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第四章 恋愛・友情・私の仕事
1.必要のある存在
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「大変、申し訳ありません!」
普段の姿が嘘のような手のひら返しで、優佑はぴしっと頭を下げた。
事前に聞いていた通り、謝罪先は名だたる企業だった。
人の良さそうな初老の社長は、ロマンスグレーの髪と同色の眉を穏やかに下げて、優佑の後頭部を見守っている。
「まあまあ、佐志波さん。顔を上げてください。私はなにも、あなたに謝らせようと思って文句を言ってるのではありません」
が、優佑はまだ頭を上げない。
慌てて私も、優佑の後ろでもう一度頭を下げた。
「私が時間をとったのはね、あなたのその直立不動の綺麗なお辞儀を見るためじゃないんだけどね」
「はい、今わかる限りの経緯と、現時点での暫定的な対策をお伝えします」
ぱっと頭を上げた優佑が、即座に社長の元へ歩み寄った。
手にはA4クリアファイルにまとめられた資料がある。
「そもそも、今回ご連絡いただいた先は、弊社のコールセンターではございませんでした。専門ではないからこそ、取り違えやミスも発生したと思われ……つまり、次回からはお客様対応の専門家であり、数々の対策を行っている弊社コールセンターへご連絡いただくことで、今回のような連携不足や連絡漏れを防ぐことができます!」
きっぱりと言い切る優佑に、社長は面白そうに目を細めた。
「ほう……つまり、今回のミスは君の率いる営業一部の失敗だと認めるのかね?」
「そ、それは現在調査中です」
優佑は一瞬、頬をひきつらせた。
が、すぐに表情を立て直して胸を張る。
「ですが、コールセンターに連絡が入っていないことだけは確かです。弊社のコールセンターには、お客様からの連絡の履歴を残すために、自動的に電話を取った履歴を保存するシステムを導入してありますので」
「っ……!?」
直は、思わず叫びそうになった。自分の口をこっそり片手で押さえ、危うい瞬間をやり過ごす。
優佑の口にしたシステムは、確かに今後の導入を検討していたものではあるが――現時点ではまだ導入されていない。
なんのつもりか、と直は優佑を睨みつけた。
が、相手は直の視線など意に介さず、ひたすら社長に多比良のコールセンターのいかに素晴らしいかを語り続けている。
直は大きな息をつき、肩の力を抜いた。
そうだ、思い出した。
この、嘘を嘘と思わせない堂々たるはったりと――更にその嘘をいずれ真実にしてしまう迷惑な程の行動力が、優佑の十八番なのだ、ということを。
ついでに言えば、今回の場合、一番迷惑を受けるのは誰なのかということにも思い当たった。
――そう、大顧客の前で、まだないものをあると説明された、瀬央である。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
最終的に、コールセンターのオペレーターとして紹介された直が挨拶をする頃には、話題はにこやかな雑談のフェイズに移行していた。
「御社の社長とは高校時代の同級生でね、付き合いもその頃からなんだ。良かった。こんなくだらないことで、高校時代の友情を壊さなくてすんだよ。いやあ、彼は昔から伊達男でね。君もその薫陶を受けているのかな」
「はは、とんでもございません」
「ほら、あのトレードマークのような青のスーツ、あれ、よく着てるだろう? あんな派手なもの着こなせるのは、同級生では彼くらいしかいないよ」
「ああ、そうですね。いや、しかし社長の男ぶりの良さも、多比良からよく聞いておりました」
「はっは、君は本当にいつも口がうまいなぁ」
和やかな空気が流れている。
さすがと言うか、本当に力技だ。
力技だが、とりあえず苦境は脱した。
これから瀬央は大変だろうが、それでも、今後は優佑もコールセンターに協力せざるを得ないことを考えれば、まあ悪くない落としどころだと言いそうだ。
「今後はしっかりと対策を立てますので、どうぞ今回はご容赦を」
「うん、よろしく頼む。戻ったら、多比良くんにもよく伝えておいてくれ」
「はい。あの……多比良とは今でもよくお会いになるのですか?」
「ん? いや、卒業後もちょくちょく話はしているがね、そういえばしばらく会ってないな」
「そうでしたか」
優佑がすっと足を引いて距離を取り、背筋を伸ばす。
一拍、社長に正面から目を合わせた後、深々と頭を下げた。
「それでは――このたびは大変申し訳ございませんでした」
直も少し遅れて頭を下げながら、付き合っていたときのことを思い返していた。
口のうまい男だった。
強引で、人のことを考えない男だった。
いざとなったら、やるべきことはやれる男だった。
プラスでもマイナスでもなく、そういう男だ、と素のままの優佑をようやく思い出した気がした。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
多比良の何十倍も大きなビルから出た途端、肩の力がぐったりと抜けた。
喫茶店でも寄って帰ろう、と言われた言葉を即座に断ることができたのは、自分でも意外だ。
常に言いたい放題の流に影響されたからかもしれないが……いや、今回はいつになく優佑が下手に出ていたから、という理由が一番大きいだろう。
下手に出ている理由も、もちろんよくわかっている。
「優佑――いえ、佐志波部長。これであなたも、コールセンターが潰れたら困ってしまう立場になったわけですね」
「……そんなことはわかってる」
忌々しそうに呟いたが、彼の不機嫌はもう直を圧迫しない。
なぜならば、営業一部の顧客満足度を――その一端を握っているのはコールセンターであり、そのオペレーターである直だからだ。
「お前……わかってるんだろうな? 俺を困らせようとして、仕事で手を抜くような真似をするなよ」
「もちろんです、佐志波部長。私はいつだって真剣に仕事に取り組んでいますよ」
誰かさんと一緒にしないでください、という言葉を、喉元でこっそり飲み込んだ。
優佑はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「わかってるならいいんだが」
「まあ、なので、本当に嫌だと思ったら仕事自体辞めますね。誰にも迷惑かからないうちに」
「ぅおおおおいっ! わかってねぇじゃん、お前」
「はい?」
優佑が、直に向き直りその両肩をぐっと掴む。
「いいか、三人しかいない部署なんだぞ? お前がいなくなったら大変なことになるだろうが!」
「バイトを雇えば?」
「バカ! バイトったってすぐに育つもんじゃないだろ! お前は必要なんだよ。頼むから……」
「頼む?」
じろりと睨んでやると、優佑は、うっと息を呑んでから、直の前で頭を下げた。
「お願いですから辞めたりしないで、とにかく……コールセンターをよろしくお願いします」
「いいですよ」
わざと高飛車に答えてやる。
もちろん、辞めるつもりなんてない。
……が、今日の優佑の謝罪のせいで、これから瀬央と一緒に色々頑張らなければならない立場なのだ。
これくらいは、意趣返ししても許されるに違いない。
普段の姿が嘘のような手のひら返しで、優佑はぴしっと頭を下げた。
事前に聞いていた通り、謝罪先は名だたる企業だった。
人の良さそうな初老の社長は、ロマンスグレーの髪と同色の眉を穏やかに下げて、優佑の後頭部を見守っている。
「まあまあ、佐志波さん。顔を上げてください。私はなにも、あなたに謝らせようと思って文句を言ってるのではありません」
が、優佑はまだ頭を上げない。
慌てて私も、優佑の後ろでもう一度頭を下げた。
「私が時間をとったのはね、あなたのその直立不動の綺麗なお辞儀を見るためじゃないんだけどね」
「はい、今わかる限りの経緯と、現時点での暫定的な対策をお伝えします」
ぱっと頭を上げた優佑が、即座に社長の元へ歩み寄った。
手にはA4クリアファイルにまとめられた資料がある。
「そもそも、今回ご連絡いただいた先は、弊社のコールセンターではございませんでした。専門ではないからこそ、取り違えやミスも発生したと思われ……つまり、次回からはお客様対応の専門家であり、数々の対策を行っている弊社コールセンターへご連絡いただくことで、今回のような連携不足や連絡漏れを防ぐことができます!」
きっぱりと言い切る優佑に、社長は面白そうに目を細めた。
「ほう……つまり、今回のミスは君の率いる営業一部の失敗だと認めるのかね?」
「そ、それは現在調査中です」
優佑は一瞬、頬をひきつらせた。
が、すぐに表情を立て直して胸を張る。
「ですが、コールセンターに連絡が入っていないことだけは確かです。弊社のコールセンターには、お客様からの連絡の履歴を残すために、自動的に電話を取った履歴を保存するシステムを導入してありますので」
「っ……!?」
直は、思わず叫びそうになった。自分の口をこっそり片手で押さえ、危うい瞬間をやり過ごす。
優佑の口にしたシステムは、確かに今後の導入を検討していたものではあるが――現時点ではまだ導入されていない。
なんのつもりか、と直は優佑を睨みつけた。
が、相手は直の視線など意に介さず、ひたすら社長に多比良のコールセンターのいかに素晴らしいかを語り続けている。
直は大きな息をつき、肩の力を抜いた。
そうだ、思い出した。
この、嘘を嘘と思わせない堂々たるはったりと――更にその嘘をいずれ真実にしてしまう迷惑な程の行動力が、優佑の十八番なのだ、ということを。
ついでに言えば、今回の場合、一番迷惑を受けるのは誰なのかということにも思い当たった。
――そう、大顧客の前で、まだないものをあると説明された、瀬央である。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
最終的に、コールセンターのオペレーターとして紹介された直が挨拶をする頃には、話題はにこやかな雑談のフェイズに移行していた。
「御社の社長とは高校時代の同級生でね、付き合いもその頃からなんだ。良かった。こんなくだらないことで、高校時代の友情を壊さなくてすんだよ。いやあ、彼は昔から伊達男でね。君もその薫陶を受けているのかな」
「はは、とんでもございません」
「ほら、あのトレードマークのような青のスーツ、あれ、よく着てるだろう? あんな派手なもの着こなせるのは、同級生では彼くらいしかいないよ」
「ああ、そうですね。いや、しかし社長の男ぶりの良さも、多比良からよく聞いておりました」
「はっは、君は本当にいつも口がうまいなぁ」
和やかな空気が流れている。
さすがと言うか、本当に力技だ。
力技だが、とりあえず苦境は脱した。
これから瀬央は大変だろうが、それでも、今後は優佑もコールセンターに協力せざるを得ないことを考えれば、まあ悪くない落としどころだと言いそうだ。
「今後はしっかりと対策を立てますので、どうぞ今回はご容赦を」
「うん、よろしく頼む。戻ったら、多比良くんにもよく伝えておいてくれ」
「はい。あの……多比良とは今でもよくお会いになるのですか?」
「ん? いや、卒業後もちょくちょく話はしているがね、そういえばしばらく会ってないな」
「そうでしたか」
優佑がすっと足を引いて距離を取り、背筋を伸ばす。
一拍、社長に正面から目を合わせた後、深々と頭を下げた。
「それでは――このたびは大変申し訳ございませんでした」
直も少し遅れて頭を下げながら、付き合っていたときのことを思い返していた。
口のうまい男だった。
強引で、人のことを考えない男だった。
いざとなったら、やるべきことはやれる男だった。
プラスでもマイナスでもなく、そういう男だ、と素のままの優佑をようやく思い出した気がした。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
多比良の何十倍も大きなビルから出た途端、肩の力がぐったりと抜けた。
喫茶店でも寄って帰ろう、と言われた言葉を即座に断ることができたのは、自分でも意外だ。
常に言いたい放題の流に影響されたからかもしれないが……いや、今回はいつになく優佑が下手に出ていたから、という理由が一番大きいだろう。
下手に出ている理由も、もちろんよくわかっている。
「優佑――いえ、佐志波部長。これであなたも、コールセンターが潰れたら困ってしまう立場になったわけですね」
「……そんなことはわかってる」
忌々しそうに呟いたが、彼の不機嫌はもう直を圧迫しない。
なぜならば、営業一部の顧客満足度を――その一端を握っているのはコールセンターであり、そのオペレーターである直だからだ。
「お前……わかってるんだろうな? 俺を困らせようとして、仕事で手を抜くような真似をするなよ」
「もちろんです、佐志波部長。私はいつだって真剣に仕事に取り組んでいますよ」
誰かさんと一緒にしないでください、という言葉を、喉元でこっそり飲み込んだ。
優佑はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「わかってるならいいんだが」
「まあ、なので、本当に嫌だと思ったら仕事自体辞めますね。誰にも迷惑かからないうちに」
「ぅおおおおいっ! わかってねぇじゃん、お前」
「はい?」
優佑が、直に向き直りその両肩をぐっと掴む。
「いいか、三人しかいない部署なんだぞ? お前がいなくなったら大変なことになるだろうが!」
「バイトを雇えば?」
「バカ! バイトったってすぐに育つもんじゃないだろ! お前は必要なんだよ。頼むから……」
「頼む?」
じろりと睨んでやると、優佑は、うっと息を呑んでから、直の前で頭を下げた。
「お願いですから辞めたりしないで、とにかく……コールセンターをよろしくお願いします」
「いいですよ」
わざと高飛車に答えてやる。
もちろん、辞めるつもりなんてない。
……が、今日の優佑の謝罪のせいで、これから瀬央と一緒に色々頑張らなければならない立場なのだ。
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