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第一章「袖振り合う世の縁結び」
13.鏡のむこうの真実。あるいは新人バイトの推理劇
しおりを挟む「椎堂さん! これがあなたの思惑通りの結末だって言うんですか! だとしたらあんたは確かにどうしようもない、ろくでなしだ!」
怒鳴りつける。と、九遠堂の店主は深く、ため息を落とした。
まるで他人事だと割り切るような、冷淡な反応。
男はようやく腰を上げて帳場の奥からぬらりと出てくる。猫背がちな姿勢を保ったままとはいえ、長身の椎堂さんが立ち上がると長い影が威圧的な怪物のようだ。
ごくりと唾を飲んだのは僕だけではないだろう。
その場に居た誰も彼もが、この異常に肌白く、異様に物々しい男に気圧されているようだった。
「……糸原蓉子は恋人に雲外鏡を贈った。そうだろう?」
「ええ、そうです……」
「雲外鏡は、時を経て魔性を帯び、怪奇となり果てた鏡。覗き込むものの、本性を写し出す鏡。……その男は何を見たのだろうな」
迂遠な言いまわしはこの人の常套句のようだが、これでは説明になっていない。
恵太さんをうかがうと、彼はうろたえ、背を震わせていた。
「そうだ、蓉子はいつでも身嗜みをととのえられるようにと鏡を贈ってくれて……。それで、自分の姿を見て……もうやめようって誓ったんだ……」
「やめようってなにを? やっぱり、浮気してたの?」
「ちがう。僕は……僕が好きなのは……蓉子だけだと言っただろう!」
静かに悲しみをにじませる蓉子さんに、強く否定をぶつける恵太さん。
椎堂さんはだまりこんだまま、事のなりゆきを見つめている。
その視線がふいに僕へと向けられる――「それで、おまえは見ているだけか?」と。
挑戦的な意図をともなって、青磁色の瞳がわらっていた。
なにひとつ面白い状況じゃないのに、椎堂さんがわらうのは自信のあらわれだろうか。
……つまり、高みの見物というわけだ。
この状況を解決したいのであれば、僕が主体となって動くしかない。
やれるだろうかと己に問いかけ、やるしかないのかと迷いが生まれた。信じられるものがあるとすれば、違和感と直感だ。
恵太さんの部屋で発見された、スカーフと折りたたみ傘。女性用の小物。
部屋に出入りしていた謎の女性。
蓉子さんから聞いた話のなかに、不可解を解く手がかりならあったのだ。
「待ってください。恵太さんが見たものに、心当たりがあります。蓉子さんは……彼のことを誤解しているんじゃありませんか?」
不和に悩む恋人たちに横槍を入れる僕は、犬に蹴られて死ぬのだろうか。
突如、仲裁に入った子どもを見かねて、恵太さんは気難しげに眉を下げた。
「なんだ、急に……」
ぎこちないまなざしを受けて怯みそうになるが、退くにはまだ早すぎる。
なおも食い下がる。
「もう一度だけ確認させてください。恵太さん、本当に浮気はしていないんですよね?」
「するはずないだろう」
「けど、スカーフや日傘を持っていた。これも事実ですよね?」
「そんなことまで知ってるのか……。そうだな……認めよう」
「それ、恵太さんがご自分のために買ったものじゃないですか?」
とたん、恵太さんは苦虫を噛み潰すような表情をして、目を伏せた。
おどろいた蓉子さんが、彼にまなざしを向ける。
「どういうこと……?」
「恵太さん、僕が言ってもいいですか。この場にいて気づいていないのは、蓉子さんだけだと思います。それはあなたの努力の成果なのかもしれませんが……たぶん、もう限界なのでしょう」
おそらく椎堂さんも可能性に思い至っていたのだろう。
最初から親切にしてくれればいいのに、僕と恵太さんがたがいに躊躇しあうなか、ようやく助け舟を出してくれる。
「言葉で説明するのが煩雑ならば、見せてやれば合点がいくのではないか。持ってきているだろう、あの鏡を」
「それは……」
二の足を踏みつづける恵太さんを、僕からも催促する。
「恵太さん……。お願いします」
「……もう、それしかないのか」
恵太さんはとうとう観念して提案を飲んでくれた。
状況が飲み込めず呆気にとられたまま恋人をさしおいて、彼はスーツの胸ポケットから鏡を取り出す。
雲外鏡。この世のモノならざる魔性の鏡。
恵太さんがフタを開けると、鏡面には紫煙が映り込んでいた。
まるで鏡像を隠すかのような薄霞だ。これでは恵太さんの顔が見えない……はずなのに。
青年が呻く。
手にした鏡は、彼だけに真実を明かしたようだった。
震える片腕が手鏡を落としかける――。僕は慌てて駆け寄って、すんでのところで彼を支える。すると、蓉子さんもあとにつづく。青年の肩越しに、鏡を覗き込む。
鏡面に映されたのは、ひとりの女性だった。
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