――アンモニアを加えてみると?」
 墨原がべつの試験管からピペットでアンモニア水溶液を注ぐ。
 すると――こんどは黒く変色した。

「黒色沈殿のできあがり。解説すると、アンモニアを加えたことで、水溶液が酸性から塩基性に変わったんだ。この黒は塩基性の条件下でのみ生じる」

 化学教諭さながらの解説を披露して、墨原は鼻息を荒くしているが、夏織はげんなりしていた。羽虫にかじられ萎れた露草のようだ。
 言葉足らずなところは、あきらから補足しておく。

「実験ではわかりやすいように、水溶液を使ったけど。美術室では土日のうちに、夏織の絵のなかでこれと同じことが起きた。部屋の中で、絵具だけがひとりでに変色したんだ」

「は……? なにそれ? なんでそんなこと起きるのよ」
「思い出して。あの日、夏織が使った黄色はリモナイト……つまり鉄系顔料をもちいてつくられた黄色だけじゃない。真木がチューブからしぼった雄黄をつかってる。雄黄は硫化鉱物……ってことは、硫黄が含まれてる」

「待って。美波、わけわかんなくなってきた。いったんストップ。ん……? あれ? 誰も密室を破ってないってこと?」
「そうなる。通常、油絵具は顔料に乾性油を加えてつくる。乾くと……つまり、空気に触れて酸化すると固まる性質があるんだけど」
「うん、知ってる。乾きにくい絵具でも二、三日もすれば固くなるし」
「ただ、夏織がつかったのは画材メーカーの絵具じゃない」
「あ……! 兄の自作……!」
「そう、原材料も製法も不明なんだ。そのリモナイトっていう絵具」
「だ、だからって、そんな変色起こるわけ?」
「それについては、墨原さん。ご意見を」

 あとは彼女の得意分野だ。今度はスムーズにバトンを渡すことができた。 
 
「まっかせて。花岬さんのいうとおり、今回の変色はほとんど奇跡レベルのイレギュラーだろうね。考え得る原因としては、花岬さんのお兄さんの絵具製法がかなり独特。リモナイト……鉱物でいうと褐鉄鉱を顔料にしたとして、さらに通常ではまずありえない凝固剤を加えているんじゃないかな」

「通常ではありえないやつって?」
「条件としては、高塩基性であること。あてはまる物質は……」

 墨原は指を立てながら、にこやかに告げる。

「ウチの見立てだとズバリ、コンニャクだね。あれ、食べられるけど、人間には消化できない塩基物質だから」
「兄……! ふざけたものつくるな……!」

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