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序
序 閨には教師が必要で
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じりじりと照り付ける太陽に、ユインは額の汗をぬぐった。
それだけの動作に、目ざとい見張りは大げさに反応し、ユインの背中に鞭をふるう。
「……ぐっ」
「キサマ、手が止まっているぞ! まじめにやれ!」
鋭い痛みに呻いたユインをよそに、見張りの男はさっさとその場を離れて行った。
切り裂かれた背中だけがじくじくと後を引く。顔をゆがめたユインは、息を吐いて作業に戻った。
運んでいる巨大な岩は、いずれ魔王の居城となるらしい。
そう思えば、余計に力をこめる気が失せる。失せるが、そうすればまた鞭打たれるだけだ。
今は大人しく従え、と自分に言い聞かせ、岩に腕を回した。
もとより帝国が不利であろうとは、予測されていた。
下級の兵たちならいざ知らず、帝国中央軍将軍の地位にいたユインには、とうの昔に知れていたことだった。
だが、それでも戦わねばならない理由がある。
たとえば、家族を守るため、だとか。
深く息を吸い、力をこめて岩を押す。
その背中に、軽やかな声が聞こえてきた。
「……言いたいことは分かったがな、だからと言ってあの姦しい女どもを閨に放り込むのは、いい加減に勘弁してくれ」
「陛下、ではどうするおつもりですか。妻を娶り魔王領をますます繁栄させるには、そろそろ本格的な閨教育をですね……」
言い合いながら近づいてくる二人に、ユインは思い当たりがあった。
片方の声は、魔王アグラヴィス。この魔王領を支配する魔族の長だ。
戦場で対峙した記憶を持つユインには、その姿が見えない今でもあの時の恐ろしい圧をありありと思い出すことができる。
もう片方は、魔王の側近トレスカだろう。常に魔王の傍に侍り、その行く先に助言を与えていた男。
話の内容はどうにも甘ったるいものだったが、それを笑う余裕は今のユインにはなかった。
「いつもみたいにお前がやればいいだろう、トレスカ。手取り足取り俺を導くのがお前の仕事だ」
お前それ本気で言ってるのか、というツッコミをユインは喉の奥に押し込めた。
が、実際に仕事を振られそうになっているトレスカの方は、そうはいかない。苛立ちを声に乗せて即座に切り返した。
「あのですね、閨というのは非常にセンシティブかつ無防備なものなんですよ。あなた、本気で私と寝台にあがるつもりですか? バカも休み休み言ってください」
「バカはお前だ。そんなセンシティブかつ無防備なところに、では他の者を受け入れろというのか?」
「ですから、人間の女を連れてきたのではないですか。わざわざ捕まえて連れてきたのに、あなたがかたっぱしから放り出したんでしょうが」
「だって、あいつらぴーぴー泣くばかりで何も教えちゃくれんぞ。あんなのいてもいなくても一緒だ。もうちょっとちゃんと物を教えられるような肝の据わったものをだなぁ……ん?」
「陛下、捕虜に突然近寄るのは――」
二人の会話がそこで途切れた。
顔を上げることは許されない。が、背中に耳を集中して傾けていたところで、ぽん、と正面から肩を叩かれた。
「おい、お前はいつか見たことがあるな。確か、将軍ではないか?」
「…………」
声をかけられたからには答えねばならない。
顔を上げたユインの前を、肩で揃えた銀髪が舞った。整った顔立ちの真ん中で紅い瞳がぎらぎらと輝いている。
腰を屈めていたユインより少しばかり高い位置から見下ろしてきているのは、まさしく戦場に立っていたあの魔王アグラヴィスだった。
「……いかにも。帝国中央軍将軍ユイン・ルグ・スリナミニアだ」
「ははっ、元、を付けるのを忘れておるぞ」
正面から嘲笑を受け、思わずぐっと拳を握った。どこにも振り下ろす先のない拳を。
「おっ、怒ったか? 怒ったところでどうする。正面から向かってきて、刃を通すこともできなかった癖に」
確かにそうだった。
一騎打ちに乗ってきた魔王に対し、思い切り剣を振り下ろした。
だが、その一筋たりとて魔王に傷をつけることがあたわなかった。いずれも触れる直前で軽々と避けられたのだから。
「陛下。捕虜にそのように親しげに話しかけるものではありません」
追ってきたトレスカが魔王を引き返そうとして、その手を振り払われた。
「おい、トレスカ。俺はいい考えを思いついたぞ」
「陛下、それは」
「閨教育とやら、この男に任せればいいんじゃないのか? ほら、魔族なら脅威だがこの程度の男、閨に何人いても困りはしないしな」
「陛下……」
にまりと笑ったその顔を見る限り、ユインにとって、それはあまりいい思いつきとは思えなかった。
が、この場で魔王の思い付きを止められる者は他にない。
それに……ユインにとっては、ある意味わたりに船と言えることでもある。
閨に侍るなら、魔王を倒す隙も見つかりやすくなるだろうと思えたから。
それだけの動作に、目ざとい見張りは大げさに反応し、ユインの背中に鞭をふるう。
「……ぐっ」
「キサマ、手が止まっているぞ! まじめにやれ!」
鋭い痛みに呻いたユインをよそに、見張りの男はさっさとその場を離れて行った。
切り裂かれた背中だけがじくじくと後を引く。顔をゆがめたユインは、息を吐いて作業に戻った。
運んでいる巨大な岩は、いずれ魔王の居城となるらしい。
そう思えば、余計に力をこめる気が失せる。失せるが、そうすればまた鞭打たれるだけだ。
今は大人しく従え、と自分に言い聞かせ、岩に腕を回した。
もとより帝国が不利であろうとは、予測されていた。
下級の兵たちならいざ知らず、帝国中央軍将軍の地位にいたユインには、とうの昔に知れていたことだった。
だが、それでも戦わねばならない理由がある。
たとえば、家族を守るため、だとか。
深く息を吸い、力をこめて岩を押す。
その背中に、軽やかな声が聞こえてきた。
「……言いたいことは分かったがな、だからと言ってあの姦しい女どもを閨に放り込むのは、いい加減に勘弁してくれ」
「陛下、ではどうするおつもりですか。妻を娶り魔王領をますます繁栄させるには、そろそろ本格的な閨教育をですね……」
言い合いながら近づいてくる二人に、ユインは思い当たりがあった。
片方の声は、魔王アグラヴィス。この魔王領を支配する魔族の長だ。
戦場で対峙した記憶を持つユインには、その姿が見えない今でもあの時の恐ろしい圧をありありと思い出すことができる。
もう片方は、魔王の側近トレスカだろう。常に魔王の傍に侍り、その行く先に助言を与えていた男。
話の内容はどうにも甘ったるいものだったが、それを笑う余裕は今のユインにはなかった。
「いつもみたいにお前がやればいいだろう、トレスカ。手取り足取り俺を導くのがお前の仕事だ」
お前それ本気で言ってるのか、というツッコミをユインは喉の奥に押し込めた。
が、実際に仕事を振られそうになっているトレスカの方は、そうはいかない。苛立ちを声に乗せて即座に切り返した。
「あのですね、閨というのは非常にセンシティブかつ無防備なものなんですよ。あなた、本気で私と寝台にあがるつもりですか? バカも休み休み言ってください」
「バカはお前だ。そんなセンシティブかつ無防備なところに、では他の者を受け入れろというのか?」
「ですから、人間の女を連れてきたのではないですか。わざわざ捕まえて連れてきたのに、あなたがかたっぱしから放り出したんでしょうが」
「だって、あいつらぴーぴー泣くばかりで何も教えちゃくれんぞ。あんなのいてもいなくても一緒だ。もうちょっとちゃんと物を教えられるような肝の据わったものをだなぁ……ん?」
「陛下、捕虜に突然近寄るのは――」
二人の会話がそこで途切れた。
顔を上げることは許されない。が、背中に耳を集中して傾けていたところで、ぽん、と正面から肩を叩かれた。
「おい、お前はいつか見たことがあるな。確か、将軍ではないか?」
「…………」
声をかけられたからには答えねばならない。
顔を上げたユインの前を、肩で揃えた銀髪が舞った。整った顔立ちの真ん中で紅い瞳がぎらぎらと輝いている。
腰を屈めていたユインより少しばかり高い位置から見下ろしてきているのは、まさしく戦場に立っていたあの魔王アグラヴィスだった。
「……いかにも。帝国中央軍将軍ユイン・ルグ・スリナミニアだ」
「ははっ、元、を付けるのを忘れておるぞ」
正面から嘲笑を受け、思わずぐっと拳を握った。どこにも振り下ろす先のない拳を。
「おっ、怒ったか? 怒ったところでどうする。正面から向かってきて、刃を通すこともできなかった癖に」
確かにそうだった。
一騎打ちに乗ってきた魔王に対し、思い切り剣を振り下ろした。
だが、その一筋たりとて魔王に傷をつけることがあたわなかった。いずれも触れる直前で軽々と避けられたのだから。
「陛下。捕虜にそのように親しげに話しかけるものではありません」
追ってきたトレスカが魔王を引き返そうとして、その手を振り払われた。
「おい、トレスカ。俺はいい考えを思いついたぞ」
「陛下、それは」
「閨教育とやら、この男に任せればいいんじゃないのか? ほら、魔族なら脅威だがこの程度の男、閨に何人いても困りはしないしな」
「陛下……」
にまりと笑ったその顔を見る限り、ユインにとって、それはあまりいい思いつきとは思えなかった。
が、この場で魔王の思い付きを止められる者は他にない。
それに……ユインにとっては、ある意味わたりに船と言えることでもある。
閨に侍るなら、魔王を倒す隙も見つかりやすくなるだろうと思えたから。
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