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第五章 あなたと家族と明日のこと
3.あなたの目的
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久々に着たスーツは、それでも以前通りにしっくりきた。
直の隣には、今の上司――いや、バイトの雇い主である佐志波優佑が緊張した面持ちで立っている。
緊張するのも当然だ。
二人の前にいるのは、かつて優佑が担当していた大顧客、その社長である。
以前、営業一部のミスがあった時に優佑と直で一緒に謝りにきた相手だ。
「今日はどうした、今のところ君に謝って貰うようなことはないよ。担当変更の件は先日あったばかりだし、契約の更新はまだ先だし、新商品を入荷した話も聞かないし、季節の挨拶の時期でもないしねぇ」
なにかあるのだろう、とつつかれて、優佑はひきつった笑顔を浮かべた。
「さすが、ご慧眼です……」
「それで、なんなのかな」
「はい、今日はですね。その……ご友人のことで」
「私の友人? 多比良のことか?」
一度頭を下げ、上げたときには、優佑は真面目な表情に戻っていた。
「はい。弊社の社長を――多比良を助けていただきたいのです」
「なぜそれを君が、私に頼みに来るのかね」
もっともな話だ。
優佑は社長をじっと見据えた。
「このままだと、多比良オフィスレンタルサービスは社長の奥様に駄目にされます。あなたが社長のご友人と聞いて、助けをお願いしに来ました」
「確かに私たちは高校時代の友人で、今ではいいビジネスパートナーだ。だが、だからと言ってお互いのプライベートに踏み込むほどじゃない」
冷ややかな声に、優佑が一瞬引きかける。
その横に、直が足を進めた。
「……それは、嘘ですね」
「なに?」
社長の目が直を見る。
眼光に負けず、直は彼を睨み返した。
「あなたは多比良社長と、今でも密接なお付き合いがあるはずです」
「なにを根拠に?」
「先日私たちが謝罪に来たときの件です。修理連絡をしたはずの代替品が、御社に届いていないと」
連絡をしたと言われて調べたのに、誰も、連絡をとった形跡がなかった。
当時のコールセンターにいたのは、瀬央、流、そして直。いちばんミスをしそうなのは、申し訳ないことに直だから、直自身に思い当たりがない以上、コールセンターでは連絡を受けていないと判断すべきだ。
しかも、そもそもその時期には、まだコールセンターの対象顧客になっていなかった。
ならば、連絡を受けたのはコールセンターではない。
直は淡々と報告を続ける。
「このたび異動がありまして、営業一部長のポストに瀬央がつきました」
「ああ、そこの佐志波くんと二人で、引継ぎの挨拶に来てくれたね」
「瀬央はミスの原因究明に意欲的でして。ええ、もちろん二度とミスを起こさないためです。コールセンターに連絡が入ったのでなければ、営業一部に連絡が入っていたのだと思っていましたが、その日の電話とメールの履歴をすべて洗い出しても、御社からの連絡はきておりませんでした」
「ほう……」
社長がちらりと視線を外した。
「ふうん、では……弊社の勘違いだと言うのかね」
「いいえ、勘違いではありません。あなたは、多比良から頼まれてわざとクレームをつけたんですね?」
「くくっ……」
耐えきれずに社長が笑い出した。
それでも直は彼を見る目をそらさない。
優佑だけが、そんな二人を交互に眺めて焦っている。
「なるほどな。まあ、大体あってるから続けなさい」
「げっ……あってるんですか!?」
「優佑、うるさい」
「ぐ……はい」
すっとんきょうな声を上げる優佑を、直が制した。
「では、なぜ多比良はそんなことを私に頼んできたんだと思うかね?」
「多比良は、弊社の抱える問題をあなたに相談していたのだと思います。瀬央と多比良の関係も、あなたは知っていたはず」
「ああ、そうだ。では……君は、多比良はどうしたかったのだと思う?」
「社長は、瀬央を、瀬央の手がけたコールセンターから外したかったのではないでしょうか」
にこりと笑った社長は、席を立った。
近づいてくる彼の姿に、直は少しだけ足を引きかけたが、すぐに姿勢を改めた。
「つまり、多比良は瀬央くんをいびりたかったと?」
「はい、私はそう……」
「いや、それは違うだろ」
意外にも、優佑が否を唱える。
「あの後、あいつ栄転しやがったんだぞ? 上層部に駄目だと思われたのは俺の方だ」
「栄転?」
「俺の担当してた営業一部に異動になるのを、栄転以外のなんて呼ぶんだ」
「あっはい」
「だから、多比良社長の意図としては、つまり……」
言いかけた優佑の肩を、社長はぽんと叩いた。
「ま、そういうことだ。君たちの依頼はわかった。それが結果的に多比良に資するものなのなら、私としては手を貸すのはやぶさかではないがね」
「……ありがとうございます」
頭を下げた二人に、社長は頷いて見せたのだった。
直の隣には、今の上司――いや、バイトの雇い主である佐志波優佑が緊張した面持ちで立っている。
緊張するのも当然だ。
二人の前にいるのは、かつて優佑が担当していた大顧客、その社長である。
以前、営業一部のミスがあった時に優佑と直で一緒に謝りにきた相手だ。
「今日はどうした、今のところ君に謝って貰うようなことはないよ。担当変更の件は先日あったばかりだし、契約の更新はまだ先だし、新商品を入荷した話も聞かないし、季節の挨拶の時期でもないしねぇ」
なにかあるのだろう、とつつかれて、優佑はひきつった笑顔を浮かべた。
「さすが、ご慧眼です……」
「それで、なんなのかな」
「はい、今日はですね。その……ご友人のことで」
「私の友人? 多比良のことか?」
一度頭を下げ、上げたときには、優佑は真面目な表情に戻っていた。
「はい。弊社の社長を――多比良を助けていただきたいのです」
「なぜそれを君が、私に頼みに来るのかね」
もっともな話だ。
優佑は社長をじっと見据えた。
「このままだと、多比良オフィスレンタルサービスは社長の奥様に駄目にされます。あなたが社長のご友人と聞いて、助けをお願いしに来ました」
「確かに私たちは高校時代の友人で、今ではいいビジネスパートナーだ。だが、だからと言ってお互いのプライベートに踏み込むほどじゃない」
冷ややかな声に、優佑が一瞬引きかける。
その横に、直が足を進めた。
「……それは、嘘ですね」
「なに?」
社長の目が直を見る。
眼光に負けず、直は彼を睨み返した。
「あなたは多比良社長と、今でも密接なお付き合いがあるはずです」
「なにを根拠に?」
「先日私たちが謝罪に来たときの件です。修理連絡をしたはずの代替品が、御社に届いていないと」
連絡をしたと言われて調べたのに、誰も、連絡をとった形跡がなかった。
当時のコールセンターにいたのは、瀬央、流、そして直。いちばんミスをしそうなのは、申し訳ないことに直だから、直自身に思い当たりがない以上、コールセンターでは連絡を受けていないと判断すべきだ。
しかも、そもそもその時期には、まだコールセンターの対象顧客になっていなかった。
ならば、連絡を受けたのはコールセンターではない。
直は淡々と報告を続ける。
「このたび異動がありまして、営業一部長のポストに瀬央がつきました」
「ああ、そこの佐志波くんと二人で、引継ぎの挨拶に来てくれたね」
「瀬央はミスの原因究明に意欲的でして。ええ、もちろん二度とミスを起こさないためです。コールセンターに連絡が入ったのでなければ、営業一部に連絡が入っていたのだと思っていましたが、その日の電話とメールの履歴をすべて洗い出しても、御社からの連絡はきておりませんでした」
「ほう……」
社長がちらりと視線を外した。
「ふうん、では……弊社の勘違いだと言うのかね」
「いいえ、勘違いではありません。あなたは、多比良から頼まれてわざとクレームをつけたんですね?」
「くくっ……」
耐えきれずに社長が笑い出した。
それでも直は彼を見る目をそらさない。
優佑だけが、そんな二人を交互に眺めて焦っている。
「なるほどな。まあ、大体あってるから続けなさい」
「げっ……あってるんですか!?」
「優佑、うるさい」
「ぐ……はい」
すっとんきょうな声を上げる優佑を、直が制した。
「では、なぜ多比良はそんなことを私に頼んできたんだと思うかね?」
「多比良は、弊社の抱える問題をあなたに相談していたのだと思います。瀬央と多比良の関係も、あなたは知っていたはず」
「ああ、そうだ。では……君は、多比良はどうしたかったのだと思う?」
「社長は、瀬央を、瀬央の手がけたコールセンターから外したかったのではないでしょうか」
にこりと笑った社長は、席を立った。
近づいてくる彼の姿に、直は少しだけ足を引きかけたが、すぐに姿勢を改めた。
「つまり、多比良は瀬央くんをいびりたかったと?」
「はい、私はそう……」
「いや、それは違うだろ」
意外にも、優佑が否を唱える。
「あの後、あいつ栄転しやがったんだぞ? 上層部に駄目だと思われたのは俺の方だ」
「栄転?」
「俺の担当してた営業一部に異動になるのを、栄転以外のなんて呼ぶんだ」
「あっはい」
「だから、多比良社長の意図としては、つまり……」
言いかけた優佑の肩を、社長はぽんと叩いた。
「ま、そういうことだ。君たちの依頼はわかった。それが結果的に多比良に資するものなのなら、私としては手を貸すのはやぶさかではないがね」
「……ありがとうございます」
頭を下げた二人に、社長は頷いて見せたのだった。
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