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第一章「袖振り合う世の縁結び」
9.危ない骨董店は、あやしいお客さまを歓迎中
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翌日。午前十時をすぎるころ。
日曜日の太洲商店街はにわかに活気づいていた。
開店準備中のアパレルショップ、古着を買い漁る女性たち、コロッケ屋の前の長蛇の列、トルネードアイスとケバブを売る陽気なメキシコ人、レトロゲームショップに集う子どもたち。
平和でにぎやかな街角には、これから昼下がりにかけてさらに買い物客が集まってくるのだろう。
白昼の往来を歩きながら、この世の陰惨を固めた煮こごりのような人のところへ向かっている現状に、自分の正気を疑いたくもなってしまう。
夜更けにたどった道を思い出しながら歩いた先に、九遠堂は待ち受けていた。
扉は開いている。
「どうもこんにちは。六百万円分の労働を提供しに来ました、伏見です」
店主は帳場の奥に腰を下ろしていた。
――男は名を、椎堂と名乗った。
服装は落ち着いた色合いのシャツに、丈の長い羽織をあわせている。
和装姿が妙にしっくりきていたせいか、見慣れない生き物を見たようで目を疑う。現代的な装いに意外性を覚えるのは、この人の厳つく古めかしい言葉づかいのせいだろうか。
近づくと、彼はかすかに眉をつり上げた。驚いているようだ。
「このお店の時給、いくらですか? 伊奈羽市の最低賃金が九百二十六円だから土日祝と欠かさず六時間働いたとして……日給約五千円を毎年百二十日。十年分くらいか、思ったよりも長いなぁ」
「……物好きだな。まさか本当にやってくるとは、肝が据わっているのか、単に向こう見ずなのか」
「ふっかけてきたのは椎堂さんじゃないですか。いや、店長、とお呼びしましょうか」
「椎堂でいい」
さて。雇用規約のほかにも聞いておきたいことは山ほどある。なにから尋ねるべきだろうかと考えあぐねていると。
扉が開いた。入り口に現れた女性には見覚えがあった。
昨夜、店先ですれ違った相手だ。
あのときは一瞬目があっただけだが、僕は人の顔を覚えることに関しては自信がある。
彼女は「……こんにちは」と謙虚に礼をする。そしてヒールの底をカツカツと鳴らして、帳場の前に立った。
「……決めました」
「では答えは?」
「五十万円、用意しました。あれはわたしに売ってください」
女性客はハンドバッグから茶封筒を取り出して渡す。受け取った店主は封筒の中身を検分して「たしかに」と応じた。
帳場には平べったい正方形の小箱が置かれた。椎堂さんはひきだしから出したその小さな箱を女性に渡した。
「こちらを。常世に無二の雲外鏡、たしかにお渡しいたしました」
女性はふわりとほほえむ。
その横顔がぞっとするほど美しくて。なぜだか悪寒がした。
商談を終えて女性が退店するまで、僕はその場に硬直して見守ることしかできなかった。五十万円という巨額のやりとりもさることながら、ただならぬ空気がただよっていたのだ。
やはりこの店はあやしい。昨夜の出来事と照らし合わせても、目前で常識の範疇を飛び超えた出来事が起きているのは明らかだ。
「椎堂さん、改めてお聞きします。ここはどういうお店なんですか。少なくとも、ただの骨董品店ではないでしょう」
「さてな」
「はぐらかさないでくださいよ。昨日の洋燈と同様、あの女性に売り飛ばしたものも妖しげなバケモノが取り憑いてるんじゃないですか?」
「鋭いじゃないか。バケモノ、か。俺はあのような異形の徒をまとめて、〈怪奇なるもの〉と呼んでいる。神霊や精霊、妖怪、悪魔とも解釈される、常世の住人たち――それらは我々の生きる世界に遍在している」
「まさか曰くつきの骨董品って……」
「そうだ、この店に置かれている曰くつきはそういうモノどもを封じた品だな。つまり、異形の力を借りてでも叶えたい願いを持つ人間に、まさしく力を貸し与えてやってると言えるか」
金一封は仲介料、ということか。
怪奇を封じた骨董を商う店、九遠堂。その店主である、椎堂さん。
「……どうかしてる」
「人は弱い。自己研鑽では埋まらない対象に焦がれたときに、神仏に祈る者もいれば、悪魔の手を借りることを選ぶ者もいるだろう。だからこそ俺のような人でなしにも仲介料が懐に入るわけだ」
「人でなしって。まさか本物の詐欺師なんですか?」
「確かめてみたらどうだ? 小間使いとして雇う以上、最低限の指示は与えてやるが、尋ねれば何でも懇切丁寧に答えてやるほど生温くはない」
椎堂さんは不敵に笑ってみせる。
それこそ映画の中の悪役が大画面で観客に向かってやってみせるように。
……ああ、この人は。どうしてこんなにも邪悪な振る舞いが似合うのだろう。
土蔵で追いつめられて命からがら助かった時も、この男の高慢な態度に気圧されてしまったのだ。けれども泣き寝入りするのはどうしても納得がいかなくて。
精一杯、背伸びをして食い下がった結果が今日に繋がっている。
じつは、気がかりがあったのだ。
九遠堂にはじめて訪れた時――。
あの女性の様子は尋常ではなかった。思いつめたような表情。覚悟を決めた彼女の恍惚。それをただ傍観しているのはやるせなかった。
この男が信用ならない以上、僕がとるべき行動は……。
日曜日の太洲商店街はにわかに活気づいていた。
開店準備中のアパレルショップ、古着を買い漁る女性たち、コロッケ屋の前の長蛇の列、トルネードアイスとケバブを売る陽気なメキシコ人、レトロゲームショップに集う子どもたち。
平和でにぎやかな街角には、これから昼下がりにかけてさらに買い物客が集まってくるのだろう。
白昼の往来を歩きながら、この世の陰惨を固めた煮こごりのような人のところへ向かっている現状に、自分の正気を疑いたくもなってしまう。
夜更けにたどった道を思い出しながら歩いた先に、九遠堂は待ち受けていた。
扉は開いている。
「どうもこんにちは。六百万円分の労働を提供しに来ました、伏見です」
店主は帳場の奥に腰を下ろしていた。
――男は名を、椎堂と名乗った。
服装は落ち着いた色合いのシャツに、丈の長い羽織をあわせている。
和装姿が妙にしっくりきていたせいか、見慣れない生き物を見たようで目を疑う。現代的な装いに意外性を覚えるのは、この人の厳つく古めかしい言葉づかいのせいだろうか。
近づくと、彼はかすかに眉をつり上げた。驚いているようだ。
「このお店の時給、いくらですか? 伊奈羽市の最低賃金が九百二十六円だから土日祝と欠かさず六時間働いたとして……日給約五千円を毎年百二十日。十年分くらいか、思ったよりも長いなぁ」
「……物好きだな。まさか本当にやってくるとは、肝が据わっているのか、単に向こう見ずなのか」
「ふっかけてきたのは椎堂さんじゃないですか。いや、店長、とお呼びしましょうか」
「椎堂でいい」
さて。雇用規約のほかにも聞いておきたいことは山ほどある。なにから尋ねるべきだろうかと考えあぐねていると。
扉が開いた。入り口に現れた女性には見覚えがあった。
昨夜、店先ですれ違った相手だ。
あのときは一瞬目があっただけだが、僕は人の顔を覚えることに関しては自信がある。
彼女は「……こんにちは」と謙虚に礼をする。そしてヒールの底をカツカツと鳴らして、帳場の前に立った。
「……決めました」
「では答えは?」
「五十万円、用意しました。あれはわたしに売ってください」
女性客はハンドバッグから茶封筒を取り出して渡す。受け取った店主は封筒の中身を検分して「たしかに」と応じた。
帳場には平べったい正方形の小箱が置かれた。椎堂さんはひきだしから出したその小さな箱を女性に渡した。
「こちらを。常世に無二の雲外鏡、たしかにお渡しいたしました」
女性はふわりとほほえむ。
その横顔がぞっとするほど美しくて。なぜだか悪寒がした。
商談を終えて女性が退店するまで、僕はその場に硬直して見守ることしかできなかった。五十万円という巨額のやりとりもさることながら、ただならぬ空気がただよっていたのだ。
やはりこの店はあやしい。昨夜の出来事と照らし合わせても、目前で常識の範疇を飛び超えた出来事が起きているのは明らかだ。
「椎堂さん、改めてお聞きします。ここはどういうお店なんですか。少なくとも、ただの骨董品店ではないでしょう」
「さてな」
「はぐらかさないでくださいよ。昨日の洋燈と同様、あの女性に売り飛ばしたものも妖しげなバケモノが取り憑いてるんじゃないですか?」
「鋭いじゃないか。バケモノ、か。俺はあのような異形の徒をまとめて、〈怪奇なるもの〉と呼んでいる。神霊や精霊、妖怪、悪魔とも解釈される、常世の住人たち――それらは我々の生きる世界に遍在している」
「まさか曰くつきの骨董品って……」
「そうだ、この店に置かれている曰くつきはそういうモノどもを封じた品だな。つまり、異形の力を借りてでも叶えたい願いを持つ人間に、まさしく力を貸し与えてやってると言えるか」
金一封は仲介料、ということか。
怪奇を封じた骨董を商う店、九遠堂。その店主である、椎堂さん。
「……どうかしてる」
「人は弱い。自己研鑽では埋まらない対象に焦がれたときに、神仏に祈る者もいれば、悪魔の手を借りることを選ぶ者もいるだろう。だからこそ俺のような人でなしにも仲介料が懐に入るわけだ」
「人でなしって。まさか本物の詐欺師なんですか?」
「確かめてみたらどうだ? 小間使いとして雇う以上、最低限の指示は与えてやるが、尋ねれば何でも懇切丁寧に答えてやるほど生温くはない」
椎堂さんは不敵に笑ってみせる。
それこそ映画の中の悪役が大画面で観客に向かってやってみせるように。
……ああ、この人は。どうしてこんなにも邪悪な振る舞いが似合うのだろう。
土蔵で追いつめられて命からがら助かった時も、この男の高慢な態度に気圧されてしまったのだ。けれども泣き寝入りするのはどうしても納得がいかなくて。
精一杯、背伸びをして食い下がった結果が今日に繋がっている。
じつは、気がかりがあったのだ。
九遠堂にはじめて訪れた時――。
あの女性の様子は尋常ではなかった。思いつめたような表情。覚悟を決めた彼女の恍惚。それをただ傍観しているのはやるせなかった。
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