2 / 33
一
一①
しおりを挟む
養護施設を出た後、里帆が向かった先は職場の神社近くにある寮だった。寮と言っても家具家電が一式揃っている、普通のワンルームマンションである。そのマンションの一室が今日から里帆の城となる。因みにここの家賃は給与からの天引きである。
里帆の荷物は少なく、小さなボストンバッグと大きな紙袋の一つだけだった。里帆は部屋の中にボストンバッグを置くと、すぐに大きな紙袋を持って、両隣の部屋へ挨拶に向かった。そうして最後には明日から世話になる神社へ挨拶をする。
神社の境内は教会とはまた違った神聖さを感じなくもなかったが、それでも里帆はここにも神などと言う存在はいないのだろうなと、漠然と思うのだった。
新生活として選んだ巫女という仕事は上下関係と礼儀作法に厳しい世界だった。それでもそこには人間らしさが感じられ、養護施設で過ごした日々よりも断然ましだと思えてならなかった。
幸いにも里帆は先輩の巫女たちにも恵まれており、仕事内容や舞の舞い方まで、一から丁寧に教わることが出来たのだった。
日常生活においても、今まで普通だと思っていたことが、外の世界に出てみると普通ではなかったり、里帆の知らないことが多くあったりした。そんな里帆のサポートをしてくれたのも、同じ寮に住んでいる先輩の巫女たちだった。
そうして仕事を一つ一つ覚えていきながら日々を過ごしているうちに、一人また一人と先輩の巫女が定年退職を迎えていく。巫女の定年退職が早いことを、里帆も就職する前から知っていた。
気付けば神の存在を感じることなく五年の月日が過ぎ、里帆は最年長の巫女として後輩を指導する立場へとなっていた。
この五年間、里帆は祭礼などで舞を披露し、奉納することがたびたびあった。普通の人よりは神に近い場所にいるはずなのだが、それでもいくら舞を奉納したところで、神の存在を感じることはなかったのだった。
(これはもう、私が鈍いのかしら……?)
そう考えない日もなかった。このまま何も感じることなく、自分は巫女の定年退職を迎えるのかもしれない。そう漠然と考えていたある日のことだった。
その日の早朝は里帆が境内の掃除を行う日だった。秋も深まった十月のこの日は、境内にもたくさんの落ち葉が落ちている。里帆は黄色く紅葉した落ち葉を掃き集めていく。
集まった落ち葉を袋へと入れている時だった。突然強い一陣の風が吹いた。里帆は思わず顔の前に手をやる。緋袴が風に揺れた。突風が吹いた僅かな時間が過ぎ、里帆が顔の前の手をゆっくりと下ろしていく。すると目の前にいつの間にか一人の男性の姿があった。
(綺麗な人……。外国人?)
その人物は淡い空色の柔らかそうな髪をしていた。奥二重の瞳の色は黄色だ。トレーナーにジーンズというラフな格好で現れたこの美青年は、落ち着いた印象を里帆に与えた。
「おはようございます。参拝の方ですか?」
里帆は怖ず怖ずと声をかけた。里帆の言葉を聞いた青年は、にっこりと微笑む。
(日本語、通じないのかな?)
里帆がそんなことを考えていると、
「僕はラファエル。君は、里帆?」
ラファエルと名乗った青年は、何故か里帆の名前を知っていた。里帆は咄嗟に後ろへと下がると、ラファエルから距離を取る。そんな里帆の様子でも、ラファエルの笑顔は崩れない。
里帆はじりじりと後ろへと下がりながら、ラファエルとの距離を広げていく。そうしながら、
「ラファエル、さん? どうして私の名前をご存じなのですか?」
里帆の率直な疑問に、ラファエルは笑顔を絶やさずに答える。
「僕は、天使だからね」
(この人、ヤバイ人じゃない!)
里帆は内心で冷や汗をかく。しかしそれを表に出すことはなく、ゆっくりと集めた落ち葉の袋を手にすると、
「ごゆっくり、どうぞ」
そう言って里帆はラファエルに一礼すると、袋を持って足早にその場を後にするのだった。
掃除を終えた里帆は神主の装束の準備に取りかかった。とはいえ、大概のことは後輩の巫女が行っていたため里帆はその仕事内容に不備がないかをチェックしていく。
その後は社務所にて、お守りや絵馬などの授与品の販売準備に取りかかる。しかしその手は社務所の正面にあるベンチの上に腰をかけた人物によって止まることとなった。
「三浦さん、どうかなさったんですか?」
隣で同じように準備をしていた後輩の巫女から声をかけられた里帆は、正面のベンチを指さして言う。
「あの人……」
「え? どの人ですか?」
後輩の巫女はラファエルの存在に気付いていなかった。里帆はなおも指さしたまま、
「ベンチに座っている、外国の方なんだけど」
そう説明するも、
「ベンチ? 誰も座ってなんていませんよ? 三浦さん、疲れているんじゃないですか?」
きょとんと返される。その様子はとぼけているようには見えなかった。
(もしかして、私にしか見えていないの?)
そんな非現実的なこと起きるはずがないと思いながらも、里帆の視線はラファエルと名乗った青年に釘付けになるのだった。
里帆の荷物は少なく、小さなボストンバッグと大きな紙袋の一つだけだった。里帆は部屋の中にボストンバッグを置くと、すぐに大きな紙袋を持って、両隣の部屋へ挨拶に向かった。そうして最後には明日から世話になる神社へ挨拶をする。
神社の境内は教会とはまた違った神聖さを感じなくもなかったが、それでも里帆はここにも神などと言う存在はいないのだろうなと、漠然と思うのだった。
新生活として選んだ巫女という仕事は上下関係と礼儀作法に厳しい世界だった。それでもそこには人間らしさが感じられ、養護施設で過ごした日々よりも断然ましだと思えてならなかった。
幸いにも里帆は先輩の巫女たちにも恵まれており、仕事内容や舞の舞い方まで、一から丁寧に教わることが出来たのだった。
日常生活においても、今まで普通だと思っていたことが、外の世界に出てみると普通ではなかったり、里帆の知らないことが多くあったりした。そんな里帆のサポートをしてくれたのも、同じ寮に住んでいる先輩の巫女たちだった。
そうして仕事を一つ一つ覚えていきながら日々を過ごしているうちに、一人また一人と先輩の巫女が定年退職を迎えていく。巫女の定年退職が早いことを、里帆も就職する前から知っていた。
気付けば神の存在を感じることなく五年の月日が過ぎ、里帆は最年長の巫女として後輩を指導する立場へとなっていた。
この五年間、里帆は祭礼などで舞を披露し、奉納することがたびたびあった。普通の人よりは神に近い場所にいるはずなのだが、それでもいくら舞を奉納したところで、神の存在を感じることはなかったのだった。
(これはもう、私が鈍いのかしら……?)
そう考えない日もなかった。このまま何も感じることなく、自分は巫女の定年退職を迎えるのかもしれない。そう漠然と考えていたある日のことだった。
その日の早朝は里帆が境内の掃除を行う日だった。秋も深まった十月のこの日は、境内にもたくさんの落ち葉が落ちている。里帆は黄色く紅葉した落ち葉を掃き集めていく。
集まった落ち葉を袋へと入れている時だった。突然強い一陣の風が吹いた。里帆は思わず顔の前に手をやる。緋袴が風に揺れた。突風が吹いた僅かな時間が過ぎ、里帆が顔の前の手をゆっくりと下ろしていく。すると目の前にいつの間にか一人の男性の姿があった。
(綺麗な人……。外国人?)
その人物は淡い空色の柔らかそうな髪をしていた。奥二重の瞳の色は黄色だ。トレーナーにジーンズというラフな格好で現れたこの美青年は、落ち着いた印象を里帆に与えた。
「おはようございます。参拝の方ですか?」
里帆は怖ず怖ずと声をかけた。里帆の言葉を聞いた青年は、にっこりと微笑む。
(日本語、通じないのかな?)
里帆がそんなことを考えていると、
「僕はラファエル。君は、里帆?」
ラファエルと名乗った青年は、何故か里帆の名前を知っていた。里帆は咄嗟に後ろへと下がると、ラファエルから距離を取る。そんな里帆の様子でも、ラファエルの笑顔は崩れない。
里帆はじりじりと後ろへと下がりながら、ラファエルとの距離を広げていく。そうしながら、
「ラファエル、さん? どうして私の名前をご存じなのですか?」
里帆の率直な疑問に、ラファエルは笑顔を絶やさずに答える。
「僕は、天使だからね」
(この人、ヤバイ人じゃない!)
里帆は内心で冷や汗をかく。しかしそれを表に出すことはなく、ゆっくりと集めた落ち葉の袋を手にすると、
「ごゆっくり、どうぞ」
そう言って里帆はラファエルに一礼すると、袋を持って足早にその場を後にするのだった。
掃除を終えた里帆は神主の装束の準備に取りかかった。とはいえ、大概のことは後輩の巫女が行っていたため里帆はその仕事内容に不備がないかをチェックしていく。
その後は社務所にて、お守りや絵馬などの授与品の販売準備に取りかかる。しかしその手は社務所の正面にあるベンチの上に腰をかけた人物によって止まることとなった。
「三浦さん、どうかなさったんですか?」
隣で同じように準備をしていた後輩の巫女から声をかけられた里帆は、正面のベンチを指さして言う。
「あの人……」
「え? どの人ですか?」
後輩の巫女はラファエルの存在に気付いていなかった。里帆はなおも指さしたまま、
「ベンチに座っている、外国の方なんだけど」
そう説明するも、
「ベンチ? 誰も座ってなんていませんよ? 三浦さん、疲れているんじゃないですか?」
きょとんと返される。その様子はとぼけているようには見えなかった。
(もしかして、私にしか見えていないの?)
そんな非現実的なこと起きるはずがないと思いながらも、里帆の視線はラファエルと名乗った青年に釘付けになるのだった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる