豊穣の女神は長生きしたい

碓井桂

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第五章

第38話

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 わかってたつもりだったけど、やっぱりわかってなかったなって思う。
 逃げられなくなったところからはヒースの選択に口出しできる状況じゃなかったって、言い訳は一応あるけど。

 もっとも、ヒース自身にも選択の余地はなかったよね。
 ギルバートが迎えに来て、ヒースの逃亡も視野に入れて手を回してた時点で、ヒースはミルラを殺して逃げるか、流されるしかなかった。
 今になってわかったけどミルラとヒースの仲がいいことを考えたら、それはかなりの覚悟だったと思う。
 でもミルラもあの時ヒースを警戒してたように見えたから、ヒースはそうするかもって思ってたのかもしれない。

 この世界の人たちの常識とそこからくる覚悟は、わたしのものとは全然違う。
 違うということはわかるけど、どのくらい違うのかは測りかねてる。
 ただ、きっとこの世界の人たちに比べて、わたしはすごく甘い。

 隣に立ったヒースを見上げた。

「決着を……つけるの?」
「ああ。もう逃げません」

 それは、どうやってだろう。

「どうするの?」

 先にちゃんと訊くべきだったと、ちょっとだけ後悔してた。

「父に認めてもらって、王太子に戻ります」

 それは穏やかな方法だ。
 でも、それって昔に戻るだけじゃないのかな。
 ……だから、それだけじゃ済まないのか。

「それで、終われる? 終わらない、よね」
「終わりません」

 ヒースは微笑んでる。
 わたしにこう訊かれることまでは考えてたんだろうか。

「慣れてとも許せとも言いません。サリナは平和な国から来たんでしょう?」

 急に話が変わって、びっくりした。
 そう言えば、わたしはヒースに日本の話をしたことがない。
 最初に帰れないって聞いちゃってから、ここで生きていくことばかり考えてたから……

 ううん。
 考えたら、さすがに帰りたい気持ちに押し潰されるからだ。
 ここはあまりにも違いすぎる。
 家族っていう未練がないだけ、わたしはましだけど、それでも生まれ育った土地には郷愁がある。
 友達にも二度と会えない。
 それは、自分の意思で会わないのとは違うものだ。
 だから忘れてるしかなかった。
 帰れないって聞いた時はショックだったと、他人事のように考えるしかなかった。

「わかるの?」
「サリナが平和な国で育ったのは見ていればわかりますよ。それに黒髪黒目の女神の祖国が千年続く楽園だという話が、他国から伝わっているんです。サリナの祖国も同じじゃないかと思っていました」

 千年続く楽園……かな、と思ったけど、やっぱりそれは日本のことを言ってそうだ。
 日本から来た人が、他にもいたんだ。

「多分そうね、同じ国」
「やっぱり」

 ヒースは微笑みを強めた。

「王がいても継承争いはなく、戦いもなく、犯罪も少ない楽園だと聞きました。だから、私たちの争いはサリナには理解できないだろうと思っていたんです」

 ああ。
 最初から話してもわからないって思われてたのか……

 事実かもしれないけど、やっぱり残念な気持ちになる。
 ヒースは、ここに戻ってきたらエドウィン王子と殺し合いになるって知っていた。
 そもそも殺し合いを、自分が逃げることで終わらせようとしたんだから。

 塔で、最後に、わたしに逃げることを促した時。
 今、やっとわかる。
 あれは本気だったんだろうと思う。

 ヒースはわたしが人を殺すのは止めると知ったから。
 その通りだ。
 どんな人でも、死ぬのはいやだ。
 でも、わたしを連れてここに戻ったら、わたしは血を流す争いを見るしかないから。
 わたし一人逃がすのが、ヒースの示してくれた最大の優しさだったんだなあと思う。

 だけどそれは、わたしが拒んだ。

 わたしはヒースのベストを掴んで引いた。

「馴染みがないのは事実だけどさ、話してくれればわかるかもしれないし。……話してくれないとわからないよ」
「……すみません」

 ヒースは困った顔をする。

「君に嫌われたくなかったんです。色々見せてしまっているから、今更ですが。……君がこれからどうするかを知ったなら、許してもらえないかもしれないとは思っていました」

 殺さなくちゃ終わらないと言うと、わたしが嫌がると思ったんだろうということはわかった。
 わたしがいてもいなくてもいずれにせよ、争いが終わらなければ、ヒースが平和に生きられる日は来ない。
 そして争いが終わる日は……ヒースが生き残るか、エドウィン王子が生き残るか、エドウィン王子の目的が完全に果たされた時、なのか。

 ヒースはまだ知らない。
 エドウィン王子の望みは、王位ではなくて異世界の女だったこと。
 いや、結局は王位なのか。
 王位に異世界の女がついてくるんだから。

 ヒースは多分、どうしても王様になりたいわけじゃないと思う。
 義務とかは考えてるのかもしれないけど、一度は捨てたものだ。
 ならそこは、ヒースには譲れるところだ。

 じゃあ……
 もしも、もしも、わたしを譲れるのなら、ヒースは血を流さずに終われるのだろうか。

 もしもと考えただけで、地面にめり込みそうなほど落ち込んだ。
 やばい、そんなことを、わたしをエドウィン王子に譲るなんて道をヒースに選ばれたら、立ち直れないかもしれない。
 でも、それはある意味すごく魅力的な道でもある。

 殺し合いというのは……必ず勝てるとは限らないから。
 酷いと言われてもいいけれど、わたしはエドウィン王子に死んでほしくないのではなくて、ヒースに死んでほしくない。

「ヒース……もし、もしもね」

 もしもエドウィン王子の希望が叶ったなら、あの執着も終わるんだろうか。
 それでヒースは本当に解放される?

「……お兄さんが、本当は王位が欲しいんじゃなくて、別のものが欲しくて、それが手に入ったら今までみたいなことしなくなるんだったら、どうする?」

 甘い考えだということはわかってる。
 だけど、それで争いを避けられるのなら。
 ヒースさえ生きていてくれれば、わたしは。
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