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第二章 リモナイト密室盗難事件
23.アルル
しおりを挟むその日の夜もパソコンの前に座っていた。
あきらの〈テラリウム〉へのログイン時刻と、ネモがチャットで連絡をしてきた時間は、ほとんど同時だった。
ネモ:で、なにかわかったって?
アキラ:ゴッホを面でとらえてみようと思って。
ネモ:へえ。その婉曲表現、君までジェスター様の真似かい?
アキラ:その、ジェスター様の怪文書から解いてみる。
アキラ:朝の投稿はもう見てるでしょ。貼るよ。
UserID:@jester
Title:K坂のゴッホに告ぐ
星月夜の薄紅は欠けて、向日葵は漆黒に染まる
友情は儚く、画家は孤独に死にゆくもの
ネモ:前回の〈水棲少女〉同様、いまいち何が言いたいのか伝わってこないな。
アキラ:そう。おかげで確信がもてないんだ。だからさ、ネモ。知恵を貸してくれる?
ネモ:勿論さ。やろうか、アキラ。この事件の謎をいっしょに解き明かそう
アキラ:ありがとう。はじめるね。
アキラ:まず、〈K坂のゴッホ〉これは美術部のKのこと。
ネモ:犯行声明文だとするなら妥当だな。人造乙女のときの〈水棲少女〉は示唆的だった。今回はかなり限定的だね
アキラ:そこに犯人の着眼点があるとおもうんだ。
ネモ:というと?
アキラ:〈K坂のゴッホ〉が美術部のKだとすると、本文のとらえ方が変わる。
アキラ:怪文書の単語に注目して。どれもゴッホの作品タイトルからきてる。けど、〈星月夜〉が指すのはKの『瑞凪の秋』。なぜならあの絵の月は薄紅色……ピンク。
アキラ:だから〈向日葵〉もKの今年の公募作のこと。美術室で絵を見たよ。文書のとおり、黒く染まってた。
アキラ:そこで、つぎの〈友情は儚く〉だけど。
ネモ:ゴッホと友情を育んだ画家といえば、ポール・ゴーギャン
アキラ:やっぱり?
ネモ:諸説あるけどね
ネモ:ゴッホとゴーギャンの友情は、西洋美術史上に燦然と輝く星座のような伝承さ。二人の出会いは一八八七年パリ。クリシー通りのレストラン・デュ・シャレで開かれた展示会だ。このときゴッホは自作の絵二枚と、ゴーギャンの絵の交換を申しでた。これが文献によってはゴーギャンからの提案とも語られるから、ややこしい
ネモ:語り手を変え、真実から遠ざかり、ひとからひとへ、渡されるのが伝承だからね
ネモ:だが、僕はあえて断言しよう。さきにゴーギャンに焦がれたのはゴッホさ。彼がともにアルルで共同生活をおくってくれるよう手を尽くし、やがてふたりは夢を共有した
アキラ:ふたりの夢っていうのは?
ネモ:ゴッホにとって、南仏アルルの美しい風景は、理想そのものだったらしい。ユートピアってやつを、あの画家はみた。となりにいたゴーギャンとともにね
アキラ:けど、ふたりの共同生活は長くは続かなかった。
ネモ:まあ、画家同士だもの。想像の世界を描くゴーギャンと、目前の現実をとらえるゴッホとじゃ、見てるものがちがったんだ。共同生活中も何度も喧嘩したそうだぜ
アキラ:ネモってこの手のはなし、みてきたように語るね。
アキラ:でさ……美術部の部員が、Kと喧嘩したんだ。
ネモ:おや、ジェスター様に翻弄されてるね、その部員
アキラ:そう、翻弄されてる、らしい。
その部員というのは、あきら自身だ。
けれどいまは〈テラリウム〉の底で深海魚を気取る友人と話してる。見栄くらい張らせてほしい。
アキラ:Kは美術室へきたとき、落ち着きはらってた。たぶん、このくらいのことは、もう考え終わってる。
フィンセント・ファン・ゴッホは、孤独な画家ではない。
ゴッホにゴーギャンがいたように、夏織に対等な友人がいるとしたら。それは、あきらであるはずだ。もしも彼女の苛立ちの裏に、何か理由があるのなら。
知ろうとしないのは怠慢だ。
密室の謎を解いて、そして。
花岬夏織というひとりの画家から目を逸らさず、理解したい。
ネモ:で。向日葵黒化事件の謎だな。アキラなら、仮説はあるんじゃないかい?
アキラ:うん、ある。けど、まだ検証の必要がある。
ネモ:おっと。こっちに任せてくれないんだ?
アキラ:適任者いたから。まわり道かもしれないけど、頭下げに行ってみる。
ネモ:了解だ。こっちは海の底で良い報告を待つことにするよ
ネモと別れてすぐ、パソコンの電源を落とす。それから充電を終えたスマホの画面をタップ。部長会の連絡用LINEグループから、彼女の名前を探す。
アカウント名は名簿と同じ漢字表記だったので、苦労もなく見つけることができた。タイミングを熟考し、念のため誤字脱字がないか、よく読み返して。メッセージを送る。
美波あきら:遅くにごめんなさい、墨原さん。頼みたいことが、あるんです。
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