14 / 45
第一章「袖振り合う世の縁結び」
14.あなただけの花
しおりを挟む鏡にうつった女性がわらう。
モノトーンのワンピース。厚く化粧のほどこされた顔。妖艶な印象をまとう美人。
「この人……! 恵太くんの部屋から出てきたあの綺麗なひと……!」
蓉子さんが叫ぶ。
「そうか……君にはそう見えるのか。僕が最初にこの鏡を覗き込んだときに写っていたのは、男とも女ともつかない、ぶざまで不格好で、どうしようもない化物のような人間だったよ。……むりやり男らしく振る舞っても、否定しきれないものなんだな」
言葉尻の哀愁が、恵太さんの心の奥底に沈められた真実を物語っていた。
「男はこうだ。女はこう。ああ、ほんとうに、世の中そんなのばっかだよな。わかりやすい答えがほしかった」
おそらく、九遠堂に飛び込んできてから見せた高圧的な態度は、彼が抱く「男らしさ」につきまとうイメージの現れなのだろう。
学校に制服があるように、僕たちは二つの性に振り分けられながら社会で生きている。
けれど、きっと本当はその二つの枠組みだけでは説明できないほど、ヒトの心は自由で多様だ。世界には白と黒の間に七色のグラデーションが存在していると、僕らは理解しつつある。それでも、これまで積み上げられてきた価値観は強固で、テストの答案のように正解らしきものは見え透いてる。
あなたは何者なのか。
その問いに対して自分らしさを貫くことは簡単ではない。
……きっと、恵太さんのような人ならばなおさら。
この人は大人だ。
矛盾を抱えて生きることのむずかしさを、僕には想像もつかないほどに深く実感しているはずだ。
それを証明するように、恵太さんは断腸の思いを引きずるようにして、言葉を探していた。
恋人に向けて、苦しげに吐息を漏らして。
「蓉子。これは僕なんだ。僕は……こういう格好をするのが好きだ。おしゃれな化粧品も、カラフルなアパレル用品にも、身につけたいと思うほど惹かれる。……恋愛対象は女性だけだし、蓉子との関係に不満はなかった。ただ……ずっと打ち明ける勇気が持てなくて」
「……嘘、でしょう?」
「本当だよ、なにもかも」
俯いていた恵太さんが顔をあげる。
「固く太ましい肩も腕も、頼んでないのに生えてくる髭も……。なにもかも嫌いだった。だれかを守れる力は欲しい。だけど、僕は……何かをねじ伏せたいわけじゃない」
そう言って、青年はやるせなく肩を落とした。
悄然とした蓉子さんがつぶやく。
「……私がいるのに?」
「……君がいたから。ちかづけば近づくほどよくわかった。華奢で我儘でそれでいてしたたかな容子が……好きだから、嘘をついてた。自分に魔法をかけるみたいに心を騙して、自信家で万能な青年を演じてた。君は……自分らしく生きてくことに迷いがなくて、欲しいものをためらわない。……そういう君に嫌われたくなかった」
「そ、そんなこと一度も……」
「伝えたら引いたろ? 君が素敵だっていうものだけが、僕ならよかったのにな」
告白を聞きながら大きく瞳孔を見開いて、蓉子さんは目尻に涙を溜めていた。
茫然と言葉をなくしてそれから、彼女は気の抜けたようにやわらかく笑った。とろけそうなほどの慈愛を込めた瞳と、優しく結い上げられた唇。
蓉子さんは小さく肩を落として、恵太さんを見つめる。
「そっか。ずっと隠して、黙ってたんだね。……気づいてあげられなくて、ごめんね。わたし、ばかだなぁ」
蓉子さんが涙ぐんだ目元をぬぐう。
それから、はっきりと告げた。
「恵太くんは、王子様じゃないよね」
「蓉子……」
「いいの。みんなに都合のいい王子様なんて御伽噺にしかいなかった。それは……私の望んだ幻だもの。……ずっと一緒にいたのに、あなたの痛みが見えなくなるくらい、まぶしかった。そんなの盲目すぎるよね。……だから、ごめんなさい。わたしも……それからあなたも、舞踏会にドレスを着ていく権利を奪われていいはずない」
恵太さんを正面から見据え、蓉子さんがほほえみかける。
「それが本物のあなたなら、諦めなくていいよ」
凍りつくように青ざめた青年の頬に、蓉子さんがそっと触れる。
そのときの表情はこれまで彼女が見せた、どんな顔よりも穏やかに見えた。
「だから、ごめんね。……わたし、もう隣には座れない。けっこうがさつだし。無神経だし。たぶん、そばにいたら、これから芽吹くあなたの蕾を潰すでしょ?」
「そんなことは……」
「ないって言える恵太くんは優しすぎ。お姫様でいられる時間、私はもう充分もらったから……。ねえ、ほら、魔法は解いて」
片手をハンドバッグから現れたのは、花柄の日傘だ。
淡い桃色の上品な傘には、小さな蕾と花開いた桜がしなやかに舞う。
「恵太くん。……これはあなたの花」
それから――。
僕らは三人で九遠堂を立ち去る恵太さんを見送った。「もう駅まで送らなくてもいいよ」と言うのが蓉子さんからの提案だった。手を振ってから青年の背が遠くなるまで、彼女はずっと道路の先を見ていた。
どことなく、声をかけづらい空気が残る。どんな同情もきっとふさわしくない。
黙然と見守っていたら、蓉子さんが急にその場に立ちすんだ。そして目を閉じて、顔を覆う。
「……好きだったんです。こんなに本気で好きになれたの、恵太くんだけだった。なのに、あの人が自分にかけてた魔法を愛してただけだった。……自分勝手でいやな女」
僕が店頭でしどろもどろしているうちに、ぐっと力をこめて、彼女は立ち上がった。
「けど…………それもわたしだってことは知ってるの」
それから蓉子さんは、最後に打ち明け話をしてくれた。
じつは恵太さんにプレゼントする前に、こっそり雲外鏡を覗き込んでいたらしい。そこに映っていたのは、無邪気にドレスを着て笑う少女だった。
鏡像は、学生だった頃の蓉子さんと変わらないあどけない瞳で、ここにいる彼女を見つめ返したのだそうだ。
「だからこそ、少しずつでも変わっていかなきゃね。気づかせてくれてありがとう」
思いがけないお礼を告げて――客人は九遠堂を去っていった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
ナマズの器
螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。
不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
神様の学校 八百万ご指南いたします
浅井 ことは
キャラ文芸
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:
八百万《かみさま》の学校。
ひょんなことから神様の依頼を受けてしまった翔平《しょうへい》。
1代おきに神様の御用を聞いている家系と知らされるも、子どもの姿の神様にこき使われ、学校の先生になれと言われしまう。
来る生徒はどんな生徒か知らされていない翔平の授業が始まる。
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:
※表紙の無断使用は固くお断りしていただいております。
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
魔術師の妻は夫に会えない
山河 枝
ファンタジー
稀代の天才魔術師ウィルブローズに見初められ、求婚された孤児のニニ。こんな機会はもうないと、二つ返事で承諾した。
式を済ませ、住み慣れた孤児院から彼の屋敷へと移ったものの、夫はまったく姿を見せない。
大切にされていることを感じながらも、会えないことを訝しむニニは、一風変わった使用人たちから夫の行方を聞き出そうとする。
★シリアス:コミカル=2:8
仲町通りのアトリエ書房 -水彩絵師と白うさぎ付き-
橘花やよい
キャラ文芸
スランプ中の絵描き・絵莉が引っ越してきたのは、喋る白うさぎのいる長野の書店「兎ノ書房」。
心を癒し、夢と向き合い、人と繋がる、じんわりする物語。
pixivで連載していた小説を改稿して更新しています。
「第7回ほっこり・じんわり大賞」大賞をいただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる