上 下
28 / 45
第二章「契約更新は慎重に」

28.事件終わりの水まんじゅう

しおりを挟む


 土曜日がきて、九遠堂に顔を出す日がやってきた。

 すでに毎週末のことながら、陰気な店主が仕切る店に通い詰める生活が問題なくつづいていることは、にわかに信じがたい。

 アルバイトを決めた初心に揺らぐ気配がないあたり、我がことながら執念深いと思う。

 学校での一件について、椎堂さんに話してみようかと考えた。
 またも勝手に首を突っ込んだあげくに、藪をつついて蛇を出してしまった懺悔も兼ねて。

 あのとき、四ノ宮くんは笑って言った。

 ――傷害事件の時効は三年なんだって。

 中学時代のいじめが傷害事件として成立する規模だったのかは定かではない。立証が時と経過とともに困難になるであろうとも予想できる。

 四ノ宮くんが中学一年時からバレー部に所属しており、上級生である鞘崎の卒業時までいじめを受けていたのならば、過去の事件はおよそ三年前の出来事になる。すでに時効なのだ。

 そして先週末の土曜、四ノ宮くんは新たに怪我をした。

「椎堂さん。最近読んだ小説のはなしをしてもいいですか」
「随分と急だな」
「相づちは期待しませんから。すこしだけ仏像でいてください」

 そう告げても、仏頂面の店主はまったく反応を示さない。
 鉄面皮をくずさず、男は冷たい彫像のまま腕を組んでいる。

「完全犯罪をあつかった推理小説だったんです。作中では犯人が相手を殺すために階段にビー玉をおいていました。標的がうっかり足をすべらせて、打ちどころが悪くお亡くなりになれば儲け。うまくいくかは時の運任せ。いわゆるプロバビリティの犯罪です」

 顎先を撫でていた椎堂さんの手が止まる。

「狡い手だな。仮に相手を仕損じたところで、疑いさえも生じない。幾度でも策を講じてやり直せばいい。――ゆえに完全犯罪か」
「そうなりますね。たとえば、靴底のすり減ったスニーカーを履かせて、十二階から一階までダンボールを運搬してもらうよう状況を設定して……相手が転んだとしたら。犯人は相手を先導するように階下にいて、足をすべらした被害者の下敷きになったのだとしたら――プロバビリティの犯罪といえるのか」

「まわりくどい手法をとる奴がいたものだ。下敷きになるのは犯人自身だろう」

 まわりくどい、か。……椎堂さんがそれを言いますか。
 ここから先はほとんど僕の想像だ。

 四ノ宮くんに怪我をさせたのは鞘崎先輩なのだろう。だが、状況をつくったのは四ノ宮くん自身だ。

 彼が自ら腕を折るように仕向けたのだとしたら……。その目的は、過去の事件を終わらせないことだろう。三年が経ったところで、四ノ宮くんは今も暗い倉庫の中にいて、そこから出ていくつもりは毛頭ないのだ。
 彼が引きずり込んだ暗闇に、鞘崎先輩もともにいる。

 僕にできることがあるとすれば。これから先の三年間のことは、ふたりのあいだに横たわる命題であるはずだからと、突き放すことだけだった。

「何だ。話し終えたというのに、一弾と浮かない顔だな」

 帳場の奥からは億劫そうな声がする。
 椎堂さんに見抜かれるとは。

「いえ、べつに。ちょっと自分に嫌気がさしていただけです」
「……ひとつ教えておいてやろう。先週の話だ。客人から連絡があってな。ひどく動揺した様子で、一度起きた出来事を無効にしたいと申し出てきた」

「どう、答えたんですか」
「あの客人に与えた品には、エンキムという名の〈怪奇なるもの〉が宿っている。とはいえ、あれは邪視から身を守る程度の低級な働きしかせんよ。その程度のもので、因果関係により発生した事象が覆えることなどない。そして、俺が客人に品を与えるのは一度かぎりだ」

 そのようなルールがあったとは初耳だ。

「……ということは、椎堂さん。……騙くらかしましたね?」
「都合のいい解決策など、そう簡単に与えられるものか。だがしかし、いつの世も人はそれを求めずにはいられないから憐れなのだ」

 椎堂さんの味方も、鞘崎の擁護も、どちらの立場も選びがたい。
 しかし、そろそろ僕も認めざるを得ないのだろう。

 世界には、この世ならざるものの手助けが必要な人間もいる。そういう者たちのために〈怪奇なるもの〉が存在し、九遠堂で縁を結ぶ。ここはそういう境界の場だ。

 ふと、帳場の上に置かれたプラスチックの容器が目に入る。
 輪ゴムで留められた容れ物の中には和菓子が二つ。

 水まんじゅうだ。つるりとした半透明の葛に、絵の具をこぼしたように小豆色がにじんでいる。これはなにかと尋ねると。

「曽根河だよ。食らえと言って持ってきた。ちょうどいい、茶を煎れてこい。炊事場なら奥にある」
「煎れていいんですか? 店では飲食をしない主義とばかり」
「そこまで堅苦しくするつもりはないさ。お前も一息入れたいだろう」

 おや、優しい。お言葉に甘えて炊事場へ駆け込む。
 連絡があったということは、店主が携帯電話は持たずとも、店内には固定電話が設置してあるのだろう。お湯を沸かせて急須を温めて、肝煎りの玉露を湯飲みにそそいだら。水まんじゅうを御茶請けにして。

 そして――椎堂さんに連絡先を尋ねよう。

 翌週には修業式を終えて夏休みに突入し、バレー部にとっては決戦の場となるインターハイが始まった。試合には観戦に行かず、僕はのちほど万鐘高校バレー部が一回戦目で負けたことを伝え聞いた。

 大会を最後に三年生が部を引退したそうだが、あれ以来、四ノ宮くんとは話をしていない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

会社をクビになった私。郷土料理屋に就職してみたら、イケメン店主とバイトすることになりました。しかもその彼はーー

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
ライト文芸
主人公の佐田結衣は、おっちょこちょいな元OL。とある事情で就活をしていたが、大失敗。 どん底の気持ちで上野御徒町を歩いていたとき、なんとなく懐かしい雰囲気をした郷土料理屋を見つける。 もともと、飲食店で働く夢のあった結衣。 お店で起きたひょんな事件から、郷土料理でバイトをすることになってーー。 日本の郷土料理に特化したライトミステリー! イケメン、でもヘンテコな探偵とともに謎解きはいかが? 恋愛要素もたっぷりです。 10万字程度完結。すでに書き上げています。

ブラックベリーの霊能学

猫宮乾
キャラ文芸
 新南津市には、古くから名門とされる霊能力者の一族がいる。それが、玲瓏院一族で、その次男である大学生の僕(紬)は、「さすがは名だたる天才だ。除霊も完璧」と言われている、というお話。※周囲には天才霊能力者と誤解されている大学生の日常。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

処理中です...