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第二章 リモナイト密室盗難事件
21.テンペスト
しおりを挟む一限目から四限目まで授業を受けているあいだ、ずっと気が気じゃなかった。月曜午前は体育や化学の実験など移動教室の連続で、クラスメイトの真木に話しかけに行く暇さえないのだ。
そこで結局、美術部のグループLINEで招集をかけた。早朝に向日葵を見たのはあきらだけだ。ひとまず、夏織
を含めた全員で話すべきだろう。
昼休みになり美術室で、ようやく落ち合うことができた。
「ジェスター様、ね……。そいつ、なにがしたいんだか……」
向日葵を見た夏織の反応は、意外におとなしかった。ショックを受けて取り乱すようなことはない。それでも、横顔からは憔悴がうかがえる。
「うーむ。一貫性はあるっぽいな。ジェスター様の呪いが、恋をしない者に天罰を与えるってのならさ。夏織だって当てはまるんじゃん?」
真木があごを親指で揉みながら考察する。対する夏織は呆れ顔だ。
「だからあたし? ばかっぽい。単純に迷惑」
「いちおう器物損壊にはなるのかな。夏織が犯人に賠償を求めるなら」
「あんたの目線だとそうなるのね。美波、今回も正義漢ぶるつもり?」
「べつに、ぶってるつもりはない。犯人探しをしてるだけ」
また、あきらの周囲で被害が出た。夏織は深刻にとらえすぎる子ではないが、制作中の作品に手を加えられて、怒りを感じてはいるはずだ。犯行を警戒していながら未然に防ぐことができなかったのは、あきらの落ち度だ。
名鳥光梨と同様に、花岬夏織も目立つ少女ではある。学内にかぎらず、学外でも注目され、将来を渇望される女生徒。
――被害者には、なにか、パターンがあるのかもしれない。
「確認から入ろう。先週末、私たちは一緒に下校したはず」
金曜日の放課後。美術室に居たのは、あきらと真木と夏織の三人。顧問は一度も部室に現れず、引退した乙戸辺も顔を見せにはこなかった。写真部での一件以来、彼にとっては近づきづらい場所でもあるのだろう。
「下校したのは六時過ぎくらいだっけ。絵具かたづけて、イーゼルとカンバスはいつもどおりそのままで。部室の鍵を閉めたのは、おっと、あきらだなぁ?」
「そう。真木が最後まで残ってた」
「化粧なおしてたなー。部室で寝てたら眉毛が消えて、寝癖ついたし、コテでこう、ね」
「よくそんなの学校に持ってこれるよ……」
「持ち物検査の日はちゃんと隠してるぞ?」
思い出してきた。油絵具を放りだした真木は「来週から本気出す」とか言って、途中から机に突っ伏していたのだ。生理前で身体が重いのは本当のようで、顔色が悪そうだった。真木が部活中に眠るのはよくあることだから、いつもどおり寝かしておいた。
「で、土日ね。あたし家にいたけど。あんたたちは?」
「土曜は推し実況者の生配信見てたなぁ。日曜は友達とイオンで買い物して、フードコートでだべってた」
「私は……ネット見て読書して。あと勉強」
昼間にネモと映画を見ながらチャットもした。〈テラリウム〉にくだらないつぶやきを投げているのを、画面越しに確認しあってもいる。
「美波は家? 真木は外?」
「夏織は家でなにしてた?」
「家族とごはんつくったり、絵描いてた」
「ふたりとも、学校に用事があったりはしないよね」
「そりゃそーでしょ。てか、文化部は土日に活動すること、ほとんどないな?」
「渡良井先生は?」
「えー? あのやる気のない顧問が、わざわざ土日に学校来ると思う?」
「それは……ないな……」
しん、と鎮まりかえる。
沈黙を破るように口をひらいたのは、真木だった。
「ねぇ、あきら。ひょっとしてひょっとするなって、考えてるんだけど?」
おそらく、同じことを考えている。
夏織の描いた向日葵を間近で見ているのは、美術部の部員だけだ。金曜日の下校時刻から月曜の早朝まで、美術室は閉まっていた。鍵はずっと職員室にあった。今朝、あきらがとりにいくまで、誰も借りにきてはいない。
混迷極める現状を、整理してみてわかることは。
「いわゆる、密室……なのかな。この事件当時の状況」
「やっば。不可能犯罪じゃん! やってくれたな、ジェスター様」
「まだ、そうと決まったわけじゃないから」
結論を急ぐのは早計だ。あきらはぴしゃりと言い放つ。
三人でボールを投げあう議論の最中、あきらの言葉を拾ったのは、
「あんたたち、楽しそうね。ヒトゴトだからって」
夏織だった。
窓枠に背を預け、腕を組んだまま、彼女はカンバスを睨んでいた。
「あたしはこれから、このでかい向日葵塗りなおさなきゃいけない」
「夏織……。ジェスター様探しは?」
「暇なときだけって言ったでしょ」
少女はわずかに目を伏せて、つまらなさそうに口をすぼめてしまう。
十月の空風が吹き込む美術室で、カーディガンの裾がふわりとはためく。寒がりの彼女はもうタイツを履いていた。セーラー服の青鈍色に、首もとを隠す黒いインナー。防御に徹した格好だ。冬の装いをととのえてしまえば、凍え死ぬことはないのだとでも表明するような。
「いまは、そんな暇ない。美波、あんたも同じじゃないの?」
「それは……」
絵画コンクールの締め切りは十月末日。ハロウィン当日だ。
夏織の花鳥画はよくできている。全体をみても絵具が均一で、余白が少ない。背景などの面を塗る手順が的確で、刷毛の使いかたがうまいのだ。ここからさらに細く軟らかい丸筆で描き込みを足して、完成度を高めていくのだろう。
夏織はかならず有言実行するはずだ。今年のコンクールでも、高評価を得るのだろう。
だからこそ、目を背けたくなる。
となりに並べられた未完成の風景画は、比較対象にするにはあまりに粗末だ。あきらの絵には、華がない。構図も凡庸。色彩表現も四角四面な理屈に頼りすぎている。
絵筆をにぎりしめてカンバスと向きあうほど、ふと顔をあげて隣をみたときに思い知る。
――花岬夏織が天才だってこと。
「……あんたたち見てるとイライラする。戦意のない真木はまだいい。そういうやつって多いし。けど、美波――あんたは許せない」
その夏織が、いまは筆を放り投げて、あきらを睨んでいた。
「私?」
「中間テストの学年順位、いくつだった?」
なぜ、いま、そんなことを。
質問の意図がまるでわからない。あきらが答えに窮すると、夏織の表情はさらに曇る。そして透明な高い声が、怒声に変わる。少女が唸る。
「成績良いよね? 勉強得意だもんね。美波って、ホントどこも偏りがない」
「な、なんだよ、急に……」
「あんたはべつに絵じゃなくても、そこそこの結果が出せるやつだ。受験勉強がんばってるみたいだし」
「それは……普通のことだよ」
「その普通が、普通じゃないやつもいる。いい子ちゃんタイプってのがあんたの個性。そのくらい自覚したら?」
…………なにも言い返せない。
鋭い目に射すくめられ、あきらは黙りこむ。夏織の澄んだ瞳からは逃げられないまま。
「あたしは芸術家以外にはなりたくもない。ほかの選択肢を切り捨てる覚悟もとっくにしてる。けどあんた、まだ未分化だ。半魚人みたいに、両生類みたいに、どっちつかず」
夏織はそこで、一呼吸おいた。
息切れだ。あきらの反応を待っているわけではない。
肩を震わせながらも視線は逸らさなかった。
「去年、コンクール誘ったのに出さなかった。今年も犯人探しで忙しいからパス? その程度の覚悟で、あたしと並ぼうとしないで。中途半端に合わせようとしてくるの、うざいだけだから」
そこまで吐き出してから、夏織は「……さきに教室かえる」と短く告げて、美術室から去っていく。
一方的すぎて呆然としてしまう。――まるで嵐だ。
壁ぎわを見遣ると、身を寄せて静観していた真木が頭を掻いていた。
「あきらさぁ。ゲキジョウガ相手によくやるねー」
「激情家? 劇場型?」
どちらのつもりで言ったのだろう。
「なんていうか、夏織は主人公になりきるのが上手いタイプじゃん」
「〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉……か」
「その二つ名も似合ってるんのかな。〈向日葵〉の画家だっけ?」
真木はもっと芸術一般に興味をもったほうがいい。それを指摘すると、むくれるので黙っておく。
「ほかにも〈星月夜〉や〈カラスのいる麦畑〉も見応えあるよ」
「美術のテストで出たなー。そっか、あれ、ゴッホか。フランス人?」
「オランダ人。日本でも人気の印象派といえば、パリの画壇だから混同しがち。画家といってまず、ゴッホを思い浮かべる人は多い。それだけ人口に膾炙した名画があるから」
「あ、わかってきた。あの、ぐるぐるした絵画もか。たしかにわかりやすい……ん? 夏織の絵とは似ても似つかないよね?」
夏織は気性の激しさとは反対に、精密で繊細な絵を描く。絵具の使い方も平面的で均一。
立体的で圧力のあるゴッホの絵を模倣してるはずがない。
「あの子、画風が独特だから。描き方をみても、真似しようとはおもえない」
「……あきらから見ても、夏織は神絵師なんだ」
「抜きん出てる。同年代にはライバルがいないって、思ってるんだろうな」
つぶやきながら、夏織の言葉を思い出していた。彼女の指摘はおそらく的を射ている。
――できそこないの半魚人。
勉強は保険だ。絵の道を選べなかったときのために、備えてる。失敗したときのことばかり考えてしまう。地に足がついていては夢を見れないと知りながら、鰓呼吸もできないくせに、海中に潜っては魚だと主張する。
だからといって――遊びなのだろうか。
ほかの選択肢をさしおいて、時間も労力も費やしている。希少なお年玉を、画材に投じている。
きょうだって放課後には絵を描いている。
「視界に映ってないから、悔しいんだ? この、負けず嫌いめ」
たまに鋭いから、真木は油断ならない相手だ。
下唇を噛みそうになるのをごまかして突っぱねておく。
「真木だって〈クロガネ)について話しはじめると、聞いてもないことまで語る」
〈クロガネ〉は真木が愛読する漫画だ。
正式名称は〈叛逆の皇子クロガネ〉。王族の血を引く少年が、産業革命後の西洋によく似ている異世界を旅するダークファンタジーだ。
三年前に少年誌で月刊連載がはじまった作品で、アニメ化してからは十代の少年少女の間で熱狂的なブームを巻き起こしている。読者を翻弄するかのようなストーリー展開と、くせの強いキャラクターたちによるドラマが魅力だ。主人公の腹違いの弟〈ライセル・ラズキン〉は真木にとって「一生譲れない推し」らしい。
〈クロガネ〉を引き合いにだすと真木はへらりと笑った。緊張感に欠ける顔だ。
「ララくんがいるからしゃーないっしょ。〈クロガネ〉の世界ごと愛してますし?」
「はいはい……」
「あ、待てよ。……思い出した。ゴッホって耳のない〈自画像〉の人だ?」
「耳きり事件だね。あれは有名」
ゴッホがいっとき、南仏のアルルに住んでいた時期の事件だ。
同居人の画家と喧嘩したすえに激昂して、耳たぶを切り落として娼婦におくった。悲観的で憂鬱になりやすく、波たつ心模様がそのまま行動にあらわれたゴッホの、荒々しさを語るエピソードだ。
「じゃあ、このままいくと、夏織が耳を切り落とすわけだ?」
「……やめてよ」
冗談にならない。夏織には、その手の危うさがある。神経衰弱で塞ぎこむことはないだろうが、激情のあまり凶行に走るすがたは想像にかたくない。
〈鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ〉という渾名が浸透した背景には、学生たちの畏敬と皮肉がある。夏織の画才を褒めたたえるためではなく、画業に溺れる彼女を揶揄するために使われている。
ゴッホの才能は、彼の生前に大衆の理解を得られなかったのだ。
生涯の理解者は弟のテオただひとり。妻や子を得ることもなく、神経症に苦しみ、ついには自死を選んだ悲劇の画家。彼が最期ににぎったのは絵筆ではなく、ピストルの引き金だった。
そんなことありもしないと否定しながら、夏織をみていると心配になる。ほかの生き方を知らず、仲間と群れず、誰とも溶けあわないままカンバスにむかう夏織が、いつか引き金に手をかけやしないか。世間を騒がせるような、非業の少女画家になりはしないか。
美術室の遺書の差出人は、彼女ではないか。
そうした畏れがあるから、獰猛な獣のように吼える彼女に対して、あきらは強くはでられなかった。
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