16 / 67
第一章 人造乙女殺害事件
14.ワイルドカード
しおりを挟む
スマートフォンを確認するとネモから連絡が届いている。昨夜はお互い捜査に進展があったら落ち合うつもりで〈テラリウム〉を離れた。海底から送られてきた文面は簡潔だ。
ネモ:これをみて。
@jester
Title:水棲少女
母なる青は彼女が為。無垢なる彼女に報いるため。ピエタは青くなければならない
投稿にはまたしても写真が付されている。
クリアケースに詰められた状態で映り込んでいたのは、ピエタの首だった。背景は暗幕に覆われたように暗い。漆黒の闇の中に浮かぶ、鉱物からけずりとった肌膚。
――これは、ひとつの芸術作品だ。
透明な容れものは人工的な色味を帯びた液体でたっぷりと満たされており、ピエタの肌を青白く染めていた。その色合いがいかにも玄妙さを帯びており、ピエタ像の造形がもつ虚構じみた美を引き立てている。
「たったいま情報が増えた」
真木に伝えると、彼女は顔色を一転させて飛びついてきた。スマホの画面から顔を上げた真木の瞳孔は凍りついている。
「ねえ、あきら。これさ、ひょっとしてジェスター様からあたしたちへの挑戦状じゃない?」
「盗んだのは、ジェスター?」
「こうなったらもう考えるまでもないでしょ。やっぱりジェスター様だよ。いるんだよ、この学校に。あのカリスマみたいなアカウント主! ほらこのカードだって!」
真木が胸ポケットから取り出したのは、一枚のカードだった。
昨日、美術室で見つけたトランプだ。赤と青いの幾何学模様の裏面に、表には嗤う道化師の図案。
あきらはカードを受け取り検分する。これが犯行声明だというなら、カードには何か仕掛けがあってもいいはずだ。そうと信じて、手に取ったカードをしげしげと観察していると違和感に気づいた。
……なんだろう。
形も大きさも、コンビニや百円ショップで市販されているトランプと変わらない。ジョーカーだ。山札から一枚だけ抜け出てきたワイルドカード。
けれども、道化師が描かれた片面は、触れると指先にわずかに貼りついてくる。
はらりと視界に落ちてきた前髪を掻き上げ、あきらは意識を研ぎ澄ます。染めようと試みたこともない黒髪は、ストパーをかけるまでもなくまっすぐだ。額にかかる髪を耳にかける。顔の輪郭を指でなぞるあいだ、長いままは邪魔だ、なんて感じとる。
――ピエタは青くなければならない。
〈テラリウム〉に投稿された写真から察するに、盗まれた石膏像はジェスターのもとにあるのだろう。その目的がこの画像。青く染められたピエタ。
石膏像を染め上げる、群青の色彩。どうして、青なのだろう。
ピエタ。その全身像はキリスト教の聖母マリアを象った彫像だ。その名を冠する彫刻の中でも、とりわけ高名なミケランジェロ作の「サン・ピエトロのピエタ」から首だけ削ぎ落としたものが、美術室には置かれていた。
当然、レプリカだ。備品として市販されている石膏像で、それこそ一品ものの芸術品ではないはず。
「あ、そっか……」
ふと、閃きが降りてきた。
――青は聖母の色だ。
ルネサンス期よりもさらに昔、海を渡ってきた鮮やかなブルーの顔料に魅了され、中世ヨーロッパの画家たちは、聖母のマントを青く染めた。
キリストの母であるマリアの象徴として広まるととにも、市民階級からの人気を得た、神秘の色。ミケランジェロが描いた絵画でも、聖母マリアは青い布をまとって描かれる。
もし、あきらの推理が正しいのだとしたら。犯人は――。
「美波いる? あ、真木もいる」
考え込んでいたら、ふいに肩を叩かれた。
反射的に隣をうかがうと夏織がいた。あきらたちを訪ねて、彼女のクラスからA組まで足を運んできたらしい。
「夏織」
「なにそれ?」
夏織はおもむろにあきらの手からカードを奪いとる。
「……変な写真」
「え?」
「それ写真でしょ。裏面はよく加工されてるし、表も綺麗に印刷されてるから、一見ふつうのトランプにしか見えないけど。これ銀塩プリントされてる」
「な、なんでわかるの?」
真木が尋ねると、夏織はそのまま専門用語を織り交ぜながら断言する。
「まず色が違う。彩度と明度。あと表面の手触り。てかこの印画紙、最近どっかで見たな。……あ、わかった。写真部の部室だ」
芸術家は決まって目がいい。
女子高生画家として、ネットメディアの取材も受けたことがある花岬夏織の才能と描画力はお墨つきだった。
こうして彼女がたまに見ている世界を言葉に落とし込めるとき、あきらはその視点の差異に驚かされてきた。レベルが違う。見ているものが違う。
しかし、今日はその存在に感謝したかった。
夏織が言うなら、信じられる。
「夏織。それ、まちがいないよね」
「あたしを疑うわけ?」
真木と顔を見合わせると、彼女の口元には苦笑いが浮かんでいた。
おそらく、あきらと同じように、結論に至る過程で彼女もまだ迷っている。だってそれを認めたら、選ばなければいけない。――自分が誰の味方なのか。
何事も口数の多い彼女が、このときは言葉を失うのを見守って、はじめて気持ちを共有できた気がした。
ネモ:これをみて。
@jester
Title:水棲少女
母なる青は彼女が為。無垢なる彼女に報いるため。ピエタは青くなければならない
投稿にはまたしても写真が付されている。
クリアケースに詰められた状態で映り込んでいたのは、ピエタの首だった。背景は暗幕に覆われたように暗い。漆黒の闇の中に浮かぶ、鉱物からけずりとった肌膚。
――これは、ひとつの芸術作品だ。
透明な容れものは人工的な色味を帯びた液体でたっぷりと満たされており、ピエタの肌を青白く染めていた。その色合いがいかにも玄妙さを帯びており、ピエタ像の造形がもつ虚構じみた美を引き立てている。
「たったいま情報が増えた」
真木に伝えると、彼女は顔色を一転させて飛びついてきた。スマホの画面から顔を上げた真木の瞳孔は凍りついている。
「ねえ、あきら。これさ、ひょっとしてジェスター様からあたしたちへの挑戦状じゃない?」
「盗んだのは、ジェスター?」
「こうなったらもう考えるまでもないでしょ。やっぱりジェスター様だよ。いるんだよ、この学校に。あのカリスマみたいなアカウント主! ほらこのカードだって!」
真木が胸ポケットから取り出したのは、一枚のカードだった。
昨日、美術室で見つけたトランプだ。赤と青いの幾何学模様の裏面に、表には嗤う道化師の図案。
あきらはカードを受け取り検分する。これが犯行声明だというなら、カードには何か仕掛けがあってもいいはずだ。そうと信じて、手に取ったカードをしげしげと観察していると違和感に気づいた。
……なんだろう。
形も大きさも、コンビニや百円ショップで市販されているトランプと変わらない。ジョーカーだ。山札から一枚だけ抜け出てきたワイルドカード。
けれども、道化師が描かれた片面は、触れると指先にわずかに貼りついてくる。
はらりと視界に落ちてきた前髪を掻き上げ、あきらは意識を研ぎ澄ます。染めようと試みたこともない黒髪は、ストパーをかけるまでもなくまっすぐだ。額にかかる髪を耳にかける。顔の輪郭を指でなぞるあいだ、長いままは邪魔だ、なんて感じとる。
――ピエタは青くなければならない。
〈テラリウム〉に投稿された写真から察するに、盗まれた石膏像はジェスターのもとにあるのだろう。その目的がこの画像。青く染められたピエタ。
石膏像を染め上げる、群青の色彩。どうして、青なのだろう。
ピエタ。その全身像はキリスト教の聖母マリアを象った彫像だ。その名を冠する彫刻の中でも、とりわけ高名なミケランジェロ作の「サン・ピエトロのピエタ」から首だけ削ぎ落としたものが、美術室には置かれていた。
当然、レプリカだ。備品として市販されている石膏像で、それこそ一品ものの芸術品ではないはず。
「あ、そっか……」
ふと、閃きが降りてきた。
――青は聖母の色だ。
ルネサンス期よりもさらに昔、海を渡ってきた鮮やかなブルーの顔料に魅了され、中世ヨーロッパの画家たちは、聖母のマントを青く染めた。
キリストの母であるマリアの象徴として広まるととにも、市民階級からの人気を得た、神秘の色。ミケランジェロが描いた絵画でも、聖母マリアは青い布をまとって描かれる。
もし、あきらの推理が正しいのだとしたら。犯人は――。
「美波いる? あ、真木もいる」
考え込んでいたら、ふいに肩を叩かれた。
反射的に隣をうかがうと夏織がいた。あきらたちを訪ねて、彼女のクラスからA組まで足を運んできたらしい。
「夏織」
「なにそれ?」
夏織はおもむろにあきらの手からカードを奪いとる。
「……変な写真」
「え?」
「それ写真でしょ。裏面はよく加工されてるし、表も綺麗に印刷されてるから、一見ふつうのトランプにしか見えないけど。これ銀塩プリントされてる」
「な、なんでわかるの?」
真木が尋ねると、夏織はそのまま専門用語を織り交ぜながら断言する。
「まず色が違う。彩度と明度。あと表面の手触り。てかこの印画紙、最近どっかで見たな。……あ、わかった。写真部の部室だ」
芸術家は決まって目がいい。
女子高生画家として、ネットメディアの取材も受けたことがある花岬夏織の才能と描画力はお墨つきだった。
こうして彼女がたまに見ている世界を言葉に落とし込めるとき、あきらはその視点の差異に驚かされてきた。レベルが違う。見ているものが違う。
しかし、今日はその存在に感謝したかった。
夏織が言うなら、信じられる。
「夏織。それ、まちがいないよね」
「あたしを疑うわけ?」
真木と顔を見合わせると、彼女の口元には苦笑いが浮かんでいた。
おそらく、あきらと同じように、結論に至る過程で彼女もまだ迷っている。だってそれを認めたら、選ばなければいけない。――自分が誰の味方なのか。
何事も口数の多い彼女が、このときは言葉を失うのを見守って、はじめて気持ちを共有できた気がした。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~
七瀬京
ミステリー
秋。若月骨董店に、骨董鑑定の仕事が舞い込んできた。持ち込まれた品を見て、骨董屋の息子である春宵(しゅんゆう)は驚愕する。
依頼人はその依頼の品を『鬼の剥製』だという。
依頼人は高浜祥子。そして持ち主は、高浜祥子の遠縁に当たるという橿原京香(かしはらみやこ)という女だった。
橿原家は、水産業を営みそれなりの財産もあるという家だった。しかし、水産業で繁盛していると言うだけではなく、橿原京香が嫁いできてから、ろくな事がおきた事が無いという事でも、有名な家だった。
そして、春宵は、『鬼の剥製』を一目見たときから、ある事実に気が付いていた。この『鬼の剥製』が、本物の人間を使っているという事実だった………。
秋を舞台にした『鬼の剥製』と一人の女の物語。
ミノタウロスの森とアリアドネの嘘
鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。
新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。
現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。
過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。
――アリアドネは嘘をつく。
(過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

姉妹 浜辺の少女
戸笠耕一
ミステリー
警視庁きっての刑事だった新井傑はとある事件をきっかけに退職した。助手の小林と共に、探偵家業を始める。伊豆に休暇中に麦わら帽子を被った少女に出会う。彼女を襲うボーガンの矢。目に見えない犯人から彼女を守れるのか、、新井傑の空白の十年が今解き放たれる。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
コドク 〜ミドウとクロ〜
藤井ことなり
ミステリー
刑事課黒田班に配属されて数ヶ月経ったある日、マキこと牧里子巡査は[ミドウ案件]という言葉を知る。
それはTMS探偵事務所のミドウこと、西御堂あずらが関係する事件のことだった。
ミドウはマキの上司であるクロこと黒田誠悟とは元同僚で上司と部下の関係。
警察を辞め探偵になったミドウは事件を掘り起こして、あとは警察に任せるという厄介な人物となっていた。
事件で関わってしまったマキは、その後お目付け役としてミドウと行動を共にする[ミドウ番]となってしまい、黒田班として刑事でありながらミドウのパートナーとして事件に関わっていく。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる