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第五章
第36話
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これは血筋か。
ヤンデレは遺伝だということだろうか。
そうだと思うと、目眩がした。
とりあえず、原因はわたしじゃない。
きっかけがあるとするならば、前に後宮にいた女性か。
次の女神を助けられるならば、なんでもしようと言ったヒース。
次の女神を待つために、その手を血で汚し続けたエドウィン。
壁を越えられないから無理矢理攫われることはないけれど、睨み合いが終わらない。
でも、永遠にそれが終わらないのかと言えば、そこも疑問だった。
ミルラの顔を窺えば、さっきと同じで余裕の表情とは言えない。
もしかして、この壁は壊すこともできたりするのだろうか。
「切りがない」
考え込むように、エドウィン王子は顎に手を当てた。
「誰か魔術師を呼んでこい。禁止の陣を得意とする者と、破壊の技に長けた者が良い」
エドウィン王子の後ろに控えていた女騎士が振り返った。
でもその女騎士はそれ以上は動かなかったから、多分その後ろにも控えてる人がいたんだろう。
誰かが玄関から出て行く気配がした。
ミルラの緊張が高まった気がした。
ヤバい、やっぱり壊せるのか。
それなら――
「もうしばらく、お待ちいただけますか」
この人の中では、わたしは囚われてることになってるのか。
「だ……だめです」
ちゃんと言わなくちゃいけないと、やっと気がついた。
「わたしは行きません……!」
これだけが、何もできないわたしに唯一できることだ。
「何をおっしゃっているのですか」
エドウィン王子はぴくりと眉を震わせた。
「貴女は、騙されているのです」
不機嫌な声が耳に届く。
それと同時にだった。
『――サリナ』
頭の中に声が響いた。
『――何があった?』
ヒースの声だ。
思わず、目だけで辺りを見回してしまった。
目の前のエドウィン王子はそんなわたしを、少し怪訝そうに見た。
今のはなんなのか。
あれか――未完了詠唱。
どうしたらいいのか。
返事を返すにはどうしたら。
『――サリナは、普通に喋ればいい』
それはさすがに、だめだろう。
エドウィン王子の目の前で、ここにいないヒースと会話を交わすなんて、そんな逆撫ですること。
「エ……エドウィン殿下」
『――!』
頭の中でヒースが驚いているのが感じられた。
これでよかったのかと、すぐに不安に駆られて言葉が途切れた。
エドウィン王子を逆撫でする事態は避けられたが、逆にヒースを逆撫でした……ということに気が付いた。
ヒースは戻ってくるだろう。
でも戻ってきていいのか。
ここで兄と対面は、本当にいいのか。
ただでさえ元々顔を合わせるのはまずそうなのに、こんないきなり直接対決で大丈夫なのか。
とても大丈夫だと思えないけど、今は自分が魔法の壁越しとは言え直接対決中なので、隣にいるミルラに相談もできない。
だけどこれが悪手だったのかと言うと、これ以上の方法は思いつかない。
エドウィン王子を自力で説得できる気はしなかった。
洒落にならない。
いくら惚れられているのはわたしじゃない、わたしの上に意図せずくっついた肩書きだと思っても、事実自体は変わらない。
今ここから攫われてない理由は、ミルラの作った壁を越えられないというだけだ。
それが破られたら連れて行かれる。
その方法はありそうなので、実際にそうなる前に説得するか、助けに来てもらわなくてはならない。
説得できないなら助けてもらうしか……
そこで、どうしても行き当たる。
ヒースはわたしを助けられるのだろうか。
立場としては、ヒースの方が弱いんじゃないか。
今のヒースは、わたしを連れて逃げるわけにはいかない。
やっぱり、わたしが頑張らないといけないんじゃ。
「……わたしは、ヒースの妻なので」
一度は繋がったはずのヒースの声は今は聞こえない。
まだ繋がっているんだろうか。
聞こえてないといいなと思いながら、エドウィン王子は怒るんだろうかと思いながら、一度途切れた言葉をどうにか捻り出す。
「あなたとは行きません」
「弟は、どんなことを言って貴女を騙したのです?」
冷え冷えとした空気が、魔法の壁を越えても漂ってくる気がした。
やっぱり怒っている。
「だ……騙されてません。わたしが、ヒースを好きになったから」
「貴女は知らなかったのでしょう? 女神は王か王太子のものになるという決まりを」
「知ってました」
これで正しいのか、答えるたびにわからなくなる。
「知ってましたけど、ヒースが好きだから……」
説得どころか、ただエドウィン王子を逆撫でしてるだけじゃないかという気がしてしょうがない。
言っちゃいけなかったんじゃないか。
もっと別の言い方が……
「貴女は騙されているだけです」
聞く耳を持ってくれない。
エドウィン王子は軽く首を振り、不思議なほど、そして息を飲むほどの優しい微笑みで言った。
その微笑みがヒースにそっくりで、やっぱり兄弟なんだと場違いに思った。
「きっと、貴女の目を覚まさせてさしあげます」
その時、部屋の空気が揺らいだ。
わたしは自分が転移することは経験しても、誰かが目の前に転移してくるところを見るのは初めてだったと、その時気が付いた。
空気が揺らいで、金色の陽炎が立ったように見えた。
その金色がヒースの髪の色だと気が付くと、そこから人の形が現れる。
そこまで一瞬のことのようだったけれど、美しいスローモーションを見ているみたいだった。
本当に綺麗で、状況も忘れて溜息をつきそうになる。
「私の妻に、なんの御用ですか。――兄上」
転移ではやっぱり壁は越えられないんだろう。
壁のある位置の外、エドウィン王子から数歩分離れた場所に姿が固まると、ヒースは言った。
「ヒースクリフ……」
ヒースの姿を見たら今までの不安が嘘のように融けていって、ほっとした。
「おまえこそ何をしにきた?」
だけど、エドウィン王子の冷ややかな言葉に新たな不安が起こる。
「私は、掠め取られた私の花嫁を迎えに来ただけだ。誰が聞いても、私が正当だと言うだろう」
……それは多分、本当なんじゃないかと思う。
落ちてきた女は神殿か後宮で保護され、後宮ならば王か王太子の後宮に入る。
そういう決まりなのだから。
「ここは私に与えられた住まいですよ。そこに戻ることの何がいけないのです」
「おまえは転移してきたね。三年離れている間に忘れてしまったの? 王宮では転移は禁止だ」
「緊急の時以外は、とされていたと憶えています」
「緊急だったと?」
「緊急でしたよ」
普通に、むしろ見た目は穏やかに会話しているようで、緊張感は更にじりじりと高まっ
ていた。
ミルラは相変わらず、脂汗を浮かべている。
「兄上はどうなされたいのですか」
「それはもう答えただろう。迎えに来たのだから、連れて帰る」
「…………」
わたしに口を挟む余地なんかない。
この場の静かな争いは収まるのか。
収まるとしたら、どうやって。
見当がつかないから、黙っているしかない。
「……ミルラ、陣を解きなさい」
エドウィン王子はヒースが諦めたと思ったのか、それを止めることはしなかった。
ミルラはハッと顔を上げ、息を飲み、テーブルの上に置かれていた杯を手に取った。
『我ミルラ・マリア・ユリアスは禁止を許す』
ぴちょん、と、どこかで雫が落ちる音が聞こえた気がした。
その音と、ヒースが近付く靴音が重なる。
「失礼します、兄上」
伸ばされた手がわたしに触れたと思った時、足元が歪んだ。
同時にミルラの腕が必死の勢いでわたしの腰に巻き付いてきた。
そして気が付いたら……
森の中にいた。
……あれ?
森に戻って来ちゃった?
ヤンデレは遺伝だということだろうか。
そうだと思うと、目眩がした。
とりあえず、原因はわたしじゃない。
きっかけがあるとするならば、前に後宮にいた女性か。
次の女神を助けられるならば、なんでもしようと言ったヒース。
次の女神を待つために、その手を血で汚し続けたエドウィン。
壁を越えられないから無理矢理攫われることはないけれど、睨み合いが終わらない。
でも、永遠にそれが終わらないのかと言えば、そこも疑問だった。
ミルラの顔を窺えば、さっきと同じで余裕の表情とは言えない。
もしかして、この壁は壊すこともできたりするのだろうか。
「切りがない」
考え込むように、エドウィン王子は顎に手を当てた。
「誰か魔術師を呼んでこい。禁止の陣を得意とする者と、破壊の技に長けた者が良い」
エドウィン王子の後ろに控えていた女騎士が振り返った。
でもその女騎士はそれ以上は動かなかったから、多分その後ろにも控えてる人がいたんだろう。
誰かが玄関から出て行く気配がした。
ミルラの緊張が高まった気がした。
ヤバい、やっぱり壊せるのか。
それなら――
「もうしばらく、お待ちいただけますか」
この人の中では、わたしは囚われてることになってるのか。
「だ……だめです」
ちゃんと言わなくちゃいけないと、やっと気がついた。
「わたしは行きません……!」
これだけが、何もできないわたしに唯一できることだ。
「何をおっしゃっているのですか」
エドウィン王子はぴくりと眉を震わせた。
「貴女は、騙されているのです」
不機嫌な声が耳に届く。
それと同時にだった。
『――サリナ』
頭の中に声が響いた。
『――何があった?』
ヒースの声だ。
思わず、目だけで辺りを見回してしまった。
目の前のエドウィン王子はそんなわたしを、少し怪訝そうに見た。
今のはなんなのか。
あれか――未完了詠唱。
どうしたらいいのか。
返事を返すにはどうしたら。
『――サリナは、普通に喋ればいい』
それはさすがに、だめだろう。
エドウィン王子の目の前で、ここにいないヒースと会話を交わすなんて、そんな逆撫ですること。
「エ……エドウィン殿下」
『――!』
頭の中でヒースが驚いているのが感じられた。
これでよかったのかと、すぐに不安に駆られて言葉が途切れた。
エドウィン王子を逆撫でする事態は避けられたが、逆にヒースを逆撫でした……ということに気が付いた。
ヒースは戻ってくるだろう。
でも戻ってきていいのか。
ここで兄と対面は、本当にいいのか。
ただでさえ元々顔を合わせるのはまずそうなのに、こんないきなり直接対決で大丈夫なのか。
とても大丈夫だと思えないけど、今は自分が魔法の壁越しとは言え直接対決中なので、隣にいるミルラに相談もできない。
だけどこれが悪手だったのかと言うと、これ以上の方法は思いつかない。
エドウィン王子を自力で説得できる気はしなかった。
洒落にならない。
いくら惚れられているのはわたしじゃない、わたしの上に意図せずくっついた肩書きだと思っても、事実自体は変わらない。
今ここから攫われてない理由は、ミルラの作った壁を越えられないというだけだ。
それが破られたら連れて行かれる。
その方法はありそうなので、実際にそうなる前に説得するか、助けに来てもらわなくてはならない。
説得できないなら助けてもらうしか……
そこで、どうしても行き当たる。
ヒースはわたしを助けられるのだろうか。
立場としては、ヒースの方が弱いんじゃないか。
今のヒースは、わたしを連れて逃げるわけにはいかない。
やっぱり、わたしが頑張らないといけないんじゃ。
「……わたしは、ヒースの妻なので」
一度は繋がったはずのヒースの声は今は聞こえない。
まだ繋がっているんだろうか。
聞こえてないといいなと思いながら、エドウィン王子は怒るんだろうかと思いながら、一度途切れた言葉をどうにか捻り出す。
「あなたとは行きません」
「弟は、どんなことを言って貴女を騙したのです?」
冷え冷えとした空気が、魔法の壁を越えても漂ってくる気がした。
やっぱり怒っている。
「だ……騙されてません。わたしが、ヒースを好きになったから」
「貴女は知らなかったのでしょう? 女神は王か王太子のものになるという決まりを」
「知ってました」
これで正しいのか、答えるたびにわからなくなる。
「知ってましたけど、ヒースが好きだから……」
説得どころか、ただエドウィン王子を逆撫でしてるだけじゃないかという気がしてしょうがない。
言っちゃいけなかったんじゃないか。
もっと別の言い方が……
「貴女は騙されているだけです」
聞く耳を持ってくれない。
エドウィン王子は軽く首を振り、不思議なほど、そして息を飲むほどの優しい微笑みで言った。
その微笑みがヒースにそっくりで、やっぱり兄弟なんだと場違いに思った。
「きっと、貴女の目を覚まさせてさしあげます」
その時、部屋の空気が揺らいだ。
わたしは自分が転移することは経験しても、誰かが目の前に転移してくるところを見るのは初めてだったと、その時気が付いた。
空気が揺らいで、金色の陽炎が立ったように見えた。
その金色がヒースの髪の色だと気が付くと、そこから人の形が現れる。
そこまで一瞬のことのようだったけれど、美しいスローモーションを見ているみたいだった。
本当に綺麗で、状況も忘れて溜息をつきそうになる。
「私の妻に、なんの御用ですか。――兄上」
転移ではやっぱり壁は越えられないんだろう。
壁のある位置の外、エドウィン王子から数歩分離れた場所に姿が固まると、ヒースは言った。
「ヒースクリフ……」
ヒースの姿を見たら今までの不安が嘘のように融けていって、ほっとした。
「おまえこそ何をしにきた?」
だけど、エドウィン王子の冷ややかな言葉に新たな不安が起こる。
「私は、掠め取られた私の花嫁を迎えに来ただけだ。誰が聞いても、私が正当だと言うだろう」
……それは多分、本当なんじゃないかと思う。
落ちてきた女は神殿か後宮で保護され、後宮ならば王か王太子の後宮に入る。
そういう決まりなのだから。
「ここは私に与えられた住まいですよ。そこに戻ることの何がいけないのです」
「おまえは転移してきたね。三年離れている間に忘れてしまったの? 王宮では転移は禁止だ」
「緊急の時以外は、とされていたと憶えています」
「緊急だったと?」
「緊急でしたよ」
普通に、むしろ見た目は穏やかに会話しているようで、緊張感は更にじりじりと高まっ
ていた。
ミルラは相変わらず、脂汗を浮かべている。
「兄上はどうなされたいのですか」
「それはもう答えただろう。迎えに来たのだから、連れて帰る」
「…………」
わたしに口を挟む余地なんかない。
この場の静かな争いは収まるのか。
収まるとしたら、どうやって。
見当がつかないから、黙っているしかない。
「……ミルラ、陣を解きなさい」
エドウィン王子はヒースが諦めたと思ったのか、それを止めることはしなかった。
ミルラはハッと顔を上げ、息を飲み、テーブルの上に置かれていた杯を手に取った。
『我ミルラ・マリア・ユリアスは禁止を許す』
ぴちょん、と、どこかで雫が落ちる音が聞こえた気がした。
その音と、ヒースが近付く靴音が重なる。
「失礼します、兄上」
伸ばされた手がわたしに触れたと思った時、足元が歪んだ。
同時にミルラの腕が必死の勢いでわたしの腰に巻き付いてきた。
そして気が付いたら……
森の中にいた。
……あれ?
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