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第一章 人造乙女殺害事件
5.ヒエラルキー
しおりを挟む翌日の放課後――。
あきらが美術室を訪れると、二年の部員が勢揃いしていた。
昨日と変わらず基礎デッサンにうちこむ真木百合枝と、教室の東側にF10号サイズのカンバスをたてかける花岬夏織。ふたりにむかって声をかけようとしたところで気づいた。今日も部室に部外者がいるのだ。
ピエタ石膏首像の前にむらがるのは、セーラー服の少女たちだ。
首像との撮影に興じる女生徒たちを見守るようにして、六、七人ほどが傍らに控えて順番待ちをしている。昨日よりも多い。
ということは、おそらく情報が拡散されている。先週よりも状況が悪化したのだともいえる。
あきらは少女たちの背を冷ややかに眺め、ため息をつき、花岬夏織に話しかける。
「今日の鍵当番、夏織のはずだ」
「朝、職員室に受け取りに行ったらとっくに消えてたの」
「で、ご覧ありさま」
「あいつらほんっとうるさい……ぜんぜん集中できない。ここはアトリエ、ギャラリーじゃない。連日盛況になるのは文化祭当日だけでいい」
声もひそめず夏織は悪態をつく。彼女は女生徒たちのことなど視界に入れたくもないようで、カンバスから顔を背けようとはしなかった。絵筆を握る手は必要以上にこわばっているが、手先は世話しなく動いている。
異様な熱狂が無作為にちらばり、学内の好奇の目にさらされるのは、部員としては不本意だ。完成した作品が注目を浴びるのならばともかくとして、不用意な訪問客に制作を阻害されてはかなわない。
とくに、女子高生画家である花岬香織は――絵画コンクールの常連で、学内ではささやかな有名人でもあった。美術部の実績への貢献度は、あきらよりも真木よりも夏織のほうが高い。
「追いかえしはしなかったの」
「美波、部長でしょ。あんたの管理が杜撰だからこうなる」
完全な八つ当たりだ。だが、あきらはなにも言い返せない。
――花岬夏織はうまいから。
「おふたりさん、部室でそう険悪そうにならんでよ」
ぽて、とクロッキー帳で頭を叩かれる。隣をうかがうと、かたわらには真木が立っていた。
「真木……。この事態、収拾つけられると思う?」
「うんにゃ、あたしらだけでそれはむりじゃない。〈テラリウム〉内はジェスター様賛歌に一辺倒。このままピエタ目当ての参拝者は増え続けるだろーね」
そうだ、この春からの新入部員は、なにごとにおいても日和見主義の傍観者なのだった。学内外の出来事に詳しい事情通ではあるが、真木が率先して行動をおこすことは滅多にない。
「てかさ、われわれ女子同士というのが相性が悪いよね。ほら、うちら地味な弱小文化系ナードなわけじゃん?」
「だから、なに」
「察しが悪いな、あきらにしては。ヘタうって悪目立ちするには分母が小さすぎんの」
真木につづいて、夏織の表情が邪悪そうにほころんだ。
「へえ、真木にしては頭がいい」
「学内ヒエラルキーなんてどこ吹く風のあんたらにはわからんでしょーが、この狭い学園じゃなにがバタフライ・エフェクトになることか。したがって、生け贄羊を提案いたす」
あっけからんとした態度で、おそろしいことを告げるものだ。あきらがかあからさまに眉をひそめたのを、真木は見逃さない。
「ダイジョーブ。そのへん適任者だとおもうから。――あきら、乙戸辺先輩に連絡とりな」
そこまで言われてしまえばさすがに考えが及んだ。みたところ、ピエタ像目当てで美術部に訪れるのは、一学年か二学年の女子生徒ばかりだ。受験を控えた三年生は〈テラリウム〉内の噂話など、歯牙にもかけていないのだろう。
たしかに、下級生をたしなめるのに上級生に動いてもらうのは妥当な策だ。温和で交渉上手な乙戸辺ならば、女生徒が相手でものらりくらりと事を運び、素知らぬ顔で目的を達成してくれそうでもある。
結束に欠ける美術部の現役部員をせっついて、あきらが無駄骨を折るよりははるかに効率がいい。
さっそく、スマートフォンに手を伸ばし連絡をとることにする。
美波:乙戸辺先輩。昨日の今日ですみません。美波です。
メッセージを送ると、すぐさま既読通知がつく。返信も早い。
乙戸辺:なに?
美波:美術部絡みでご相談が。
乙戸辺:ちょうどよかった。今、写真部の部室で現像中。データももってきたからとりにきて。
「乙戸辺先輩、写真部にいるって」
「じゃ、あきらと夏織で行ってきな」
「真木は?」
「ここで荷物見張っててあげる。この状況の美術室を放置するわけにはいかんでしょ」
留守番を買って出てくれるらしい。
気だるげな夏織を強引に引き連れて、あきらは美術室をあとにする。さいわい、写真部の部室は同じ実習棟の二階に所在しているため、階段をくだって最短距離を歩けばあっという間に到着できる。言うなれば近所だ。
二階の廊下のつきあたりまで歩き、相談室のとなりに「写真部」のプレートをみつける。扉を二度ノックすると、内側に開いた。
「悪いな。わざわざきてもらって」
乙戸辺は出迎えもほどほどに、あきらたちを部室のなかへと誘う。
せせこましい部室だ。室内をぐるりと見回すと、三方の壁のそこかしこにプリントされた写真が貼りつけられていた。歴代の部員が撮影したものだろうか、風景や静物を被写体におさめたものが多い。
作業机や椅子の上には何枚もの印画紙が散らばっており、どことなく油と薬品の匂いがただよう。薄暗く雑然しとした屋内は、男子らしい遊びのなごりも感じられた。用途は明らかだろうが、床に無造作に放置された麻雀牌やオセロ、バックギャモンなどが目につくのだ。
建前上は部活動にもまじめに取り組んでいるようで、机上には備品であろうカメラやレンズがならべられている。
――子供たちのための軍事拠点か、工場の中の秘密基地。
写真部に足を踏み入れてから、あきらはひそかに胸が弾むのを感じていた。所属先の部活の拠点以外に居座るのは、平気な顔をして教室で息をしている誰かの秘密をこっそり覗きこむようなのだ。
まるで重火器のような無骨な長筒について尋ねると、乙戸辺は「それおれの私物。新しい望遠買ったんだ」と自慢げに語る。
「先輩、美術室にはもうこないくせに写真部には顔出してるわけ?」
入学時からずっと、乙戸辺は美術部と写真部を兼部していた。彼は筆も握るがどちらかというと写真のほうが本業らしい。
「今日はたまたまこっちに顔出してたんだよ。暗室なんて、いまどき町の写真屋にもないんだからな。で、要件は?」
あきらが手短に話すと、乙戸辺はうんと唸った。
「ジェスター様、か」
「先輩は知ってましたか?」
「噂程度には。三年でもけっこう〈テラリウム〉住まいのやつらは多いよ。もっとも眺めるのが本分みたいだけど」
「二年と一年のあいだでは水面下でかなり広まってきてるみたいです。……真木が言うには、ですが」
「お困りの後輩たちのために、一肌脱いでおくのがいい先輩なんだよな。なら、おれのほうから注意してみるよ」
「すみません」
「気にすんな。けど対策は考えないとな。花岬がうるさそうだ」
急に話を振られた夏織が、振り返る。手触りでも確かめるように、壁面の写真を一枚ずつめくっていたのだ。
「は? なんであたし? ぎゃんぎゃんうるさいのは真木だし」
「去年さんざんわがまま言っといてよく言うよ。どうせおまえらふたりで美波を困らせてるだろ」
図星だ。あきらがつとめて表情を殺そうとしたのを悟って、夏織が肘で胸板を小突いてくる。
昨年からやりとりがいっこうに変わらない二人をみかねて、乙戸辺は苦笑していた。
「にしても、美波。部長になってから散々だな。春は部員が集まらず、唯一の新入部員は若干不真面目。で、秋にはジェスター様のおかげで大盛況。なんか、後任頼んだの悪い気がしてきた」
「それ気になってた。なんで次期部長に美波を指名したの? あたしじゃないんですか? あたしのが美波より上手いよ」
「花岬はどう考えても部長ってガラじゃないだろ。副部長をやってもらっちゃいるが、部長なんかになっちまった日には手続きと雑事が五倍に増えるぞ」
「べつに、そのくらいできるし」
「そのぶん、絵に没頭できる時間減るとしてもか?」
「それは……やだな」
夏織はそう言うだろうと思っていた。あきらが部長を引き受けたのは、乙戸辺から後任として指名されたからだが、その背景には夏織には務まらないだろうという懸念があったからだ。
「先輩、対策についてなにかありますか」
――と、あきらが口をひらきかけた時。
カタカタと音を立てて、戸棚のファイルケースが振動した。
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