海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

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第一章 人造乙女殺害事件

9.テンバツ

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「あのさ。はなしおわった?」

 あくびを噛み殺しながら、夏織がようやく口を開けた。
 すました顔で傍聴に徹しているかと思いきや、たちが悪いことにまともに聞いてすらいない。手にはたったいま外してばかりのイヤホンを持っていて、スマホに繋いで音楽でも再生していたらしい。

「芸術家先生は自由だなー。てか聞いてた?」
「半分くらいはね。誰が好きとか、誰と誰が付き合ってるとか、心底どうでもいい」
「花岬なぁ……相変わらず超然としてるよなぁ」
「それ乙戸辺先輩に関係ある? キョウミカンシンが大衆と違うだけ」

 花岬香織はこういう子だ。
彼女の作品に他に類をみない個性が宿るのも、人と同じものを見ながら、人と違うことを想い続ける彼女の感性ゆえなのだろう。あきらはそう分析しているが、夏織は発言が尖っていて、型破りな少女ではある。

「いいよね、他人に夢を見れる人は。舞台の上の誰かに熱狂して、感情移入なんてふざけた名前の幻想にひたって、運ばれてきたものを消費するだけ。お気楽で、道楽で、そんな生活ができるのがうらやましい」
「夏織」

 ――言い過ぎだ。
 けれど、あきらの呼びかけはもう彼女の耳には届いていない。

「わたしは、いやだよ。狂おしいほどの感情のすべてがあたしのものじゃなきゃだめ。代替品なんていらない。レディ・メイドじゃ満足できない。特別になれないのなら死んだほうが遥かにマシ」

 しん、と静まりかえる。体育館の片隅に集まった少年少女のあいだには、名状しがたい空気が漂っていた。

 沈黙を破るのは、場を和ませるのが得意な乙戸辺だ。

「花岬は入学してきたときからはっきりしてるもんな」
「そうね。あたし、芸術家以外にはなりたくないから」
「はあ。自意識つよいなー」

 真木は呆れているようだったが、あきらからすると夏織の剃刀のような鋭さは、危うくもあり清々しくもある。

 高校へきて美術部へ入部するくらいなのだから、部員たちは人並み以上の修練は積んできている。
 教室にひとりかふたりは居るであろう、上手い絵が描ける生徒だ。あきらと真木と夏織とでは、タッチも得意分野もそれぞれ異なるが、自分たちには自負がある。

 ただ、絵を描くだけでは飽き足らず、きっと示さずにはいられない。
 言葉以外にも伝達手段があって、紙の上でならだれより雄弁に描きだすことができるのだと。カンバスに曲線を引いて、色彩をえらび表現する人種だと。――わたしは、わたしたちは、それがすきだから。
 同じ制服を纏うこどもたちが集う教室で、それがそれだけが自身の強みになるのだと、自意識過剰なくらいに溺れている。

 夏織のような才能がなくとも、そういう気持ちはあきらにだってある。
 口にはできずに黙りこんでいると、つんつんと背を叩かれた。今度は真木だ。

「てかさ。あたし忘れものしたみたいなんだわ。あきら、ついてきてくんない?」
「いいけど」
「あの。真木さん。わたしも行ってもいいですか? 吹部(すいぶ)の子たちのところ戻るのはまだ……」

 体育館に取り残されて間が持たなくなる懸念もあるのだろう。
 光梨が控えめに主張すると、真木は喜色満面の顔を隠そうともせず、強引に彼女の手を取った。

「名鳥さんもきてくれるの? 心強いなー! 助かる! 夜の学校ってこわいじゃん。三人でいこ!」

 さらには、空いた手をあきらの左腕にがっしりと絡めてくる。そんなことをしなくても逃げないのに。

「乙戸辺先輩、マック残しといてくださいよ!」

 まるで全校集会をこっそり抜け出すみたいだ。
 体育館には、帰宅のタイミングを見計らっている学生たちが退屈そうに過ごしている。そんななか、避難の指示を振り切って無断で美術室に引き返すなんて、あきらかに不良っぽい。

 もちろん、先生の許可はとらない。普段ならば、あるいはひとりきりならば、こんな冒険はなしない。

 
 日が暮れて消灯を終えた校舎の中をぐんぐん進んでいると、日中の賑やかな学園とのギャップに驚かされる。

 鍵をしめきった教室、足音のしない廊下に等間隔に並ぶロッカー、施錠された窓越しの月。毎朝同じ時間に登校して、すっかり馴染みの学び舎だというのにまるで異世界だ。

 ――小夜中に歩く、それだけで。

 スマホのライトを懐中電灯の代わりにして、夜の学園を探索する。「物怖じしなさそうだから」と真木に背中を押されて、あきらが先陣を切ることになった。背後に仲間がいるとはいえ、暗闇をひた進むのは心細い。

「去年の文化祭思い出すね。あきちゃん、いつも遅くまで残ってたから……」

 昨年は光梨と同じクラスだった。美術部だからという理由だけで内装のパネル制作を担当することになり、手伝いもないなか居残りをしていた。来る日も来る日も、刷毛で塗装していたら、腱鞘炎になったのをよく憶えている。

「そっか、あきらたちB組か。たしか学年賞とってたよね。教室で植物園とか、しぶいなーと思ってたけど、保護者受けも異常によかったってマジ?」
「真木さんは?」
「去年はあんまりクラスにかまけてなかったんだよねぇ」

 そうこう話をしているうちに美術室の扉が迫ってきた。

「おっとご到着。鍵……はかけなかったよね」

 扉の取手に手をかけて、ふと気づく。

 ――閉めてはないはずだ。

 地震発生のあと、夏織の荷物をとりに戻り、真木を連れて美術室を出る際には、出入口は開けておいた。

 誰ひとり訪れていないのであれば、扉は閉じていてしかるべき。

 ――嫌な予感がした。

 あきらの脳内にはフラッシュバックのように妄想と狂騒が駆け巡る。突如人気者になったピエタ首像。増え続ける訪問客。〈テラリウム〉の噂話。ジェスター様。
 ここのところずっと、不自然に騒がしい。

「あきちゃん? どうかした?」

 背後から声をかけられる。光梨だ。心配そうにしている。
 ここで立ち止まったところで何も進展はない。かぶりを振って覚悟をきめ、扉を開けることにした。

 美術室の中はしんと静まりかえっていた。
 真木が準備室の方へと駆けだそうとする。

 が、上履きがリノリウムの床をたたいて、たんっと跳ねる音は、短く途切れた。

「ん……? ねえ、あきら。あれって――なに?」

 真木が指さしたのは、石膏像がのりあげる飾り棚の一角だ。

 ジェスター様騒動で一躍有名になった、美術室のピエタ石膏首像。彼女の定位置。

 だが、そこにピエタはいなかった。
 いけない、と理性がいさめるのを無視して、あきらの右手を胸の高さにかざす。スマートフォンのライトに照らされた先で、待ち受けていたのは。

 ――少女の首だ。

「え……? 光梨……?」

 背後から耳をつんざくような悲鳴があがる。また光梨の声だ。衝撃に凍りついて動けなくなるまえに息を飲み、あきらは彼女の心配をしていた。光梨。光梨。光梨。強くて脆くて優しくて、一等星のように綺麗な女の子。

 彼女は西洋人形のように美しい造形をしている。鯨坂高校の学内に限らずとも、ショッピングモールでも、映画館でも、雑踏の中でも、少女を見つけて息を止める者が現れ続けることはとうに知っていた。

 偶然という神が創りたもうた至高の芸術品。
 生命を吹きこまれた彫刻が動きだしたような、現実味の欠落した少女。

 そんな彼女と――同じ顔が、そこにはあった。

 うずくまって顔をおおう光梨に寄り添い、せめて肩を抱きしめる。あきらにできることはこの程度だ。「真木」と名前を呼びかけると、部活仲間がこくりと頷く。
 普段は軽薄な態度ばかりとる彼女だが、こういう場面でも物怖じしない性分らしい。

「マネキン……いや、人体模型かな? かなり精巧につくられてるけど本物じゃないよ。あきら、何に見えた?」

 ――そんなの、生首に決まってる。
 意地の悪いことを尋ねるのはよしてほしい。真木を睨みつけると、彼女は冷静さを崩さずにあきらに歩み寄る。

「それと、近くにこれが落ちてた。うちら、ジェスター様に呪われちゃったのかもしれんね」

 真木の手から現れたのは一枚のカードだ。

 幾何学模様を表に返すと、ぶきみな道化師の図案がわらっていた。一見してトランプのババだが、よく観察するとそうではないのだと見てとれた。本来ならば、JOKERの綴りが記されるべき箇所にも、JESTERとべつの英単語が付されている。

 あきらは地団駄を踏むのをぐっと堪える。

 ジェスター様の呪いだって? 途切れがちに嗚咽を漏らす彼女の顔をみても、そんな冗談が言えるというのか。

「光梨」

 大丈夫かどうか、あえて尋ねるのも気が引けた。

 悪戯にしても残酷が過ぎる。

 どうして美術室に名鳥光梨を模した首像が現れたのか、理由を考え始めれば、嫌な想像ばかり手繰り寄せてしまう。おそらく同じことが彼女の脳内でも起きている。

 光梨は息も絶え絶えになりながらも、泣き出しはしない。それが矜恃だとも告げるように。

「なんで……。なんでこんなことするの? あきちゃんたちは、何も関係ないじゃない!」

 少女の慟哭が美術室にこだまする。
 夜の学園に響き渡る叫声に、応える魔物は現れない。
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