7 / 45
第一章「袖振り合う世の縁結び」
7.真夏の夜に美青年と出会ってしまったのが、運の尽き
しおりを挟む土蔵の奥はほとんど暗闇だった。
戸口に立って目を凝らしてみるが、内部の様子はすこしもうかがい知れない。夏も盛りだというのに夜風が冷え込むのか、ひんやりとした空気が肌に触れて、寒いくらいだ。
蔵へと先導した店主の手元に光がともる。
洋燈だ。
華奢なブロンズの金具に支えられるようにして、ガラス管の中であわい炎が揺らめいている。化学の実験で用いるアルコールランプと同じ構造で、ガソリンを燃料として点火する照明器具だったか。
「これだ。近くで見てみるといい」
ぼんぼりのような球体に、見慣れない装飾。
これもアンティークの品で、アウトドア用品店で見かけるキャンプギアとは一線を画する代物なのだろう。手渡されるままに持ってみると、驚くほどに軽い。質量をほとんど感じない。これでは空気も同然だ。
興味深くながめると――ガラス管の中で炎が青く燃え上がった。
ガタン! 蔵の戸口がひとりでに閉ざされる。
急になにごとか、と心臓が跳ねた。すると背後に控えた古物商の男が、まるで気でも触れたかのようにクツクツと息を潜めて嗤い出すではないか。
「さて。うまく化けたつもりだろうが、その程度で俺を騙せるとでも思ったか?」
炎は勢力を増して、激しく燃え上がる。
青白い火柱。パチパチと散る火の粉。焦げつくようなにおいが鼻筋をかすめたような気がしたのは一瞬のことだった。
炎は渦を巻いて天井へと舞い上がったかとおもえば、ぐにゃりと歪曲して弧を描いた。
まるで生き物のようにうねりながら――僕の腕へと襲いかかってくる。
――あつい!
叫びだすところだった。
とっさにつむった目蓋をおそるおそる開ける。
「……あれ? 熱く……ない?」
そうだ、熱くはない。洋燈から飛び出した炎はまとわりつくように僕の全身を覆っているが、肌が焼けただれることはない。摂氏約千度の超高温どころか、むしろかすかに冷気を感じるくらいだ。
――常軌を逸している。
説明を求めて視線を向けると、男は目を瞠っていた。
「愚者火程度では化けの皮は剥がれないか。まあいいさ、どうせこの部屋からは出られまい。時間をかけて燻して、正体を暴いてやるまでのこと」
……このひと、突然どうしたんだ?
これまで見せていたのはかろうじて柔和に繕った表面で、この邪悪な物言いこそが男の本性なのだろうか。
だとしたら、僕はとんでもない人外魔境に足を踏み入れてしまったのではないか。
落とし物なんて拾わなければよかった。持ち主なんて探さなければよかった。祭りの夜に浮かされて、軽い気持ちで寄り道なんてするべきではなかった。後悔が洪水のように押し寄せてきて、いっそのこと泣き出したい。
必死に逃げ場を求めて戸口にすがりつくが、ピタリと閉じたまま微動だにしない。
「そう簡単に逃すものか」
俎板の鯉とはまさにこのこと。
男が発したドスの利いた声を受けて、僕はこのときおそらく生まれて初めて本能的な恐怖を味わった。
こわい。こわい。こわい。
いまさらのように全身の毛穴からどっと冷や汗が吹き出す。
すでに事態は理解の範疇を超えているというのに、目の前で不敵に笑う男の存在がなによりおそろしかった。
扉をガタガタと揺らすが、手応えはない。
「おいシドー。こいつ、ただの人間だぜ」
絶望的な状況のさなか、誰かが男を制止した。
驚いたことに声は僕のすぐ間近から聞こえてきた。しかし周囲を見まわしても、どこにも声の主は見当たらない。幻覚についで、いよいよ幻聴だろうか。度重なる怪奇現象にさすがに目眩がしてきた。
一方、「シドー」と名前を呼ばれた元凶は平然と返事をしてみせる。
「ただの人間? 狐狸妖怪の類ではないと? こともなげに店に足を踏み入れてきたというのにか」
「間違いなく人間だろ。ケモノの匂いはしないしなぁ」
ここへきてはじめて、店主――シドウさんは顔をしかめた。
腕を組んでしばらく考え込んだあと、
「おまえ、どうやってこの店の場所を知った」
と尋ねてくる。
「夜道でみたらしを売っていたおじさんが教えてくれたんです。シドウさんってあなたですよね。お知り合いでは?」
「みたらし……? 確かに財布は俺のものだが」
「届けにきただけです。一切の邪心なく、純粋に、親切心で」
それで酷い目にあわされている。鬱憤をこめて、一言一句、恨みがましく発音しておく。
シドウさんは、ふっと視線をそらした。
「そのよく回る舌に、小生意気な形相。いかにも市井に紛れた豆狸そのものだがな」
「だれが狸なもんですか!」
さりげなく侮辱されてないか?
「まあ……そうか。こちらの落ち度だ。詫びてやろう、すまなかったな」
「まったくですよ……」
「ヒャッヒヒヒヒ、こいつはやっちまったなぁシドー。ざまあないぜ」
けらけらと不気味な笑い声が蔵の中に響くのを聞いて、僕も理解が追いついてきた。
炎が喋っている。僕を覆う炎はしゃがれた声が轟くたびに踊るように燐光を放ち脈打つのだ。さも愉快でたまらない状況を目の当たりにして、滑稽な道化役者が嘲笑するように。
「もういい、戻れ」
「あーあ。つまんねぇ。オレもたまには出してくれよなぁ」
シドウさんの号令で、生意気な言葉ばかり響かせる炎は僕の身体から離れていった。膨れあがった炎の巨体はみるみるうちに萎み、洋燈の硝子管の中にすっぽりとおさまった。
ほっとする。――のは、まだ早い。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
ナマズの器
螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。
不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
魔術師の妻は夫に会えない
山河 枝
ファンタジー
稀代の天才魔術師ウィルブローズに見初められ、求婚された孤児のニニ。こんな機会はもうないと、二つ返事で承諾した。
式を済ませ、住み慣れた孤児院から彼の屋敷へと移ったものの、夫はまったく姿を見せない。
大切にされていることを感じながらも、会えないことを訝しむニニは、一風変わった使用人たちから夫の行方を聞き出そうとする。
★シリアス:コミカル=2:8
仲町通りのアトリエ書房 -水彩絵師と白うさぎ付き-
橘花やよい
キャラ文芸
スランプ中の絵描き・絵莉が引っ越してきたのは、喋る白うさぎのいる長野の書店「兎ノ書房」。
心を癒し、夢と向き合い、人と繋がる、じんわりする物語。
pixivで連載していた小説を改稿して更新しています。
「第7回ほっこり・じんわり大賞」大賞をいただきました。
憑き物落としのオオカミさんは、家内安全を祈願したいらしい。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
キャラ文芸
【神社でのOLミーツ神なお話】
休職を機に地元に戻って来た私は、ひょんなことから「神社に行ってみようかな」という気になった。
特に何のお願い事もなければ、スピリチュアルの類を全く信じていない私。
だけどまぁとりあえず「せっかく長い階段を登ったんだし」と、小奇麗な古い神社で手を合わせてみた。
するとそこから運命は変わる。
なんと目の前には『人とは到底思えないような美しく荘厳で、そして何より頭にケモノの耳が生えた男』が現れて。
思わず目を奪われていると、ひどく獰猛な笑みを浮かべた彼にこんな事を言われる。
「――そんな物騒なモノを祓ってもらいに来た訳か」
これは、初対面なのに女性に対する配慮が足りず、しかし見惚れるくらい美しくその上実はとっても強いオオカミさんと、そんな彼が何故か見えるお仕事ちょっと休憩中の私との、餌付け……ゲフンゲフン、持ちつ持たれつの友情と恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる