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第二章 リモナイト密室盗難事件
20.ウェストミンスター
しおりを挟む週が明けて、月曜日。
今週はあきらが鍵当番だ。月曜から金曜までの一週間、職員室から鍵を借りてきて、早朝の美術室の開閉をする係。前部長の乙戸辺が引退してからは、二年生たち三人で当番をまわしている。
活動時間は放課後で、運動部のような過酷な朝練もないのに、美術部のあきらが早朝の学校へおとずれた理由は――。部員たちが油絵を制作するからだ。
先週の金曜日も、教室内の広いスペースにイーゼルを立てかけたまま帰宅した。乾燥が遅い油絵具を乾かすためだ。準備室では空気がこもりやすく、乾燥が不十分になることがある。すこしでもはやく、カンバスに定着させ、次のステップへと滞りなくすすむためにも、保存環境へのこまやかな気配りは必要だった。
かといって、部員特権を濫用して美術室を占領するのは悪の所業だろう。通常授業では組み立てたイーゼルと画板を生徒自身が片付けてから教室にもどるのが通例だ。
他の生徒たちと平等に、授業の邪魔もしないように、早朝には作品を準備室へ運び込むようにしている。
そして、今朝――実習棟の階段をのぼりながら、あきらは焦燥感に駆られていた。もう、冬の訪れも近いのに汗だくだ。
原因は単純かつ自業自得。――寝坊したせい。
致命的失態。やってしまった。らしくない。
今年は無遅刻無欠席の皆勤賞を狙っているのに、なんてことを!
夜中にスケッチブックを広げて模写をしていたら、眠るタイミングを逃していたのが悪手だった。
昨夜のツケをとりかえすのに、必要なのは残り時間の計算だ。これから美術室で夏織と真木と自分の絵を片づけて、二十分後に予鈴が鳴るまえにダッシュで教室へむかう。
果たして、間にあうだろうか。
三階まで登りきり、美術室の扉を開けて、カーテンが閉ざされたままの窓辺へ歩み寄る。
と、そこで。
「え……?」
美波あきらは息を飲む。目前の光景が信じられなくて。
はじめは、見まちがいかと疑った。視覚はときおり嘘をつくから、錯覚も誤認もたやすく起こる。けれど、何度目をしばたたいても変わらない。瞳に焼きついたのは幻覚じゃない、現実だ。
花岬夏織の描いた向日葵が――漆黒に染まっている。
形は変わらない。表面に傷もない。しかし色は、無彩色に変わり果てている。まるでカンバス中央にぽっかりと穴が空いたかのように、あれほど瑞々しかった花が枯れている。
とっさに頭に浮かんだのは〈盗難〉という単語だった。
盗まれたのは絵の中の輝く色彩。ひなたの黄色。画家が選んだリモナイト。
絵の中の色彩を盗み出す――そんなことを、やりとげてしまう者がいるとしたら……。
スマホを起動。ホーム画面のアプリから〈テラリウム〉へ。
検索窓にIDを打ち込むと、タイムラインには新たな投稿が現れる。
更新時刻はつい三〇分前だった。
* * *
UserID:@jester
Title:K坂のゴッホに告ぐ
星月夜の薄紅は欠けて、向日葵は漆黒に染まる
友情は儚く、画家は孤独に死にゆくもの
* * *
「ジェスター様……」
画像は付されていなかった。だが、美術室には犯行の証拠がはっきりとある。
〈人造乙女の首〉事件と同じだ。ターゲットは明確なのに、ネット上には暗号めいた痕跡しか残さない。それなら事件発生を認識できるのは、被害者たちに限られる。巧妙で狡猾な犯人の用心深さがうかがえる手口だ。
あきらはイーゼルの足元に落ちていたカードを拾いあげる。道化師が描かれたトランプだ。乙戸辺がプリントした写真がまた使われている。
再び動き出した呪いの爪痕に、呆然と立ち尽くしていると――。
あきらの頭上でブチッとスピーカーが鳴った。
そして、校舎にウェストミンスターの鐘の音が響く。
ファ・ラ・ソ・ドの音階が全校生徒にむけて予告するのは――朝のホームルーム開始までの残り時間だ。
やばい。しまった。まだ片付けに着手できていない。
黒化した向日葵に、ジェスター様の投稿に、予鈴のメロディに……あきらの頭は混乱するばかりだというのに。時計の針は待ってくれない。
「あと、五分で遅刻じゃないか……!」
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