モノクロ怪奇譚

彩女莉瑠

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四⑥

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 だってげんに、章子は倒れているではないか。医者が問題ないと言っても、死の象徴である白黒の髑髏が見えなくとも、何より、章子自身が大丈夫だと言っているのだとしても、僕には今が、異常な事態であるだろうことが容易に想像出来るのであった。
 桜が満開になる頃、章子は完全に寝たきりになってしまった。そうだというのに、医者はまだ、章子に悪いところはないと言い切る。僕はもう、医者には頼らないことにした。

 章子は布団に横たわったまま、僕に申し訳ないと小さく謝罪した。僕は横になっている章子の口元に耳を持っていき、その言葉を聞き漏らさないようにする。
 章子はもう、その目を開けることもやっとの様子だった。
 僕たちのお気に入りの庭が見える寝室で、章子は何度も何度も謝罪する。

「もう……、私の命は、長くはないのです。ごめんなさい……」
「何を言っているのだい? 章子。例のアレは出ていない。章子の命はこれからも……」
「いいえ、直哉さん……」

 僕の言葉を遮ると、章子は途切れ途切れに言葉を口にした。
 今、章子の命の火は燃え尽きようとしているのだと。それは天が定めた、章子の天寿なのだと。

「天寿を全うする時……、死の象徴が目覚めることはないのです……」
「そんな……。それでは僕が章子にしてやれることはもう……」

 僕の言葉に章子は何も言わなくなる。その沈黙が肯定を意味していることが分かり、僕は取り乱してしまう。

「そんな定め! 僕は認めない! 章子の寿命がここで尽きてしまうなんて、そんなこと、僕は……! 僕は……!」

 悔しさから僕は血がにじむほど自身の手を握りしめる。そんな僕の様子に、章子は何も言わなかった。代わりに、

「ねぇ、直哉さん。障子を開けては、くださいませんか?」

 小さな章子の願いの言葉に、僕は握りしめていた拳をほどいて立ち上がる。そうして庭に繋がる障子をがらりと開けた。春を告げる一陣の風が、寝室に入ってくる。
 章子はその風を気持ちよさそうに受けながら、

「ありがとう、直哉さん……」

 そう呟いた。僕が章子の傍へと戻ると、章子はゆっくりと僕の方へとその手を伸ばす。
 僕はその伸ばされた章子の手を両手で大事に包み込んだ。その感触に、章子は幸せそうに微笑むと、

「あぁ……。涼しい風、ですね……」

 章子はそう呟く。

「章子? ……あき、こ……?」

 嘘だろう?
 僕はそう思いながら章子へと声をかけるが、章子が反応を返してくれることはもう、ないのだった。



 それからの日々を、僕はどう過ごしていたのか全く覚えていない。どうやら章子の葬儀なども終わっているようで、寝室には僕だけが一人座り込んでいた。
 酷く頭が痛く、ぼーっとする。
 章子の残り香を感じながら寝室から見える庭を睨み付けるように眺める。とっくに花の時期を終えた梅の木が、新たな命をたたえて青々としていた。その様子をしばらく見つめていた僕の視界にふと、風呂敷に包まれた荷物が目に入る。

(あんなもの、ここにあったか……?)

 僕は不思議に思いながらものそのそとその荷物へと這い寄り、その包みを開けた。そこに現れた物に、僕は目を見張ることとなる。

(これ、は……)

 呆然と眺めるそれは、梅の季節が終わる頃に庭で章子と撮った一枚の写真であった。写真の中の章子は白無垢に身を包み、幸せそうに微笑んでいる。
 しかしもう、僕はこの笑顔に二度と会うことは出来ないのだ。

 そう思うと同時に、僕の頬を一筋の涙が伝う。それに気付いた瞬間、もう僕の涙腺はせきを切ったように涙を溢れさせ、僕はそのまま写真を胸に抱いて、誰もいなくなった寝室で泣き崩れるのだった。

 気付いた時、僕は写真を胸に横たわっていた。どうやら泣きながら疲れて、子供のように眠ってしまっていたようだ。
 外は夕刻で、夕日が真っ赤に外を染め上げる。どこからか夕餉ゆうげの香りが漂い、庭の垣根の向こう側からは家路にく人々の笑い声と無邪気にはしゃぐ子供の声。
 それはいつもの夕刻の風景ではあるのだが、僕の傍にはもう、いつものように章子の姿がない。
 だから何故、彼らが笑っているのか僕には分からなかった。

 何故、世界は終わっていないのか。
 何故、時は進んでいくのか。

(分からない……)

 何故、僕の世界も章子の世界が終わると同時に終わってはくれなかったのか。
 何故、僕の時間だけが時を止めることなく進み続けているのか。
 何故……。

 泡沫うたかたのように生まれては消えていく数々の疑問に、答えてくれる声はもちろんない。それでも僕は考えずにはいられなかったのだ。『何故?』と。
 そうしているうちに、僕は一つの答えに辿り着く。

(そうだ、僕が章子へ会いに行けば良いのだ……)

 そうなのだ。
 僕が、僕自身で、僕のこの惰性で続いているだけの時間を終わらせてしまえば良いだけなのだ。
 そう気付いた僕はのろのろと立ち上がる。そうしてゆっくりとした足取りで玄関へと向かうとそのまま外へと出た。



 今思えば僕のこの考えは全くのお粗末なもので、章子の元へくにも、あの歯音が僕には聞こえていなかったのだった。



 しかしそんなことにも気付かないくらい僕はこの時疲弊していた。気付けば、人の往来が少なくなっている橋の欄干らんかんが目の前にある。

(ここを越えたら、僕は、章子に会えるんだ……)

 しかし僕の次の行動は、意外な人物の声によって阻止されることとなる。
 僕が欄干へ足をかけた時だった。

「島崎?」

 僕の名を呼ぶ声に、僕は反射的に振り返る。そこで目が合った人物の名を、僕は思わず口にした。

「里見……?」 
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