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第一章 人造乙女殺害事件
3.フィルムカメラ
しおりを挟む下校時刻がきた。
校舎には終礼のチャイムが鳴り響き、実習棟で、運動場で、空き教室で生徒たちが帰り支度に着手しだす。
ある者は空腹に絶えかねて帰路を急ぐようにスクールバックに着替えを詰めこみ、またある者は完全下校時刻までの時間稼ぎをするように隣人とうわさばなしをお茶請けにお菓子をかじる。
美術部の部員たちは、物静かだ。F6号サイズの油画にとりくむあきらの進捗は、いまいちだった。
一方で、真木は今日はどうやら筆が乗ったらしい。まじめにデッサンに打ち込んでいたからか、大きく伸びをする背も心なしか軽そうだ。紙パックの紅茶を飲み干して、だらだらと帰り支度に着手する。
真木はリプトンの空きパックをゴミ箱にシュートして、
「あきらー。なんか食べて帰ろうよ。マックとかさ」
誘惑を投げかけてくる。この時間帯はいつも空腹だ。
「駅裏じゃないか。マクドナルドまでは遠すぎる」
「それがいいんじゃん。くだらないこともっと話そうよ。今日は夏織がいないし、ふたりっきりでさ」
花岬夏織のことだ。美術部の部員。もうひとりの二年生。鯨坂高校の二年で美術部に所属しているのはあきらと真木、そして夏織の三人しかいない。
「なら、なおさらだよ。また今度」
あきらが誘いを断ると、真木はつまらなさそうに口をすぼめた。荷物をまとめ終えて美術室をあとにするあきらを、真木が慌てて追いかける。
下駄箱までは校舎をぐるりと半周しなければいけない。
渡り廊下をつたって、学園の南側にある教室棟まで歩くあいだ、真木はぺちゃくちゃと一方的に喋っていた。
彼女がえらぶ話題は、まるくなった消しゴムが坂道をころころと転がるように移り変わる。最近見たアニメ、好きな声優、毎月雑誌を購読している漫画。おもにフィクションのはなしだ。
とはいえ、真木ほど広範な知識を持ち合わせていないあきらは、聞き役にまわることが多い。
「あたしの推しがさぁ! あ、推しはララくんっていうんだけど、最近プロフ公開されたんよ。好きな食べ物なんだったと思う? まさかのクレープよ! もーたまらんでしょ!」
スイッチが入ると、真木は終始こんなかんじだ。
あしらうのにはもう慣れた。
「その『たまらん』は?」
「最高すぎて心底辛抱たまらん! の『たまらん』!」
そのあとも真木は熱心に「推し」を褒めそやし、あきらは相槌をうちながら片手でスマホをたしかめる。昨日、送ったメッセージの返信が送られてきていないか、気がかりだった。
美術室で見つけた<遺書>について、あのひとに相談したのだ。そろそろ連絡がきそうなものなのに通知はなにも届いていない。
ふたりが下駄箱に到着するころには、すっかり日が暮れていた。
十月に訪れる夜は早い。あきらたちが暮らす瑞凪町は、山あいの小さな市町村だ。
北山の神社で開かれる秋の例大祭が終わり、観光客が訪れる季節がまたたく間に過ぎていくと、町の四方をかこう山岳は雪をいただき、ペールホワイトに染まる。
だから、実りの季節は秋ばかり。正面口のむこう、銀杏並木はまだ黄土に色づきはじめて間もない。じきに紅葉の鮮やかな時期が本番をむかえたら、国分寺まで水彩スケッチに出かけるのもいいだろう。
と、あきらが目に焼きつける風景に溶け込むようにして――カメラを構えた男子生徒がいた。
「乙戸辺先輩」
思わず、名前を呼ぶ。偶然にも相手はあきらたちに気づいたようで、土間まで小走りに駆けてくる。重たそうな一眼レフを首からさげたまま。
「美波じゃないか。これから帰りだよな?」
あきらが首肯すると、横から真木が割って入る。
「せーんぱい。あたしもいますよー」
「春からの新入部員に人権があるはずねぇだろ。てか、名前覚えてない」
「それ後輩差別っすわ。真木です。真木百合枝! いい加減覚えてくださいってば、オトベル先輩」
「ほらその、変なあだ名つけて距離詰めてくるところ。うちの部活らしくないんだよ、お前」
「む、来るもの拒まずの鯨坂高校美術部でしょう。一年生が集まらなかったなか、二年でも新入部員がいるのは部の実績じゃん」
むくれる真木に、乙戸辺はすげなく言い放つ。
「おれは一年の後輩がほしかったな」
「私も同感です」
「春先は歓迎してくれたのに!」
真木がぎゃんぎゃんと吠えるが、乙戸辺は涼しい顔のままカメラをいじっている。あきらはふと、美術室での約束を思い出した。
「そうだ、先輩。二年の名鳥とは顔見知りですよね。彼女、マーチング大会のときの写真が必要だそうです」
「名鳥が? ああ、そういえば当日すこしだけ会話してたっけ。あのときのカメラ……は自宅だな」
「お互い連絡先を知らないのなら、私まで送ってもらえれば中継します。こう、LINEで」
「いや、悪い。フィルムで撮ってる」
そうだった。乙戸辺はいまどきめずらしいことに、フィルムカメラの愛好家なのだ。
「必要ならデータ化しとくよ。ただ、量も量だし、渡し方はアナログ方式でもいいか。USBにまとめとくからさ」
事務的な会話だ。だがすでにどこか懐かしい。
前部長を務めていた乙戸辺愁は、温厚で気さくな上級生だった。学年や年齢のちがいを理由に先輩面したり、部長である立場をかざしたり、笠に着るようなことはあまりしない。
ただし、彼に人望はなかったようで、昨年の春は部員集めに苦労していた。美術部では唯一の三年生だ。
「明日にでも美術室に持っていくから、名鳥に届けておいてくれ。美波配達員」
「はい」
あきらが応じると、またも真木が茶々をいれる。
「先輩、自分で渡しに行けばいいのに」
「クラスも学年も違うだろ。声かけづらいよ」
「名鳥さん目立つから? それとも、先輩が悪目立ちしたくないからっすか?」
容赦のない糾弾だ。乙戸辺が苦笑するのも無理もない。
「そんなとこだよ。おれは寄るとこあるからさ。またな、おふたりさん」
そう言って乙戸辺は去り、あきらは真木とふたりきりの帰り道を歩く。道すがら、おもむろに口を開いたのはおしゃべりなほうだ。
「前から思ってたんだけどさ……距離感、近いよね。乙戸辺先輩とあきら」
「話しやすいんだ」
「あの人、一般的な男子と比べると妙に大人びでるもんな。つまり、ラブですな?」
「男女関係をなんでもかんでも色恋沙汰に紐付けるのは、感心しない」
「すまんね、あたしの世界観では常識なの。あ、でもあきら、彼氏いるのか」
真木からの暴投に、唖然とする。
「……は?」
「いつも連絡取り合ってる人のこと。澄ました顔してちゃっかりしてるなーと思ってたけど、他校? 遠距離?」
「いや……ちがうし。なぜ……?」
「詮索もだめなん? この秘密主義者め。正直さぁ、あんたたちとの話題困るわー」
「とても困ってる風には見えない」
「あきらが話さないから、間がもたないんだもん。親切な真木さんがあれこれ布教してやってんの。けどさ、キャラや漫画家やアニメ監督のはなしもいいけど、たまには現実の話もしたい」
「現実、か。……あ、松坂屋のフェルメール展、来週までだ」
百貨店なんて気の利いたものは瑞凪町にはない。JRに乗って市街地に出ないと、GUにも映画館にも美術展にもありつけない田舎町なのだ。
「この美術オタクめ。芸術ネタ以外で頼むわ」
「現実だよ。地続きの場所で起きてる。真木は関心ない?」
同意を求めて、尋ねてみる。
あきらは都市の空気を吸うのが好きだ。交通費と時間はかかるが、南方にひろがる山岳を越えれば、モノとヒトが集まる大都市がある。たまにふらりと遠出をしては、スケッチの題材を見つけて持ち帰るのが好きだった。
ひとりきりで都市部に出かけるのは逃避行なのだろう、という自覚はある。
瑞凪町ではどこへいっても鯨坂高校二年A組の美波あきらでしかない。
近所のおばさん、郵便局のおせっかいなおとな、小学校時代のクラスメイトが働くお店。
温かなぬかるみのようなこの町が、嫌いなわけではないのだけれども。退屈に倦むには充分すぎるほど、あまりに平穏で一定で、変化にとぼしい。いつでも流行に敏感で、だれより斬新な価値をもとめている真木も、同じだろうと思っていた。
「そうではないんだけどさ……。じつは画面の向こうの人たちが本当に生きてるかって、あたしには実感がないんだよ。〈テラリウム〉ながめてたってさ。コンマ一秒ごとに増殖する文字列は、原始生物が細胞分裂を無限に繰り返すみたい。……気味が悪い」
真木はたまに、こんなふうに詩的で厭世的な言葉で話す。そういうとき、彼女は決まって寂しそうに笑うのだ。
「考えたことない? たとえば世界五分前仮説。半径30キロメートルの箱庭。街の外に出たら実はとっくに世界なんて滅んでいて、あたしたちは水槽の中で培養されている最後の人類なのかもよ」
「誇大妄想」
「なら、あきらは確かめてみたことある?」
「……修学旅行では京都に行ったじゃないか」
「誤魔化さないで。いつも誰と話してるのさ?」
会話がループしている。わかりきっていたことだが、真木が知りたくてたまらないのは、とどのつまりそこなのだ。
「……友達。たぶん」
煮え切らない返答しか返せない自分がもどかしかった。
真木はふうんと息を落としたきり、黙りこんでしまう。つま先を見つめながら歩く彼女はきっと、納得はしていないだろう。
それがあきらと真木のいまの距離感だった。
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