モノクロ怪奇譚

彩女莉瑠

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五⑤

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「俺の嫁、ようやく妊娠したんだ。子供のためにも、今は休んでいられないのだよ」

 そうして僕は、話し終えた里見を玄関まで見送る。革靴を履いている里見に、僕はふと思っていたことを口にした。

「なぁ、里見よ」
「何だ~?」
「里見は持っていないもので、僕にあるものって一体何だと思う?」

 僕の問いかけに、里見はしかめっ面をしながら振り返る。

「島崎。それは嫌味か?」
「そう聞こえるだろうから、お前にしか聞けないのだよ」
「そうか」

 里見はそう言うとしばらく考える素振りを見せる。そして、

「たくさんあるんだろうが、いちばん俺が思うのは、物書きとしての才能だろうよ」

 里見はそれだけ言い残すと、晩餐会の詳細は追って連絡すると言って出て行ってしまった。残された僕は呆然とする。

(物書きとしての、才能……?)

 里見からの答えは僕にとって寝耳に水だった。物を書くことは僕にとって当たり前の行為であり、それが僕だけの才能とは思ってもみなかったのだ。

(そう言えば……)

 そこまで考えて僕は一つのことを思い出した。それは僕が入院中に僕自身を主人公にして書いていた未発表の小説のことだった。

(確か、あの小説は……)

 僕は書斎に引き返すと、急いで一冊の帳面を引っ張り出して中を確認していく。

(やっぱりそうだ……)

 そこに書かれている主人公の人生と僕の人生には共通点が多い。
 列車に轢かれても五体満足なのはもちろん、その後の人生についての共通点が多いのだ。

 まず、教師として復職すること。その後物書きとしても順調に成功していくこと。教師を辞めても物書きとしての仕事があるため、食いっぱぐれることがないこと……。
 そして物語の最後、僕の書いた主人公は病に倒れ、そのまま死を迎えてしまう。しかし現実の僕にはこの時、章子がいた。もし章子がいなかったら、僕はもうこの世にいなかっただろう。耳元で鳴り響いていた歯の音を思い出し、死の恐怖がよみがえった。

 僕はその恐怖を払拭ふっしょくするためにかぶりを振る。そうして自分の小説を見直す。読めば読むほど、僕とこの主人公は共通点が多く、紛れもなくこの主人公は僕だと言えた。

(まさか、章子の手記にあった、僕にしか出来ないことって……)

 僕は一つのことを思い至って、まさかなと首を振る。
 自分の書いた小説の内容が現実になるなんて、そんな馬鹿げたことはあり得ないと思ったのだ。
 僕はこの突拍子もない考えにふたをし、再び書斎に引きこもる日常に戻るのだった。

 それから数日後。
 再び僕の家に里見がやって来た。玄関で里見を迎えた僕は、思わず目を丸くしてしまう。里見の右肩の上、そこには久しく見ていなかった白黒の髑髏の姿があったのだ。

「里、見……?」
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして……」

 狐につままれたような顔をする里見に、僕は首を振った。

「いや、何でもない。それより、上がって行くだろう?」
「悪い、すぐに会社へ戻らないといけ……ゴホッ!」

 以前僕の家に来たとき同様、里見はなんだか嫌な咳を一つする。心なしか、その顔色も悪い。

「里見、少しは身体を休めろ。子供と奥さんに障るぞ?」

 僕の言葉に里見は、血色の悪い顔をにんまりと笑顔に変える。僕はそんな幸せそうな里見の表情に胸が締め付けられる。

 この世に神がいるというのならば、その神は何と残酷で残忍なのだろう。表向きの人生はいかにも順風満帆じゅんぷうまんぱんといった風を装って、そのじつ、裏では着実に死の魔の手を伸ばしている。これでは神と言うよりも悪魔の所業ではないだろうか。

「……崎! おいっ! 島崎!」
「あ、あぁ……、何だ?」

 僕が思案にふけっていたのに、里見は少し不満そうに声をかけてきた。

「何だ? じゃないだろう? 招待状、確かに渡したからなっ? 当日になって来ないとかは、なしだぜ!」
「あ、あぁ……」

 僕の返事を聞いた里見は、じゃあな、と言うときびすを返して僕の家から飛び出して行った。僕はその背中を呆然と見送る。
 里見の右肩には、後ろからでも見間違えることのない白黒の髑髏が、鎮座しているのだった。
 里見の後ろ姿が見えなくなったとき、僕は呆然とする頭を落ち着かせるために、台所で水を一杯飲み干した。心臓がドクドクと脈打っているのが分かる。

(まさか、里見が……?)

 冷静に状況分析していく頭に反比例して、感情が爆発しそうになる。あれは決して、見間違いなどではなかったし、里見自身も具合が悪そうにしていた。

(このままでは、里見は……)

 きっと子供の顔を見ることもなく……。

 その考えに至った僕は、書斎へと駆けていた。もし本当に、僕が小説を書くだけであの死の象徴である白黒の髑髏を鎮められるのだとしたら、僕は里見の髑髏を鎮めたいと考えたのだ。
 書斎に到着した僕はすぐに、筆を持って原稿用紙の束に向かった。里見を主人公とした小説を書くためだ。
 僕の筆を持つ手が震える。物を書く上でこんなにも緊張したことはなかった。

 何から書こう?
 どうすれば、里見が主人公の話になる?

 震える手を握りしめて、僕は深呼吸を繰り返す。すると、



『直哉さんなら、出来ますよ』



 いつか聞こえてきた章子の涼やかな声が聞こえた気がした。僕はその声に一つ頷くと、改めて原稿用紙に向かうのだった。
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