海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

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第二章 リモナイト密室盗難事件

19.インタビュー

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 帰宅後――。

 あきらは私室の勉強机の前に腰を下ろして、ぼんやりと紅茶を飲んでいた。宿題を終えて一息ついていたが、まだ就寝時刻までは余裕があった。

〈テラリウム〉でネモと話そうと思ったが、携帯アプリをみるかぎり、今夜はまだログインしていない。四六時中、駐在している日ばかりのため忘れがちだが、ネモにはたまに姿を見せない日もあるのだ。翌日にはいつものようにチャットルームに現れるので、心配には値しない。

 それなら。どんな夜を過ごそうか――。
 ふと思いたち、パソコンを立ち上げる。ブラウザを起動して検索窓にいくつかのキーワードを打ち込むと、目当てのページはすぐに見つかった。

 おおよそ一年前の記事だ。掲載先は芸術分野のニュースを報じているネットメディア。

 トップの見出しには〈花岬夏織はなさきかおり〉の名前が太字で躍り出ていた。サムネイル画像も彼女の絵だ。

 『瑞凪の秋』と題された油絵。
 去年のコンクールへの出品作。夜風に吹かれるススキ野の風景画。
 そうだ、この絵が見たかった。同世代の鬼才に圧倒されてばかりいるが、彼女の芸術に純粋に感動する自分もいる。夏織はあきらにとって、好ましい絵を描く相手でもあるのだ。

 タイトルをクリックして、記事本文にあらためて目をとおす。


 * * *


【独占企画】気鋭の女子高生画家・花岬夏織の素顔に迫る!

 近年、全国高校生絵画コンクール(全国芸術文化振興会主催)は、画業を志す若人たちの登竜門として注目を集めている。受賞作は東京都立美術館(東京・上野)に展示され、そこで得られた評価は都内の芸術大学進学の足がかりになるとも噂されている。
 これまでも美術界に煌めく新星をおくりだしてきたかのコンクールだが、今年の受賞ラインナップは少々異例だ。
 新進気鋭の女子高生画家が、審査員たちの意表をつき、高評価を集めたのだ。
 圧巻の描画力で、文部科学大臣賞を受賞したのは、花岬夏織さん(鯨坂高校一年、美術部)の絵画作品だ。

 彼女がカンバスに描き出したのは、秋のススキ野の風景。風に揺れる穂先を瑞々しい筆致で描き、星々が散りばめられた夜空を、群青と緑の色彩で幻想的に魅せている。
 また、郷愁を誘う日本の秋を描きながら、十五夜の月を薄紅色で染め、まるで十九世紀パリの印象派を思わせるロマンチックな雰囲気をも感じさせる創意工夫もみごとだ。

 本メディアでは、そんな気鋭の女子高生画家・花岬夏織さんにインタビューをおこなった。

 ――本日はインタビューに応じていただきまして、ありがとうございます。さっそくですが、部活動と絵画について教えてください。

 花岬 はい。鯨坂高校の美術部に所属してます。部活では油絵を描くことがほとんどです。中学時代から油彩の画材には触れていたので、高校進学後はもっと表現の幅を増やそうと思って。それで美術部に入りました。

 ――植物をモチーフに描かれることが多いそうですね。

 花岬 昔から野山を駆けまわるのは好きでした。そのうち持ち帰ってきた花や実を描くことに夢中になったんです。最近はいくつかの色や形を組み合わせて、想像上の植物を描くこともあります。

 ――お住まいの瑞凪町は自然豊かな土地だそうですね。

 花岬 どこにでもある田舎町なんです(苦笑) けど、わたしにとっては生まれ育った大事な町。休日に河川敷を散歩したり、下校中に寄り道して神社に行ったり、自然と触れ合う時間もふくめて大切です。

 ――今後の目標などはありますか?

 花岬 画家として、芸術家として、もっともっとたくさんの作品を描きだしていきたいです。まずは美大受験のために表現を磨いて、十年後も二十年後も、絵を描くわたしでいたいと思ってます。

 なお、花岬さんの部活仲間たちに普段の彼女について尋ねたところ、「花岬さんはゴッホみたいです」と語ってくれた。絵画制作にかける情熱と才能は、西洋美術の巨匠にも匹敵するということだろう。
 今後も気鋭の女子高生画家の活躍に期待したい。


 * * *

 
 読み終えて、ふう、とため息をつく。

「だいぶ改ざんされてるな……」

 インタビューの場にはあきらも同席していた。鯨坂の美術室にて、ビデオ通話をとおしての取材だったのだ。
 夏織が答えに窮している場面では、代わりに回答を捻り出し、善意の部活仲間としてサポートし尽くした。その甲斐もあり、記事上の花岬夏織は清楚でスマートな女生徒だ。回答はどれもお手本通りに整っている。

 実際のところ、彼女は絵画にストイックだ。裏を返せば、描くこと以外には無頓着。

 あまり友達が多いようには見えないし、細やかな人間関係は得意ではないらしい。そこはあきらとよく似ているが、夏織のほうが市井への関心が薄い。流行や評判には耳を貸さないし、目的意識と美的感覚がはっきりしている。

 しかし、記事の文面は過剰に盛り立てているようにもとれる。夏織自身は「どうでもいい」とそっけなく読み捨てていたが、この記事を読んで彼女に興味をもった生徒は多かった。おそらく、いまだに夏織の真の人格を誤解しているものもいる。
 あきらはブラウザを閉じ、画面を切り替える。

〈テラリウム〉へアクセスすると、ネモがログインしていた。なんとなく驚いた。今夜はもう現れないだろうと思っていたから。在籍中を示す緑色にアイコンのふちが輝くのが、まるで横断歩道の青信号のようだった。


 今日は早めに眠ろうかとも考えたのに。
 ――まったく、このひとはタイミングが良すぎる。


 アキラ:こんばんは。今夜は夜更かしするつもり?


 タイピング。エンターキー。送信。
 夜中に挨拶を投げかけてからの反応速度は、いつも早い。


 ネモ:アキラこそ。宵っぱりの朝寝坊はよくないぜ
 アキラ:肝に銘じとく。


 さっそく、化学部の一件について報告を――と思ったはずが指がうまく動かない。状況を整理して、対策を練りあげ、ジェスター様の次の一手に備えなければいけないのに。
 いまは、どうにも。気持ちがささくれだっていて、まっすぐにすすむのがむずかしい。


 アキラ:ねえ、ネモ。むしゃくしゃしてるみたいなんだ。だから、これから壁打ちするけど。よければラリー相手になってくれない?
 ネモ:なんだい? 愚痴かい? いいよ、付き合おう
 ネモ:そういう後ろ向きなの、君にしてはめずらしいな
 アキラ:私だって、あるよ。そんなんばっかだ。


 思い浮かぶのは、彼女のことばかりだ。
 花岬夏織。鯨坂のフィンセント・ファン・ゴッホ。

 彼女の努力と実力を知っている。昨年度の春、美術部への入部以来、誰より近くで眺めてきた。いくつもの放課後をともに過ごして、世間知らずで浮き世離れした性格くらい、じゅうぶん理解してきたつもりだ。

 そして、これまでの日々が証明している。いやというほど。目も背けられないほど。
 彼女の隣にいるかぎり、美波あきらは背景だ。


 アキラ:私の理想どおりの、いや、理想以上のものを創る子がいて。
 アキラ:圧倒されるんだ。魅了されもする。
 アキラ:みんなその子に期待してる。……私は添え物。だれも期待してないのに、しがみついてるのって、傲慢かな。


 胃の奥でねばつく気持ちは、光梨にもうまく言えたためしがない。
 後ろむきな弱音も、隠してきた本音も。たぶん、顔を知らないネモが相手だからこそ、こぼしてしまえるのだ。
〈テラリウム〉へと秘密を投下するのは、井戸の底へひっそりと叫ぶのと似ている。楽になりたい。誰かに聞いてほしい。それでいて、どうか誰にも知られませんようにと我儘に願う。


 ネモ:君の隣にいるのは天才なんだ?
 アキラ:そう、なんだろうな。
 ネモ:天才ってのは、嵐さ。際限なく周囲を巻き込む破壊者。古典の授業で『絵仏師良秀』は習ったろう?


〈絵仏師良秀〉。『宇治拾遺物語』に収められた仏教説話だ。古典の授業で習ったのは一年生のころだったが、内容はよく覚えている。あまりに凄惨だったから。

 絵仏師の男は、隣の家が火事で焼けるのをじっと眺めて、それさえ画業の肥やしにした。そういう話だ。
「芸術家ってのはむかしから変人なんですね」――教壇に立った古典教師は、乾いた笑いを浮かべながら、そんな講評をしていた。


 アキラ:芥川の地獄変も読んだ。
 ネモ:さっすがアキラ。研究熱心だなあ。僕も見習いたいよ
 ネモ:〈天才〉については厄介な命題があってさ

 アキラ:なに?
 ネモ:なあ、アキラ。ヒトは〈天才〉に生まれつくんだと思うかい? それとも、ヒトによって〈天才〉が造られるのか。どちらが正しいのだろうね

 アキラ:才能って先天性なのかって話?

 ネモ:そんなところだ。僕は、後者の思想に興味があってね
 ネモ:ある実験の話だ。ひとりの才能の原石を〈天才〉として高めるため、たくさんのライバルを用意する
 ネモ:ライバルたちは〈天才〉が〈天才〉に成るための比較対象で、ただの砥石。刃こぼれしようが、脱落しようが、破壊されようが構わない

 ネモ:刺激を与えるために用意されて、壊されて。最後には世界に見捨てられる
 ネモ:畢竟、天才はひとりでいいらしい

 アキラ:なにが言いたいの。
 ネモ:……ごめん。察しの良い君を、傷つけたかったわけじゃないんだ

 ネモ:失言だ。謝らせてくれ
 ネモ:今日はずっと、疲れてたから。僕らしくなかった
 アキラ:べつにいい。私のほうこそ、自分のことばかりだ。ごめん。

 ネモ:そうだ! ジェスター様探しだよ! 化学部の件どうだった?
 アキラ:化学部部長の言によると、カリとヒ素、硫化銅の減り方がおかしいらしい。
 ネモ:カリ……炭酸カリウムか。どれも人体には有害だな
 アキラ:毒物を盗み出したのが、ジェスターだったとしたら。
 ネモ:危険だね。食事にでも入れられたら、犠牲者が出かねない
 アキラ:注意すべきは飲み物と食べ物。

 ネモ:いや、そうとも限らないよ
 ネモ:化学実験室の薬品棚には他にも有毒物質があるはずだ。なぜそのみっつなのか、そこが肝心じゃないか
 アキラ:ジェスターが次になにをしでかそうとしてるのか、だよね。問題は。

 ネモ:それがわかれば苦労しないな。カリスマアカ主様はだんまりで、テラリウムにも有益な情報が浮かびあがらない。僕らはいまだ捜査線上の迷子だ
 アキラ:引き続き、学内を調べてみる。
 ネモ:こっちも、被害者が出ていないか、テラリウム住民の動向に注視しておく。何か見つけたらすぐに知らせる


 事件の話を進めながら、あきらは画面右下のデジタル時計からそっと目を逸らす。就寝時刻はとっくに過ぎていた。今日は金曜日だし、もうすこしくらい夜更かしもいいだろう。

 来週は、真木や夏織にもジェスター様探しについて進展がないか尋ねてみよう。そう、決意を固める。


 ネモ:アキラ。気をつけるんだ。相手はまだ君たちの学園に潜んでいるはずなんだから。決して、油断しないように


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